5.雨降って地に足が着く
本日の目覚ましは馬のいななき。外は微妙に白んできている程度でまだ早いようだ。
腕時計を見ると時間は午前4時04分。電波時刻補正機能付きだがこの世界では無意味。GPSもロランも無い、たぶん人工の電波なんか全く飛んでいない平和な環境だろう。
一昔前にテレビを賑わした某電磁波を嫌って彷徨う白服集団も安心な環境だよ。
もちろん、ワンセグ付きスマホ持ってても仕えない。持ってないけどさ。
蚊に刺された所をポリポリと掻きながら、寝乱れて意味を成していない腰のタオルを巻き直す。
隣に丸まって未だ眠る小動物も、危険物を放り出して寝ていた。外見に似合わず、完全な危険物だ。娘ちゃんには絶対に見せてはいけない。
蚊よけのポプリっぽいヤツをまた貸してくれなくなる。蚊は地味に辛い。
眠っている小動物を起こさないように、そっと起き出し井戸へと向かう。
くみ上げた水を数回かぶり、洗ったタオルで体を拭く。そしてそのまま移動し、厩裏に干してある服を取り着替えた。
タオルは再度綺麗に洗い、振り回して乾燥した後先ほどの所に干す。借り物は綺麗にして返さんとね。礼儀は大事。
そのまま汗を掻かない程度のストレッチを行っていると宿の方も動き始めたようで、声や音が聞こえてくる。
俺は、この朝の静けさの中に聞こえる生活音が結構好きだったりする。スズメとかの鳴き声がBGMで入ってくればなお最高。
ただ、夏場の蝉のBGMはノーサンキュー。あの高周波は早朝の風景には合わん。
…あれ、蝉いなくね? こっちに来てから蝉の声聞いてない気がする。まあ、魔獣なんてのがいるくらいだから、逆に居ないヤツがいてもおかしくないか。
そんなことを考えつつ、上半身だけ裸で木の枝にぶら下がって懸垂をしていると他の宿泊客が井戸へと来た。
20代の夫婦かカップだろうか、男性は二本に分解した槍を背負い、女性は魔法使い然とした杖を持っていた。
目が合ったので、懸垂状態のまま黙礼を送る。
男性は「うっす」と体育会系っぽく、女性は軽く左でを上げ振って返してくれた。二人は顔を洗うと宿へ帰っていった。
その後何名かのお客や宿の従業員達と挨拶を交わしてると、小動物改め止まる寸前のロボが壁につかまり立ちしながら歩いてきた。
関節という関節に油を差したくなるような、ギィギィギィィィって感じの動きだ。自分で起きてきただけでも偉い。
ボロロボはそのままつかまり立ちで厩裏へ回り、服を着替えたようだ。
途中「うをぉっ」という声が聞こえたのは、高い位置にある洗濯物を取る時延ばした背筋が悲鳴を上げたからかもしれない。
服を着て戻ってきたボロロボのストレッチをしていると、何人かの宿泊客が見物して笑っていた。見物料取ろうか。
娘ちゃんも来て、最初痛々しそうに眉をひそめて見ていたが、後半は指さして爆笑して帰って行った。今晩は蚊に怯える必要はなさそうだ。
そして、今日から当分続くルーチンワークの始まりだ。
朝、冒険者協会開館直後に協会へと行き、二ヶ所の依頼を受領。掃除道具を入手し駆け足で依頼者宅訪問×2。
休憩を挟み2ブロックを一気に終わらせる。依頼完了確認や道具の返還を済ませ、協会窓口へ。
俺が列んでいる間に基本ゾンビ状態の瞬を二階に行かせる。手続きが済んだら閉館時間一杯まで図書室で勉強。そして『魔獣のいななき亭』の厩で就寝。
その間食事は全て屋台もの。出来るだけ毎日違うメニューにし、そしてこの日から一日三食になった。
ドブ掃除四日目辺りから瞬もだいぶ身体がなれたようで、起き抜け直後以外は人間になれるようになった。
俺は三日目辺りから完全に筋肉痛は無くなった。筋肉貯金がまだ有効だったらしい。貯蓄は美学だね。金は貯まんねーけどさ。
この間、瞬は作業途中幾度となく、ドブをにらみ「うぅぅぅぅ」とうなることが多くなった。どうやらゴーレムを作ろうとしているようだ。
だが、残念ながらまだ成功してはいない。本人いわく「やり方は分かったけど、感覚的なモノだから…」とのこと。四苦八苦しているようだ。
俺の符術士の方は、一通り読んだ上で現在は、各紋章をノートに写す作業がメインとなっている。
