39、気持ちと赤
お題:ぐちゃぐちゃの成熟 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=194530)を加筆修正したものです。
それはまるで成熟しきった果実が、地面に落ちた時のような、ぐちゃりと赤いものだった。
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そのころの僕は、ただそれを眺めていることしかできなかった。僕は魔法使いではあったが、特別な力は一切なかったからだ。
辺りは硝煙と肉が焼ける臭いで満ちていた。それらは肺どころか体の内部をすべて焦がすかのようで、僕はひたすら嘔吐した。こればかりは一生慣れることはないだろう。目の水分も周囲の熱で蒸発していき、開けているのもやっとだ。煤なども相まって痛くて仕方がない。
そこかしこで銃声が響き、何かが抉られる音がする。きっとまた誰か死んだだろう。
「パパ、助けて……パパ、痛いよ……」
「お母さあああん!!どこおおお!!?」
子どもの声がする。この凄惨な光景の中、生きている者がいるのだ。僕は必死に崩れた煉瓦や瓦礫を押しのけて、生存者を探す。もしかしたら助けられるかもしれない。こんな非力な僕でもできることがあるかもしれない。
指が擦り切れ、血が滲んだ。人の怒号と銃声が迫ってくる。
そして、僕は見つけた。
「嫌だよお……パパ」
「お母さあああん!!!!」
気付けば、たくさん僕の周囲に落ちているものがあった。
それはまるで成熟しきった果実が、地面に落ちた時のような、ぐちゃりと赤いものだ。そこから声がしているのだ。思わず腰が砕けて、尻餅をつく。赤いものから手のようなものが伸びて僕の黒いコートを掴んだ。
「たす……けてぇ」
ああ、どうして僕はこんなにも……。
「た、タ……スケ……」
「やめてくれ……もう、嫌だ……」
僕の口からそんな言葉が絞り出された。尻餅をついた姿勢から立ち上がれずに、僕は無様に這いながら後ずさる。
「貴様が気に病む必要はない」
背中が何かにぶつかり上を見上げる。金髪の合間から覗いた冷たい目が僕を見据えていた。
「貴様が涙を流す必要はない」
金髪の女、ヒルダは続けてそう言った。黒いドレスに黒いマント、黒い縁の広い帽子を見てまるで魔女のようだと思った。そう思ってから、彼女が本当に魔女であることを思い出した。
「人間は、死を知る瞬間こそ素晴らしく、命が輝くものなのだから」
正直言っている意味が分からない。彼女は確かに僕の師匠だが、たまにこうして意味不明なことを言うのだ。
ヒルダは僕のコートを掴む手を黒いヒールのブーツで蹴り飛ばした。赤いものが吹っ飛ぶ様子を僕は理解することができない。頭は痺れきっていて、思考を放棄していた。それと同時にそのような状態に陥っているのをいやに冷静に分析する自分もまた存在していた。
ヒルダは僕の視線の先で腰のホルスターからワルサーを抜いた。そして、
※
「やめろ!!!」
僕は、事務所の天井を見ていた。
まだ冬だというのに体中の汗が酷い。僕は荒くなった呼吸を落ちつけてから起き上がる。僕は本屋を、白崎灰子を殺し、依頼主から依頼料をもらって帰宅した。そしてすぐにそのままソファで寝てしまったようで、コートも羽織ったままだ。冷蔵庫から買い置きしておいた500mlペットボトルの水を開けて飲む。窓から月明かりが射しこんで、部屋を照らしていた。
昔の夢だ。最近、よく見ている。
今日見たのは、ヒルダと戦場を回った時期の夢だ。ドイツで彼女に師事してから、しばらくして彼女の城から出て、僕は見た。目の当たりにしたのだ。
そして見た結果
すべてが
怖くて
腹立たしくて
悲しくて
仕方がなかった。
その激情は目の前で起こる事象にではなく、自分の内側にこそ向いていた。あの頃は、自分など死んでしまえば良いと常に思っていた。目の前で人が死ぬたびにそう思っていた。そして、それと同時に……。
「……」
事務机に目を向ければ、月明かりに照らされたそれが嫌に明るかった。
水を飲み干し、思わず頭を抱える。ひどく頭が痛く思考はぐちゃぐちゃと混濁していたが、心は凪いでいた。さざ波一つない。あのときの感情は嘘のように消えてしまった。消えた理由は分かっている。あの女は気付いたようだが、それはまだちゃんと隠されていて誰かに見つけられるようなことはないはずだ。
あとはあの女を、
「……どうする、か」
独り言は聞く人もなく、消えていく。どうするか。それだって、僕はかつて決めていたはずなのに。
※
「何をしたんだよ!!!一体何をしたんだ、ヒルダ!!!」
足元の動かなくなった赤いものをヒルダは冷徹な目で見る。僕の方は一切見ていない。僕はひたすら彼女に詰め寄る。麻痺してしまった思考がある程度回復して、遅れて状況を理解して、僕は災厄の魔女のマントの襟の部分に掴みかかっていた。
「見た通りだ。何か問題はあったかね」
「大いに問題ありだ!彼らは生きていた!!助けられたかもしれないのに!!」
「助けるよりもこうする方が、我々の労力は少ないということが分からないのか、貴様は」
僕は絶句した。ヒルダは続けて言いながら首を傾げる。
「いずれ人間は死ぬのだ。それが少し早かっただけだろうに」
目線に射抜かれた僕は、動くことができなかった。酷く冷めきった目だった。
「結果は貴様が何をしようと変わることなどなかったさ」
悠然とした足取りで彼女は歩き出した。
僕はその後を黙って追いかけるしかなかった。赤い塊に振り返ることはなかった。振り返ることなどできなかったのだ。
※
それはまるで成熟しきった果実が、地面に落ちた時のような、ぐちゃりと赤いものだった。
そして、それは僕の気持ちに似ていた。
fin.




