126.ゆーちゃん不足なのです
「ゆ、悠馬くーん……?」
「…………」
――プイッ。
……あ、あああああああっ。
私は、今日何度目かの迎撃に遭い、力なく机に突っ伏した。
いや、正確に言えば今日どころの話じゃない。ゆーちゃんが、突飛もない謎行動(スカートめくり)に出てから、数日が経過した。
未だにゆーちゃんの機嫌は直っておらず、まったく口をきいてくれない状態が続いている。
「ゆ、ゆーちゃんが……ゆーちゃん成分が足りぬ……」
「あー、まぁ、起こるべくしてって感じだけどね」
項垂れる私の頭を、さっちゃんが揶揄うようにつつく。ちょっとやめて頂きたい。
「それ、どーいう意味?」
思わずムッと拗ねたような声が出た。嫌だなぁ。最近は随分と大人の余裕があったと思うんだけど。
焔が拗ねて、私も荒れてた時に比べれば幾分かマシって気はするけど、これでも落ち込んでいるのだ。
前世から今まで、友だちから嫌われた経験が殆どないから、どうしようもなく動揺してしまうのも仕方ない。これは、大人だ子どもだ関係ない、とちょっと主張してみる。自分しか聞く人いないけど。
「何? 気付いてなかったワケ? 風間、随分前からちょっとおかしかったんだよ」
「え、本当に!?」
さっちゃんの何気ない言葉に、私は思わず言葉を荒らげかけ、ギリギリ抑えた。
思わずゆーちゃんの席を見るけど、そうだ。今教室出て行ったばっかりだった。いる訳がない。とは言え、他の誰かに聞かれでもしたら、更にゆーちゃんを怒らせてしまうかもしれないから、注意しないと。
私はキリッと内心で決意を固めながら、さっちゃんを見つめる。さっちゃんはそんな私を見て、軽い調子で肩を竦めた。
「みずほって、視野広い割りにそういうトコあるよね」
「そ、そういうところ?」
「鈍感」
「そんなつもりはないんだけど……」
寧ろお父さんから、常に周囲の波の変化には気付くようにと言われているから、敏感な方だと思う。
そう言うと、さっちゃんは馬鹿を見る目で見て来た。あれっ。
「確かに、鈍感って言うにゃアレかもしんないけどさ。どっちかって言うと、敢えてそーしてるよーに見える」
「そんなことないよ」
「あるある。じゃなきゃ、もうとっくにどうにかしてたって」
「……そんなことないよ」
今までは、皆よりちょっと精神年齢が大人だったから、それなりに上手く対応出来ていただけだ。
どんどん成長して行って、大人になって行けば、皆はもっと分かりにくくなる。私には予想出来ない行動を取ることも増えて来るだろう。
そういう意味で言えば、私は鈍感かもしれないけど、そんなこと皆も同じじゃないだろうか。
「そうかね。何か、怯えてるよーに見えるけど」
「何に?」
「知らないよ。アタシに聞かないでくれるー? エスパーじゃないんだから、他人の気持ちなんて分かんないって。甘えられても迷惑なんだけど」
「ず、ズバズバ言うなー……」
思わず変な笑いが漏れた。
「ま、別にいーけど、出来ればサッサと解決しなよ? クラス中が重っ苦しい空気になったらウザいし」
「まぁまぁ頑張る」
さっちゃんの、励ましとも言えないような励ましを受けて、私は力なく頷いた。
◇◇◇
「青島瑞穂。君、何があった?」
「え?」
落ち込み状態継続のまま、ちょっとぶりにピアノ教室へ来た。
いつも通り、特に何事もない授業が終わって、さぁ帰ろうかと焔と一緒に連れ立って教室を出たところで、突然声をかけられた。
声をかけて来たのは、ここしばらく私のピアノの授業の時間に欠かさず教室を訪れ、無言でジッと直立不動の時間を過ごし、私の授業が終わればやっぱり無言でサッサと出て行く、あの原田奏也君であった。
「は、原田さん? 急にどうしました??」
思わず質問に答えずに、質問で返してしまった私、悪くないと思う。
だって今日まで、交わした言葉なんて、挨拶くらいのものだ。ここにこうして訪れる理由さえ、語ってくれたことはない。
焔は、私の演奏の何かに魅力を感じたせいじゃないか、って言うけど、それも予想でしかない。
まぁ、ただ無言でプレッシャーかけて来るだけで実害はないから今まで放置してた訳で、実際滞在理由なんてどうでも良いんだけども。
「僕のことはどうでも良い。君、音色が普段より硬くなっているぞ。気付いていたか?」
「はぁ……」
思わず気の抜けるような声が漏れてしまって、慌てて口元を引き締める。
とは言え、殆ど他人のような人からこんな風に声をかけられて、困惑しない人なんているだろうか。いや、いない。
心中で反語である、なんて呟きつつ、私はいかにもピアノをやっている良家の子息感のある奏也君を見つめる。
心配……してくれているんだろうか。まさか。
つい怪訝そうな目でもしてしまったか、奏也君はただでさえ不愉快そうに寄せていた眉間の皺を深くする。
「何だ、その気のない返事は。背筋を伸ばせ。胸を張れ」
「え? え??」
そう言いながら、彼は素早く私の方へ手を伸ばすと、背中に手を当てた。
色気のあるような撫で方じゃなくて、こう……ドカッと力強い感じだ。ちょっと変な息が漏れた。ちょ、意外と力強いなピアニスト!!
