113.麻子ちゃんの受験勉強
「A判定!? スゴイっ、流石ですね麻子ちゃん!」
「そんな……絶対合格になる訳じゃないんだから、そんなに褒めないで?」
秋も過ぎて、冬が近づいて来た頃。受験に向けて忙しくしていた麻子ちゃんの息抜きに、と思って久しぶりに公園に誘ったら来てくれた。
2人でブランコに座ってユラユラしながら、近況についてのお話をする。そんな中で、最近の模試の話になったんだけど、何と麻子ちゃんは、志望大学への判定がAだったんだとか! 素晴らしいよね!
自分のことみたいに嬉しくなって、思わずだらしなく頬を緩める。
「いやいや、麻子ちゃんが頑張ってたの、私知ってますから。絶対、大丈夫です!」
「そう、だと嬉しいんだけど」
困ったように微笑む麻子ちゃんの慎み深さたるや、流石はヒロインである。
まぁ、既に原作とは全然違う性格になってる、というか、原作の性格にならなかった、って感じみたいだけどね。
我らが麻子ちゃんは、これで良い……いや、これが良いのだ。
「はー……受験、ねぇ」
キャッキャウフフする私たちのすぐ側で、重苦しく溜息をついているのは臣君だ。臣君と麻子ちゃん。ご存知、混ぜるな危険の組み合わせである。
そんな2人と、どうして一緒にいるのかと言われれば、犯人は私だ。
出会った時の流れが悪かったせいか、この2人……というか、主に臣君の麻子ちゃんへの印象はずっと最悪だった。顔を合わせれば、とにかくドカドカ厭味をぶつける臣君は、控えめに言ってヒドかった。だから、出来る限り2人が遭遇しないようにと、私や焔はずーっと気を遣っていた。
……でも、いつまでもそんな関係で良いのだろうか。いや、良いはずがない。
麻子ちゃんが臣君のことを好きなのは、自明の理とも言えるくらい明白だ。
なら、この大学受験を控えた今こそ、わだかまりを払拭する為に行動すべきなのではないか!
……と、いうのはちょっとお節介だから、そこまで考えてないけど。
出来れば、ちょっとくらい歩み寄ってもらえたらなぁ、という考えに基づいて、今日という機会を作ったのだ。
今のところは、とにかく会話がないけど、今までを考えたらマシな方だ。
臣君、毒は吐いてないからね。一応ね。
「そ、そうだ! 臣君、先輩として何か麻子ちゃんにアドバイスとかない?」
「えー……俺ですか?」
非常に嫌そうな顔をする臣君。
大人げない! 大層大人げないよ、臣君!! そんなんじゃ、廉太郎君のところの有真さんに麻子ちゃん持っていかれちゃうわよ!
なんて、内心で考えててちょっと思ったけど、麻子ちゃんの幸せの為には、有真さんって結構よさげな相手だよね。いや、麻子ちゃんは一途っぽいから、臣君に恋人出来るとかしない限り、無理っぽい気もするけど。
……あれ、でもそもそも麻子ちゃんって、漫画ではずーっと焔のお父さんこと緋王伯父さんに報われない恋をし続けてたんだっけ。
…………。
うへぇ。もしかしたら、臣君に明確にフラれても恋人出来る様を目の前で見ても、有真さんを選ぶことはないのかもしれない。
有真さん頑張って。超頑張って。私、麻子ちゃんの味方ですけどね。
「……で、ドコ志望?」
「えっ?」
どっちにしろ、臣君の態度が軟化しない限り、二進も三進もいかないかなーと思っていたら、とにかく嫌そうな顔はそのままだけど、臣君はちゃんと麻子ちゃんに向かって声をかけた。
な、ななな、何と! これは素晴らしい変化ですよ!!
目を爛々と輝かせながら見つめていると、困惑気味に目を瞬いていた麻子ちゃんは、ちょっとの間を置いてから、おずおずと答えた。
「は、はい。その……実は、白鶴の教育学部を受けようかと思っています」
「は? 白鶴?」
「えー!? そうだったの!?」
何と。白鶴と言えば、私の通う小学校の大学部じゃないですか。
これはこれは……。言わずと知れてるかもしれないけど、臣君が通ってるのも白鶴学園の大学部である。学部は教育学部じゃないけどね。経済学部だっけ?
