131.仲直り大作戦(2)
「何してるの! その男の子を離しなさい!!」
私は、颯爽と荒くれ集団の前に身を曝しながら、お面のせいで非常に狭く制限された視界から得られる情報を整理していた。
「何だ、この女?」
「随分と浮かれ切った格好してんな」
「この時期にマフラー……?」
逆光で良く見えなかった小道だけれど、こうしてその中に入ったからにはしっかりと見ることが出来る。
まず、左右を飲食店と空き店舗に囲まれた道幅は、大体1メートルから2メートルといったところだろうか。
薄暗いせいで狭く感じるけれど、立ち回るには十分な広さがある。
道の奥はまだ良く見えないけれど、どうも10メートルはいかないくらいのところで左に折れていそうだ。
とは言え、荒くれ者たちが屯しているところを抜けなければいけないから、逃げ道として認定するにも少し弱そうな気がする。
肝心のゆーちゃんは、周囲を荒くれ者たちに囲まれて、地面に座り込んでいる状態だ。私の位置からは、大体3メートルといったところかな。
一見、暴力を振るわれたりしている様子はないけれど、顔色が青いことを見るに、相当の恐怖を感じているのだろう。早く救い出さなければ。
「離せ、と言ったのが聞こえなかったのかしら?」
一応、この距離であってもゆーちゃんの身の安全を確保する自信はある。
却って挑発することで、彼らの意識が私に向けば都合が良い。
現状、力量差がハッキリしていない状況で、彼らもゆーちゃんのことを人質にしよう、みたいな発想に至るとは思えない。
相手は小柄な女であると思えば、寧ろ侮って上手くいけば全員でかかって来てくれるだろう。
彼らの中に慎重かつ狡猾な人間がいたとすればその限りではないけれど、ゆーちゃんが人質に取られた方が、地面に転がされて囲まれているという現状よりはマシになるはずだ。
「……何か、勘違いがあるようですねぇ?」
「勘違い?」
大体の荒くれ者が、去年から見かけている彼らよりも年かさは上のように見える。
ガラの悪そうなシャツに、ジャラジャラチェーン、偶にサングラス。
逆三角形が多い中、私の様子を観察した上で、ジットリとした提案をして来た男だけは、異様な雰囲気だった。
この薄暗い路地で浮き立つ青白い、不健康そうな肌色。
キツネを思わせる細い釣り目。何かを企んでいそうな弧を描く口元。
極めつけは、身にまとった夜を思わせる着物。
……もしかすると、妖怪の類だろうかと疑いたくなるくらい、漫画の世界から飛び出して来たみたいな雰囲気の男だった。
年の頃は大学生か……新卒社会人、といったところか。私の見立てだから大雑把だけど、そんな感じに見える。
「ボクらはねぇ、ちょっとこの坊やに聞きたいことがあっただけなんですよ」
声も、油断したら此方を絡め取ろうとしているかのように鼻にかかる音色で、そこはかとなく不気味に聞こえる。
ますます妖怪っぽい、と思えるのが、そのイントネーションだった。
何となく、京都っぽいと言えば良いのか……使う言葉自体は標準語だけど、アクセントが全然違うのだ。
私は警戒心から、自然と眉根を寄せそうになって、慌てて抑えた。
変に思われたら大変だ、と思ってのことだったけれど、考えてみれば私は今お面を装備中だ。目の穴が小さいし、眉間の皺になんて気づかれないだろう。
どうやら、私としたことがそこそこ雰囲気にのまれているらしかった。
「……怯えているように見えるけれど?」
「これは申し訳ない。コイツらはどうも子どもに好かれない容姿ですからねぇ。情報収集も一苦労ですよ」
「だったら、大人に聞けば良いじゃないの」
「ふふ。ボクらはある少年を探していましてねぇ。大人よりも年の近い子どもに聞いた方が良いと思いまして」
……聞き込みの対象として子どもであるゆーちゃんを選んだ理由としては筋が通っている。
まぁ、だからと言って、もし仮にゆーちゃんが驚いた拍子に、1人でに尻餅をついただけだとしても、怯えるゆーちゃんを囲んで威圧するのが許せる訳ではない。
「あら、今はそんなこと聞いていないわよ。分かっているでしょう?」
「はて、何のことやら」
食えない。この男、食えない。
