22.旅館『つきの都』
早速、慌ただしくも翌日に『つきの都』へ発つ事になった。
一週間位の滞在になるらしいから、私は急いでカバンに着替えを詰め込んだ。
これでも女子だから、折角の旅行に、出来るなら服は吟味して選びたかったけど我儘を言っている時間はなく、もう文字通り詰め込んだのだ。
ちょっと後悔が残る。
赤河家+青島家+西家の合計三家族で行くし、気を遣わなくて済むから、と言う理由で、レンタカーを借りた。
小型のバスなんて、前世で普通に生活していて、まず一家庭でレンタルする所なんて見た事ない。流石は赤河家だ。
ちょっと、プライベートジェットとかのが楽なんじゃ?と思って聞いてみたら、持ってはいるけど、『つきの都』の位置関係上、どうしても車での移動をしなければいけない所があるから、それなら最初から最後まで車の方が良い、と言う結論が出ていたらしい。納得である。
皆のカバンを、トランクで良いのかな?カバンをしまうスペースに入れると、早速乗り込んだ。
小型ではあるけど、中は普通のバスとあまり変わらない印象で、まるで修学旅行にでも出かけているような気持ちになる。
ここはUNOをせざるを得ない!と思ったけど、急いで来たから、玩具の類は一つも持って来ていない事を思い出す。
私は肩を落として、景色が見たいから、と言う理由で先頭の席に落ち着いた。
高速道路を利用して、片道およそ六時間。
結構な道のりである。
途中にご飯休憩等を挟みながら、着実に進んで行く。
もっと飽きたりするかな?と心配していたけど、皆と話していると、そう時間は気にならず、寧ろ、着いた時には、もう着いたの?と言う感覚だった。
目的地に近付くにつれ、深まっていく緑色。
ルンルン気分で眺めていると、パッと視界が開けて、渋い門構えと、明らかに歴史ある旅館!と言った風情の建物が見えて来た。
想像していたよりもずっと広く、高級そうで、内心思わず尻ごみしてしまう。
考えてもみたら、前世を含めて、私は割と庶民的な暮らしをしていた。
金持ちの縁者とは言え、実感するような建物や人に会う事は、殆どなかった。
これが、初の金持ちらしい場所との遭遇である。
緊張から、少し喉がかわいてきた。
チラと周囲を窺うと、慣れっ子だろう大人組はともかくとして、臣君雅君の双子は、それぞれに緊張の面持ちをしていて、私は大仰に頷いた。
ですよね。庶民的感覚では、緊張するのが普通ですよね。
そして、椅子の脇にぶら下げてあったペットボトルに口をつけながら、隣の席の焔を見ると、奴も前世は庶民暮らしだったらしい癖に、生意気にも動揺せず、呑気に、すげーな、なんて感想を口に出していた。
何故こうも感覚に開きが?
ちょっと腹が立ったので、軽く蹴ってやった。
恨みがましい目で見られた。
何の事かな?
そうこうしている内にバスが停まる。
窓の外には、私達を待っていたのだろう、着物姿の女の人達と、一部男の人達が丁寧に頭を下げて並んでいるのが見える。
ここまでVIP扱いは、本気で経験がない。
所謂客の立場で、そこまで気にする必要はないのかもしれないけど、今回招かれた形は、少々特殊である。
子供だからと油断して、うっかり伯父さん達の名声に傷をつけかねない。
私達は、裸一貫で、どこに罠があるか分からないダンジョンを進むのだ。
緊張しても仕方ないだろう。そうだろう。
窓の外を眺めたまま、ジッと動かない私に、焔が手を差し出す。
だから、どうしてコイツはこう堂々としているんだ。
気後れとかしないのか。
とりあえず、もう一発軽く脛を蹴っておいた。
焔は不機嫌そうに眉をしかめたけど、手は引っ込めない。
このままでは、私が年がいもない行動を取っているように見えてしまう。
仕方なしに、私は焔の手を取った。
「お前さ、何でそんな緊張してんの?かぐやさえ避ければ普通の旅館だぞ?」
「これのどこが普通の旅館だよ」
もしかすると、実は焔は本人が言う程一般庶民じゃなかったんだろうか。
赤河家程じゃなくても、金持ちだった…とか。
それなら納得だ。
くそう、私が必死こいて働いても得られなかったような待遇を、中学生の内に得ていたなんて。世の中理不尽だ。
…ま、まぁ今は私もそう言う意味では勝ち組ですけどね。
貧乏性だろうか。金持ち待遇が慣れない。
「いやいや、ようこそおいで下さいました!」
「どうも、遅くなりまして」
バスを降りると、伯父さんが旅館の人と思しきおじさんと会話をしていた。
雰囲気からして、あの人が説明であった所の、社長さんなんだろう。
と言うか、旅館の偉い人って、社長って言うのか?
