142.本能か理性か※
全編、ヤの付く自由業の片方。
鬼壱組の若、鬼島将己くん視点です。
「それでは初めに、この話し合いの目的を明確にしていきます。疑問、異論等ある方は都度挙手をお願いします」
いけ好かない。
俺は、地味な色合いの面をかぶった男たちを睨みつける。
何も企んでませんよ、ってな顔で、隙あらばこっちを絡め取れるような罠を張って、獲物がかかるのをニヤニヤしながら待ち構えているようなタイプは、とにかくいけ好かない。
この場で警戒しないとならねェ相手が、軒並みそのタイプっつーのが、最悪だ。
面の向こうの目と合えば、ニッコリと隙のない笑みを浮かべているのが何故か分かる。ああ、いけ好かない。
「マチコ様は、今後貴方がたと交流を持つことをお望みではありません。が、貴方がたはマチコ様との関係を深めたいとご希望だ。……如何でしょう?」
九尾の野郎は、話を振られると、妙に嬉しそうに口を吊り上げる。
本当なら、こんな奴らのきな臭ェ話し合いなんざ、そっちで勝手にやってろ、と怒鳴りつけているところだ。
が、俺も生憎と引けない事情が出来てしまった。最悪だ。
「ええ、はい。その通りですよ」
「……ああ、そうだよ」
黙って居ようかとも思ったが、その場の全員の視線を向けられれば、答えざるを得ない。
最低なことに、そもそも俺は、いや、この場に居る俺の勢力じゃ、この場を制することは出来ない。
力に頼れば大抵のことは何とかなるのに、その何とかならない枠に居る奴らが勢揃いしてる現状を、思わず憂えた。
――何でこんな面倒くせェことになってんだかなァ。
隠すつもりもなく舌打ちを漏らしつつ、俺はさっきの親父との会話を思い出す。
俺は、自分にそんな化け物の血が流れているなんざまったく知らなかった。
俺が主に任されるケンカは、そんな人外の輩と戦うようなものは一切なかったし、表沙汰には出来ないものの、普通のことだと思っていた。
『……その娘、絶対に逃すなよ。良いか、将己』
俺の親父は人相こそ悪ィが、とにかく豪快で人が良いことで知られている。
大体のことは笑って済ませられるし、俺自身、殴られる程叱られたのは人生でも1回だけのことだった。
その親父が、俺の話を聞くと息を飲んで、驚くくらい冷たい声でそう言った。
『だが、厄介だな。よもや、藤林と……よりによって九尾にも既に目を付けられているとは』
『あー……親父がそこまで言うって、アイツに何かあんのか?』
親父は、俺の問いにすぐには答えなかった。
普段は即断即決の親父だ。これもまた、珍しい態度で、俺は思わず息をのんでいた。
『……そう、だな。お前にはまだ早いと思って伝えていなかったが、今がその時なのかもしれんな』
『どういう意味だよ?』
『将己。お前、己の力を妙だと思ったことはなかったか?』
『は?』
逆に質問されて面食らう。
しかも、曖昧な、どうとでも取れるような質問だ。訳が分からねェ。
困惑する俺に、親父は続けた。
『常人に比べて力が強く、傷の治りも早い。お前は一般の学校に通っているんだ。感じたことくらいはあるだろう』
断定的な言い方だったが、反論はなかった。
事実だ。別に、それで周囲との確執が、なんてことはなかったが、違うと思ったことはあった。
ここしばらくは感じちゃいなかったが、小学生の頃、まだ普通のダチがいた頃に。
『それには理由がある。俺たちにはな……「鬼」の血が流れているのよ』
『……鬼、だァ?』
掠れたような声が出た。
バカバカしいと切って捨てることが、俺には出来なかった。
親父がそんな子どもっぽい冗談を言うなんざ思えなかったし、俺自身しっくり来ると思ったのが大きい。
人間じゃない。そう言われてショックを受ける程、俺はヤワじゃねェ自信はある。
だが、それでも何も感じない程、俺は出来た人間でもなかったらしい。
『……奴らも同じようなモンだ。俺らは闇の世界の住人……いや、人でもねぇのさ』
『んじゃ、今まで俺がシバいて来てたのは……』
『ま、そういうこったな。正義の味方気取るつもりはねぇが……俺らの間にある、誓いなのよ』
誓い。何で俺の一族……いや、敵対関係にある藤林と九尾もか。
3家が、普通の人間じゃ対抗出来ねェような奴らと戦ってんのは、どうやらその誓いが関係してるようだ。
