115.六年生に向けて
「瑞穂とォー!!」
「焔のー」
「六年生対策会議ィー! イエッフー!!」
パチパチと、無駄に元気良く拍手すると、焔は重苦しい溜息をついた。
何だい何だい、青少年。悩みでもあるのかい? という感じで絡みに行ったら、呆れたような視線を頂戴した。
「本当、お前呑気だよな。今年も色々大変だったじゃないか。来年どうなるんだろうって不安になんねぇの?」
「え、どの辺が? 今年は、臣君と麻子ちゃんが仲直りするわ、麻子ちゃんが大学受験合格するわで、良いこと尽くめだったじゃない」
今思いついただけでも、たくさん良いことがある。
あっ、可愛い弟たちの成長が著しいっていうのも、良いことだよね!
声を弾ませる私に反して、焔の空気は重い。
首を傾げる私に、焔は背負うその空気そのままみたいな声で話す。
「今言っただけでも悩ましいところだろ。特に麻子先生。あれはヤバイ。ヤンデレへの道を順調に歩んでるぞ」
「えっ、ヤンデレ? だって、いっつも爽やかだよ、麻子ちゃん」
「お前の目は節穴か! ……いや、お前には心配かけたくないみたいなこと言ってたし、隠してるのかも。まぁそれに、病んでるって言っても他人に迷惑かけるタイプじゃないから良いっちゃ良いけどな……」
事情を知ってる主に俺の心理的負担が物凄いだけで、と呟く焔の顔色は悪い。
気持ちは分からなくもないけど、それはアレだ。見えなければどうと言うこともない、というヤツだ。
人間にはね。現実逃避っていう素晴らしい必殺技があるから。
「良いっちゃ良いなら、問題なくない?」
「いや、他にも色々あったぞ」
焔は、とんでもないとばかりに首を左右に振る。
暗に、お前何も分かってないからな、と主張されているような気がするけど、気のせいだと思いたい。
「まず、ピアノの発表会な」
「うん。そこそこ良い順位取れて良かったよね!」
「そこじゃない! 1位のヤツだ、1位のヤツ!」
「えっ、関わりほぼないからセーフでしょ!?」
「まず」という接頭語が付いたから、初級編的な案件が挙げられるのかと思いきや、まさかの私としては有り得ないと思っていたところだった。
いやいやいや、ピアノの発表会とか、何も起きてないでしょ!
「アレはヤバイ。今年は何事もなく過ぎて行ったけど、絶対目ぇつけられた」
「それは被害妄想ってヤツじゃないの?」
「逆にお前、オタクとして何か感じるところないのか? イケメンだったぞ、1位のヤツ」
じとりとした視線を向けられたけど、私は腑に落ちない。
確かに、1位の……ハラダ君って言ったっけ? 彼はイケメンだったけど、関係のない人だ。彼が幾らイケメンだろうと、何らかのフラグが立つとも思えない。会話すらないのに。
ムスーッと半眼で見つめていると、焔も似たような表情を浮かべた。
「俺だって、何もないと思いたいよ。けど、考えてもみろ。今のところ少しでもすれ違ったイケメン、美少女もれなく仲良くなってるだろ? 今までがそうだったのに、これからはそうじゃないなんて、どうして言えるんだよ?」
「幾ら何でも、「もれなく」仲良くなってはないと思うよ! 暴論だ!」
「……ほんとーに、そう思うか?」
「うっ」
そう言われると、ちょっと弱い。
私が怯んだのを見るや、焔は更に追撃を加える。
「確かに、『ハーレム×ハーレム』に登場するメインキャラで残ってるのは、安月雫くらいだ。けど、今んところ俺らの周りで色々とやらかしたりしてんの、登場人物に限らないじゃないか。実際に本編が始まる高校の頃には、どうなってるかなんてもう想像もつかない。警戒して当然だろ」
やらかしてるってのは語弊があると思うけど、言わんとしていることは分かる。
私は渋々頷いた。
別に、取り返しのつかないようなことは起きていないとは言え、高校生になる頃にはどうなってるか分からない、というのは正しいだろう。
しゅんと肩を落とした私を見ると、焔は少しだけ溜飲が下がったようで、小さく息をついた。
「お前だって、俺たちの手に負えないようなことが起きたら困るだろ?」
「うーん……面白おかしいことなら歓迎だけどね」
「面白おかしいで済むなら、俺だって別に良いけどさ」
2人してうんうん頷く。
根本のところで、私たちの利害関係というか、目標は一致しているのだ。
「ともかく、出来る限り注意しろよ」
「オッケー。で、他に気になってることは?」
「ああ、そうだな……」
これで結論は出たかなと思いつつ、一応聞いてみると焔は言葉を続けた。
いやいや、まだあるんですか。
ちょっと冷や汗が頬を伝う。私、これでも自重してるんですがね。
「お前が刀柳館で知り合ったっつー女の子な。栗原真凛って言ったっけ?」
「ああ、真凛ちゃんがどうかした?」
「完っ全に何かのキャラだろ」
「う、うーん……否定出来ない」
そっと視線を逸らす。
でも、知り合ってしまったのは私のせいじゃないと言いたい。
遅かれ早かれ、多分知り合うことになっていたはずだ。
何しろあの子は、筋金入りのナオ君ファン。
仮に私がナオ君と仲良くなかったとしても、刀柳館に通ってる時点でアウトだっただろう。
「実害はまだ出てないけど、気を付けた方が良いだろ」
「そ、そうだね」
「あとプールでチャラ男に絡まれたのとか」
