51.訓練の意義
「おぅぇぇええ…」
「おい…女としてその顔はヤバくね?」
「無理ぃぃ…今、そんな気遣えない……」
えー、「刀柳館」での訓練と言う名の拷問が始まりました。
これだけやってたら、私ですらその内、地上最強の生物になれる気がする。
訓練内容?
思い出したくないので聞かないでください。
まぁ、とにかく、そんなごうも…訓練に慣れるまでは、こうしてゲッソリして帰宅、と言う状態は続くんだろう。
筋肉痛とかじゃないんだよ。
全身がガタガタなんだよ。
内臓すらヤられてしまったような感覚なんだよ。
死ぬよ。
だから、突っ込むんじゃない焔!
お前も引っ張り込むぞ!!
「もう痛みのオンパレードなんだよ…突っ込むくらいなら代わってぇぇ…」
「お、お前がそこまで言うとか、よっぽどなんだな」
焔が顔を引き攣らせる。
因みに私は、ちょいちょい今まで存在を感じた事もない筋肉が痙攣してるんだけどな。
どうだ、羨ましかろう。
代わってくれても良いのよ?
「あはは。お嬢、かなり気に入られてたみたいだしねぇ」
「確かに。明らかに僕たちに対する訓練よりハードです」
「えっ」
聞きたくなかった事実には、耳を閉ざしておこう。
年上の男の子よりハード?
嘘だろ!?
ちょっ、松本さん!貴方には常識がないのか!!
「気に入られるって、瑞穂何かやらかしたのか?」
「ちょっと。どうしてやらかし前提で聞くの」
「だって瑞穂だし…」
「ヒドイ!あんまり…だぁぁぁ…痛いぃぃぃ……」
「あー…ハイハイ。分かったから、ソファーでくたばってろ。バーカ」
「うぅぅ…」
言葉は厳しいけど、目は生温かい。
普通に馬鹿にされた方が良かったかもしれない。
これ、完全に子供扱いじゃね?
悔しい!でも言い返せない。
今日ばかりは無理だ。厳しい。痛い。死ぬ。
「やらかしましたよ。戦闘マニアの先生の前で、平均の何倍かの記録叩き出して来ましたからねぇ。あれで気に入らない方がおかしいでしょ」
「平均の何倍って…俺のが瑞穂より足速いけど?」
「おめでとう!若も「刀柳館」に来れば、ごうも…特別コースにご招待ですね!」
「お前今拷問って言った!?拷問って言ったよな??」
ああ…臣君から見てもあれは拷問なのか。
良かったよ、私の感覚がおかしいんじゃなくて。
あそこに通ってる人達、熱血漢が多くて…そこが良いじゃないですか!って言われちゃうんだよね。
私がおかしいのかと思いかねない。
何と言う危険性。
「ご安心ください、焔様」
「晴雅…」
「あれは拷問ではありません。才能を認められた限られた者のみが受ける事の出来る、特別ハードなオリジナルメニューですから。それを終えた時、お嬢様は遥かな高みへと…」
「あれ、それ何処に安心要素あんの?瑞穂、バケモンにでもなる気かよ…」
「なりたくないぃぃ…」
バケモンは遠慮したい。
ゴリラもイヤだ。
一応、通ってる人達の中にはスマートな人もいたし、松本さんなんか特にスマートだから、大丈夫だと思うんだけど…。
私だって女子だ。
流石に、そこまでゴリゴリになりたくない。
……いえいえ!
そう言うのが好きでやってる女の子を否定する気はありませんよ?
