76、声とノイズ
お題:暑い罪人 必須要素:桃太郎のストーリーを自分流にアレンジ 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=224007)を加筆修正したものです。
その行動力に、
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姉さんとの電話を終えて外を見ると、夕日がちょうど部屋に差し込んでいた。あまりに眩しいのでカーテンを閉めた。室内灯に切り替えつつ、俺は携帯電話を近くのクッションの上に放り投げた。そして、丸テーブルの上に乗った未開封のマドレーヌの詰め合わせを見る。
昨日いきなり訪れた青年は“姉さんの紹介で来た”と言っていて、その時点でもう嫌な予感しかしていなかった。頭の中で瞬間的に反芻したのは、お詫びの言葉と台所に積んである菓子折りのストック数だった。
しかし、結果として菓子折りは一つ増えてしまった。こちらは師匠になるのも菓子折りを受け取るのも固辞したのだが、どこか真面目なあの青年はそれでも無理矢理置いていったのである。当たり障りのない、有名な菓子店のものだ。
「青年だなんて。アオくんとはほとんど同い年みたいなものじゃないかい?」
「カメレオンの数年がどんな感覚なのか知らないけど、人間にとっては数年って結構大きいんだぞ?特に日本人はそういうのを重んじるところもあるからね」
本棚に蹲ったままのカメレオン、ハインリヒは呑気な声を上げる。ちなみにアオくんというのは、不本意ではあるけれど、俺の呼び名である。青司という名前から、コイツは出会った時から俺の名前をそのように呼ぶ。
そういえば、昨日の青年……確か――――とか名乗っていたと思うが、彼が来ていた時はコイツは微動だにしなかったな。
「そんなことはどうでも良いんだけどね、アオくん。ボクは年齢よりも問題視しなきゃいけないことがあると思うけどね」
「何か問題でもあったか?師匠になってください、なれません、そうですかさようなら……俺たちのやり取りは要約すればこれだけだったじゃないか」
「いやあ、だってさ、マドレーヌもらったんだよ?」
ハインリヒはそう言いながら、舌を伸ばす。その舌先にちぎったマドレーヌを差し出すと、すっとかすめ取って行った。
「アオくん、アオくん、お腰に付けたマドレーヌいっぱいあげるから、仲間になってねー♪」
「……桃太郎?」
「せいかーい!10点プレゼント!!」
音痴過ぎて分からなかったのを歌詞から適当に推理して言ってみたら当たってしまった。しかし、聞いた限りハインリヒは桃太郎の話を根本から理解していない。
「桃を食べて不思議な力を手に入れた桃太郎が、おじいさんとおばあさんに師事して必殺技を身に着けて、きび団子を押し売りしながら仲間と冒険資金を集める。ラスボスを隠しコマンドで倒してめでたしめでたし」
やはり、理解していない。まあ、大筋は間違っていないが。
「桃太郎の話はどうでも良いんだけどね。アオくん、とにもかくにもそのお菓子を貰わない方が良かったんじゃないかな?」
「……ああ、何だ。そういうことか」
「うんうん、そういうことだよ」
いや、理解していなかったという意味では俺も同じだった。しかし、桃太郎の話(と言ってもハインリヒの創作だが)が出たからこそ、その一言にひどく納得してしまった。
つまり、姉さんの知り合い且つ断られたとは言え姉さんの弟子になりたかった青年から、俺は菓子折りを受け取ってしまったのだ。借りを作ってしまったのだ。これでは今後の付き合いを許容してしまったようなものである。師匠になることを拒否したことで、油断してしまったと言えばそれまでではあるけれど。
菓子折りごときで、という向きもあるだろうけれど、そういう問題でもない。何せ、姉さんの関係者だ。
「それよりもさ、アオくん」
機嫌が良いのか今日はハインリヒの口数が多めだ。ハインリヒは尻尾をくるりとすると、俺に言う。
「スカ●プ、着信来てるよ~!通話!!」
テーブルの上で開けっ放しのパソコンのアイコンが光っていた。
※
「お久しぶり」
「詩織さん、ご無沙汰しておりました」