「じゃあ、合格したら臣君の文字通り後輩になるんですね!」
「え、ええ。そうなの……」
本当は、合格するまで言う気はなかったのかもしれない。
バツが悪そうに肩をすぼめる麻子ちゃん。
面と向かって、同じ学校を目指しています! と言われた臣君は、決して勘の悪い人ではないので、正確に麻子ちゃんの意図は悟ったのだろう。更に複雑そうに眉を寄せている。
……普段の爽やか王子様な笑顔は何処へやら。すっごい怖い顔してるのに、ブレないイケメンフェイスである。思わず感動してしまいそうだ。
「……一応言っとくけど、白鶴の試験はキツいから、浮ついた気持ちじゃ受からないと思うよ」
「浮ついた気持ちじゃありません! 私、先生になりたくて!」
「教師?」
意外にも、臣君の言葉に麻子ちゃんはすぐさま否定の言葉を返した。
いや、別に浮ついてるとまでは思ってないけど、てっきり臣君がいるからなのかと思った。教育学部に行くだけなら、他にも大学はたくさんある訳だし。
驚いて見ていると、麻子ちゃんは照れたように俯く。
「いえ、確かに晴臣さんがいらっしゃるという理由も、まったくないとは言えませんが……でも、それでも他の大学に比べた時に、白鶴学園が一番魅力的だったんです!」
そう言いながら、カバンからパンフレットを取り出して魅力を熱弁する麻子ちゃん。豊富な留学制度とか、厚い教授層とか、その他諸々。確かにその物言いは、単純に臣君がいるからという理由で選んだものには見えなかった。
私と同じように黙って話を聞いている臣君の顔色を窺うと、案外落ち着いているように見えた。……ちょっとは麻子ちゃんを受け入れてくれただろうか。
「信じて……は、もらえません、よね?」
しばらくして、全て話し終えたのか一呼吸入れると、麻子ちゃんはそっと視線を上げた。不安そうに揺れる瞳は、最初に出会った頃に似ているけれど、あの頃とは明確に違うものだと思った。
だって、あの頃の麻子ちゃんは、こんな風に自分の考えを言えるような人じゃなかった。これまでの麻子ちゃんの頑張りを思うと、何だか泣けてきそうだ。
「……いや」
とりあえず否定しないと、と思って口を開きかけた私だったけど、先んじて言葉を発した人がいた。
しかも、それは予想だにしなかった言葉で、私は思わず目を見開いた。
「え?」
そんな感情は、麻子ちゃんも同じだったみたいで、見る見るうちに麻子ちゃんの目が大きくなっていく。
「信じるよ」
短く、端的に告げられた言葉は、今までの臣君じゃ考えられないものだった。
でも、確かに今、臣君は言ったのだ。
出来たら、そう思って欲しいと、私が願っていた言葉を。
「君は……十村嬢は、そういう人じゃないって、知ってる、し」
酷く居た堪れないような、照れ臭いような表情で、上手く笑顔を作れずに視線を泳がせながら続ける臣君。ほんのりと差した頬の赤を見て、私は感極まった。
「おっ、臣君っ!!」
「わっ、お、お嬢!?」
抱きつくのは流石に空気が読めないので、あふれ出る衝動そのままに、手を握ることにした。
急に掴んだからか、臣君は珍しくビックリしたような声を上げた。
「わ、私、感動した! 臣君、麻子ちゃんのこと認めてくれたんだねぇ!」
「いや、認めたって言うか……」
「分かってる分かってる! 本当はずっと認めてたけど、認めてるって認めるのが恥ずかしかっただけなんだよね!!」
「そっ、れは……」
図星だったのか、臣君の声が妙な調子に上擦る。
それを見ると、余計に嬉しくなる。
分かってた、というよりも、そうであって欲しいと願っていたことだったから。
「大丈夫大丈夫! 恥ずかしさをおして、ちゃんと認めることの出来る臣君のこと、大好きだから!!」
「っ……何で、今、そういうこと言うんですか、お嬢……」
カーッと一気に臣君の顔が真っ赤に染まる。
空いている方の手で、顔を覆うようにしているけれど、まったく隠しきれていない。ニヤニヤしながら、私はバッと麻子ちゃんの方に視線を移す。
「良かったですね、麻子ちゃん! 臣君、麻子ちゃんのこと認めてくれてましたよ! ……って、アレ!?」
次いで、思わずギクッとした。
麻子ちゃんは、呆然とした表情で泣いていたのだ。
「っ、ご、ごめん、なさい……私、その、自分でも思っていた以上に……う、嬉しくて」
「わあ、わあっ! な、泣かないでくださいぃ! いや、泣いた方がスッキリして良いのかな??」
パッと臣君の手を離して、慌てて麻子ちゃんの方へ駆け寄る。
よしよしと背中を撫でてあげると、涙の勢いはもっと強くなってしまった。えええ!?