私はお面で顔が見えないのを良いことに、盛大にアカンベーしてみた。
子供じみた行動で、多少溜飲を下げつつ、私は改めて彼らの正体や目的について考える。
まず、「ある少年を探している」という言葉は、本当だろう。
これはここでウソをつくメリットが思いつかないから、ひとまずそう解釈して良いと思う、ということだけど。
それを信じるとしたら、まずその少年とは誰なのか。
十中八九ハットリ君のことだ、という確信がある。
彼らの見た目が、明らかにその道の人だから、という理由だけじゃない。
問題は、この中央の明らかに偉い立場っぽい男の人が首から下げているペンダントトップにある。
私は、ハットリ君たちと一緒に情報収集をしている時に、その意匠を見たことがあった。
狐火を抽象表現した、内に渦巻く幾何学模様。
(――『狐九組』)
確か、そんな名前の極道を表す紋様だった。通称、キツネ、イチジク。
考えていた中でも最悪のパターンだと、ここで気付いた。
あの、ハットリ君を捕まえようとしていた彼らとは、別の組だ。
しかも、武力行使上等の、結構ヤバめの団体。
まさか、こっちもハットリ君を探しているとは思わなかった。
何で? いや、でも元々あっちの組――『鬼壱組』通称、鬼、キイチゴ――と対立しているという話だった。
なら、ハットリ君が鬼壱組の大切なものを盗み出したという話を聞きつけて、ハットリ君を狙ってもおかしくはないか。
今のところ、状況証拠とかで類推するしかないけど、狐九組の人たちは、鬼壱組の接触情報は掴んでいないようだ。
もし掴んでいたら、怪しいロングコートの女も探していてもおかしくないもの。
……いや、私の姿の異様さから既に結び付けているからこそ、敢えて明かさなかった可能性もあるか。
色々考えられるけど、ひとまずゆーちゃんの保護を優先することにしよう。
何しろ、考えても考えても時間が足りないんだもの。
私は、素直に警察呼んどけば良かったかもしれない、と内心後悔していた。
その場合、ゆーちゃんの身の安全の確保が著しく遅れる上に、最悪の事態になる可能性も残るけど。
「……話を聞きたいのなら、代わりに応えるからその子は解放して」
「貴女がですか?」
やや意外そうに男の人は目を瞠った。
交互に私とゆーちゃんを見て、考え込むように顎に手を当てて、これみよがしに唸ると、一つポンと手を打って笑む。
「そうですね。それでは彼の代わりになる程、貴女にとって大切なものを渡してくれます?」
「あら。それで先に彼を解放してくれるって言うつもり?」
「はい。その方が貴女にとっても良い条件でしょう?」
「……そうね」
ここで無為に情報源を解放するのは彼らにとって避けたいはずだ。
特に、もし私とロングコートのマチコさんを同一視しているのであれば。
だけど、ゆーちゃんの身代わりに何かを差し出せば交換に応じる、というのは……。
私が悩んでいると、条件に不安があると見たのか、男の人は付け加えた。
「勿論、貴女がボクらにとって有益な情報を渡してくれたら、その大切なものもお返ししましょう」
良い話でしょう? と小首を傾げる姿は、とてもそっちの方には見えない。
どう見ても、江戸時代の商家の放蕩息子だ。
……私は一瞬だけ考え込んだけれど、これはもう流れに乗っておくべきだろうと判断して、背負っているランドセルに付いていたストラップを外して投げ渡した。
男の人の細い手がそれをキャッチして、不思議そうに目を見開く。
「これは……シロクマのストラップ、ですか?」
これの何が大切なんだ、と言外に言われているように感じるけれど、失礼な話だ。私は心底大切に思っているものを差し出したのに。
「そうよ。シロクマのゲンキ君は、今までの人生の中で最も大切にしている物よ。彼には及ばないけれど、それでも十分大切なもの」
「ふーん、そうですか……」
言葉だけで捉えれば、気のない返事といった感じだけれど、その細い目は猛禽のようにギラついていた。どうやら、要らない方向に興味を惹いてしまったようだ、と分かるけれどもう退けない。
そもそも、ゆーちゃん救出に焦り過ぎて、変装微妙な上にランドセルしょってるからね!
