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僕は今日も、鍵で扉を開ける。  作者: ささかま。
第2章-a 彼女は扉の先を垣間見るが、鍵は開けられない。
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44、川と海原

お題:素晴らしい川 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=196384)を加筆修正したものです。

 あなたの なまえは なんですか。


 ※



 白崎灰子と名乗ったその女は、その支倉という娘を自分の研究室の中に招き入れた。白崎の研究室は、物がたくさんあったが、その割にはごちゃごちゃしておらずむしろ綺麗に整頓されていた。物のほとんどが彼女の蔵書であり、それ以外は適当な雑貨や何に使うのか分からない繊細な作りの道具だったりした。

 確かあの女の部屋もこんな風に雑然として整然としていたなあ、と不本意ではあったが思い出してしまった。


「ちょうどさっきまで教授会があってね。お偉いさんたちの中じゃ私をどうこうしてやろうなんて人は少ないんだけど、やっぱり教授の椅子を狙っている人っていうのは多いみたいでね」


 彼女は一方的に喋ってデスクのイスを引っ張り出せ、入り口付近に立ったままの支倉に向けて滑らせる。カラカラと渇いた音がして車輪が止まった。


「だからああいうギスギスした話し合いはあまりしたくないの。でも、こんなことは学生のきみに言っても仕方ないことではあるかな?」

「あ、あの……」

「まあ、遠慮せずに座って。大したものはないけれど、コーヒーくらいなら出せるから」


 彼女に椅子を勧めつつ、自分はマグカップを用意し始める。眼鏡の縁と同じ赤色のマグカップと支倉が首に巻いているマフラーと同じピンク色のマグカップ。


「あの私、田貫先生のところにお会いする用事が……」

「たぬきちなら、これから授業だ!って慌てて走ってったよ。しばらく帰って来ないんじゃない?」


 この女は一方的に自分の用事を進めていく傾向にあるらしい。魔女というのは面倒な奴が多すぎる。

 白崎は支倉に桃色のマグカップに入ったホットコーヒーを渡す。


「お砂糖ならもう入っているから。スプーン一杯分」


 物言いたげな支倉に先手を打つ。支倉は支倉ですっかりこの魔女のペースに乗せられてしまって、少しそわそわとしているものの椅子に腰かけてコーヒーを味わっているようだ。全く、あの魔女のばあさんの血縁者とは到底思えない。それどころかちゃんと彼女が魔女であるかどうかも疑わしいくらいだ。



 ※


「さて、私はきみをなんて呼べば良い?」


 少し落ち着いたところで、白崎は言った。ちなみに彼女は自分のデスクの縁に腰を落ち着かせ、赤色のマグカップを揺らしている。


「つまりね、支倉さんとか奏ちゃんとかタチバナさんとか……色々呼べるわけなんだけれど、どれが適切なのかなって」

「……タチバナでお願いします」

「OK。タチバナちゃんね。あ、ちなみに私のことは灰子さんで良いよ。白崎教授とか堅苦しいしね」 


 支倉……いや、ここは白崎に倣ってタチバナと呼ぶとしよう。そうすると白崎のことも灰子とよぶべきなのだろうが、こちらはわざわざ変える必要はないだろう。


「何で私の名前、ご存じだったんですか?」

「それは愚問だね、タチバナちゃん」


 白崎の返答にタチバナは目に見えて、機嫌が悪くなった。しかし考えを巡らせるように眉を伏せ、やがて白崎を見据える。


「以前から調べていたんですね?」


 やがてそんなことをタチバナは言った。それは疑問の形ではあったが、疑問ではなくむしろ確認に近かった。白崎は眉を上げて満足そうに頷いた。


「あらあら、ご名答。“魔法を使って暴いたんですか”とか見当違いな答えが出るかと思ってたんだけど、そうは考えなかったの?」

「それこそ愚問なんじゃないんですか、全知の魔女さん?」


 驚いたことにタチバナは白崎の性質を見抜いている。しかし、白崎にとっては意外なことでもない、既に知っていることなのだろう。何せ彼女は全知の魔女なのだから。すべてを知っているのだから。