詩織さんというのは、姉さんの数年来の知り合いだ。魔女としては姉さんと共に俺たちの父親を師に持った姉弟子、本名を榛名詩織という。職業は医者で、同業の男性と結婚して幼い娘さんもいる。しかし、医者と言っても、魔法が使える医者、魔法医ということで夫婦でお茶会の医療関係機関に勤め、国際的に活動している。
国内にいる方が少なく、子どもは施設に預けているらしい。姉さんによれば、確か今は、難民支援の魔法医団体を組織してアフリカ方面で活動しているんだったか。電波状況が良くないのか、聴こえる音声にはノイズが結構入っていた。
「青司くん、元気そうね。変わりはない?」
「相変わらずです。俺も、姉も」
「そう。ああ見えて灰子ちゃんは熱血だからね」
詩織さんの台詞に、俺は思わず苦笑しつつ答える。
「本当に罪深いくらいに熱血です。姉弟子として一言言ってくださいよ。俺が何を言っても聞かないので」
「あら、じゃあ、帰ったらしっかり言わないとね。お姉さんが弟に迷惑かけちゃダメよって」
一体、今度はいつ帰ってくるんだか。
「でもね、青司くん、お姉さんだからこそ弟に頼りたいということもあるわ。それはどうか忘れないであげてね。」
「それは……まあ、分かっています」
不満げなのがばれてしまったのだろう。詩織さんがまた柔らかく笑った。
「ところで、姉ではなく俺に連絡したのには何か事情が?」
「察しが良くて助かるわ。実はそうなの」
話題転換と同時に詩織さんの声に影が差した。
「でも、なんて言ったらいいのか。上手く説明はできないのだけれど」
口ごもる詩織さんを俺は促す。まだ春先だというのに、嫌な汗が背中を伝う。
「お茶会の方で調べてほしいことがあるの。もしくは、既に情報を持っていたら教えてほしいことが」
「分かりました。俺の権限でどれくらい情報開示できるか分かりませんが」
そもそも俺の権限なんてそこまで大きいわけではない。お茶会の下っ端の下っ端である。詩織さんが直接お茶会に問い合わせた方が多く情報を手に入れられるんじゃないかと思うくらいだ。
だからこそ、奇妙に感じた。詩織さんは一体何を思って、お茶会の下っ端の無知の魔法使いに連絡など取ったのだろう?
ハインリヒがモゾモゾと本棚の上で動いてゆっくりとした動作で俺の肩に登ってきた。
「アフリカの私の今いる紛争地帯辺りに、その、何かいる?」
「え?はい?」
何か。随分と漠然としていて、詩織さんらしくない物言いだった。
「変なこと言っているのは分かっているの!ごめんなさい……け、れど……」
「詩織さん?もしもし?」
いきなりノイズが大きくなり、榛名さんの声がところどころしか聞こえなくなる。
「おか、し……何か………閉め……魔法かどう、かだけでも……黒いの…どうして…」
「ちょっと詩織さん?聞こえますか?返事をっ!」
「い、異常…っ…でも分からな…おねが…早くっ!」
そして唐突に通話が切れた。
急に静かになってしまった部屋。嫌な予感が背中を伝う。具体的に何が起こったのかまでは流石に分からない。けれど、ひたすら自分の中の何かが警報を鳴らしているようだった。詩織さんが何かのっぴきならないことに巻き込まれている。
「くっそ、何なんだ!」
「らしくないねえ、アオくん。小説家なのに、その言葉使いはないんじゃないの?」
ハインリヒののんびりとした口調にやたら腹が立って、思わず声を荒げる。
「言葉使いに構っていられないだろ!お前も聞こえてたろ。詩織さんたちが危ない」
「魔法使いだからって、言葉の使い方をぞんざいにしていいってことにはならないでしょ?だからさ、落ち着きなって。焦るときこそ何とやら、だよ。はい、しんこきゅーしんこきゅー」
間延びした声がそう言った。そこに何か苛立ちが含まれているように思えて、俺は思わず黙ってしまった。ハインリヒがこんなにも感情を表すのは珍しいことだ。
「……俺はどうすれば良いと思う?」
「簡単だよ」
魔法使いの問いかけに、使い魔が答える。ハミングでもしそうな調子で。歌うように。
「紅茶とマドレーヌをいただいてから、自分で考えれば良いだけさ」
※
俺まで巻き込まないでくれ。
fin.