興味なかったから知らないけど、支配人とかじゃないの?
あれ?支配人はホテル?
……??
まぁ良いか。スルーしよう。
どうでも良い事を考えていると、お父さんから、先に部屋に行っているように、との指示を受ける。
夕飯までは自由時間だから、旅館の人の説明を受けたら、好きに行動して良いとの許可も受ける。
いつもなら、ヤッホー!探検じゃー!!と叫ぶ所だけど、どうしたものか。
私は、旅館のお姉さんについて行きながら唸る。
探検はしたい。物凄くしたい。
けど、色々と問題もある。
一つは先程も言った、伯父さん達への影響の問題。
もう一つは、漫画のイベントの問題だ。
前者は、気を付けていればそこまで難しい問題ではない。
ただ、何度も言うけど、私はこんな高級そうな旅館に立ち入った事がない。
と言うか、普通の旅館だって、数える位しか泊まった事はない。
そんな状態で、どこに入ったらマズいのか、どう行動したらマズいのか、なんて判断が出来るはずもない。
良識に則って、と言うのが、正直一番困る。
うるさい、こちとら庶民じゃコラ。と言いたい。
でもまぁ、一応想像は出来るから、そこまで難しくは無い、と言う訳だ。
そして大問題は後者だ。
特に目指した訳ではなくても、ちーちゃんとゆーちゃんと出会ってしまった私。
しかも仲良くなってしまった私。
後悔はないけど、特に仲の良い人が、二人共漫画の主要人物、と言うのは、妙な強制力を感じて少し怖い。
それでも気にしなければ良い訳だけど、今回ばかりは気にする必要がある。
何故ならば、今回は敵地真っただ中も同然だからである。
此処は『つきの都』。
メインヒロインとの出会いイベントの為だけに存在するような場所だ。
そこで私が、その彼女との出会いを避けられるだろうか。
今までは、避けようと思っていなかったから避けられなかったのなら、避けようとすれば、避けられるかもしれない。
でも、探検と言う、不確定要素を多く含む行動を実行に移せば、避けきれない可能性が高まるような気がしてならない。
ただし、部屋に閉じこもっていたからと言って解決になるかは分からない。
と言うか、その場合はまず間違いなく、ご両親から紹介される落ちが付くはず。
何しろ、この旅館へ来るに至った理由は、子供と言う共通の話題で盛り上がったからだ。
それで、子供を紹介しない訳がない。
あわよくば友達になって欲しいと思うのは、金持ちだろうが庶民だろうが一緒のはずである。
結論。我々には、二択しか残されていない。
伯父さん達への影響を考えながら探検してヒロインに会う。
もしくは、部屋で大人しくしていてヒロインを紹介される。
……ん?
これって、探検に行く為の問題点じゃなくなってない?
論点ズレてない?
一人でおや?と首を傾げている内に、部屋へと到着する。
今回の部屋割りは、赤河夫妻、青島夫妻、西家、そして何故か私と焔である。
突っ込みは受け付けないぞ。
突っ込みたい人は、是非とも夫婦水入らずで過ごしたいとか、頭の沸いた事を言い出した伯父さんに直接言ってあげて欲しい。
私は知らない。
知らないったら知らない。
部屋に関する説明を、懇切丁寧に述べた後、旅館のお姉さんは部屋を出て行く。
子供相手と馬鹿にせず、目線を合わせて、親しみやすい笑顔で分かりやすく説明してくれたお姉さん、プライスレス。
流石は高級旅館である。
とはさておき、私は部屋の隅に置いてあったお茶を用意し始める。
喉が渇いて仕方がない。
多分、普段使わない部分の脳みそを使ってるからだ。
え?馬鹿じゃないよ。
単に使う場所の問題だよ?
