112.ちょっとした騒動
古式ゆかしき、イジメのパターンというものがある。
少女漫画なら、人気のない部屋に閉じ込める。
昔の少年漫画なら、上履きの中に画びょうを仕込む。
結構アレな漫画なら、トイレの個室に水をかける。
エトセトラ、エトセトラ……。
……で、私が何を言いたいかと言えば。
「――やられたなぁ」
何と、人生お初の嫌がらせを受けてしまった、ということである。
「先輩!? それ、どうしたんですか??」
「あ、ナオ君やっほー!」
私の手の中の、ズタズタに引き裂かれた稽古着を、愕然とした様子で見て叫ぶナオ君の姿を見つけた私は、へらりと笑顔を向ける。
そんな能天気な私に、真面目なナオ君は眉を吊り上げて抗議する。
「「やっほー」じゃありませんよ! 答えてください。誰にやられたんですか!?」
「ええー?」
ナオ君なら、相当食いつくだろうなぁとは思ったけど、予想以上だ。
それこそ掴みかからんばかりの勢いで私を見つめるナオ君。
……一つ年下のはずなんだけど、目線が既に近いなぁ。おかしいなぁ。
「……先輩?」
怪訝そうに目を細めるナオ君。
これ以上関係のないことを考えていたら、私にまで被弾しそうだ。
私は仕方なしに答えることにする。
「誰かなんて分からないよ。ただ、まぁ……うーん。やっぱり、私ばっかり毎年活躍してるのを妬んだ人間の犯行、かね?」
顎に手を当てて、軽く首を傾げながら言う。
実際、その気になれば誰がやったか分かるだろうけど、する気は特にない。
何しろ、実害はないに等しいし。いや、確かに稽古着の一つは駄目になっちゃったけど。私は他にも稽古着を持っているし、何なら私の服のサイズは普通だから、レンタルで対応することも出来る。
今日の試合に出るのに十分だ。犯人は、もしかするとアホなのかもしれない。
「……先輩が、試合に出られないように、ですか?」
「多分ね」
肩を竦めて言うと、可愛いナオ君の顔がキリリと更に厳しくなった。実直なナオ君からすれば、こういう卑怯な手合いは許せないのだろう。
私? 私は、どう来ても良いと思っている。何なら良い訓練だ。
金持ちのサポート役になることが半ば決まっている身の上だ。将来的に、もっと性格の悪い輩と相対することもあるだろうと思えば、こんなの入門編くらいのものである。
「犯人、アホだよねぇ。それとも、試合に出るならこの稽古着みたいにしてやるから覚悟しろよってメッセージかね?」
ノリで言ってみたけど、その可能性は高そうだ。
何しろ、一般的な試合と違って、刀柳館で行われる試合は割と何でもありなものだ。刃物は使ってないけど、場合によっては刃物による攻撃よりも危ない技とかもある。
それでも普通に行われているのは、ひとえに刀柳館に所属する審判の資格を持つ人たちの腕前への信頼感によるものだ。絶対に死傷者は出さない。それが刀柳館。
「……ウチの門下生に、そのような人間はいません」
「そう?」
「絶対です」
ナオ君は、ムッと顔をしかめている。
そりゃあ、館長の息子さんとしてはそう思いたいだろう。
でも、ジャンルが多岐にわたる影響もあって、刀柳館には結構多くの人が所属している。全員が全員、正々堂々を好む人間であるかどうかと聞かれれば、私は首を捻るだろう。
何しろ、人となりどころか顔も名前も知らない人ばっかりだからね。
勿論、全員がそういうタイプだとは微塵も思わないけど。
「うっわ、お嬢。それどうしたんです?」
「……至急、犯人の調査を行いましょう」
「あ、2人とも。試合どうだったー?」
臣君も雅君も、試合の時間だからと言って少しの間離れていた。
私の本日最初の試合は、2人よりもそこそこ遅い時間だったので、準備は後で良いやーと考えて、2人と別れてから個人ロッカーに向かった。
そこで、コレを発見したワケだ。ズタズタの稽古着ね。
「当然、勝ち残ってるよ」
「そのようなことよりも、先にお嬢様を脅かそうとした輩の話が重要ではないでしょうか」
「雅君、雅君。顔怖いよ」
「……申し訳ございません」
人1人殺して来たような顔してるけど、平気かい?
