11.兄役の思い※
※前半は晴雅、後半は晴臣視点です。
※若干シリアス注意です。
「なぁ、マサ。お前、マジであのお嬢サマに仕える事にしたのか?」
「悪いか?」
「いやぁ、別に悪いって事はないけど…」
お嬢様の小学校入学に向けて、美紗子様が道具袋を作ろうとしてなかなか上手く行かないのを見かねて、それを代わりに請け負った僕は、自室で針仕事をしていた。
そんな僕を見て、兄の晴臣は、顔を顰めていた。
「お前は、もっと不器用だと思ってた」
「そんな事はない。桐吾様も褒めてくれた」
「裁縫じゃないから」
分かってるだろ、と溜息をつく晴臣。
僕は、今まで生きて来て、初めて奴に勝ったような気がしていた。
理由は言わずもがな、瑞穂お嬢様のお陰である。
「嬉しそーに針仕事なんてしちゃって…」
「ああ、嬉しい。お嬢様のお役に立てるしな」
「だから!俺達を救ってくれたのは旦那様だぞ?あのお嬢サンじゃない」
「そうだな」
晴臣の言わんとする所は、こうだ。
本当に、のっぴきならない状態になっていた僕達。
それを救ってくれたのは旦那様。
例え、お嬢様の希望が頭にあったから、僕達を救う事にしたのだとしても、僕達でなくても良かったのだとしても、僕達にとっての救世主は、旦那様だ。
だから、旦那様のお役に立つ為に、何でもする。
それが、直接旦那様に関わらない、姪の世話をする、と言う内容であっても。
しかし、忠誠を誓うのは旦那様に対してだけ。
何もしていない姪に、心から頭を下げる必要はない。
言われた事だけをしていれば良い…その方が楽だろう、と。
「何であんな子供に尻尾振るんだ」
「僕を救ったのは、お嬢様だからな」
「はぁ?だから、俺達を救ってくれたのは、」
「分かってる」
「分かってないだろ」
「分かってる」
「マサ!」
騙されてるとでも言うつもりか。
それとも、心配しているとでも言うのか。
本当に大事な時に、いつも僕を一人にする癖に。
こんな時だけ、兄貴面するのか。
「あのお嬢サマに何言われたか分かんないけどさ。所詮、五歳の子供だぞ?あの子が言った事に、中身なんてない」
「……」
「それに振り回されるなんてバカバカしいって。あの位の年の子なら、良くいるだろ?私将来、パパと結婚するのーとかさ。でも、そんなの本当じゃない」
僕はふと、数日前の事を思い出していた。
幼稚園の卒園式の日。
旦那様と美紗子様がウキウキとした様子で。
奥様が仕方がない、と言いながらも楽しそうな様子で。
桐吾様が、何が起きても良いようにと油断ない様子で。
それぞれが保護者席に座って。
僕は何処か、それを冷めた目で見ていた。
絵に描いたような、幸せな家族。
親戚一同で、子供の成長を見守り、喜ぶ。
僕には、もうどれだけ望んでも手に入らない景色。
表面上穏やかにしていた晴臣は分からない。
ただ、少なくとも僕は、あの日までお嬢様と焔様を妬んでいた。
僕の事は、誰も愛してはくれないのに。
かつての僕のように、幼い彼らは、その幸せを知らず、能天気に毎日を過ごしている。
一点の曇りもない笑顔を見ていると、腹が立った。
八つ当たりでしかない。
そんな感情を、僕は隠していた。
折角手に入れた安定を、自ら手放す真似をするつもりはなかった。
けれど、きっと伝わってしまっていたのだろう。
焔様は僕を何処か避けていた。
直接焔様をお守りするように、との指示はなかったが、お嬢様に付いていると大抵焔様も近くにいた。
だから、僕はその事に気付いた。
彼は、幼いながらも適度な距離を保っているように見えた。
僕は、それでも仕方ないと分かっていた。
彼の事を嫌っていた訳ではないけど、彼を妬む僕は、嫌われても仕方ないと。
だと言うのに、「ねぇ、晴雅君」と。
お嬢様は、一切怯まずに僕に話しかけて来ていた。
