壊れた世界のアンドロイド
ある博士が、一人のアンドロイドを作った。
その博士は特に理学工学の分野では大変な権威で、彼はその生涯を研究と発明に費やし続けてきた。研究を糧にする一方で恋愛沙汰に興味を示すことはなく、彼は何歳になっても独り身のままだった。
彼が定年を迎える頃には親も亡くなり、兄弟姉妹のいない彼は本当に孤独となった。
彼はその状況を嘆くこともなく、むしろ『一人の方が気兼ねなく過ごせる』と口癖のように言っていた。
しかし歳をとり、体調の優れない日が続くと彼は身の回りの世話をしてくれる存在を欲した。
博士であった彼の貯蓄は相当なもので、使用人を雇うようなことも容易だ。しかし他人を我が家に招き入れるならまだしも、住み込み同然で居すわらせることを彼は良しとしていなかった。
そこで作られたのが、メイドを模した一人の女性型アンドロイドだった。
それは傍から見れば人間と見まごうほどに精巧なもので、博士を訪れる客人も、博士が使用人を雇ったのだと勘違いをするほどだった。
彼女は多様な命令を聞き入れ、博士の生活を豊かにしていった。日中の洗濯や掃除も彼女の仕事。また彼女は、命令を聞かずとも気配りができるように設計されていた。日々の食事も彼女にかかれば、数日の献立から博士に足りない栄養素を計算して調理をしてくれるほどだ。博士の肩が凝れば、彼の立ち振る舞いからそれを察知してマッサージをした。博士の喉の調子が悪ければ、それを音声で認知して風邪薬を用意した。
彼女は、感情を有していないという点を除けば完璧だった。
そんな彼女に、さすがの博士も少しずつ愛着が湧くようになっていった。
初めは命令以外で口を開くことがなかった博士も、次第に彼女と話すようになった。あいさつやお礼を告げることから始まり、雑談をするようにもなった。博士が出かけるときには、彼女に帰りを待っているように伝えた。
当初は名前などなかった彼女に博士が名前をつけたのは、それだけ博士の中で彼女の存在が大きくなっていた証拠だった。
「いつも一人にしてしまってすまない。必ず帰るから待っていてくれ」
その日も博士は、彼女にいつもと同じように言葉をかけ、家を出た。
違ったところは、外出中に発作を起こした博士は家に帰ってこなかったことだった。
男は、廃墟となった町を一人で歩いていた。
辺り一帯に人の気配はない。それどころか世界中に、彼以外の人間の気配はなかった。
――世界は、少し前に滅亡してしまった。
戦争や自然災害。小さな要因はいくらもあったが、最たる原因は未知の感染症だった。
理不尽に拡散する病気を前に、人間は成す術もなく一人、また一人と倒れていった。
果てに生き残った生物は『不死身』という体質をもって生まれた男一人だった。
病気でどれほど苦しもうが、戦争で何度体を裂かれようが、災害で未曽有の危機に見舞われようが、結論として彼が死ぬことはなかった。
どうあがいても、男は命の灯を消すことができない。彼は自分の体質を呪いながら日々を過ごしていた。
男は今日も変わらずに、荒廃した町を徘徊する。
それは意味のある行為ではない。そんなことは男自身も理解している。
彼はもう、荒んだ世界に新しい発見など期待していなかった。
だからこそ――
「こんにちは」
だからこそ、その日の邂逅は奇跡に等しかった。
男は声のした方へ顔を向ける。
そこにあったのは、周囲と同じような、何の変哲もない廃屋。屋根も壁も失っており、もとは住宅であったのだろうが今ではその影もない。
そんな廃屋の中に、メイド服を着た一人の女性が立っていた。
美しい顔立ちだが、表情というものが見受けられない。どこか機械的な女性だった。
彼女が先程の声の主とみて間違いないようだ。
「……驚いた。こんなところに生きてる人間がいたとはな」
言葉通りに顔を驚嘆の色に染めながら、男は言った。数年ぶりに人と会うことができたからか、その口元は嬉しそうにつり上がっている。
しかし次の言葉は、男の表情を困惑で染め直すのに十分だっだ。
「いいえ、私は人間ではありません」
「……は?」
「私は家政婦型アンドロイド試験体001。主人からは『ミライ』という名で呼ばれております」
「……アンドロイド?」
言われてみると、彼女の肌や目や髪は、人間のそれとは微妙に質感の違うものだった。 そうか。ただの人間が生き残ってるわけないよな。
男は一瞬でも希望を持った自分の浅はかさに呆れ、小さくため息をついた。
しかしこれほどまでに精巧なアンドロイドがあったのかと、それはそれで驚いていた。
