33.逃避に優しさ※
※謎のお姉さん、木下さん視点です。
※シリアス注意。
ー……それは、ただの逃避だったのだろう。
幼い時分より、私は両親の期待を一身に受けて育った。
代々、医者を営む私の家系は、当然のように、私にその道を押しつけた。
天才肌の父。プライドの高い母。
二人に囲まれ、私に逃げ場は無かった。
それでも、中学校に上がるまでは、気付かなかった。
歪んでいる事にも、彼らが私を愛していない事にも。
父は私に、成績を高く保つ事だけを求め。
母は私に、父の求める私である事だけを求め。
失敗を責め、成功は褒めず、当然のものとして受け入れる。
中学校に上がって、私は気付いてしまった。
仕事に忙しい父に愛想を尽かし、外で不貞を働く母に。
見ない振りをした。
仮初めでも、平和が愛おしかった。
私は、二人の求める子供でいるから。
私を見て。
私を愛して。
でも、所詮は幻でしかない。
賢い父は、すぐに気付いた。
私に手が出る事は無かった。母にも。
だけど、その喧嘩は、まるで言葉のナイフだ。
血だらけになった部屋で、私は嘆いた。
どうしてか。
父は母を追い出さず。
母も家を出てはいかなかった。
私の前では、一見の平和が保たれていた。
いつも通り、高い成績を求められ。
遊ぶ事は許されず。
友達も出来なかった。
当然のように、近所で最も偏差値の高い高校への入学を命じられた。
だけど、私にそれだけの成績は無かった。
蔑む目が、怖かった。
罵る言葉が、痛かった。
そして私は、家を飛び出した。
だけど、何が出来る訳でもない。
私はただ、長年憧れていた桜祭りに来るのがやっとだった。
お金を持つ訳でもない。
カバンすらない。
何をしているのか、自分でも分からない。
ただ、幸せそうな人を眺めた。
私が、その場にいる事を夢想した。
現実じゃないって、分かっていながら。
縋る事を、やめられなかった。
怒られると思った。
でも、小さ過ぎる反抗は、気付かれすらしていなかった。
私は翌日、また同じように家を抜け出した。
すると、何処からか視線を感じる。
最初は、父か母が気付いて、追い掛けて来たのだと思った。
けれど、視線を感じる以外に変化は無い。
私は、そうして疑問に思いつつも、逃げ場に通い続けた。
何日目だろうか。
ふと、一人の男の子が私に声を掛けて来た。
小さくて、可愛らしい男の子だった。
「こ、こんにちは、おねえさん」
「えっ」
「あのね。ぼくのおともだちが、おねえさんとおはなししたいんだって」
緊張しているのか、少しどもりながら、彼はそう言った。
私はすっかり面喰ってしまって、真っ白になった。
学校で、私は誰かと会話する事は無かった。
他人との会話なんて、何年ぶりだろうかとすら思った。
相手は子供なのに。
どうしてこんなに緊張するのか。
私は、荒くなった息を隠す為に、必死で口を手で覆った。
不思議そうにする男の子の目線から逃れるように身体を捻った。
そして私は、遠くから私を気遣わしげに見る女の子に気が付いた。
「(なんて、綺麗な女の子…)」
まだ幼いのに、意思のはっきりと映る強い瞳に惹き込まれそうになった。
顔の造作が整っていた事は言うまでもないけれど、彼女の瞳。
その美しさは、得も言われぬ程だった。
私の、隠している全てを、引き出してしまいそうな。
強くて、優しい光の灯る、瞳。
私は、弾かれたようにその場から逃げ出した。
小さな女の子相手なのに。
どうしてこんなに、怖いと思うのか。
分からないまま、私は逃げ出した。
何度か、そうした邂逅を繰り返した。
私は、彼女が桜の木の妖精なんだと結論付けていた。
だって、そうでなければおかしい。
どうして、逃げてばかりの弱虫の私に、話し掛けようとし続けてくれるの?