「あれは麻子ちゃんが超絶美少女過ぎたせいだから! 私のせいじゃないから!」
「その場にお前がいたのが問題だ。麻子先生1人でいる時、そこまで絡まれることって無いんだろ?」
「ううっ」
確かに、心配になってあの後聞いてみたら、別に絡まれたことはないと言っていた。
絡まれてるのに気づかずに、華麗にスルーしてる可能性はあるけど、とにかく麻子ちゃんの身に直接の危険が迫ったのは実質的にアレが初めてだったのだ。
あっ、イジメ類は別としてね。
「何か、探偵が居るから事件が起きる的な論法に聞こえるんだけど……」
「平たく言えば、そういうことだな。お前探偵こと死神な」
「うぇぇ……何か嫌な二つ名だなぁ……」
是非とも遠慮したい、と言ったら断られた。畜生。
「というか、何で私ばっかり? そういうのって、寧ろ主人公の焔の方が相応しいのに」
「あー……」
私の不満のこもった言葉に、焔は明後日の方を見る。
何か言いたいことがあるのなら、さぁ来いすぐ来い。
ジロリと睨みつけると、溜息交じりの呟きが返って来る。
「それについては俺もずっと思ってた。幾らお前より気を付けてるって言っても、俺の周りでイベント的な騒ぎが全然起きないのはおかしいなって」
「いや、私も十分留意してるよ」
「穴だらけなんだよ、お前の注意は」
誠に遺憾である。
「で、俺思ったんだけど……もしかしてこの世界の主人公って、お前なんじゃないの?」
「――……はい?」
プリプリ頬を膨らませていたら、完全に予想外の言葉が飛んで来て、思わず目を丸くした。
パードゥン? それ、日本語デスカー?
「何それ、冗談でしょ?」
「いや、結構マジで」
「……マジ?」
「マジ、マジ」
……焔がそのテの冗談を言わないのは、当然知ってるけど、信じられない。
愕然とする私に、焔は自説を展開させる。
「チラッとしか見たことないから、詳しくは知らないけど、ネット小説にあるんだよ。漫画とか、ゲームのキャラに転生した主人公が、色々やらかすって話。考えてみたら、お前の状況に似てないか?」
「そ、それなら焔が主人公だっておかしくないじゃない」
「そりゃそうだけど、それにしてはイベントが偏り過ぎじゃないか? まぁ、高校に入る頃には逆転してるって言うんなら、分からなくもないけど」
ぜ、全力で否定したい仮説だ。
私は、第二の人生がモブだと聞いたからこそ、好き勝手にやろうと思えたのだ。
メインキャラになんてなったら、成さなければならない責任が発生してしまう。それはイヤだ。
もう、色々と責任に雁字搦めになって、動きにくくなるのは勘弁なのだ。そんなの、1度目の人生だけで、十分。
「流石のお前もショックか?」
「え?」
「顔色悪いぞ」
そっと焔の手が伸びて来て、優しく私の頬を撫でる。
……こういうこと自然と出来る子だから、私は焔が主人公だと思うんだけどな。
再びジトッとした視線を向けたら、不思議そうに首を傾げる。ホラ、ハーレム漫画特有の鈍感系主人公っぽいじゃない。
「ん、大丈夫だよ。ありがと」
「平気なら良いけど。……まぁ、そうだとしたら結局俺らには確認出来ないんだから、どうしようもないんだけどな」
確かに、ハレハレについては焔が知っていたから対策を取ろうと言う話になったけど、2人とも知らない物語の上を生きているのなら、どうしようもない。
もしかしたら、自分たちは小説の主人公かもしれないと考えたところで、出来ることなんて無い。結局、神様の掌の上だから。
「そう考えると、身も蓋もないって言うか……」
「だな。けど、与えられるレールの上を素直に歩きたくないんだから、気を付けるっきゃないだろ」
「そりゃそうか」
面白おかしく生きるのに、確かに重苦しいイベントは不必要だ。
出来る限り、そういったフラグを避けようとするくらいは、しておきたいところだ。
「で、来年って特にイベントはないんだよね?」
「ああ。……って、それ以上に気を付けないといけないことあったよな」
「え、何?」
「……ハットリのことだよ」
「ああー……」
あまりにも普通に毎日を過ごしているせいで、すっかり忘れていた。
そう言えばハットリ君って、伯父さんのこと狙って来てたんだよね。
「親父の命狙うって、普通じゃないだろ」
「うーん。伯父さんの仕事、結局謎が多いから案外普通なのかもよ?」
「それは……嫌だな」
将来的に跡を継ぐことになるだろう焔からすれば、そりゃ嫌だろう。
ズーンと暗くなってしまった焔の背中を撫でながら、静かに宥める。
「大丈夫。焔が跡を継ぐ頃には、私ももっと強くなって焔のこと守るから」
「サンキュ。……下手な男よりイケメンだよなお前……」
「何よ、その目は」
「別にー。ありがたいと思ってるよ」
腹立つわー、この反応。
「瑞穂ちゃーん! おつかいお願い出来ますかしらー?」
「あっ、はーい! 今行きまーす」
どう言い返してやろうかと思っていると、階下からお母さんに呼ばれた。
「付き合ってやるよ」と言う焔の言葉を有難く受け入れて、私たちは話し合いもそこそこに、町へと繰り出した。
――そこで、何に遭遇するかも知らずに。
「おい、やっと見つけたぞこのガキィ!」
「くっ……拙者は、捕まる訳には……っ」
(ハットリ君がヤの付く自由業の人たちに囲まれてる!?)