常に変装しているハットリ君の時はいざ知らず、ゆーちゃんの顔が見られたのが痛かった。多分、これで遅かれ早かれ私の正体に行き着くことだろう。
もし目の前の変人=ロングコートのマチコさん説に行き着いていないのなら、ワンチャンあるけれど、悪い方を想定している方が良いはずだ。
「さ、坊や。彼女のところに行ってください」
「あ、は、ハイ……」
ビクつきながらも立ち上がったゆーちゃんは、おっかなびっくり私の方へ近づいて来る。
そこからの不意打ちを警戒しながら見守っていたけれど、ゆーちゃんは無事に私の隣までやって来た。
ので、ついでに後ろへ押しやって、耳元で早く逃げるように言う。
「怖かったね。さ、早く逃げ……」
「……瑞穂?」
……躊躇いがちに発せられた言葉は、私の名前だった。
いや、ゆーちゃん。それ今言わないで、バレたらヤバイの。分かるでしょう?
お面の奥から、ジトッとした視線を送ったけど、一応向こうさんに聞こえてはいないはず。
ゆーちゃんも、気を遣っていない訳ではないみたいで、小声だったからね。
でも、これ以上会話してたら分からない。
「……また明日、話しましょう」
「…………」
一緒に残る、とでも言われたらどうしようかと思ったけれど、ゆーちゃんは頷いてその場を後にした。
多分、私の帰りが遅いのを心配した双子辺りがそろそろ近辺に来る頃だから、ゆーちゃんは平気だろう。助けはとりあえず別に要らないから、これで良い。
偉そうな男の人以外、逃げたぞと言って気色ばんでいたけれど、男の人の静かな一喝で静かになった。
「それで、ボクらの質問に答えてくれるんですよね?」
「そうね。それからトンズラさせてもらうわ」
「じゃあ、逃げられる前に早速……貴女、ロングコートのマチコさん、ですよね?」
……バレテタ。
いやいや、鬼壱組たちもっと頑張ってよ。情報漏洩してますやん。
私がしかめ面になったのが分かったのか、男の人は楽しそうに笑った。
「ふふ、当たりですか。これは幸先が良いなぁ」
こっちは最悪の気分だ。
「あ、申し遅れました。ボク、狐九組で若頭やらせてもらってます。九尾狐次郎って言います。気軽にコジローとでもお呼びください」
若頭とかいうパワーワードよ。
私は内心で砂になりそうな思いを味わいながら、何とか笑顔を返した。お面してるけど。
「そう。マチコさんのことは知ってるみたいだから、自己紹介は要らないわよねぇ?」
「何を仰る。貴女は何も教えてくれてないじゃないですか。教えてくださいよ。……本名とか、色々……ね?」
猫なで声というか、獲物を前に舌なめずりする肉食獣の唸り声というかな怪しげな響きを持つ声に、ゾッとする。
身の危険はね、一応感じてないんだけどね。何だろうね。女としての本能っていうのかな。私、小学生なんですけどね!!
「――そこで何してる!!」
ここからどう上手い感じで切り抜けようかと思っていたら、後ろから声がかかった。これは、ヒーローみたいなタイミングで現れてくれた臣君か、雅君か、はたまた警邏中のおまわりさんか。なんて、ちょっと変なテンションで声のした方に視線だけ向けて、私は硬直した。
「おい、コラ! ここがどこのシマだか知らねェってワケじゃァねェよなァ!?」
この、いかにもオラオラした感じの迫力のお兄さんは。
見間違うはずがない。この数カ月、結構頑張って避け続けていた人だ。
「九尾狐次郎ォー!!」
「おやおや。鬼のところの倅じゃないですか。ボクに何か用でも?」
……鬼島将己。
最初にハットリ君に絡んでいた、あのヤの付く自由業のお兄さん(中学生)である。
……ねぇ、神様! 私、本当に何かしたっけ!? 前世? 前世の業!?
今日、ゆーちゃんとの仲直り大作戦を実行に移してただけだよね! 何か悪いことしましたぁ!!?