19.ムカつくあの子※
※晴臣視点です。
※シリアスと言うか、晴臣君の迷走思考に注意です。
「(あー、ホント腹立つ)」
俺は、内心で世話しなきゃならない相手へ悪態をつく。
出会った当初はそこまででもなかったけど、マサが陥落してからはもう日課だ。
何だって、あんな子供にここまでかき乱されなきゃならないのか。
意味が分からない。
先日、買い出しに行った時、気まぐれで引いた福引で、水族館の入館チケットが当たった。
マサは勝手に引くなと怒っていたけど、旦那様はそんな事で怒るような人じゃないし、寧ろ、笑って許してくれるだろうと、俺は分かっていた。
けど、水族館の入館チケットを見て、俺は悪い予感を覚えた。
怒って取り上げられるなら、別に構わない。
だけど、あの旦那様だ。
こんな物を差し出したら、きっと喜んで俺に、息子達を連れて行くように、と命じる事だろう、と俺は思った。
そんなのお断りだ。
旦那様に命じられれば、断れないけど、だからこそ、イヤだった。
俺は、そのチケットをマサに押しつける事にした。
あのお嬢サマを慕ってるマサなら、喜んでお供をする事だろう。
そして、こいつらが水族館へ行くのなら、その間、俺は自由になる。
旦那様も、まさか俺が興味ないと譲った物に対してまで、一緒に行くようにとは言わないだろう。
そう思っての事だったけど、あの旦那様の前で、そんな考えは無意味だった。
「晴臣。お前、今日は暇だよな?水族館も、嫌いじゃないよな?」
「え?いや、俺は…」
「暇だよな?嫌いじゃないよな?」
「暇、ですけど、水族館に興味は無いです」
「嘘はいかんな。うん、いかん」
したり顔で何度も頷く旦那様に、俺は小さく頬が引き攣るのを感じた。
確かに、水族館に興味がない訳じゃなかった。
俺は、水族館に行った事がなかったし、時折テレビで見ては、いつか行ってみたいと思ったものだ。
だけど、ここでそれを認める訳にはいかなかった。
何しろ、認めてしまえば、あの変わり者のお嬢サマに、一日中付き合わなければならない。
苦痛以外の、何物でもない。
俺は、得意の笑顔を張りつけて首を横に振った。
「いえ、嘘など」
「正直に言え、晴臣。水族館は嫌いじゃないが、瑞穂は苦手だってな」
「!め、滅相もありません」
本当に、素晴らしい人だ、と思った。
旦那様を欺くなんて、俺みたいな子供には無理だ。
それでも、流石に尊敬する人の前で、その人が愛する姪の悪口など言えない。
俺は冷や汗を流しながら否定し続けた。
でも、何故か旦那様は笑うだけだった。
「アレはなぁ、無邪気に見えて計算高いからな。苦手に思っても仕方あるまい」
「ええと、」
反射的に、旦那様の隣に控える桐吾さんを見た。
実の娘に対して色々言われていながら、彼の表情が変わる事はなかった。
他の家の普通なんて知らないけど、俺なりに、クラスメートとか、色々な知人がいる経験から、一応、普通を想像する事は出来る。
それに照らし合わせても、変な反応だと思った。
困っていると、桐吾さんが口を開いた。
「私の事ならば、気にせずとも結構ですよ。晴臣」
「でも、桐吾さん」
「私は、あの子の父様ですから」
良く意味が分からなかった。
ただ、旦那様がうんうん、と頷いていたから、俺は口を噤んだ。
こうして接していると、どうしてあんな子供が生まれたのか分かる気がする。
息をするのと同じ位スムーズに、旦那様のしたい事、する事を理解して、先回りして準備を整える、完璧な執事。
口調も行動も全然違うけど、良く見ると、小学一年生の癖に、俺の感情の機微に気付いて反応を変える姿とか、桐吾さんにソックリだ。
そう考えてゾッとした。
桐吾さんは、本気になったら、どんな人の心も掴めるだろう。
桐吾さんは大人だし、旦那様に仕えてるから、そんな事しないけど、あのお嬢サマはまだ子供だし、具体的に坊ちゃんに仕えてる訳でもない。
そんな桐吾さん二世が、その技術を発揮した結果が、現状の、会ってすぐの子供と仲良くなったり、気難しい弟の心を掴んだりした状態なのだとしたら。
物ごとは何でもあのお嬢サマの思うままだ。
俺すら、陥落させられたら?