なんせ、わずかでも間違っていたら起動しないらしいので、写し間違いが無いように何度も確認を取りつつなので遅々として進まない。
まあ、焦ったところで紙が無いのだからどうしようも無いからね。
天やら仏様やらに祈ったかいがあってか、俺たちがこの世界に落ちてから10日間にわたって雨が降らずにすんだ。
そして、毎日ドブ掃除が出来たおかげで、古着のボロとはいえ二人分の着替えを入手することが出来た。
おかげで、この日から娘ちゃんから石を投げなれずにすむようになった。うん、こんな嬉しいことはない。
この着替えを購入した時点で、宿のおばちゃんにしばらく(たぶん1~2ヶ月)厩を使わせてもらえるように頼んだ。(一応、長期馬小屋使用の条件として、早朝に馬小屋の掃除や馬の世話を一部することになった。)
なんせ、色々購入しなくてはならないモノが次々に出てきて、とてもではないが雑魚寝とは言え宿に泊まる余裕など無かったから。
貧乏は悲しすぎる。
瞬的転移ファンタジー小説知識だと、普通は俺Tueeeして金に困ることは無かったり、チートなしでも薬草採取で飯食って一人部屋の宿に泊まれる金額を稼げるのが普通だとか。
いや、まあ薬草手に入ればそこそこの金にはなるんだろうけどさ、アレは無理でしょう。死ななかった自分を褒めちぎっても良いぐらいだよアレ。
アレがいるんだよ。レベル1~3程度でどないせ~っつうねん。ソアラさんいわく、レベル10クラスのパーティーでも時々帰りがけに油断してるところを襲われて半壊することが結構あるとか…
少なく見積もっても、俺がある程度の数の符を入手し、瞬がゴーレムをある程度戦闘可能レベルで扱えるようになるまでは絶・対・外出ない。
ええ、引きこもりますよ。徹底的に。担任どころか学年主任果ては教頭が来るまで引きこもる学生並みに引きこもりますとも。安全第一、街中お使いクエストサイコー、ですよ。
とにかくRPGで言うところの、城周りでレベル20ぐらいまで上げてから隣町行く感じで。
つまり、現実的な今後の予定は、以下の6項目となる。
① 街中のクエストでコツコツと資金を手に入れる。
② 入手した資金で最低限の武器(短剣)、防具(皮鎧・皮手甲・皮靴)を購入。
③ 瞬はゴーレムを戦等使用できるレベルで使用できるように鍛える。
④ 俺は最低限の紙作成器具を入手し、材料を依頼で入手後作成を実行。最低各10枚を作成。
⑤ 協会の図書室で周辺魔獣のリストを調べ、特性・弱点・売却可能部位等を頭にたたき込む。
⑥ 入手した武器である程度訓練を行い、最低限扱えるようになる。
最大のネックは①だ。かなりの金額が必要になる。先は長いけど、真っ暗では無い。光明は見えている。必要なのは時と忍耐。
金のない間には、金がなくても出来ることをやっおかないとね。③と⑤とあと、木の棒とかで仮にで有れば⑥も可能だし。
とにかく今はコツコツコツコツコツコツ……やっていくだけだ。
この世界に来て11日目、昨晩から降り始めた雨が降り続いていた。お休みである。
実際は雨の日にも出来る室内クエストがあるらしいのだが、数が少ないところに早い者勝ちで取られるので先ず受けられないらしい。
俺たちは午前中に少し厩の掃除を手伝い、その後瞬は厩でゴーレムの練習、俺は冒険者協会の図書室で魔獣の勉強にいそしんだ。
それなりに知識が手に入ったと思う。何より、あのムカデがヘルメットごときでひるんだ理由も分かった。
どうやら、顔の前で蠢いていた触覚が弱点らしい。触覚に打撃を与えると一時的に動きを阻害できるとのこと。ただ、切っては意味が無いらしく、あくまでも打撃・衝撃が必要らしい。
案外、触覚自体より根元の奥(頭部内)に何らかのポイントがあるのかもしれない。触覚を通した振動が頭部内のそこに伝わり…的な。ま、想像ね。
あと、やっと『符術士読本(上巻)』に描かれた符の紋章を全て書き写し終わった。何度も確認して見比べたのでミスは無いはず。
読本上では『紋章』と記されているけど、まあ、魔方陣って言っても良いんじゃないかな?
