6、自由と誇り
お題:オチは雑踏 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=187581)を加筆修正したものです。
埃を被った誇りはこりごり。
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オレのゴシュジンサマは、世の中の全てを憎んでいるんじゃないかと思ってしまうほど常に周囲に氷のような眼差しを向けていた。
何もかも信用していない、何もかもに対して閉じている、そんな女だ。
しかし、それと同時にこの女は大変優秀な魔女でもあった。今どき、魔法使いやら魔女やら名乗るような奴はめっきり減ってしまったが、この女は自分が魔女たる存在であるということを誇りにしていたのである。
その誇りのせいだろうか。彼女の使い魔たるオレは、彼女の書斎の一角に常に閉じ込められていた。必要な時に色んな場所に無理矢理呼び出され、やりたくもない魔術の手伝いをやらされるのが唯一そこから出ることのできる機会だった。
傍から見れば、この女の誇りと言うのは、それこそ埃を被った魔術書のような、それこそ語りつくされた童話のようなつまらないものだった。
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だから、オレは逃げ出した。いつまでもこんな場所に閉じ込められているつもりはなかった。
もちろん、逃げ出すのは簡単ではなかった。いや、簡単ではなかったどころか、ほとんど奇跡のようなものだった。
普段、オレを書斎に縛っている魔方陣が突然乱れたのである。あの女は自分の魔法に誇りを持っているから、魔方陣が乱れるなんてのは余程の事だ。乱れた魔方陣から、オレはあの女の感情を感じ取った。
あの女が、あの凍り付くほど冷たい女が、烈火のごとく怒っていたのである。
何に対して怒っていたのかは分からなかったが、この好機を逃す手はなかった。オレは積み重なった書籍の上に飛び乗ると、窓から外へ飛び出した。
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あの女がオレに対してどう思っていたのかは知らない。それについて、オレは全く興味はない。
しかし、少なくともあの女はオレが逃げた場合のことも一応は見越していたらしい。
あの書斎から離れるごとに、オレは自分の体から力が抜けていくのを感じていた。そしてその原因が、いつもあの女に食わされていた餌のせいだと悟った。大方、餌に自分の呪いでも練り込んで細工をしていたのだろう。
外は数週間前から雪が降り続いており、体温も段々下がっていくようだった。足はふらつき、一歩進むごとに体は重くなっていく。
何とか書斎のある深い森を抜けたときには、オレの体力はほとんど尽きていた。しかし、何故だか、オレは一種の清々しさを感じていた。ここで倒れても悔いはない。いや、まったくないと言ったら嘘になるが、それでも。
オレは気を失った。
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カミサマなんてものがいるとしたら、気まぐれもいいところだ。
何の因果か、オレは再び目を覚ました。しかも、もともといた書斎から遠く遠く離れた極東の島国で、だ。オレは拾われたのだ。
満身創痍のオレを看病したのは、何の力も持たないガキだった。オレはタオルで包まれ、寝かせられた。書斎の堅い本の上よりは、段違いに寝心地が良かった。
ガキは毎日学校に行っているようだったが、朝と放課後に必ずオレのところに来て食べ物や水を置いていった。しかし、残念ながら口にするだけの体力もない。意識を保つのが精いっぱいだ。
ガキがいないときに声を出せるかどうか試そうとしたが、それすらも無理だった。体力のせいもあったが、餌に混ざっていた呪いのせいもあるようだ。鳴き声も言葉も出ない。
「助けるよ!お前のことはオレが助ける!!」
薄目を開けてガキを見ると、ガキはいつも泣いていた。涙を流していた。
何でだろう。水ってもんは冷たいはずなのに、力ない舌でガキの涙を舐めとると、熱かった。
なんて優しくて、なんてバカな人間なんだろうか。
何でだろうな。こんな畜生の為に、一度は死さえも覚悟したこんな猫にどうして。
※
ある日、ガキが妙な男を連れてきた。
「鳴いてみろ」
男はオレを抱き上げるなりそう言ったが、オレは男を睨むことしかできない。
男はオレが声を出せないと分かると物凄く困った顔をした。
「コイツに名前はありますか?」
「ない。あった方が良いのか?」
「あった方がありがたいが、ないなら良いです」
そういえばあの女にもこのガキにも名前を貰わなかったな、とふと思う。あの女からしてみれば、オレに名前をつける必要性を全く感じなかったに違いない。
「名前はない方が良いと思う」
ガキは呟いた。地面の段ボールを、つま先でゴリゴリ削っている。 男は訝しげにガキに尋ねる。
「どうして?」
「だってコイツが元気になったとき、別れるのがツラいから」
「飼ってやれば良いのでは?」
「ここじゃ狭いしさ。うちはマンションだから飼えない」
閉じ込めたらかわいそうだから、とガキは言う。男が神妙な顔をしているのをオレは見た。
閉じ込められるのは、嫌だったからオレは逃げ出した。あのつまらない女の誇りに埋もれていくのが性に合わなかったから。
「にゃー」
オレは声を上げた。
男は、オレに
「ああ、鳴きましたね」
と言った。
※
「どうして僕について来る?」
その男は、できそこないの魔法使いは、鉄パイプを片手で弄びながら言った。鉄パイプは今回の依頼のお代として、あのガキから受け取ったものだ。オレは男の肩の上に乗っている。
「オレからも何かお代をくれてやるべきだと思ってなあ」
「世界に閉じ込められた終身刑のお礼ってことだとしたら、君は随分とマゾヒストだな」
「そうかもしれないなあ」
オレは自嘲する。あの埃まみれな誇りまみれの女にずっと縛られていることに甘んじていたのだ。男の言うことには一理ある。
「生憎、使い魔は持たない主義なんだ。誰だか知らないが元の主人の元に帰るか、あの男の子の言うとおりにすることだな」
男は言った。
あの女の元に帰る気はもちろんない。となれば、選択肢は一つだった。あのガキが最後に言った言葉を思い出す。
「自由に暮らせよ。元気でな」
オレは、男の肩から飛び降り雑踏の中へ踏み出した。
※
埃を被った誇りはこりごり。
自由を誇るオレにとっては、な。
fin