「ぷはー…お茶が美味しいですねぇ」
「何で隠居したおばあさんみたいな事言ってるんだよ、瑞穂」
「あはは」
呆れた顔の焔に笑いかける。
実際、この一時間位で一気に数歳老けた気がするから仕方ない。
私は、お茶をもう一口すすると、深く息を吐いた。
それから、首を傾げる。
「私、旅館内探検に出ようと思うんだけど、焔はどうする?」
「おい…かぐやに遭遇したらどうする気だよ」
「考えたんだけどさ、会わなかったら会わなかったで、普通に両親から紹介されると思わない?」
「…あー」
私の言葉を聞くと、焔は数度目を瞬くと、ガックリと俯き頭を抱えた。
どうやら、その可能性を考えていなかったらしい。
「その辺は書かれてなかったの?」
「そうだな。確か、旅館内を探検してた赤河焔が、廊下で偶然女の子――つまり、かぐやだな――とぶつかるんだ。で、かぐやが気にしてるスタイルの良さについて全然気にしないで普通に話をする赤河焔に、かぐやが惚れる…みたいな流れだったはず」
「えっ、スタイルって?だってまだ小学生なんでしょ?」
「そう、同い年。でも、確かもう既に百五十位あったんじゃないか?」
胸もちょっと大きい、と言う焔に、私は溜息をつく。
小学一年生でそれじゃあ、確かに気にするかもしれない。
何ならイジメられてたのかもしれない。
それを、気にしないで笑いかけられたら、落ちるわ。間違いない。
「でもそれってさ、焔も気にしないよね?」
「俺?そうだな。別にスタイルとかどうでも良い」
「それはそれで枯れてるね」
「放っとけ」
「思い込みも激しいんだっけ?」
「そうそう。なんかさ、自信過剰の思い込み野郎みたいで嫌だけど…此処で出会ったら、俺…惚れられそうだろ?だから、かぐやだけは避けておきたいんだ」
「うーん…」
確かに、ちーちゃんはあの時私が助けた。
物語が変わったと言えばそうだけど、焔とも同じタイミングで知り合ってる。
幼馴染である焔に惚れるタイミングが、多少ズレただけで、原作時点では既に焔を好きになっている、と言う可能性も否定できない。
そして、もしそうであるのならば、焔は原作の流れを回避しきった、と断言する事は出来ない。
つまり、原作の流れ――運命とでも言うのか――を回避する事が出来るかと問われれば、現状それは難しい、と考えるのが妥当になるのである。
同時に、このイベントに関しては、遭遇率の限りなく低いヒロインが相手。
この時点で恋に落としておかないと、後に焔を好きになる可能性は限りなく低いと、断言しても良い。
ちーちゃんとの出会いで、運命を否定しきれなかった以上、焔がどうあがこうとも、今回のイベントは避けられない事を覚悟すべきである。
そう結論付けられるのなら、私としてはもう気にせずに自由に探検へと赴けるから良いんだけど、後々困ったと頭を抱える焔を見るのも微妙だ。
私は、もう一口お茶を飲む。
あー、美味い。
「ちーちゃんは焔に惚れてないし、大丈夫じゃない?」
「んー、確かにそこはもう原作と違うんだよな。婚約もしてないし」
「でしょ?だから大丈夫だって。探検でも行って気晴らししよう!」
まぁ、ちーちゃんが焔に惚れていない事で、既に原作から離れた、と考える事も当然出来る。
このイベントが起きた事で、そうである可能性は限りなく低くなっている気がしないでもないが、もうここは押し通そう。
「お前さー…実は俺の事より探検についてで頭いっぱいだろ」
「え?そ、ソンナコトナイヨ」
「嘘付け!くそっ、友達を見捨てる気だな?グレてやる!」
「いいからいいから!ほら、行くよーっ」
「ひ、引っ張るな馬鹿!袖伸びるっ」
こうして、色々と問題はあれど、私達は探検に出発したのだった。
それはともかくとして、この旅館広いし、隠し通路とかないかな!?
気後れさえ無視すればすっごい楽しみ!
え?焔の問題を忘れてないか?
き、キノセイダヨー。