臣君も、そんな自分の片割れを見て、ちょっと引いた顔してる。
でも、指摘しても直らないので、とりあえずスルーだ。一応、被害は出てないし。
「直ーっ!!」
さぁて、どう話をまとめたものかな。なんて思っていると、ひと際甲高い声が飛んで来た。
うわぁ来たよ、と思ったのと同時に、ナオ君に飛び掛かって来る人影。
ナオ君はそれをヒラリと避けて、双子の後ろに隠れた。……賢明な判断である。
「もうっ、直冷たいっ」
「何だよ! 僕にもう話しかけるなって言っただろ!」
現れたのは、皆大好き真凛ちゃんだ。
今日は試合に出るつもりなのか、いつもより大人しい髪形をしている。
普段は、ツインテールを可愛らしく飾ってるけど、今は何もついていないポニーテールだ。違和感があるのは何故だろう。
「照れなくて良いのよ、直!」
「照れてない!」
「大丈夫っ。あたしはぜぇんぶ分かってるから」
両手を握って肩をすぼめ、口元に持っていく姿勢の、何とあざといことか。
可愛くてキュンキュンするけど、ナオ君には逆効果のようで、ただでさえ険しい顔をしていたのが、更に険しくなった。
「おはよー、真凛ちゃん。今日も絶好調だねぇ」
「……青島瑞穂じゃない。ふんっ、当たり前よ! あたしはいつでも最高のあたしなんだからねっ」
この素早いスイッチの切り替えっぷり。
いっそ清々しいくらいで、私は大層気に入っている。
皆で顔を突き合わせるのは意外と少ないので、私、ナオ君、真凛ちゃんという取り合わせは、実は最初に会った日以来だったりする。
「! まさか、先輩の稽古着に手を出したのは……」
「稽古着?」
ハッとした様子でナオ君が、真凛ちゃんと私の手の中の布切れを見つめる。
ナオ君は、真凛ちゃんをかなり苦手に思っているみたいなので、珍しいけど疑うのは自然なことかもしれない。
とは言え、私は彼女が犯人じゃないと思っているので、すかさずフォローする。
「いやいや、真凛ちゃんはそんなことしないよ。ね?」
「何の話? 気安く話しかけないでくれる?」
ふんっ、と鼻を鳴らして視線を逸らす真凛ちゃん。
本当、私のこと大嫌いだよね。だから好き。なんちゃって。
「しらばってくれるな! お前なんじゃないのか?」
「直怖い……。一体どうしたっていうの?」
「……先輩の手の中のソレだよ」
「?」
ナオ君の言葉には従うようで、真凛ちゃんはそっと私の手の中を見た。
そして、しばらく何なのか分からないように目を瞬いていたけれど、やがてその正体に思い至ったようでサッと顔色を青ざめた。
「キャア! な、何よソレ! 何でそんなヒドイことになってるの!??」
その悲鳴は、本気で驚く……というよりも、恐怖を感じているような悲鳴だった。
何だか、ちょっと意外な反応だ。
別に、犯人だと思ってたとか、そういうことじゃなくて、真凛ちゃんだったら、馬鹿にするように笑うくらいかなーと思ってたのだ。
でも現実、真凛ちゃんは怯え切った様子で自分の身体を抱いて震えている。
「だ、誰がそんなこと……こ、この道場、そんなヒドイ人がいるの!? ヤダ、怖い! 助けて直!!」
「え……栗原じゃ、ないのか……?」
あまりの狼狽ぶりに驚いたのか、ナオ君は今度は縋りついて来た真凛ちゃんを避けなかった。
私は、今にも泣き出しそうな彼女の様子を見つつ、視線を双子の方に向ける。
「うーん……変に触れない方が良いよね?」
「そうですね。トラウマか何かがあるのでは?」
「……ええ。それよりも犯人捜しに注力すべきでしょう」
「ブレないねー、雅君」
「光栄です」
「褒めてないよ……」
真凛ちゃんの動揺っぷりが演技だとしたら大したものだけど、どうもそうじゃなさそうだ。