いわゆる魔方陣と違って円をベースにしていなく、長方形の上下の辺に緩い弧の円を付けた兵隊のドッグタグとか、小判型といえるモノがベースになっている。
その中に複数の直線・曲線・図形が有り、それを大多数は自分の血と魔石の粉末を混ぜたモノで描き、それ以外に二種類から三種類の植物抽出液・鉱物粉末で細かな書き込みを入れ事で作成する。
そんな複雑怪奇な紋章なので、三色ボールペンが非常に役立ってくれた。文明の利器に感謝。
その日は魔獣資料集を覚えることをメインとしつつ、頭が疲れた時には休憩をかねて図書館内の本棚に有る本を物色して過ごしたのだが、『薬物合成の奨め』なる本を発見したのは僥倖だったと思う。
この本の印象は『理科の実験図解』っぽいと言えばたいていの人には想像できると思う。
実際中を読んでみると、回復薬の作成、上級回復薬の作成、神経毒系解毒薬の作製、腐食毒系解毒薬の作成と言う四つの市販薬の作成方法が具体的に図解入りで書かれていた。器具とこの本があれば多少の失敗は当然としても、俺でも作れそうと思える。
まあ、器具が理科室レベルなんでとても買えないから実質無理なんだけど、それはそれとして回復薬の作成途中に書かれた注訳文が目を引いた。
それは『この段階の溶液は、完成品の効果の五分の一程しか無い』というモノだった。つまり、逆説的この段階で市販回復薬の五分の一の効果がある薬となると言うことだ。
市販回復薬は高い。この10日ほどの間に一通りは冒険者必須アイテムの価格は調べた。だから知っている。一本200ダリ。
この10日間で俺たちが稼いだ合計は100ダリを超える程度…買えるかぁぁ。たぶん、郊外向けのクエストを受け始めて収入が増えても安いと思える金額では無いと思う。
食事価格換算で4万円…どこの未認可薬品だよと…。
だから、五分の一の効果とは言え原料+鍋+薪+すり鉢程度で作れるとしたらアリなのでは無いだろうか。
たぶん致命的な傷には効果は薄いと思うが、ある程度の傷には時間を掛ければ十分な効果があると思う。また、安さからちょっとしたケガでも気兼ねなく使用できて結果として安全につながる可能性もある。
俺はその記述をノートに写した。とは言え、写す程のことも無いんだよ。ホント。
簡単に書いてみると。
① 乾燥させたセイレン草の根以外を少量の水と共に液状になるまですりおろす。
② すりおろした溶液を目の細かいふるいもしくは清潔な布で濾す。
③ 濾過後の溶液を沸騰させない温度で半日加熱し、それを密閉して暗所にて10日間静置する。
④ 溶液をかき混ぜないように下部沈殿物と分ける。
⑤ 上部溶液が件の五分の一回復薬となる。
これだけだ、こけだけで出来る。たぶん素人でも温度さえ気をつければ問題ないはず。
ただ、別所に書かれていた注訳からすると問題もあるようだ。
注訳には『ここまでの溶剤は不純物を含む関係で劣化が発生するので、この状態で二ヶ月以上放置してはならない』と有る。
つまり、この五分の一回復薬は使用期間が二ヶ月ほどしか無いと思われる訳だ。
だが十分だろう。通常使用なら二ヶ月有れば十分すぎるくらいだ。後は日付管理だけすれば問題ない。うん、郊外へ出れるようになったらやってみよう。
ちなみに、この後の正式な回復薬の作成は、件の溶液に有効成分が溶け込みやすい溶媒を投入し一日攪拌する。
攪拌された溶液を半日静置し、上部溶液を抜き出し破棄する。(この場合は分離した上部を吸い出す方法と、下部から目的溶液を抜き出す方法の二つが書かれていた)
目的溶剤を蒸留装置へと移し、指定温度で加熱し目的物を抽出する。この抽出物が市販の回復薬となる。
更に蛇足だが、蒸留された抽出物(市販回復薬)に二等級以上の魔石を微細な粉末にしたモノを加え、三日間攪拌し濾過、それを精留装置でミスリルを触媒として精留したモノが上級回復薬になるとのこと。
すっげーな、こんだけやるから高いんだ、しょうがない、とか思ったんだが、最後の頁の作者の感想欄にこう書かれていた。
『現在はこのような手間を掛けず、錬金術師によって簡単に作成される物ではあるが、錬金術はあくまでも作成の過程を省略する技術であり、その過程を知らねば作ることは出来ない。そして何よりこの手作業による薬物作成でしか新たなモノは作り出すことは出来ないのだ』と。
『簡単に作成』て書いてあるよ、おい。俺の感動と納得を返してくれ。全く。
あ、そうそう、忘れてた。
『魔石』について説明してなかったのでここで説明しよう。
