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僕は今日も、鍵で扉を開ける。  作者: ささかま。
第3章 彼女は扉も鍵も知っているが、その先を知らない。
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88、泣き顔と師弟

お題:100の大学 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=237907)を加筆修正したものです。

 呼んでくれて、



 向かい側には今にも人を殺してしまいそうな女が一人座っていた。目は虚ろに見えたが、コップの中の揺れる水面を見つめるそれは危険な光を放っているようにも見える。


「……」


 正直、そんな彼女に何を言えば良いのかなんて分からなかった。

 事情は青司さんから聞いて、ある程度は把握しているが、それにしたって至って断片的な情報に過ぎない。

 今回の全知の魔女受け渡しは本来、お茶会日本支部のメンバーである青司さんとその部下が行う予定だったのだが、そこを少し根回ししてもらってこうして本屋と対面することを許可してもらっている。実際、ついてくると思っていた監視もない。


 彼女は……本屋は、彼女が出国する前とはあまり変わった様子もない。

 それはそれで、喜ばしいことなのかもしれないが、僕にはそれが異常に見えてならなかった。

 果たして、親しい友人を亡くした人間がここまで平常の状態でいられるものなのだろうかと。


 考えをまとめる前に、結局しびれを切らしたのか彼女が口火を切った。


「何暗い顔しているんだかね。せっかく帰ってきたって言うのに“おかえりなさい”の一言もないの、弟子よ?」

「……」


 声は至って軽々しく、まるで世間話でもするような気軽な言い草ではあった。しかし、そこにうすら寒さを覚える。

 不思議だった。本屋の声が胸に刺さって、応えようとした声が詰まった。呼吸もまともにできなくなりそうで。色んなものがない交ぜになって流れこんできてどうしようもなかった。


「帰ってきていないだろ、貴女は」


 やっと言葉を発せたかと思えばそんなことを僕は口走っていた。口にしてやっと自分の感じたものを実感する。

 そうだ。彼女はまだここに帰ってこれていないのだ。

 確かにここに彼女はいるが、心ここにあらずと言ったところで、ならば心はどこにあるのかと言えばきっと彼女の友人の元にいるのだろう。すべては僕の予測にすぎないけれど、大幅に外れていない確信もある。


「何言ってるの!きみの目の前に私はいるじゃない!」


 荒唐無稽なことを言っているのは分かっていた。きっとそんな風に本屋が返答するであろうことも分かっていた。分かっていて、その通りの返答がかえってくるのが、ただ悲しかった。

 僕は彼女が笑みを浮かべているのを見る。本屋の目の前ではコップの水面が揺れていた。コップについていた水滴がその揺れで落ちていくのを見届けて、


「いや……今にも人を殺してしまいそうな顔している貴女が、帰ってきているなんて言われて騙されるほど僕は馬鹿じゃない」


 耐え切れずにそんなことを言ってしまった。

 彼女の笑いが若干崩れた。微笑みを浮かべるのをやめてほしくて、僕は自分であのように発言したのに本当に微笑みが消えたことで動揺してしまったのだ。

 動揺したが、ここで引っ込むわけにもいかなかった。僕はそのまま続けた。


「それに、親しい人が亡くなったっていうのにそんな軽口を叩こうとするような人じゃないはずだ、貴女は」

「……あらら、勝手にそんな風に言って。きみに私の何を知っているっていうの?」


 懸命に軽口を叩くその声がまた刺さる。僕は知らない。本屋、白崎灰子をそこまで深く知っているわけではない。僕の師匠であり、先生である彼女を僕は。彼女のように全知ではない僕は、事実から推し量ることでしか他人の心を理解することはできないのだ。


「僕は全知じゃないから、貴女みたいになんでもは知らない。貴女と過ごした時間はまだ本当に少ない。けれど、少なくとも僕は貴女が親しい人のためなら手段を選ばない人だってことは知っている。そして、手段を選ばずにその仇を取るだろうということも知っている」

 

 本屋の顔がとうとう困惑するように歪んだ。

 口の中が乾いてきたが、水を飲む余裕はなかった。カラカラの口で、それでも息を整えながら僕は言う。


「貴女は何でも知ることができるから、その場で最善の方法を取ろうとするだろう。でも君の知っていることで、すべてを解決できるなんてことはないはずだ。だから、きっとあの時こうしていればああしていればって、後から後悔することも多いだろう。だけど、言っておく。何もかも君のせいとは限らないんだ」


 この言葉が彼女を救えるだろうか。

 この言葉で彼女を救えるだろうか。

 こんな思いは僕自身のエゴでしかないが、それでも今は良かった。

 彼女が救えるなら何でも良かった。


 彼女の表情を見て、自分はどんな表情をしているだろうとふと思う。今にも泣きそうな顔をしているだろうか。実際、涙腺は相当緩まっていると自覚している。僕が泣いたところで彼女の重荷は消えはしないというのに。


「私は、」


 本屋は、一体何を思っているのだろうか。冷静に分析するような心の余裕さえない。僕は焦っていた。どうしようもなく急いているが、彼女の話をそれでも聞くしかなかった。


「私は、知りたくないことを知って後悔するという段階は通り越しているの。だからきみの考えはハズレ。とっくの昔に、知りたくないことを知らないでやり過ごして逃げ出すということを、もう私は知っている。友人が死んだところで、その感情をちゃんと処理する方法も知っている。私は全知の魔女だから。ね?だから、平気なのよ」


 ああ、何でそんな風に……。


「平気とかいう話じゃないだろう、白崎灰子!!」


 振りかぶった平手が柔い頬打ったと気付いたときには遅かった。

 掌にじんとした痛みが遅れてやってくる。彼女は頬を押さえていたが指の隙間から見えたそこはほんのり赤く腫れていた。

 やってしまった。血が上ってしまった頭の片隅で、辛うじて思ったのはそんなことだった。そう思ったところでもう口は止まらなかった。


「そんなこと覚えている人がそんな顔してそんな声を出すわけないだろうが。貴女は何でも知っているだろうが、自分のことは何にも知らないんだな。自分の胸に手を当てて訊いてみろ。そしたらそんなバカみたいな台詞吐けなくなるはずだ。貴女はそこまで器用じゃないだろう。貴女はそこまで薄情じゃないだろう。僕はそういう白崎灰子を知っている。だから、貴女の力になりたいと思っている。無茶をするなと言っても聞かないだろうから、せめてこれだけは言っておく。無茶をするなら僕も巻き込め。頼むから、」


 頼むから、ひとりでどこかへ行かないでくれ。


 言い切って、やっと自分が泣いてしまっているのに気付いた。恰好がつかないとかそんなことを今更思いはしなかった。服の袖で乱暴に涙を拭う。

 


「……た……ぇて」


 微かな声がして顔をあげる。目の前には、涙を流す華奢な女性が座っていた。


「お願いっ……――――。私は、災厄の魔女を、殺したい……」


 そして、もう彼女は我慢をしなかった。辛うじて掌で口を押えて嗚咽をこらえているが、涙は止められないようだった。

 溜まっていたものが、決壊したかのように彼女は泣き続けた。眼鏡を外して、両手で顔を押さえている。



 こんな時だからだろうか。僕は本屋と出会えた奇跡に感謝した。

 日本国内だけで何百もの大学があるというのに、同じとき同じ場所で彼女は大学教授として勤め、僕は学生として在学している。彼女は僕の師匠になって、僕は彼女の弟子になった。そんな奇跡が嬉しかった。

 彼女の支えになることができるのが、心から嬉しかった。





 ありがとう。


fin.

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