最初は、敵意に鈍い、平和ボケした子供なのだろうと思っていた。
けれど彼女は、僕が本気で怒りそうになると、必ず言葉を引いていた。
気のせいかもしれないと思ったが、気のせいではなかった。
お嬢様は、的確に言葉を選び、僕に手を差し伸べてくれていたのだ。
僕の心は揺らいでいた。
どうせ、旦那様の優しさは、金持ちの気まぐれでしかなく、いつか捨てられるのだろうと、僕は確信していた。
だからこそ、距離を取って、警戒し続ける事で、例え手を離されたとしても、哀しまずに生きていけるようにと、そう考えていた。
なのに、お嬢様は、僕の鎧を壊しにかかった。
それでも心を強く持って、距離を取れば良かった。
だけど、僕は弱かった。
うるさい、近付くなと厳しい言葉をかけても微笑むお嬢様が。
僕の言葉を素直に受け入れて、健気にも静かにするお嬢様が。
あまりにも温かくて、僕から手を離すなんて出来なかった。
そんな賢いお嬢様は、家に戻って、誰もいない家を見て動揺する僕を見ても、やはり手を離す事はなかった。
僕としても、あの程度であそこまで動揺するとは思っていなかった。
仮の居場所と思い込もうとしていたのに、既にあそこは、僕にとって賑やかで明るい、幸せと言う言葉を包み込んだ、僕の居場所と化していた。
多分、お嬢様が手を離したら、僕は壊れてしまっていただろう。
予想以上に、僕は彼らに固執していた。
お嬢様も僕と同じで置いて行かれた。
そう言ったけれど、本当にそう思った訳ではなかった。
ただ、そうでないと、壊れてしまう。
あまりにも恐ろしくて、僕は幼いお嬢様に縋ったのだ。
お嬢様は、僕の背を優しく撫でて、笑った。
僕の求めていた以上の言葉をくれた。
僕が気にしない様に。
僕が自ら手を伸ばしたと思わない様に。
敢えて幼い少女の我儘を僕が叶える、という形になるようにして、僕に居場所をくれた。
賢くて可愛らしいお嬢様。
僕は、あの瞬間に、ああ負けた、と思った。
外見からは量りきれない、お嬢様の器。
彼女は、見た目よりずっと大人だ。
まだ学校にも行っていない少女に、僕は一体何を思っているのか。
けれど、間違いなく彼女は、僕に手を差し伸べてくれた。
年端もいかない少女が、確かに僕を救ってくれたのだ。
僕は、身体を救ってくれた旦那様に、感謝している。
だけど、それ以上に心を救ってくれたお嬢様に、尽くしたいと思う。
例えばこれが勘違いで、お嬢様は子供らしく、ただの我儘を言っただけだとしても、僕は一向に構わないと思えた。
不思議な事に、晴雅は晴雅のままで良い、と言われた時、僕は、もしもお嬢様が、もう僕など要らないと言った所で、納得して彼女の前を去れるだろうと、そう思っていた。
捨てないで欲しい。一人にしないで欲しいと、あんなに思っていたのに。
憑きモノが取れたように、スッキリとしていたのだ。
お嬢様は、本当の意味で、僕を救ってくれていた。
だからこそ、お嬢様に尽くしたい。
彼女が僕に飽きるまで、許される限り、彼女の側にいたい。
そう思うのは、愚かだろうか。
いや、愚かかもしれないが、構うものか。
僕は久方ぶりに、母親が生きていた頃のような幸せを感じている。
これは、僕の望みなのだ。
「本当じゃなくても、構わない」
「はぁ?あんな子供に遊ばれる気か?正気かよ」
「勿論、正気だ」
「マサ、お前な…」
「「俺達」を救ったのは旦那様だ。が、「僕」を救ったのはお嬢様だ」
「!」
要領良く、辛い家から抜け出していた晴臣を、僕は羨んでいた。
でも、果たして晴臣は、幸せだったのか。
幼い僕にとって、兄と言う存在は絶対だった。
双子でも、成長速度が同じでも。
僕にとって晴臣は兄であり、全ての行動の指針だった。
だけど、本当にそうか?