詳しく聞きたいと思ったが、親父はその話はしようとはしなかった。
『ま、その辺りの因縁は今は良い。問題はよ、俺らの血を繋ぐのが存外難しいってことでな』
『どういう意味だ? 親戚は結構多いと思ってたんだが』
『人間の親戚はな。力を引き継げるヤツは少ねぇのさ。才能って言や分かるか? 天才なんてもんは、そうそう生まれねぇだろ。逆説的に言や、だから親戚は多い訳だ』
親父の言葉に納得すると同時に、あの九尾がアイツに執着していた理由について思い至ってしまった。
それは、嫌な予感なんてものは生ぬるいとばかりに、直後親父の言葉になって現実として降りかかって来た。
『それを、確実に引き継がせることが出来る才能の持ち主が、偶に外部に居るのさ。俺らはそれを番と呼ぶ。殆どは1対1で決まってるもんで、互いにそうだと分かる平穏なもんだ。それすら殆ど見つからない、貴重なもんだ』
まさか、アイツは九尾の野郎の運命の相手だとでも言うのか。
俺はざわりと総毛立ちかけ、次の親父の言葉で、それ以上の寒気を覚えた。
『が……極稀に、それこそ100年に1人かそれ以下の確率で、誰との子にも確実に力を引き継がせられるヤツが生まれるのよ。んで、ソイツが男なら女、女なら男が軒並みソイツを番だと認識することになる。血も大分薄くなってる今は流石にそこまでの地獄になるとは思えねぇが、相当昔は、その番の取り合いですげぇ争いが起きたって話だ。……まぁ、俺ら3家の諍いの元の原因はソレって言われてるくらいだな』
それはつまり、アイツは3家の男全員を惹き付ける可能性が高いということ。
その、恐らくは事実なのだろう可能性に思い至った時、俺はこの訳も分からない焦燥の正体を知った気がした。
昔から……今思えば血のせいで……ケンカが強かった俺は、日々ソレに明け暮れていた。
ガキの頃は特に、それで怯えられることもあった。
けど、別にそれで問題なかった。俺は、誰にも興味はなかった。
ずっとそうだったのに、アイツと会った日から、世界が変わった。
一度も仲良く話したこともない。それどころか、アイツの本当の名前も顔も知らない。
なのに、俺はアイツが欲しくて欲しくて堪らなかった。
男でさえ、俺について来られるヤツなんざ珍しいのに、アイツはそんな俺の上を行った。
俺に怯えもせず、それどころか煙に巻くみたいに笑っていた。
可愛いと思った。
本当の顔を晒して、本当の笑顔を見せて欲しいと思った。
そんな感情に名前を付けるのは難しくて、俺の手に一瞬たりとも留まってくれないアイツへ募る想いを、それでも俺は恋なんだと思った。
……俺が、初めて好きになった相手だと思った。
だが、蓋を開けてみりゃ、何だ。番? それはつまり、本能的なものってことか。
俺じゃなくても、血を引く者は皆惹かれる。なら、これは、この感情は、焦燥は、俺のものじゃないって訳だ。
そう思うと、急に白けた気持ちになった。
俺の中に流れる鬼の血が、アイツを欲しがってるだけ。
なら、俺は別に、何とも思ってないんだ。ああ、何だ。
『急いで見つかるって訳じゃねぇからのんびり待ってたが……失敗したな。幾ら俺らの血が薄まってるからって、こんなに見つからねぇもんなのか?』
『……俺は知らねェよ』
『ああ、すまん独り言だ。で、だ将己。お前が気に入ってるっつーんなら俺らにとっちゃ相当好都合だ。九尾まで絡んで来て、相当ややこしいことになってんのは分かるが……出来るだけ食い込めるようにしてくれ。俺らの方でも正体は探ってみてっからよ』
『……分かったよ』
『藤林の方は、度外視で良い。奴らが要石を処分するはずもなし……俺らもそうだしな。なら、後回しでも大丈夫だかんな。頼むぞ、将己』
『おォ』
親父との通話を終えると、俺は何となく投げやりな気持ちになっていた。
何でそんな風になってんのかは、俺も良く分かんねェ。
ただ、もう全部どうでも良くて、ただ親父に言われたから投げ出すことも出来ないだけだ。
「話によると、九尾さんは当代において、最も血が濃いそうですね」
「ああ、そうですねぇ」
大事なはずの話し合いも、右から左へ流れていく。
……まァ、別にどうでも良いけどなァ。初めて、興味を持てた他人だと思ったのに。そうじゃないなら、別に。
