37、全知と本棚
お題:どこかの職業 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=193731)を加筆修正したものです。今回結構修正入ってます^^;
変わらないものを見る僕は、
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気の乗らない仕事と言うのは往々にして存在するもので、それは分かり切っている。仕事である以上、それがたとえ自分の好きなことだとしてもそこに義務感が生じるのはある意味では当然のこと。むしろ好きなことを職業に出来る人間など稀で、気の乗らない仕事の方が多いのが常だ。それは鍵屋であっても同じことで、中身のない僕であっても同じことで、当然のことなのだ。
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久しぶりにとある人物を尋ねることになった僕は、電車と徒歩で海沿いの倉庫群の一角に来ていた。潮風が海から吹いてくる。朝早くに事務所を出てきたので、太陽の位置が低い。海面をキラキラと照らす光が眩しい。
倉庫群の一角と言ったが、実際にはその外れにある今は使われていない寂れた三階建ての倉庫だ。壁のところどころが錆びついている。やたらと縦に横に大きな倉庫で、とても中に入りたいとは思えない。無論、それが“この倉庫の中にいる人物”の狙いではあるのだが。
初めてここを訪れた数年前とは、あまり外見も変わっていない。だからと言って懐かしいわけでもないが、その倉庫を見て寒い空気に一つ息を吐いた。
大きな扉をノックする。中から返事はなく、僕はそれを入室許可だと認識する。念のために以前の依頼主から依頼料としてもらった鉄パイプを持ってきてあったので、それで扉を力の限り殴る。 扉はひしゃげ、曲がり、蝶番が外れた。パイプを入り口付近に立てかけて、僕は中に入った。
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倉庫の中は外と大して変わらず寒かった。そしてひたすら雑然と灰色の本棚が並んでいる。中は吹き抜けになっており、ところどころトタンの足場が組まれていた。その高い天井に届くまで本棚の上に本棚が無造作に積まれている有様だ。しかし、それとは対照的に本棚の中身は本が整然と並べられている。倉庫の奥に進んでも同じ景色が続く。外見と同じで中身も大して変わっていない。しかし、雑然と並んでいる本棚の位置を正確に覚えているわけではないので、もしかしたら少しは配置が換わっているかもしれない。
しばらく進むと二階部分のトタンの床に無造作に黒いソファが置かれ、その上に一人の女性が寝そべっていた。黒髪のショートカットに白縁のメガネ、白い白衣を無造作に羽織っている下は白いTシャツにジーンズだ。数年ぶりに見る恩師の姿はあまり以前と変わらなかった。彼女は本を読んでいたが、僕の姿を認めるとゆっくりとした動作で本から顔を上げて微笑んだ。
「随分と乱暴だね。相変わらずきみという魔法使いは面白いな」
「久しぶりだな、本屋」
「本屋なんて呼び方はやめてちょうだいって言ってるだろうに」
「じゃあ、師匠とでも呼ぶか?」
「それもムズムズするからやめてって」
本屋はクスクス笑う。
「私には白崎灰子という名前があるのだから、それで呼んでよ」
「でも、落ち着かない、以前僕はきみにそう言った」
「あら、そう?」
本屋はあっさりと引いた。以前も似たようなやりとりをしたことがあるから無駄だと分かっているのだろう。
彼女、白崎灰子は魔女でありながら少し風変わりで、魔法を使わない魔法使いだ。僕は彼女から魔法の使い方を教わりはしたけれど、彼女が魔法を使っている姿を一度だって見たことはない。
「相変わらず、どこかの大学で教授でもやっているのか?」
「どこか、ではないよ。今もまだきみの在学してた大学で教授やってるし、ドイツ文学教えてるよ」
大学教授という職業にしては見た目が若く見える。というか若い。聞いたところによると、年齢詐称やある種のコネのようなものを使って助教授やらなんやらをすっ飛ばして教授職についたらしい。身内の贔屓目を差し引いても、一般的に綺麗と言われる見た目やスレンダーな体格も受けて、学生からの評判も良かった。その一方で“文学部随一の変人”という異名も持っていた。
「三年前、きみがドイツ留学最中に失踪しちゃったから心配していたんだよ。ちなみに大学側には私からテキトーに言っておいたから、大学側に連絡する必要はない。もっとも今更きみは連絡するつもりはないだろうけど」
ドイツ留学ができたのも、正直本屋が裏で色々手を回してくれたおかげである。とは言え、このドイツ留学には留学以外の別の意味合いもあったわけだが、それは今問題ではない。とにかくまだ僕が彼女の弟子だったころは大学内のみならずそれ以外でも彼女は妙な人脈を持っており、それを駆使して色々暗躍しているようだった。