まぁ、そもそも真凛ちゃんは厭味な子だけど、正々堂々正面から来るタイプだもんね。猫かぶりな割りには。
だから私も、気に入っている訳だけど。
「主君! しゅくーん!!」
犯人捜しとか、正直どうでも良いんだけどな、と思っているとハットリ君の元気な声が私を呼んだ。
ブンブンと元気良く手を振って駆け寄って来る姿は、犬を思い起こさせる。可愛い。
「どうしたの、ハットリ君?」
「はっ。主君の試合の時間が迫っておりましたので、呼びに参ったでござる」
「あれ、もうそんな時間?」
「はい。お召替えを済ませなければ間に合いませぬぞ!」
腕時計を見ると、確かにもうそんな時間だ。
私は小さく溜息を落とすと、別に持って来ていた予備の稽古着を手に取る。
「じゃあ、私はさっさと着替えて試合出て来るね」
「なら俺は周辺の警戒でもしますか」
「では僕は、犯人捜しを」
「犯人? 何か起きたでござる?」
キョトンとしてるハットリ君は、そろそろ忍者の称号返上した方が良いと思う。
忍者って、情報収集とかがメインの仕事じゃないのか。
ずっと館内に居たのに、何が起きたか知らんのかい、ってまた思わずツッコミを入れてしまいそうだ。
「せ、先輩……大丈夫なんですか?」
不意に、不安そうな声がした。
ナオ君が、今度は酷く弱々しい視線で私を見つめていた。
私がとにかく心配なんだろう。優しい子だ。
そんな子に、心配をかけるなんてよろしくない。私は、出来る限り力強い笑みを浮かべる。
「当然! 私を誰だと思ってるの? 私はねー、天下無双の赤河家を支える青島家の長女だよ? 不可能なんてないのです!」
私の言葉に、それでも安心出来なかったようなナオ君は、更に呟く。
「でも、試合中に何か卑怯なことをされたら……」
「大丈夫大丈夫! それもひっくるめて、全部真正面から受け止めて……たくらみとかあれば叩き潰してやるから!」
「っ……」
ニヤリと笑ったのがいけなかったのか、ナオ君はゴクリと喉を鳴らした。
あれ、怖かったのかな。そ、そんなことないよね?
今日もクラスで3、4番目くらいに可愛い、瑞穂ちゃんだよね、私?
「素敵です、お嬢様!!」
「ほんっと、サイコーだよお嬢!」
思わず不安になって双子を見たら、雅君はキラキラとした目で私を見ていて、臣君は楽しそうにゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。
……臣君、あとで校舎裏な。
「じゃ、行って来るね!!」
こうして、さっさと着替えて試合に間に合った私は、当然の如く優勝した。
正直、試合中は誰が犯人だったのかとか全然分かんないレベルで、特に何の障りもなかった。
うーん。もっと手ごたえとかあるのかなって思ってたから、残念だった。
因みに、後に雅君の調べで分かったのは、犯人は一部新参者の中学生女子の集団だったということだ。
私が贔屓で級を上げてる上に、イケメン(多分双子のこと)にチヤホヤされてる最低の女の子だと思って、ちょっと怖がらせようと思ったという短絡的なものだった。
この件に関しては表ざたにはしないことに決まったけど、裏で滅茶苦茶松本さんから謝られた。
その女子たちの性根も、全力で叩き直すと誓ってくれた。……うん、女子たち……生きろよ。
と、まぁなかなかアレな事件も起きたけど、概ね毎日は平和である。
これをキッカケに、真凛ちゃんが懐いてくれたら言うことないんだけど、特にそういうこともなさそうだ。良きことである。
ちゃんちゃん。
「……というか、準決勝がまさかハットリ君相手とはねー」
「拙者もひっそり通っていたのでござるよ」
「ふふふ、精進したまえよ」
「……俺の知らないところで着々と人外が増えて行ってる気がする……」