何の得にもならないのに。
あんなに、心配そうに私を見て。
目が合えば、嬉しそうに笑って。
どうしたら私と話せるかって必死に考えて。
風の強い日に、紙ヒコーキを飛ばそうとしていたのを見たら、思わず笑った。
私は驚愕した。
笑うなんて、それこそ何年ぶりだろうか。
あり得ない事だ。
私は、辛い毎日から逃げる為に此処にいるのに。
それでも、逃げる事なんて出来ないと知っているのに。
あの女の子は、私に、現実を忘れさせてくれた。
「(話して、みたいな)」
あの子と話したら、もっと楽しい気持ちになれるだろうか。
現実が、もっと辛くなるだけだろうか。
分からないけれど、話してみたいと思った。
同時に、こんな弱い私が、あんな強い子と話せる訳が無いとも思った。
だって私なんて、全然相応しくない。
その翌日は、雨だった。
多分、今日は来ないだろう。
そう思いながら、私は雨に打たれた。
傘は持って来なかった。
このまま、雨に溶けてしまいたいと思っていた。
その時、女の子が駆けて来て、傘を置いて勢い良く離れて行った。
私は驚いて、傘を見る。
明らかに、私に使うようにとの意図が感じられた。
あの子が使うものなのに。
私は動揺して、そのまま帰ろうとした。
その時、女の子から残念そうな声が漏れたのを聞いた。
胸が痛かった。
無視して行くなんて出来ない。
私は、その傘を取った。
彼女の物にしては渋い色と柄の傘。
それでもそれをさすと、とても温かく、私は泣いた。
母の抱擁よりも、あの子の傘は、ずっと優しく私を抱いてくれた。
私は、あんな小さな女の子に守られている。
弱い、弱い私。
あの子の自由を奪うべきじゃない。
寄りかかるべきじゃない。
分かってる。
だけど、あの遠い距離の優しさを、手放せない。
私はそれから、彼女を避けだした。
ありがとう、と手紙を書いて、傘を置いて。
それでも遠くには行けなくて。
彼女から隠れて、私は彼女を見ていた。
もう来ないでと思いながら。
姿を見るとホッとして。
そんな日々を繰り返した。
だけど、やっぱりそんな日々は続かない。
私は、女の子の側に良くいる男の人に捕まった。
「お嬢も、どうして君みたいな子を気に掛けるんだか」
「ひっ」
「あー、ハイハイ。騒がないでねー。お嬢んトコに連れてくだけだよ」
穏やかな笑みを浮かべる男の人。
だけど、その瞳の奥は冷たい。
冷や汗が滲んだ。
一方的に見知っている顔だったけれど。
怖くて怖くて堪らなくなる。
固まった私を見て、男の人は苛立たしげに私を抱きかかえた。
そして、そのまま彼の言うお嬢…あの女の子の所へ連れて行った。
女の子は、私の様子に驚いたように一瞬目を丸くして。
それから、嬉しそうに笑った。
「やっとお話出来ますね!」
小さい女の子のはずなのに、私よりずっと年上みたいな顔で。
女の子は、私の頭を撫でた。
呆然とする私を尻目に、次は私下ろした男の人の頭を撫でる。
「流石は臣君!高校生パワーは伊達じゃないね!」
「あははー。意味分かんないよ、お嬢!」
「爽やかに毒吐かないの!イジワルー」
「何を仰る。こうしてお役目を全うして来た俺に対して」
「それは確かに。よしよしーっ」
「へへっ」
あの、冷たい目をした男の人が。
まるで、子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべるのだ。
近くに立つ、面差しの良く似たもう一人の男の人も。
冷たい無表情の中で、柔らかく、女の子を見る。
「(やっぱり、妖精なのかも…)」
そうでないと分かりつつ、私はそう思った。
彼女はその小さな手で、一体何人を庇護しているのだろうか。
私も、混ぜてはもらえないか。
私の現実は、私には辛過ぎる。
愛して欲しい。
私を、見て欲しいだけなのに。
「でもさー、どうして臣君そんなアッサリ捕まえられたのー?」
「俺の手にかかれば軽いですね」
「ズルイー!私の方が付き合い長いのに!ねー、お姉さん?」
「あ…」
掠れた声が出た。
女の子は、私に、何と言った?