晴臣が全て正しいなんて、あり得るのか?
いや。あり得ないと、今なら断言出来る。
晴臣にとって、お嬢様は仕えるべき価値のない、取るに足らない子供だ。
でも、僕にとってはそうじゃない。
答えは幾らでもある。
それなら僕は、僕の望む答えを選択しよう。
「お嬢様に仕えたくないなら、好きにすれば良い。僕も好きにするつもりだ」
「ちぇっ…分かったよ。後で泣きついて来ても知らないからなー」
捨てゼリフを残して、晴臣は部屋を後にした。
勝ち負けなんてどうでも良い話だ。
なのに、晴臣に勝ったと感じ、嬉しく思う僕は、どうしようもなく子供だ。
まだ小さいのに、あんなに大人なお嬢様に、すぐに置いて行かれそうだ。
今は、そちらの方が恐ろしい。
可能な限り、ギリギリまで、僕を側に置いて欲しい。
彼女の側に相応しい僕でありたい。
「……出来た」
糸を切る。
最近桐吾様にレクチャーを受けて出来るようになった裁縫で、初めて作った、お嬢様の為の物。
まだまだ拙いコレも、訓練すればきっともっと上手くなる。
護衛は勿論、料理でも裁縫でも、何でも上手く出来るようにならなければ。
そうしたらきっと、お嬢様とずっと一緒にいられる。
「お嬢様。僕、精一杯頑張りますね」
彼女の笑顔を思い出すだけで。
殺風景な部屋も、明るく楽しい部屋のように見えた。
◇◇◇◇◇
「あー、何なんだよマサの奴……」
俺は、部屋を後にすると、一人ごちる。
この間まで、この世の不幸を全て背負ってる、みたいな暗っい顔してたのに。
双子の弟は、気付いたら幸せそうな顔をして笑ってた。
笑ってるって言っても、知らない奴が見たら、どこか冷たい顔に見えるらしいけど、俺には分かる。
あれは、相当幸せな時に浮かべる笑顔だ。
思い出すだけで、イライラする。
器用な俺でも、流石にこの現状で笑う事なんて出来ないのに。
どうして、不器用なアイツが、幸せを手に入れられてるんだ。
わっけ分かんないなー。
「どうした晴臣。今日はお前が夕飯当番だろう?」
「あっ、親父さん。……あっと、忘れてたー。今行っきまーす」
「今日は肉じゃがを作ろう。作った事はあるかい?」
「一応授業でやった事ありますよー」
「そうか、それは期待出来るな」
俺を呼んだのは、西さん。
赤河家お抱えの運転手だけど、妙に多芸な人だ。
今回、俺達を引き取るに当たって、義理の親になってくれた人でもある。
独身の人は、養子縁組とか出来ないって聞ーた事あるけど、どうやったんだかこの人が今の俺達の親。
つくづく、旦那様に拾ってもらえてラッキーだったと思う。
西さんは、偶に厳しいけど基本優しいし。
旦那様は、ちゃんと仕事に就くまでの養育費を出してくれるし。
俺達を妙に憐れんだり、ウザがったりする人もいない。
自由時間だってあるし、小遣いも貰える。
俺達の境遇から考えて、こんなに幸せな事はないと思う。
ただ、養って貰ってる手前、やらなきゃなんない仕事がある。それが厄介だ。
別に、旦那様の書類仕事手伝うとかだったら、幾らでもやる気はあるんだけど与えられてるその役割は、子守り。
俺達の面倒を見ると決めて以降の、テキパキとした指示出しとか、俺達に対するフォローとか、物凄くカッコ良くて、まさに出来る男って感じだった旦那様。
なのに、子供達が関わると、途端にカッコ悪くなる。