考えたくもない。
俺が、嫌な想像を振り払おうと首を振っていると、旦那様が笑った。
「晴臣。お前、今自分が一番恐れている事は何だか分かるか?」
「恐れている事、ですか?」
俺は、思うままに答えた。
あのお嬢サマが、思うままに振る舞う中に、巻き込まれる事が怖いと。
すると、旦那様は更に笑いを深めた。
「そうかそうか。お前の中の瑞穂はそんな女か!」
「お言葉ですが、笑い事ではありません」
「笑い事だよ。一応問おうか。そんな瑞穂を、俺達が止められないと思うか?」
「いえ…」
「では、何を恐れる事がある」
俺は首を傾げた。
確かに、そうなのだ。
あのお嬢サマが如何に優れていようとも、旦那様達には敵わないだろう。
それでも、妙な危機感があった。
マサが、あんな風になったからかもしれない。
「因みにだが、アレはお前が思う以上に大人だ。その心配は杞憂だよ」
「…まぁ、ですから我々としては心配なのですがね」
「そうだなぁ」
お二人の言う事は良く分からない事ばかりだ。
ムッと眉を寄せる俺に、旦那様はデジタルカメラを投げて寄越した。
「分からんなら、今日は一緒に行く事だ。可愛い焔と瑞穂の写真を頼む」
「旦那様、俺は!」
「ちゃんと自分の事も撮って来るんだぞ?楽しみにしてるからな!」
そう言うと、旦那様は桐吾さんを引き連れて出かけて行った。
折角行かずに済んだと思ったのに、逃げ切れなかった。
俺は、深い溜息をついて、仕方なく水族館へと向かった。
◇◇◇◇◇
多少の皮肉を言う事はあれど、一応シロクマの所までは穏やかだった。
何しろ、他の子供達も一緒だったから。
俺も、あのお嬢サマと回るのだけは嫌だったから、これ幸いと子供達にだけ話しかけていた。
子供なんて嫌いだけど、お嬢サマよりは数倍マシだ。
それに、割とこの二人は物分かりが良い方だったし。
ただ、シロクマの所で、状況は一変した。
何故か、シロクマのお尻が茶色く汚れている、と言う事にショックを受けたらしいお嬢サマが、見るからに動揺し始めたからだった。
俺は目を疑った。
いやいや、あのお嬢サマだぞ?
そんなどうでも良い理由で、こんなあからさまに動揺するなんてあるのか?