私には私の黄金比と言うものがあるのだ。
お腹割れたくないとか。
やせ過ぎもイヤとか。
「にしても、お前んちって、何目指してるんだよ?」
「えぇ?」
「格闘訓練だけじゃなくて、すげーたくさん訓練すんだろ?隠密訓練とか、映画とかでしか見ない様な訓練とか、音楽訓練とか、縫い物、目利き…あと、普通に勉強とかさ。完璧超人でも量産する気なのか?」
「さぁ…私に聞かれても分からないけど」
お父さんは、赤河家に相応しい人間にならなければならない、としか言っていなかったから、良く分からない。
これ、反抗的な子供だったらキツかったろうなー。
私でさえキツいんだから。
でも、案外何も知らない子供の方がキツくないのかもしれない。
何しろ、それが普通になるのだから。
他の事を知らなければ、文句なんて出ないのかも。
確実に反抗期がやって来る気がするけど。
「そう言えば、ちょっと気になって桐吾様に聞いてみたんですよね」
「何をだ?」
「やだー、若ったら察し悪ーい」
「キモッ!」
「聞くに堪えないぞ、晴臣」
「え。そこまで?っかしーなぁ。結構自信あったんだけど…」
男三人の会話がおかしい。
仲が良いのは良い事なんだけど…もしかして、私がいない時も、結構こんな会話を繰り広げてるんだろうか。
何それ聞きたい。
「まぁ、良いか。簡単ですよ、お嬢に対して最初から厳し過ぎないかって事です」
「ああ…なるほど。で、答えてくれたのか?」
「「青島は赤河に多大な恩があるから、その身の全てを賭して、お仕えしなければならない。その為に、その身を削る事も厭うてはいけない」…みたいな事言ってましたね」
なぬ?初耳である。
お仕えしないとー、みたいな話しか聞いた事なかった。
何か伝統的にあるのかな。
「だからしょっぱなからぶっ飛ばしてるって事か?」
「ですね。完璧超人になって、赤河家にお仕えする事が恩返しって訳じゃないですかねぇ」
「ただ、未来はお嬢様に託したい、とも仰っていました」
「どう言う事?」
ふと、雅君が気になる事を言う。
その内お父さんから聞くんだろうけど、チラッとでも聞いてしまった事に対してスルーは出来ない。
何しろ、私に直接関わる事だ。
「はい。お嬢様が、焔様にお仕えする未来を選ぼうと、家を出て自分で生きて行く事を選んでも、桐吾様は構わないと仰っていました」
「?なら、どうして今からこんな拷問受けてんだ?」
「やだー、若ったらマジ察し悪ぅーい」
「晴臣マジでウゼェ!!」
いつもならこのアホなやり取りに参加する所だけど、自重しておこう。
私の将来、確か決まってた様な気がしたんだけど…お父さんが私の将来は、私の自由にして良い、と言ってたって言うのは、つまり、親心ってヤツかな?
もしそうなら、とても嬉しい。
この家に生まれる事が出来て、とても嬉しい。
だけど、由緒ある家柄なのに、ここでそんな事言って良いんだろうか。
まさかとは思うけど、弟が生まれたから自由にして良いって言った?
そんなまさか。
確かにお父さんは、嘘も上手そうな感じだけど、そんな嘘をつくような人じゃないと思う。
やっぱり、お父さんの優しさだろう。
でも、幾らお父さんがそう言ってくれているにしても、伝統を曲げる事は出来るのだろうか。
うむむ…情報が足りないからか。良く分からない。
「瑞穂は分かったか?」
「うーん、良く分かんないや」
「ほら、コイツも仲間だ」
「あれ、お嬢も分かんないですか?」
「え、何の話?」
悶々と悩んでいたら、焔から仲間扱いを受けた。
それは別に構わないんだけど、どうして臣君がビックリしてるんだろう。
私がお父さんの意図を測りかねてる事って、そんなに意外?