何だよ、姪がお兄ちゃん欲しがってるから、兄代わりをしてくれって。
SP付いてるなら、直接警護する人間なんていらねーじゃんか。
何で俺達がやんなきゃならないんだよ。
俺は、子供が嫌いだった。
何かあればすぐ泣くし、我儘だし、何でも自分の思い通りになると思ってる。
けど、旦那様が言うから、俺は仕方ないかと受け入れる事にした。
どうせ子供だ。
テキトーにヘラヘラしてりゃ、満足してくれるだろうと思って。
けど、更に厄介な事に、それが普通の子供じゃなかった。
旦那様の息子の、赤河焔。
旦那様の姪の、青島瑞穂。
二人揃って、普通の子供より大分精神的に大人だった。
意味不明な事は言わないし、我儘も言わない、身の程も弁えてる。
普通だったら、何だラッキーじゃん、って思う所だ。
実際、俺も最初はそう思ってた。
でも、そんなの間違いだった。
坊っちゃんの方は、まだマシだ。
何となく、俺の感情を察して避けてくれてたから。
大して会話しなくて良いのは楽だった。
問題は護衛対象の方だ。
どうも俺が心を許していないのが気に食わないらしくて、妙に絡んで来た。
余計な事でもしようものなら、旦那様に報告して、さっさと違う仕事を貰おうと思ってたのに、そのギリギリの線を、お嬢サンは絶対に越えない。
俺を、あどけない顔してからかっては、俺が怒る直前に逃げる。
下手な大人より厄介だ。
いや、大人より大人で厄介だ。
俺は、テキトーに幸せに生きれりゃ良いってのに。
本当にそれで良いの?って聞いて来るみたいだった。
良いに決まってんじゃねーのって思うのに、イライラする。
更に最悪な事に、とうとう弟が陥落した。
マサもお嬢サンを苦手に思ってたっぽかったのに、何やらかしたんだ。
どんなに大人びてても、どんなに大人より大人でも、アイツは子供だ。
そんな子供に何言われたからって、心が動くなんてあり得ねぇ。
だから心配してやってんのに、マサの奴は幸せそうに笑う。
ああ、腹立つ。
何なんだよ、あのお嬢サンは。
ちっさいクセに、俺より世界を知ってるぜ、みたいな目ぇしやがって。
「荒れてるねぇ、晴臣」
「えっ?いやいや、そんな事ないですよー!」
「人参の皮」
「?皮がどーかしました?」
「いつもはもっと丁寧なのに、今日は厚さがバラバラだ」
「げっ」
確かに、見てみると見るからにバラバラだった。
俺とした事が。
考え事に必死になり過ぎて仕事がおろそかになるなんて。
ちくしょー。
全部あのお嬢サンのせーだ。
「何があったか、聞いても良いかい?」
「親父さん…」
憮然とする俺に対し、親父さんは優しい。
親父さんは、俺の心を揺さぶらない。
穏やかで、優しくて。
本当の父さんだったら良かったのに、って思う位だ。
「何でもないですよー。やだなー」
だから、俺は笑う。
心配なんてかけて、どうするんだ。
折角助けてもらった相手に、これ以上気を遣わせてどうする。
俺は平気だ。
あんな変なお嬢サンの相手が、これからしばらく続こうが。
俺は、俺らしく笑っていられる。
「そうかい。何かあったら、いつでも頼っておいで」
「十分頼ってますって!親父さん!」
そんな俺は、親父さんの目が、微かに哀しそうに細められた事に気付かないまま、今度はタマネギを切るぞーと、誤魔化すように手を伸ばしたのだった。