どう受け止めて良いか分からないまま、呆然とそれを見ていると、坊っちゃんが見かねて、お嬢サマを引っ張って行った。
何処に行くのかと思いきや、行き着いた先はペンギンの所。
そんな事でフォロー出来るのかと思っていたら、お嬢サマは煩い位にペンギンに食いついた。
さっきまでのこの世の終わりみたいな顔はどこへやら。
キラキラと、ただの子供みたいに目を輝かせて、一生懸命ペンギンを見ていた。
不幸な事も、苦労する事も知らないで、その癖、俺より何でも知ってるみたいな顔をするムカつくお嬢サマ。
そんな彼女が、俺の前で無邪気な顔を見せるなんて、どう言う事か。
俺をも絆すつもりか。
「晴臣」
「ん?どーした、マサ?」
「眉間、皺寄ってる。お嬢様をそんな目で見るな」
「そんな目ってどんな?」
「憎くて堪らないって目」
マサが、不快そうに目を細めてそう声をかけて来た。
俺の方が不快だ。
どうして、あんな子供の為に、そんな顔が出来る。
鈍くさいお前は、不器用なお前は、俺と違って、独りだったじゃないか。
俺がいなきゃ、世界と繋がる事が出来なくて。
あんな親父に縋ろうとする程、弱くて。
俺は違うのに。
友達だって多いし、毎日を上手く過ごす事だって出来る。
どうして、優れてる俺の方が、劣ってるみたいな感覚を受けるんだ。
バカバカしいじゃないか。
ただの子供に縋って、立ち直るなんて、最悪じゃないか。
思い通りになんて動いて堪るか。
俺は、俺なんだ。誰の支配も受けない。
俺は、一人でもやっていけるんだ。
「そんなに、お嬢様が怖いのか?」
「……は?」
地を這う様な声が出た。
笑顔の仮面は、無事に張り付いているだろうか、なんて一瞬不安になる。
マサは、いつも通りの無表情だった。
「別に」
「そうか。てっきりお前も、暴かれるのが怖いのかと思ったんだけどな」
「どうして俺があんな子供を怖がらなきゃいけないって言うんだ」
「僕の勘違いなら良いんだ」
暴かれる?何を?
あの少女は、とっくに俺の嫌悪感なんて知ってるだろう。
恐れる事なんて、あるものか。
俺は、これ以上この場にいたくなくて、トイレへと避難する事にした。
別に子守りくらい、マサがいれば良いだろう。
そう思って。
◇◇◇◇◇
「(何で誰もいないんだよ……)」
俺は、すぐにその場を離れた事を後悔した。
戻ってみると、ペンギンの前に張り付いているのは、お嬢サマ一人だけ。
他の面子の姿は無い。
俺は、無邪気にペンギンを眺め続けるお嬢サマの背中をジッと見て、やがて、ある衝動に駆られた。
お嬢サマは、自分を慕う者達を守ろうと動く傾向がある。
そんな庇護下の人間の不在に、今は気付いていない様子だ。
それならば、近くに俺しかいないと気付いたら、どう反応するのか。
確認してみたいと思ったのだ。
普通の子供みたいに、自分を嫌う者しか近くにいないと理解して、恐れる?
それとも、自分がいながら他の者達を迷子にさせてしまったと、焦る?
いずれにせよ、あのすまし顔が崩れるのが見れるだろう。
俺は、そう思うと、その衝動のままに行動する事に決めた。
まずは、お嬢サマが、現状を理解するのを待った。
しばらくして、お嬢サマは我に返った様子で辺りを見回した。
そして、短く溜息をつく。
二、三、俺に問いかけて、また黙る。
やがて口を開いた、と思ったら、意味の分からない提案だった。
「じゃあ、私達も先へ進みましょうか」
思ったより動揺が少ない。少なすぎる。
どう言う事だ?
俺は、内心で首を傾げながら、尋ねてみた。
「皆が心配じゃないんですか?」
賢い、と言うのは分かっている。
だから、情報処理で忙しくて、反応が薄いだけだろう。
そう思っていたのに、あろう事かこのお嬢サマは全然、と答えた。即答で。
自分を普段あれ程慕っている人間がいなくなって、心配もしない?