「私っ……瑞穂ちゃんに、甘えてばかりだった、から……晴臣さんから、厄介な人間だって、嫌われてるって、信じてもらえないって、思って、て……っ」
嗚咽混じりに語る麻子ちゃん。
思っていた以上に、色々と溜めていたんだろう。
やっぱり、今は泣いた方が良いのかもしれないと思って、私は押し黙った。
臣君も、動揺はすぐに治まったようで、今は静かに麻子ちゃんを見ていた。
「今まで、ご、ごめんなさい……っ。上手く、謝れる気がしなくて……卑屈な、意味じゃないんです。私、本当に、ずっと……助けてもらえるだけじゃない、助けられる人間に、なりたいって、思って……まだ、そんな自分に、なれていないけれどっ……一歩、近付けたような気が、して……っ」
――ありがとうございます。
掠れているけれど、ハッキリとした声だった。
もらい泣きしそうなのを何とか抑えながら、私はそっと臣君を見た。
麻子ちゃんの言葉は、臣君に向けてのものだ。私がしゃしゃり出る場面じゃない。
「……俺の方こそ」
どうなるんだろうと、ドキドキしながら臣君の返答を待っていると、とにかく複雑そうな声が発せられた。
「その、悪かったよ。苦手意識が強すぎて、ずっと君に、ヒドイ態度を取ってた。……ごめん」
そう言って、頭が下げられた。
「そんな! は、晴臣さんが私に謝るようなことなんて、一つもっ……」
「いや、あるよ。俺は、結構早い段階から、分かってたんだ。君が、最初に会った時みたいに、ただお嬢に寄りかかるだけの人じゃなくなってるって。だから、俺の今までの態度は……ただの、ワガママだった」
ワガママとは何ぞ?
興味深く思って見上げたけど、臣君は詳細については語るつもりはないらしい。残念である。
「だからその……、別に、謝らなくて良いよ」
「晴臣さん……」
……下手したら、このままお互いに謝り続けかねない雰囲気が流れる。
私は、ここは口を出すべき場面になったと判断して、そっと口を挟んだ。
「2人とも、これで仲直りですね!」
「お嬢……」
「瑞穂ちゃん……」
これで良いのか分からない、といった2つの顔が私に向く。
私だって正確には分からないけど、人と人との関わり合いなんて、そんなものだろう。
なら、願い方向にかじを切るのが正しい! 多分!!
「納得がいかないのなら、臣君は麻子ちゃんに勉強を教える。麻子ちゃんはそれに応えて勉強を頑張って、合格をもぎ取る。これでお相子にしましょう! ね! 決まりです!!」
半ば強引にそう告げたら、2人は顔を見合わせ合ってから、クスリと笑った。
「ふっ……ふふ、瑞穂ちゃんてば……面白い」
「流石俺のお嬢。言うことが男らしいですね」
「あれっ、今の笑うところだった!?」
どうしよう。2人と感性が違うんだろうか。
いやいや、そんなまさか。
「……そーですね。そんじゃ、早速見てやるから模試とかあったら見せて」
「はいっ。最新のがこちらで……」
私が1人で頭を悩ませている内に、2人は受験勉強を始めてしまった。
ハッと我に返った時には、もうさっきまでの複雑な空気は消え去っていて、勉強に向き合う2人の真剣な雰囲気で周囲は満ちていた。
雨降って地固まる。っていう程、明確な雨が降っていた訳じゃないけど、2人の間にはずっと訳の分からない雨が降っていたようなものだから、そんな感じだろうか。
なんて、1人でそれらしいことを考えて撃沈しつつ、私は笑顔で2人の勉強を見守った。
これからも、皆仲良くいられると良いよね!
「主君! こちらの遊具は何でござろうか! うわーっ、足が絡まるー!!」
「ハットリ君いたの!? っていうか、うるさいよ!! 2人の邪魔しないの!!」