殆ど会話をかわした事もない相手に。
心配して、話し掛けようとしてくれて。
あまつさえ、付き合いが長いと言ってくれる?
思わず、涙が零れた。
雨に飲まれた涙より、ずっと温かい。
「えっ!?嘘、何で泣くの?」
「お嬢の顔が怖いんじゃ?」
「ちょっ!冗談でもそう言う事言うのやめて!?」
「流石の僕も怒るぞ、晴臣」
「お前が怒るなよ、マサ」
私から意識が離れたのを良い事に、私はその場から逃げ出した。
ただ、居た堪れなかった。
私を見て、私を愛して。
そんな我儘、見透かしたように、女の子が手を差し伸べてくれる。
それを分かって、期待して。
私、弱いだけじゃなくて、薄汚い。
そんな私が嫌で、逃げ出した。
なのに、翌日もまた、ノコノコと公園へ赴いてしまう。
「君さ、お嬢にどうして欲しいワケ?」
「え…」
また私を捕まえた男の人が問う。
私にも、良く分からない問いだった。
口を噤むと、彼は一瞬だけ、ムッと眉を寄せた。
「…分かんないなら良いよ」
「…ごめんなさい」
「理由も分かんないで謝るのって、相手にすげー失礼だと思うけど」
「……」
彼は、私の事が嫌いなのだろうか。
でも、私も私が嫌いだから。
良く、分かる気がした。
「私、ずっと聞きたかったんですけど」
「…何?」
「どうしてこんな所に一人でいたんですか?お祭りからずっとですよね?」
女の子と向き合って、私は、夢が終わるのだと思った。
それでも、言わなければいけない。
私は、どこか懺悔するような気持ちで、今までの事を説明した。
女の子は、時折質問を混ぜながら、ゆっくりと私の話を聞いた。
綺麗な瞳は、少しも逸らされる事なく、私を見つめていた。
全て話し終えると、女の子は、少しだけ焦った様な顔をしていた。
理由を考えていると、また明日から、愚痴なら聞くから、あんまり重く受け止め過ぎないでね、と言ってくれた。
私は、嬉しくて嬉しくて。
そして少し哀しくて。
その場は、そのまま家へと戻った。
家は何も変わらない。
現実は何も変わらない。
ひと時の心穏やかな時間も。
結局は、何も意味を成していない。
女の子は、私を甘やかす。
笑顔を向けて、手を伸ばす。
温かくて、優しくて、そして少し、狂おしい。
壊れない様に、綿で包まれる。
けれど、その中の腐敗が、止まる事は無い。
分かっている。
分かっているけれど、手を離せない。
急激な崩壊より、緩やかな滅びを。
これは私の、甘えでしょうか?
悪い事?いけない事?
辛く、苦しい事から逃げては駄目なの?
どうして?
私、そんなに強くなれない。
強い人の手に、縋る事は、責められるような事?
「ねぇ、いつまで俺のお嬢に甘えてるつもり?」
「何を、言っているのか、良く…」
「いい加減鬱陶しいんだよね」
「!」
「君さ、自分の居場所、履き違えて無い?」
砂時計の、砂が落ちる。
何事にも終わりは来る。
私の終わりは。
一見すると誰よりも穏やかで優しい。
それでいて、何よりも冷たく、厳しい。
綺麗な男の人の姿をして、やって来ました。
中途半端に長くなりそうなので切りました。
恋愛要素?薄いけどちゃんと出てますよ?ハイ。