俺は苛立ちから、気付かれないように彼女を睨んだ。
何て冷血漢なんだ。
やっぱり、人心をコントロール出来るだけあって、優しさが欠落しているのか。
しばらく考えて、或いは俺に対して強がってみせているのでは、と言う考えが浮かんで来た。
もしかすると、此方の方が答えとして近いのかもしれない。
そう思って尋ねるも、彼女は首を傾げるばかり。
本当に意味が分からない、と言う目に、更に苛立ちが増した。
分かっていて、俺をおちょくっているのか。
俺は、思わず思っている事そのままを口に出してしまう。
不味い、と思うのに、止められなかった。
それでもやっぱり、お嬢サマは訳が分からない、と言う顔をしていた。
もう良い。諦めた。
こうなれば、冗談だったと言って誤魔化そう。
そう思った直後、俺は息をのんだ。
「私、晴臣君と出会うより前に、野良猫に引っかかれた事があるんですけど」
「……」
「可愛くて可愛くて堪らなくなりましたよ。一生懸命な威嚇も、背伸びしてるように見えて」
「何の、話ですか?」
今まで、俺の奥に踏み込んで来る事はなかったお嬢サマ。
その彼女が、この瞬間、明確に俺に向かって殴りかかって来た。
「野良猫」が何を指すのか、すぐに分かった。
言うに事欠いて、野良猫?俺が?馬鹿にしてるのか。
ムッとして睨みつけると、お嬢サマは嬉しそうに笑う。
くそっ!予想以上だ。何だコイツ。まだ一年生の癖に、とんだ女狐だ。
「ははっ。お嬢サンはドMなんですね」
「そうかもしれませんね」
「!」
大してダメージにならないって言うなら、存分に皮肉らせてもらおう。
そう思って言うと、そんな物は意にも介さないとばかりに、お嬢サマは俺の手を無理矢理握って来た。
俺は驚いて、思わず声を失った。
「さ、行きましょうか。皆が待ってますよ」
「そーですね。俺達を、待ってますね」
「はい。私と、晴臣君を待ってます」
「……」
それでも、俺は引く訳にはいかない。
そう思って、ボーダーラインを引こうと、暗に皆は、お嬢サマだけを待っているのだと、言ったつもりだった。
なのにこの人は、ギュッと俺の手を強く握って、しかも、名前を告げて、俺の事も皆は待っていると、否定した。
畜生。何だこの感覚は。凄くムカつく。
胸がムカムカして、なのに、妙な清涼感がある。
俺がどんなに離れようとしても、傷つけようとしても、この人は、手を離そうとはしないだろう。
と言うか、本人はそう伝えて来ているんだ。多分。
やっぱり、この人は相当なドMだ。
そうじゃなかったら、どうして俺にまで手を伸ばそうとするんだ。
ああ、ムカつく。
笑えて来て、ムカつく。
「はいはい。引っ張らないで下さいよー、お嬢サマ」
「晴臣君が急げば良いだけですよ」
「はいはい」
ちょっとだけ、態度を軟化させて、苦笑しながら言うと、今度は心の底から嬉しそうに笑った。
なんて単純で、馬鹿な子なんだろう。
俺なんかに懐かれても、嬉しい訳?意味分かんない。
まただ。
また、俺の心のギリギリ直前まで踏み込んで来て、サッと翻す。
俺にも分からないギリギリを見極めて、逃げる。
もういっそ、癖になりそうだ。
「いつか責任取って、俺の内側まで入って来て下さいよー、お嬢サマ」
聞こえない位、小さな声で。
ムカつく、ムカつく、「皆の」お嬢サマ。
俺の事かき乱すだけかき乱して、知らん顔して皆に構うなら。
俺、ずっとアンタの事嫌いでいるから。
だから、少しでも特別に思って欲しい。
そう、思った。
◇◇◇◇◇
「旦那様ー。ちゃんと指定通り、撮って来ましたよー」
「おお、良くやったな晴臣!」
「それじゃー、失礼します」
「……良い顔をするようになったな」
「そうですね、旦那様」
「いやはや、お前の娘は大したものだ。やはり俺の見立て通りだな」
「勿体なきお言葉にございます」
「いやいや、そう言うな。流石は焔の婚約者だな!」
「…は?今、何と仰いましたか?」
「ん?だから、流石は焔の婚約者だと」
「私は、伺っておりませんでしたが」
「言ってなかったからな!」
「…………」
「ん?どうした、桐吾。調子でも悪いのか?」
「……緋王、貴様!!」
「うおお!?何故怒るのだ、桐吾!ちょっ、やめっ……」
「許さん!!」
晴雅君の時にも言いましたが、もう一度言いましょう。
ど う し て こ う な っ た ! ?