本屋はソファから飛び降りると、黒いスリッパを履いて近くの本棚の上に飛び移り一階へ降りてきた。いつの間にやら片手にコーヒーカップを持っている。
「フレッシュは四つ、入っているから」
「ありがとう、本屋」
「灰子で良いよ」
壁際にあったはしごでまた彼女は元のソファまで戻った。それを見ながら僕は、降りてくるときは本棚を足場にする方が楽だと昔言っていたのを思い出していた。
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「きみは魔法使いとは何だと思う?」
本屋は唐突に僕に尋ねる。
「魔法を使う者」
「うん、そうだね。一理あるよ」
先にも言った通り、彼女は大学では文学を研究しているが、それはあくまでフェイクであり、本当は“魔法使いの在り様”について研究をしている、らしい。実際、彼女の研究の成果がどれほどであるか知らないし、興味もあまりない。ただ、昨今の魔法使いの間で一般的とされている魔法に関する理論を考え出したのは、この本屋である。
「単純に考えればみんなそう思うよ。でもね、私はあえてここでもう一つの考えを仮説したい。魔法使いとは“魔法に使われている存在”である、とね」
本屋は口角を上げて僕を見る。
「魔法を使う者が魔法使いであるとするならば、私は魔法使いでないことになる。しかし、私は魔法使いだ。魔法を使わない魔法使いだ。だから魔法を使うものが魔法使いだという考え方は非常に不十分なものと言わざるを得ない」
「だから“魔法に使われている存在”が魔法使いだという結論に?随分、飛躍した考え方だな。過程をかなりすっとばしている」
「結論じゃないよ。きみの言うとおり、それは早計過ぎる。言ったでしょうに、仮説だ。あくまで」
あるいは、と彼女は続けた。
「私たちはさ、魔法を使うことができる。でもそれぞれ向き不向きがある。性質って言っても良いな。たとえば、扉の鍵を開けることができるきみは開放で、私は全知。きみの弟子の……タチバナちゃんだっけ?彼女の性質は言わば誠実ってことになるかな。誠実さでもって、彼女は扉の向こうを覗ける。」
さらっと彼女はそんなことを言う。自分が全知の存在だと。しかし、昔からそういう人だったし、あながち全知であることを否定できないようなこともたくさんしている。しかし、タチバナが誠実とはどういうわけだろうか。透視とかそういう話なら納得もできるのだが。僕の疑問の眼差しを受けながら、彼女はしかしそれを無視した。
「全知。私は、全てを知っている。けれどさ、知っているだけで私は何も出来ないんだ」
僕は黙って彼女の言葉を聞いた。コーヒーカップの中身は減らない。目の前の彼女は、この3年で変わっただろうか。老いたという意味では変わったようにも思う。けれど、それ以外は果たして。
「32164番本棚、右から三番目、下から二番目にリルケと言う詩人の本がある。その本の214ページ目、第三段落三文目に“神さまは、たしか、全知ではございませんの”という言葉がある……きみの真後ろの本棚だ」
彼女は言う。僕が振り向くとそこには確かに32146番とラベルが貼られた棚があった。
「“神様は全知ではない。”一見、随分挑戦的な言葉だよね。神様でさえすべては知らない。やっぱり、知らないことがある方が少しは健全な気がするんだ、私も。知らないことがある方が楽しいし。新鮮さがあるもの」
本棚から本を引き出すと、思ったよりも分厚く重かった。リルケと言えば確かオーストリアの詩人のはずだが、この本は日本語訳された解説書だった。該当ページを開くと、それなりに回りくどい解説の中に、先ほど本屋が言った文章がしっかり書かれていた。具体的には第三段落三文目に。
「……楽しい」
「そう。楽しい。だから私は全知ではあるし、すべてを知ろうと思えば知れてしまうけれど、あえてすべてを知ろうとは思わない。代わりに知らないということを知っておけば十分だと思うからね。ねえ、それっておかしいことかしら?」
「おかしいかどうか、貴女は知っているんじゃないのか?」
「きみがどう思っているかは知らないから、興味があるかな」
「僕はその答えを知らないし、あまり興味がない」
彼女は気持ちいいくらい快活に笑う。
「良い答えだね。やっぱりきみは面白いわ」
そして、本屋は
「さて、――――くん、回りくどい話はここまでにしよう。そろそろ本題に入ろうじゃない?」
勝手に回りくどい話を始めて、勝手に結論もなく終わらせた彼女は、“かつての僕の名前”を呼んでそう言った。
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変わらないものを見る僕は、きっと変わってしまった。