魔石は魔獣の体内に生成される魔力の結晶体で、体内に魔石を生成する生物を『魔獣』と呼ぶ。
昔は魔石が魔獣の核だと考えられ、魔石を壊すなり取り出すなりすればその魔獣は死ぬと考えられていた、しかし後に外科手術的に綺麗に取り出せば死亡することはなく、更にある程度の期間を経れば再度体内に魔石が生成されることが発見された。
過去の魔石を取ったり壊したことで魔獣が死んだのは、単に魔石が体内の重要気管に隣接していることが多い為、その際この重要気管を傷つけ死亡に至っただけと分かった。
まあ、人間で考えれば、心臓側に魔石があって剣をさして魔石を壊せば当然心臓も傷つくし、肋骨切り開いて心臓側に手を突っ込んで魔石取れば普通に死ぬでしょ。
次に人間の目的上の分類で、魔石を品質で区分し、5等級から1等級に指定している。無論5等級が一番品質が下で1等級が最高品質となる。
この等級は『品質区分』であり、大きさは考慮されない。
魔石における品質とは、内部の魔力を一度に放出または吸収出来る量で定めている。量が多いほど等級が上となる。
また、魔石における分類に大きさを基準とするモノもある。ただ、こちらは単純に直径で表し、求める際も『○○から△△の大きさの間の』と言って実測的な物で大きさを使用している。
この魔石における大きさは『魔力を保有できる量』を表し、大きいほど魔力をたくさん保有できることになる。
つまり1等級でかつ大きいモノが一番価格が高くなる。以上解説終わり。
その後色々微妙な気持ちで会館を後にした。
図書室にいる間に雨は完全に上がったようで、路面の状態からやんでからそこそこ時間が経っていることが分かった。
そのせいか、普段ほどではないが屋台もチラホラと出ていた。昼飯を結局食ってなかったので結構腹が訴えてきたが、晩飯までもう少しだからあきらめた。
晩飯用として厚いお好み焼き風の焼き物を三枚買った。一人一枚半なら十分だろう。
そして、『魔獣のいななき亭』の厩前に着いたのは、腕時計時間午後5時40分だったのだが、そこにはゴーレムがいた。
ゴーレムは身長1メートルほどで、ズングリムックリ体型をしており、顔部分は雪だるまアレだった。
ゴーレムは俺に向かって両手を上に上げ『ガオォォォ』という声を出すような胸を反らすポーズ取った。あれだ、28なヤツのポーズ。ビルやら高速道路に向かって吠えるヤツ。
「瞬、出来るようになったんだな」
厩の中に声を掛けると、瞬はどや顔で出てきて、スバンと言う勢いで右手でVサインを出した。その次の瞬間どや顔がムンクのアレに変わる。
理由はVサインを出した瞬間、ゴーレムが崩れて土の山に戻ったからだ。
どうやら、魔術的パスが切れたようだ。以前ソアラさんより聞いていた事だったので直ぐに分かった。
『直接制御は、魔力のパスが一瞬でも切れれば素材によってはその型を維持できず崩壊する』ってヤツだ。
サンドゴーレムなので、型を魔力で維持している関係で切れると砂に戻る訳だ。これがロックゴーレムとかなると、逆に魔力で可動部を変形させて動かしているので、魔力が切れても形は維持されるそうだ。
Vサインなんかするから…アレで意識がぶれてパスを切らしたらしい。しかも、現状再度ゴーレムを形成出来る魔力は無いとのこと。
ゴーレムは作成時に最も多くの魔力を使うが、維持する際はさほど消費しない。だから「もうチョット遊びたかったのに~ぃぃぃ」と泣くことになる。
そしてその直後、ゴーレム作成時に出来た穴を娘ちゃんに見つかり、プリプリ怒られ二人で埋め戻した。
その後、お好み焼きもどきと『魔獣のいななき亭』で分けてもらった豚汁っぽいスープを食べつつ瞬の成果を二人で祝った。
「やっと、やっとだよ、これでやっとスタートラインに立てたような気がするよ」
瞬の言いたいことは俺にも分かった。
この異世界らしき所に来て、10日以上経過したがやってたことは『ドブ掃除』だけ。異世界もへったくれも無い。
だから元の世界に無いこの世界独特の力を使えるようになって初めて異世界を実感したのだろう。 そして、やっと地に足が着いた訳だ。
「俺も早くスタートラインに立たなきゃなぁ、でも俺の場合はまだまだ先が長そうだよ」
俺の場合は金銭的に対処するか、危険を冒して素材を求めなければ準備すら出来ない。全く。最不遇職はダテじゃない。ホント。
「えっへへぇー、はじめさんも頑張ってねぇー」
言い方が腹が立ったので、スコーピオン・デス・ロックとフィギュア・フォー・レッグロックを掛けてやった。
悪に栄えた例なし。成敗。
カルマ値に変化はないはず、絶対。