「ところで、そのアンドロイドさんはこんなところで何をしてるんだ?」
「私は主人である博士の帰りを待っているのです」
「は?」
男がこんな素っ頓狂な声を出すのも、今日でもう二回目だった。
「私は博士に『必ず帰るから待っていてくれ』と命令されました」
「その博士というのもアンドロイド……なわけないよな」
「はい、主人は人間です」
「そりゃそうだよな」
だとしたら、その博士とやらはすでに死んでいる。自分のように不死の体質でもなければ、こんな滅亡した世界で生き残っているはずがない。
このアンドロイドは、帰ることのない主人をずっと待ち続けているのだ。
「ちなみに、最後に博士と会ったのはどれくらい前だ?」
「七百年ほど前になります」
「いや、そりゃ生きてるわけねぇだろ」
世界滅亡がどうこうじゃない。それ以前、人間がそんなに長生きできるわけがない。
「そんなに待ってて、あんたは辛くないのか?」
「『辛い』という感情は持ち合わせておりません。私はただ、主人より課せられた命令を果たすだけです」
「……言わせてもらうが、その博士とやらはもう確実に死んでいるぞ」
「しかし、命令ですので仕方がありません」
会話が成り立っていない。
ミライのことを素直といえば聞こえはいいが、彼女はただ機械的で、融通が利かないだけだ。
このアンドロイドは『待っていてくれ』という命令をただただ守り続けている。
決して帰ってくることのない主人を、何年も、何十年も、何世紀も待っている。
気の遠くなるような年月を、ずっと、ずっと。
それは他人がどう口出ししたところで変わらず、彼女はこれから先も主人のことを永遠に待ち続けるのだ。
ミライは、孤独なのだ。――男と同じように。
家族や友人、他人でさえも死んでいく中で、男だけは死ななかった。
それは神の加護でもなんでもなく、ただの呪いだ。
むしろ本当に神がいるのなら、なぜ自分に不死身などという体質を授けたか、殴り倒してでも問い詰めたい。
何度も自殺を試みた。刺殺、斬殺、撲殺射殺毒殺絞殺……。
どんな方法を試したところで男は命を絶てない。
彼にとってはそんな自殺の痛みよりも、一人だけで生きていく世界のほうが、拷問だ。
男は、死なない。
死なないし、死ねない。
だからこそ、生き延びることの辛さは嫌というほど知っていた。
感情を持たずに平然と生き続けるミライを欠片でもかわいそうだと思わせたのは、そんな主観が入り混じったせいだった。
しかしそれ以上に、
――彼はミライのことを気に入らなかった。
「……バッカじゃねぇの?」
男は不満を吐き捨て、懐から銃を取り出す。
素早く装填すると、銃口をミライの胸部に向け、その引き金を引いた。
閑散とした廃墟に轟音が響き渡る。ミライの胸部には直径九ミリメートルほどの風穴があいていた。
銃は、どこかの死体が所持していたのを拾ったもの。持ち主の顔など覚えていない。
長い間、暇つぶしとして実弾での射的練習をしていた男の腕は相当なものだ。弾丸はミライの、人間であれば心臓にあたる部分を正確に打ち抜いていた。
「なにを、なさるのですか?」
銃によってミライにあいた穴からは、バチバチと火花が散っている。しかし聞こえる声は正常で、彼女の機能が停止した様子はない。人間のように心臓が弱点というわけではないようだ。
となると、他に機能の中枢になりそうなところは――
考え、男は銃の照準を上部へずらした。
――ヘッドショット。
人間にあたる脳の部分が、易々と破壊される。
「おやめ……くだ……さ、イ……――」
聞こえる音声にはノイズが混じり始め、それが途切れると、ミライは動かなくなった。
ミライは、アンドロイドだ。いくら年月を越えても死なない。
だが死なないだけで、死ねない――壊れないわけではない。
男は、死ねるにも関わらず意味もなく生き続けているミライのことが、何より気に入らなかった。
だから彼がミライへと銃弾を放った理由は、決して同情からの優しさなどではない。
ただのエゴだ。
「まあ、せいぜい天国で博士と再会すればいいさ」
男は銃を懐のポケットにしまい、機能の停止したアンドロイドを置いて歩きだした。
――生かしておけば孤独を紛らわすための話し相手にでもなっただろうに、無駄にしてしまったな。
そう頭の片隅に思いながらも、彼女を殺したことに後悔はなかった。
男は、再び徘徊を始める。
――荒廃した世界にも、今回のような面白い出来事がまだあるのかもしれない。
そう思うと、無意味な旅にも少しは期待ができる。
男の足取りは、最初よりもどこか軽くなっていた。