「それでも、マチコ様が血を流されるまでは、番と分からなかったということでしたよね?」
「ん? ……何だ、てっきりキミたちはその辺りについては敢えて流すつもりなんだと思ってたけど……」
「質問にお答え頂ければ幸いです」
「はは、そう躍起にならないでくださいよ。うん、その通りでしたね。先祖であれば、あれ程の距離で対面すればすぐに分かったと伝えられていますが、ボクでは血の匂いを嗅がなければ番だと分からなかったですねぇ」
「やはり、そうなのですね」
取り仕切っている男は、妙にこちらを見ながら頷いて居る。
何だ、ウゼェ。とりあえず睨むと、男は多分面の下に胡散臭い笑顔を浮かべながら、不愉快さを隠そうともせずに話しかけて来た。
「鬼島さんは、反対に直系でありながら、血はそう濃くないという話でしたね」
「何だよ。バカにしてんのかァ?」
「ただの確認事項です」
「……らしいなァ。俺はさっき聞いたばっかだから、大して知らねェけどよォ」
何の話をしてるんだ。
俺は訳も分からず、不快だという視線にさらされ続ける。
そんなもん、こっちだって不快だっての。フザけやがって。
鼻を鳴らして視線を逸らすと、アイツが見えた。
……胸が騒ぐ。これが本能ってヤツか。
可愛く見えるのも。あのフザけた面を外してやりたいって思うのも。
バカバカしい。そんなもんに影響されてるなんて、俺は絶対に認めねェ。
俺は俺だ。俺には、俺だけが命令出来るんだ。
尊敬出来る親父ならともかくとして、何で会ったこともねェ、大昔の鬼なんかに支配されなくちゃならないんだ。
「つまり、鬼島さんがマチコさんに執着なさっているのは、ご自身の嗜好によるものと。そう解釈してよろしいでしょうか?」
「――あ?」
俺がじぃっとマチコを見ていると、不意に、ガツンと言葉が頭につっこんできた。
今の言葉は、取り仕切りをしてる変な面の、マチコの付き人の男のもんだ。
それは分かってる。何だ、俺は今、何を理解出来ないと思って……。
「おやおや。そんなに素っ頓狂な顔をして、どうしたんですかぁ?」
「……うるせェ」
「自分が番に気が付けなかったことを、キミが気にするはずないですしねぇ。……ああ、血が薄いキミなんかに、番の影響があるはずもないのに、一丁前に悩んでいたんですか? 自分の感情が、何処から来るものなのか、って」
「!!」
グッと息を飲む。
いつもならムカ付く以上の感想は湧かない九尾の野郎の嘲笑う声が、今だけは気にならなかった。
何だ、そりゃ。俺は……じゃあ。
縋るように付き人の男を見ると、笑顔は多分そのまま、不愉快そうな雰囲気だけは濃くなったが、俺の欲しかった答えをくれた。
「影響がゼロ、とは言いませんし、マチコさんが貴方がたにとっての番であることに間違いはありませんが、だからと言って思考誘導出来る程……本能が理性を凌駕して求める程の影響はないはずですよ。恐らく、最も影響を受けているのはそちらの九尾さんでしょう」
「ふふ、そう言われると、本能に忠実な男と受け取られそうでイヤだなぁ」
「事実でしょう?」
「理性でもボクはキミに惹かれていますよ、マチコさん。安心してくださいねぇ」
九尾の言葉に、嫌そうに身体をよじるマチコ。
俺は、思わずアイツを抱き締めたい衝動に駆られた。
……この、今俺が抱いている衝動は、感情は……ちゃんと、俺のものだった……。
「それで、改めて聞きますが鬼島さん」
「……おォ」
「貴方は、マチコさんに特別な感情を抱いてらっしゃるのですね?」
完全に敵を見る目だ。
ああ、そうか。最初から付き人の男たちは、それが分かっていたから俺に敵意を向けていたのか。
分かってなかったのは、俺だけだった。
……こういう時に、舎弟どもは役に立たねェからな。
もう一度マチコを見る。
湧き上がって来る感情には、少しの変化もない。
ああ、なら、俺は。
「――そうだ」
マチコの本当の笑顔が見たいと思う。
「俺は……マチコ。お前にイカれてるよ。だから……俺の女ンなれ」
例え。
「嫌」
何の迷いもなく秒で断られるとしても関係ねェ。
俺が、初めて欲しいと思った相手だ。
絶対モノにしてやる!!
そう決意する俺の気持ちは、ここに来るまでとは打って変わって、晴れ切っていた。