「私のこと、よく知っているわね。どこまで知っているか興味があるわ」

「表向きはここで大学教授をしていて、本当はお茶会の命で魔法研究をしている……というか、その第一人者、ですよね?」


 白崎は彼女の言葉に対して嬉しそうに口笛を吹いた。

 お茶会というのは、確かイギリスを拠点として各国に支部を置く国際的な魔法組織だったか。以前の住処でもその組織に関しては何度か耳にしていた。


「へえ。まさか、ここまでとはね。流石、――――くんの弟子だわ」

「え?」

「ああ、ごめん。こっちの話」


 きみにも分からないってこと忘れていたよ、と白崎は一人呟いた。

 一見すると和やかに二人は会話しているように見える。しかし、その実和やかなのは白崎だけで、タチバナは終始緊張して余裕ぶった顔つきの白崎を怯えるように見ていた。


「まあね、きみの言うとおり、私はずっと調べていた。彼の行方を捜していた」

「……」


 白崎の言葉にタチバナは困惑顔になった。


「白崎せんせ……灰子さんは、誰を調べて、何故私に辿りついたんですか?私は貴方の言う“彼”が何故か“見えない”んです」

「……なるほどね」


 白崎は目を伏せ、マグを揺らした。憂いを帯びたその表情はひどく寂しげに見えた。


「きみに会ってはっきりした。やっぱり私は間違っていなかったんだね。間違っていればとも願ったんだけれど」

「灰子さんは全知なのに間違うことがあるんですか?」

「知っていることがすべて正しいことだとは限らないよ」


 それにね、私は知らないことだってたくさんあるんだ。


 白崎は珍しく神妙にそう言うと、タチバナを厳しく見据える。タチバナはマグを握りしめ、言葉に窮していた。

 白衣を着た白崎の身体の線が妙に細く見えた。


「彼ってのはね、私の馬鹿な弟子のこと」


 そして彼女は聞き覚えのある名を呟く。


「今は鍵屋って名乗ってる」


 ※


「時の流れってのはさ、川の流れみたいだよね。素晴らしく美しくて、残酷で」


 黒髪がさらりと揺れた。


「この三年間、私は自分の弟子を探していた。彼の行方を探せば探すほど、調べれば調べるほど、私は自分があの男を知らないということを知るばかりだった。追えども追えども、流れていっちゃうというか。もしかしたら、真実は私の見当もつかない、どこか遠くの海原に溶けてしまったんじゃないかな」


 タチバナは身じろぎもせずに話に耳を傾けている。


「そんな風に思いながらも三年間ひたすら探して、最近“私が知っていた彼は、もうどこにもいない”ということを知った」

「どういうことですか」


 タチバナの質問を見越していたのか、白崎は本棚から一冊のファイルを取り出した。


「彼、うちのゼミ生だったの。で、これが彼の成績とか論文とか諸々の記録」


 勝手にそんなもん見せていいのかとも思ったが口を挟むところではないので黙っていた。


「ここに彼の名前が書かれていて、ここに彼の顔写真が貼られている」

「え?でもそんなの」

「ない?やっぱりきみの魔法でも見えないか……」


 何も記録されていないまっさらな空欄がオレには見えていた。タチバナもきっとそうだろう。白崎も同じようにファイルの中身を覗いているが、果たしてこの女にはどのように見えているのだろうか。

 ファイルは随分と分厚く、閉じるときにやたら重い音がした。



「どうしてこんなことに……」

「名前というものはね、魔法使いにとって大切なもの。それは私たち自身を表して顕すもの。言ってしまえば私たちそのものなの。だから、昔の魔法使いたちは本当の名前を隠すことをしきたりとしていた。近年では魔法自体が衰退して、魔法使いも魔法を使わなくなっている。しきたりもまた然り。でもだからと言って、名前自体をないがしろにしていいということにはならないんだよ」


 白崎の手がファイルをそっと撫でる。


「あくまで私の推測だけど、彼は、鍵屋は、きっと自分の名前をなくしてしまったんじゃないかな」


 タチバナは思い当たる節でもあるのか息を呑んだ。


「全知を自称するもんが、推測なんていう言葉で謙遜するのはやめたらどうだあ、全知の魔女よお?」


 ここで初めてオレは口を挟んだ。タチバナは再び息を呑んで、今度は椅子から飛び上がらんばかりに驚いている。本棚の上でずっと伏せて会話を聞いていたオレに気付いていなかったに違いない。


「さて黒猫くんも話に参加する気になったみたいだし、そろそろ本題に入ろうかな」


 白崎はオレ用にミルクを用意しながら、オレにそう返すのだった。



 ※


 なまえなど ありませんよ。




 fin.



 

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