109.厄介少女の襲来
時は、プール事件から結構経って夏休み明け。あれから特に何事も起こらず、いつも通りの日常を過ごしていた。
今日も今日とて、地獄こと刀柳館に来ていたんだけど、生憎とイベントが発生してしまった。
「いざ、正々堂々と勝負よっ!」
「え……えぇーー???」
ビシッと竹刀を構えて、キリッと可愛らしい目を吊り上げて私を睨みつけるツインテールの美少女。
見覚えは滅茶苦茶ある。刀柳館館長の息子さんであるナオ君に、超絶片思いをしているクラスメートの真凛ちゃんだ。
あの印象深い出会いから数カ月。一切エンカウントしてなかったからすっかり忘れていたけど、真凛ちゃんは私への悪感情を全然忘れていなかったらしい。
美少女から蛇蝎の如く嫌われるなんて、なかなかない経験だ。
割と嫌われていた前世でも、ここまで目の敵にされたことはなかった。
ちょっと新鮮で、面白いと思わなくもないけど、喜んで嫌われたい訳ではないので、困惑の気持ちの方が大きい。
「私闘の類は禁止だよ。松本さんに怒られちゃうし、やめとこうよ」
因みに現場は、刀柳館内のアホみたいに長い廊下の真ん中だ。
放課後とは言え、ちょっと早めに来たせいか人出はまばらで、今すぐに迷惑になる感じではないけど、普通に戦いを挑むような場所じゃない。
別に、ちょっとした手合わせくらいなら受けるのはやぶさかでないけど、こんなところで戦ったら館長の松本さんから怒られてしまう。
流石の私も、あの松本さんを怒らせるのは避けたい。
そう思って、穏便に済ませるべく提案したんだけど、真凛ちゃんは鼻で笑って一蹴する。
「お義父さんには許してもらってるわ!」
「ええええ!?」
いや、もう「ええええ!?」以外に言うことある?
既に許可をもらってるってのもツッコミどころだし、お父さん呼びなんてもっとツッコミすべきところだろう。
思わず顔を引きつらせて、そっと視線を斜め後ろへ向ける。
そこでは、同じような表情をした臣君が見えて、ちょっとホッとする。……ドン引いてるの私だけじゃなかった。
「貴女、気にくわないのよ! あたしの直に勝手に近付いて……このっ、売女!!」
「そういう単語どこで覚えて来るの!?」
いけませんわ! 小学生が口にして良い言葉じゃありませんわ!
思わずお嬢様言葉で返してしまいたくなる程度の衝撃を受ける。
真凛ちゃん家の教育はどうなっているんだろう。
「大体、何であたしが待っててあげてたっていうのに、全然来ないのよ! おかげで1か月以上ここに通う羽目になっちゃったじゃない!」
頬を膨らませて、プリプリと怒る姿は可愛いけれど、言ってる内容がおかしい。
え、私にお灸をすえる為だけに、1か月以上ココに通ってたの? マジで??
思わず目を点にする私を見た真凛ちゃんは、どう解釈したのか、勝ち誇ったような表情を浮かべてふんぞり返る。
「ふふん。貴女がどの程度強いか知らないけど、あたしはお義父さんから直接教えてもらってたの。負けを認めるなら許してあげても良いわよ!」
「そうなんだ! スゴイね!!」
反射的に、心の底からの賛辞を口にした。
いや、だって松本さんからの直接指導を1か月以上って……常人じゃ出来ないって、門下生の人たち皆が言ってることだ。
それを、こんなに愛らしいお嬢さんがこなしていただなんて……。
……いや、接待指導的な感じだったのかな? ちょっと見てみないと分かんないけど。
「つ、強がり言っても無駄なんだから!」
馬鹿にされたと思ったのか、カッと白い頬を真っ赤に染めて怒鳴る真凛ちゃん。
何だろう、とっても可愛い。思わずにへらと口元を緩めたら、もっと怒鳴られた。何故だろう。
あと加えて言っておくと、まったくもって強がりじゃない。
正直、今の私は階級も何気に結構上がってるし、その松本さんをして、「刀柳館の女の子で1番強いかも」と言わしめている。
1か月やそこら地獄の特訓を経たと言っても、痛い目をみることはないという自負がある。
……でも、チートじゃありませんけどね!! 双子のがチートだからね!!