「将来を自由に選べるのであれば、何故まだ決めていないお嬢様が、今からこのような特訓を受けているのか。その理由が分かるか分からないか、と言う話にございますよ、お嬢様」
「え、何だそっち?」
誤解してた。
私が悩んでたのは、そこじゃなかったし。
私が悩んでたのは、お父さんの気持ちは嬉しいけど、本当に私に将来への自由はあるのかないのか、って事だった。
でも、焔が分からない、と言っていたのはそうじゃなくて、まだ将来を決めていない私が、まるで焔に仕える事が決まっているかのように、様々な訓練を受け始めた事の理由についてだったようだ。
「そっちは簡単じゃない?」
「マジ?…いや、良く分かんないけど」
焔の場合、察しが悪いとかそう言う話じゃないかもしれない。
前世で、親にすら心を開けなかった弊害か。
多分、親心みたいなものについて、本当に想像がつかないんだろう。
「将来私が、どっちを選んでも良いように、より難しい方を先に押さえておこうって事だよ」
「?つまり?」
「つまり、例えば十年後くらいに、私が急に焔に仕えたいって決意した所で、そこから訓練を開始したら遅いでしょ?でも、そこまでに技術をある程度修めてれば、スムーズに業務にとりかかれるよね。
逆に、そこまで訓練してても、焔に仕えない道を選んだ所で、その技術って無駄になるどころか、役に立つものばかりだよ。だから…」
「なるほど。だから、とりあえず今から訓練しとこうって訳か」
「そうそう。お父さんの優しさだよ」
「ふぅん…」
どうやら納得してくれたようだ。
将来娘が苦労しないように、今から苦労させる。
スパルタだけど、それだけ信頼してくれてる、と言う風に思っておこう。
「つっても、もう少しくらいゆるくやっても良いんじゃないか?」
「それは俺も思うー」
「お嬢様ならば、すぐに慣れるでしょう」
「雅君の信頼が重い…」
色々と考える事はあるけれど、とりあえず、今すぐこの痛みを消せる人がいたら是非教えてください。
大体、今結構真面目な話してたと思うけど、その間、私ずっとソファーに倒れてたからね?
現在進行形だけど。
締まらない!全然締まらないよ、こんなの!
「ねーね!」
「あにぇうえぇっ!」
「ふぐえっ!!!」
と、突然私の腹の上に突進して来た存在がいた。
確認するまでもない。
我が家の天使達だ。
「あいあおー」
「あよびましー」
「痛い!いたいいたいいたい!!」
「仄火に瑞貴!?ちょっ、と、とりあえず引き離すぞ!!」
「了解」
「おっけー」
慌てた様子の焔と、落ち着き払った双子の手によって、天使達が回収される。
死因:圧死、でも良いっちゃ良いけど…いや、良くないよな。
ちょっとトチ狂ってた。
普段なら、上に乗られようと別に平気なんだけど、油断してる上に全身筋肉痛の時にやられると死ぬ。
しかも、遊んで欲しいのか、良く分からない言語を口走りながら、私のお腹をバシバシと、そりゃもう遠慮なく叩くのだ。普通に死ぬ。
可愛いのだけが唯一の救いだ。
「コイツらも、もうすぐ一歳だもんなぁ。何か、ますます行動的になってるな」
「…死ぬかと思いました」
「ご愁傷様。ま、とりあえず今日は休んでろ。俺が遊んで来るから」
「お願いねー」
「ねーね!」
「あにぇうえ!」
ああっ、そんな哀しそうな顔をしないで!
お姉ちゃんも哀しい!!
でも、今は無理だ。マジ無理。
締め付けられそうなのは、胸と言うよりも今は筋肉だ。
成長痛も相まって死にそうだ。
早く大人になりたいぃぃ。
「焔様。僕もお手伝い致します」
「おう。今日は兄ちゃん達と遊ぶぞー」
「やあー」
「いやー」
「えぇー……」
そんなに私と遊びたいのか。
超嬉しい。
でも、すまんな、天使達よ…。
私、もう歩けないよ…パトラッ……自重。
「いってらっしゃあい」
「お前も来い、晴臣。お嬢様を休ませて差し上げろ」
「えぇ…俺、どうせならお嬢の寝顔をカメラに…」
「やめて!?伯父さんの依頼!?やだ、怖い!!」
「お嬢さまもこう仰ってる」
「晴臣…お前、このまま行くとロリコン通り越してただの変態になるぞ?」
「やだなぁ。お嬢相手だけだって!」
「なお悪いよ!?」
ギャーギャー言い合うのも疲れて来た。
これは、相当のダメージと見た。
早く慣れたい。
「分かった、分かりましたよ。じゃあ、ちょっと行ってきますね、お嬢」
「いってらー」
ようやく納得したらしい臣君は、渋々皆の後ろについて行った。
部屋に一人残された私は、ソファーに横になりながら、そっと目を閉じる。
将来、どうなるかは分からないけど、今この拷問…じゃない、訓練を受ける意義は必ずあるはずだ。
だったら、私は精一杯やってみせよう。
これでさえ、楽しんでみせよう。
そうじゃないと、あの……。
考えが消えゆく中。
私は、やがて疲れのままに、眠りへと落ちて行くのだった。