121.フラグは気付けば立っている
「いやー、1年って早いよね。めちゃ早だよね」
「突然どうした?」
怪訝そうな顔をする焔に、ヘラリと笑みを向ける。
特に深い意味はないよ、という意味がこもっている訳だけど、それを正確に察したらしい焔は呆れたように目を細めた。
ははは、我が従兄弟殿は察しが良いなぁ!
「頼むから、もう少し情緒豊かな話題を選んでくれ。付いて行けない」
「えー? 十分付いて来てるよ。いや、何ならもっとついていける! 熱くなれるよ、熱くなれよ!!」
「訳が分からん!!」
スッパーン! と、最早お決まりの軽い音が響いた。
いやいや、今日は頭叩かれたら困るんだよ、と思って手鏡を見たら髪型に乱れはなかった。やりおるわい。
「もー。髪の毛崩れたらどうするつもりだったの?」
「そんなヘマする訳ないだろ」
シレッと言う焔の手に、もうハリセンは見えない。
私のことチートだなんだって言ってる焔のが確実にチートだと思うんだけどね。
そんなことを思いつつ、私は顔を上げる。
「……にしても、今年はコレもう私の優勝かね?」
「すげー自信だな。けど、そうだろうな。去年のアイツ居ないし……」
さて、今日が一体何の日かと言えば、最近の恒例行事、ピアノの発表会だ。
小学生の部門だから、恐らく年上なんだろうと思われた去年の彼は既にいない。繰り上がって私の優勝、と言われると微妙な気持ちだけど、年下に私より上手い人はいない。純然たる事実である。
まぁ、別に鮮烈デビュー! みたいなノリで大型新人が余裕で1位をかっさらって行ったところで、別に構いやしないんだけどね。重要なのは、ピアノに造詣が深いことで、1位を取ることじゃないから。嗜みだから。
「主君のピアノの腕前は素晴らしいものでござる。きっと、去年優勝していた彼がいたとて、今年の優勝は主君だったでござるよ!」
「ハットリ君……」
にこやかにそう言ってくれるハットリ君だけど、私はそんな誉め言葉に誤魔化されない。
何の脈絡もなしに手を伸ばせば、ハットリ君は首を傾げる。反応が遅れたハットリ君は、ほっぺをつねられて初めて、私が何の為に手を伸ばしたのかに気付いたようで、困ったように眉を下げた。
「い、いひゃいでござるよー……」
「ハットリ君が悪い! 外ではその恰好しないって約束あんなにしてたのに!」
私服で、と厳命に厳命を重ねていたにも関わらず、今日のハットリ君はいつもより更に地味な色合いとは言え、安定の忍者服だ。
いやいや、安定させてどうするの! 見つかったらヤバイんだからね!? 分かってる!?
「そもそもこの間だって、私たちに内緒で1人で情報収集とかしちゃってさ! 危ないったらない!!」
何よりも、1人で行ったら危ないから2人組で調査しようって決めたはずなのに、このハットリ君と来たら、初っ端から命令違反で単独行動に出たのだ。
有り得ん!! 主君命令ぞ? いや、そうじゃなくたって有り得ないよ。1人で居たところを見つかってボコられかけてた人間が、のこのこ1人で情報収集とか!
「も、申し訳なかったでござるぅ……」
「子犬のような顔してもダメだからねっ」
ぷぅ、と頬を膨らませてみるも、威厳が足りないらしくハットリ君はちょっと嬉しそうだ。
何故なのだ。思わず首を傾げていると、楽しそうに笑った臣君が口を挟む。
「まぁまぁ、お嬢。無事だったんだから、良いじゃないですか」
「でも、臣君……」
「仮に何か起きたって、俺らが居れば平気ですよ。大丈夫」
……安心させるような物言いだけど、何だか底知れないものを感じて視線を逸らす。逸らした先に見えた雅君は、もっとヤバめな顔をしていて、冷や汗が流れる。
さ迷った果てに行き着いた先の焔は、呆れかえったような目をしていた。いや、味方してよ!!
「……しかし、結果的な話にはなりますが、名前や所属などが明らかになって良うございましたね」
「えーっと、兄貴たちの?」
「ええ。やはり、そういった個人を特定する情報を得られると違いますからね」
「それはまぁ、ね」
確かに、ハットリ君はお仕事自体はしたと言える。名前とかね。知らなくてもどうとでもなりそうでいて、案外馬鹿に出来ないのだ。
というか、仕入れられてきた情報で一番ビックリしたのは年齢だよね。何、あのナリで中学生とか、おかしくない? 年齢サバ読んでない??