ついでに、反対の手が私のお腹に当たる。姿勢を正そうとしているようだ。
いや、私そこまで姿勢悪くなくないですか?? というか、何事??
「……セクハラ……?」
ポツリと、私に聞こえる程度の小声で焔が呟く。
いや、これ全然違うと思う。そう考えつつ、そっと奏也君の顔色を窺うと、普段通り怒っているような顔だけど、焔の発言に怒った様子はない。どうやら聞こえなかったようである。幸いなことだ。
「うん、これで良い」
ややあって、奏也君は満足げに頷いた。
確かに、姿勢は直される前より更にビシッとなったけど、元の立ち方で既に普通に言えば及第点なんだけど、何で直されたんだろう。
訳が分からず、行動の理由を尋ねる。
「あの、これはどういう……?」
「…………」
私の質問を耳にした直後、また不機嫌そうな顔になった。
でも、この間のゆーちゃんの反応と違って、彼のは別に親しい態度とかまったく期待してないので、特に傷ついたりもしない。
だから私は、ただ答えを待った。
「……僕は、君の演奏に期待をしているんだ」
「え? それはどうも……」
ありがとうと言うべきことなんだろうか。
絞り出すように告げられた言葉に、私は目を瞬く。
話に脈絡が無さ過ぎて困る。これが芸術家というものだろうか。
「音楽家として君は突出した才能を秘めている。変なことに躓いて転がり落ちることのないように努めろ。僕の期待を裏切るな」
「はぁ。頑張ります」
妙に偉そうなんだけど、そもそも私は音楽家じゃないです。
私は酷くテキトーな感じで返事をした訳だけど、それだけで奏也君は満足したようで、私から離れた。
「次の授業までに以前の演奏に戻しておくように。以上だ」
「あーっと……お疲れ様ですー」
言いたいことだけ言って、奏也君は私の返事は待たずにどこかへと消えてしまった。
何が何やら分からないけれど、とりあえず私は、彼に心配をかける程、落ち込んでいたということだけ理解していれば良いだろうか。
私はそっと空気を読んで無言を貫いていた焔の方を振り向いた。
「……あれ、心配してくれてたのかな?」
「心配っつっても、お前自身のってか、お前の演奏の心配って感じみたいだけどな」
「そっかー」
あんまり嬉しくないけど、期待してくれてるらしいので、テキトーに頑張ろう。
ま、奏也君については元々関わりも薄いし、分からないことも多いから捨て置こう。最悪、期待を裏切っても構いやしないだろう。
冷たい? いやいや。仲良くしようね! とかもなしに急にピアノ教室ストーキングされて、流石に優しく出来ないよ、私。そこまで寛容じゃない。
「でも、確かに今日の瑞穂の演奏、ちょっと硬かったな。大丈夫か? 結構気にしてるんだろ?」
「焔……」
セリフ自体は、実際そこまで奏也君の最初のセリフと違いないんだけど、この違いたるや!!
分かるかな? この、私を心配してるって分かるような、温かみのある言葉!
ありがたやありがたや。思わず拝んでしまうレベルだ。
「って、何急に手ぇ合わせてんだ! 俺は神か!!」
「貴方が神か!」
「ワケ分かんねーこと言ってないで帰るぞ!!」
「痛いっ!!」
いつものやり取りだけど、焔の手刀がほんのちょっと優しかった。
うーん。やっぱりみんなに心配かけてるみたいだな。
何とか早く仲直りしたいんだけどー……難しいなぁ。
「……俺も、難しいことは良く分かんないけどさ、遠慮なく相談とかして来いよ。力になってやるからさ」
「良いの?」
「ああ。俺たち……まぁ、何だ。相棒みたいなもんだろ?」
「! えへへっ」
思わず笑みがこぼれる。無理してじゃない笑顔は、ちょっと久しぶりな気がした。
私は、隣を歩く焔に抱きつきながら、早くゆーちゃんと仲直り出来るようにと祈った。
「焔だーいすき!!」
「あー、……ハイハイ」
「みずほ、そーゆートコだよ」byさっちゃん