「うーん……お嬢、どうします? 受けるんですか?」
「ええ? でもなぁ……松本さんに怒られたくないよね」
「それはイヤですね」
臣君も嫌みたいで、綺麗な顔をこれでもかと歪ませた。そりゃそうだ。
「その勝負って、オセロとかじゃダメなの?」
「ダメに決まってるでしょ! というか、オセロって何よ! 子どもの遊びじゃないのよ!」
「じゃあ棒倒し」
「何よそれ」
ジェネレーションギャップだろうか。棒倒し、知らないんだってさ。ちぇっ。
「あ、あー! いた!! 真凛ちゃん!」
それじゃあどうしようかなと頬をかいていると、ドタドタという足音が響いて来た。
何事だろうと思ったら、足音の主は松本さんだった。
相変わらず、教えるのは凄いのに、自分の足さばきとかは下手な人だ。
「あら、お義父さん。どうしたの?」
「いや、だから僕は君のお父さんじゃ……って、そんなことより、君瑞穂ちゃんに勝負を挑んでいたね?」
「ええ! この身の程知らずの女に、思い知らせてやるのよ! 誰が上かをね」
腰に手を当てて、偉そうに口角を上げる真凛ちゃんを見て、松本さんは思い切り溜息を吐く。ついでに、頭を抱えて俯いた。……可哀想に。
「……仕方ないな」
しばらくそのままの体勢で考え込んでいたらしい松本さんは、ややあって呟いた。次いで、私の方に視線を向けて、とっても見ている人の哀れみを誘う表情で、力なく言った。
「瑞穂ちゃん、すまないけど一戦だけ付き合ってもらえるかな?」
「え、寧ろ良いんですか?」
「うん。そうでもしないと、止まらなそうだから……」
松本さんの顔に、死相が見える。
もしかすると、空には見えちゃいけない星が輝いているのかもしれない。
私は、松本さんが良いんなら良いかと思って頷くと、剣道場の方へサクサク向かい扉を開いた。中には誰も居ない。丁度良い。
「じゃあ真凛ちゃん。こっちでやろう」
「なっ、何で貴女が仕切るのよ!!」
真凛ちゃんはプリプリ怒ってたけど、素直に部屋に入ってくれた。
それから、普通試合と言えばちゃんと服装を整えるんだけど、私は面倒だったので制服のまま竹刀を取った。
普段ならお叱りコースだけど、松本さんは口出しして来ないので、了承を得られたと判断する。……良い子の皆は、真似しちゃダメだよ!!
「良い? あたしが勝ったら、二度と直に近付かないでね!」
「あー、うんうん。私が勝ったら、二度と訳の分からない勝負は挑んで来ないでね」
「ふんっ」
これ、絶対言うこと聞かない奴だ。
そう思ったけど、まぁやることに変わりはない。
私は、力のない松本さんの開始の合図が出た直後、一気に勝負をつけた。
「はじめ」
「貴女がどんなに強くてもそう簡単には……えっ!?」
「はいはい、無駄口無駄口」
――スッパーン!!
軽やかな音を立てて、私の竹刀が良い感じに真凛ちゃんを打った。
物凄く力を抜いて、絶対打った跡が残らないように、かつ的確に意識を奪える一撃。
「うっ……」
真凛ちゃんは、微かな呻き声を上げるとその場に崩れ落ちた。
そのまま、ピクリとも動かなくなる。
どうやら、ちゃんと気絶させられたようだ。よしよし。
「……はー……。ごめんね、迷惑をかけてしまったね」
気絶した真凛ちゃんの様子を確認すると、松本さんはまた大仰な溜息をついた。
「先生、本当にこの子の指導してるんですか? 何か意外なんですけど」
「あー……うん、してるよ」
不意に、臣君がそんなことを尋ねると、松本さんは静かに頷いた。
何なら真凛ちゃんのウソという可能性も考えてたけど、どうやら本当らしい。
まぁ、竹刀を構えた時の姿勢とかで、そうだろうなとは思ってたけど、実際に本人の口からそうと聞くと、少しだけ驚いた。
「まぁ、筋は確かに良さそうでしたけど」
「そうだろう!?」
「っ!? は、はい」
何気ない臣君のひと言に、松本さんがグイッと激しい反応を見せた。
これも驚きの反応で、私たちはそろって目を瞬く。
「そうなんだよ。この子、色々と問題は多いけど、筋が良いんだ。教え甲斐があるって言うか……とにかく、強くしてあげたいって思ってね。問題は多いけど」
問題は多いって2回言ったよ。
どうやら、相当手を焼いているらしい。
「多分、これからも迷惑をかけると思うけど……出来たら、見守ってあげてくれないかな?」
「松本さんがそう言うなら、私は良いですよ」
「本当かい!?」
私の返答を聞くと、松本さんはとても嬉しそうに破顔した。
相当真凛ちゃん……の才能を気に入っているらしい。
「息子ともども、これからもよろしくね」
「はいっ!」
まぁ、面白おかしく生きる人生を望んでるんだから、こうして私を嫌う子がいるのは寧ろウェルカムだ。
人生、何かと障害がないと面白みに欠けるからね。
そう考えれば、なかなかに真凛ちゃんは良いスパイスになってくれる気しかしない。
「うーん……何だか、お嬢の悪いクセが出てる気が……」
「え、臣君何か言った?」
「いんや、何でもないですよ。どーぞ、お嬢の好きなよーにしてください」
「? うんっ」
この感覚が、間違いではないことを祈るばかりである。なんてねっ。