「それに、そこから調査を行って、直接接触さえしなければ気付かれることはないだろうという結論も得られましたし、ひとまず良しとしておいても構わないかと」
雅君の言う通り、あれからちょくちょく探りを入れて、ヤの付く自由業の彼らの情報網から、私たちに行き着く可能性は限りなく低いだろうと分かっている。
直接私とハットリ君が捕まらない限り、まず問題はないだろう。今後も、一応様子は窺って行くけど、そこまで注力する必要はなくなっている訳だ。
更に言えば、私はあの時滅茶苦茶レベルの高い変装をしていたから、仮に面と向かって顔を合わせたところで問題ないはず。だから、気を付けるべきはハットリ君であって……という話に戻って来ることになる。
「やっぱりハットリ君はお叱り必要でしょ!」
「うわー!」
「おいおい、いい加減にしとけよ。次の演奏始まるぞー」
……と、まぁそんなところで私のお説教は次の機会ということになった。
ハットリ君は、やっぱりどこか嬉しそうだったけど、それは気にしない方向で。
◇◇◇
「うひひ……今日はやってやったぜ」
「何気持ちの悪い顔してるんだ、お前は……」
今日だけで、一体何回焔から呆れたような視線を頂戴すれば気が済むんだろう、私は。あはは、と笑い直して首を傾げる。
「でも、良かったでしょう?」
「あー、まぁなぁ」
微妙そうな笑顔が返って来るけど、私は満足だった。
いつもピアノの先生から、自分の解釈でピアノを弾くな、とやけに必死な顔で注意されている私は。でも自分の解釈で弾くのが好きだ。ピアノの魔術師もビックリな演奏が出来ると自負しているけれど、私のそんな演奏を聞くと、大抵の人間は顔を真っ青にする。
だから、私としても私の自由な演奏は、発表会向きではないと理解はしている。でも、そう言われると逆に、是非とも発表会で自由な解釈を入れたいと思うのが人情というものだ。
裏で色々と練習を重ね、今日ようやく、私はその極致を見せた。
つまりはまぁ、何だ。普通に優勝出来た、という話だ。
「でも、お嬢。大丈夫なんです? あれだと、後で色々言われそうですけど」
臣君の言葉に、私は微妙な顔になってしまう。
確かに、伯父さんは大喜びしてくれそうだけど、お父さんからは注意されてしまいそうな気もする。
出来れば、気付かれなければ良し、という結論に至ってくれれば良いんだけど。
そんなことを呑気に考えながら家路を進んでいると、突然声をかけられる。
「――青島瑞穂だな?」
ピアノの発表会の帰り道、という状況が否応なしに去年のシチュエーションを思い起こさせる。
まさか、ヤの付く関係者? でも、まだ足なんてついていないはずだし、ましてやハットリ君じゃなくて私が名指しなんておかしい。
ちょっと警戒しながら振り返ると、そこに立って居たのは想定より幼い少年だった。
「……少々、尋ねたいことがある」
仏頂面を浮かべた、小学生から中学生くらいの男の子だ。
目付きが悪くて魔王然とした感じで周囲から怯えられる委員長とは、タイプの違う仏頂面だ。とにかく冷たい印象を受ける。まるで、作られたお人形みたいだ。
思わず目を瞬いていると、彼はそんな私にはお構いなしに質問を続ける。
「何処の教室に通っている? それとも、家に教師を呼んでいるのか? だとすれば、何処の教師だ」
「え、ええと……」
突然何を聞いて来て居るのだろう。
訳が分からないと混乱していると、雅君がそっと耳元で囁いてくれる。
「覚えてらっしゃいますか? 去年同じ発表会で優勝していた子ですよ。確か、原田奏也という名だったはずです」
うわお! その名前には勿論聞き覚えがある。
焔から、フラグ立ってそうだから気を付けろって言われた人だ。
恐る恐る焔を見ると、責めるような視線を頂戴した。わ、私のせいじゃないよ!!
「どうした? 答えられないような質問ではないと思うが」
「そ、そうですね。えっと……」
私は、教えたところで誰の迷惑にもならないだろうと判断して、教室と教師の名前を教えた。
すると、彼は満足したように頷いて、そのまま身を翻らせる。
「分かった。時間を取ってすまなかった。それでは、失礼する」
「は、はぁ……」
思わず無言で背中を見送る。
本当にそれだけの用事だったようだ。……ますます訳が分からない。
「……ホント、お前さぁ……」
「私ワルクナイヨ!!」
反射的にそう言うけど、信じてもらえなかったようだ。
何たることだ。どうしてフラグは勝手に立っていくんだ。話をしたのなんて今が初めてなのに。
寧ろ、どうしたらフラグって立たないように出来るのか。誰か教えて欲しい。
「流石、お嬢は違うねー。よっ、人たらし!」
「臣君!」
「本当に素晴らしゅうございます。音楽にしか興味のないサラブレットとして有名な少年の心まで掴んでしまわれるとは……」
「それどんな設定!?」
「きっと主君の素晴らしい演奏に心打たれたのでござろう!」
「うん、ハットリ君お褒めの言葉ありがとう!!」
最後は自棄の勢いだった。
もうね! ただでさえヤの付く問題を抱えてるから、これ以上何かが起きるのは勘弁してもらいたいのにね!!
内心の悲鳴は収まらなかったけれど、とりあえずこの日は、他には何も起こらずに帰宅することが出来た。
もう……それだけで良いや、と思った私は、ちょっとだけやさぐれていたかもしれない……。