29、母と娘
お題:小説家の音楽 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=193402)を加筆修正したものです。即興小説トレーニングverとは話順が入れ替わって(=異なって)います。
鍵がなければ扉は開かない。
※
依頼主の自宅に呼ばれたので来てみれば、そこはなかなかに豪勢な一軒家だった。外から見た限り、四階建てというところだろうか。四階の北側の部屋の窓のカーテンが閉め切られている以外は、どのカーテンも開け放たれているようだ。きっと太陽の光を存分に部屋に入れるためだろう。
立派な鉄の門の脇のインターホンを押すと、年配の女性が応対した。今回の依頼主で、この家の主の妻だ。彼女は僕が鍵屋だと分かると、遠隔操作で鉄の門のロックを解除してくれた。
※
「情けないことに娘は部屋に籠りきりでして、食事の時間になってもダイニングに降りてこようとしないんです」
「娘さんのお部屋は四階の北側の?」
「そうです。よくお気づきで」
通された居間にはそこかしこに生け花が飾られている。高そうな棚には高そうなアンティークも並べられていた。出された茶器も繊細な装飾が施されたもので、持っただけで壊れてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。きっと中身のコーヒーも相当質の良いものなのだろう。僕は一緒に出された砂糖とミルクを注いでかき混ぜた。
「で、今日は娘さんを開ければよろしいんですね?外に出るように、と?」
「ええ、そうです。けれどその前に一つ問題があるんです」
依頼主は肩を落とし、口ごもった。黒髪の中にわずかに白髪が混じっているのが見える。僕はカップに口をつけながらそれを見やった。
「娘さんの部屋の鍵がない?」
「え?ええ、そうですね、その通りです」
先に言い当てたことを訝しむ様子もなく依頼主は一つ溜め息を吐いただけで言及はしてこなかった。
部屋の壁際にはキーフックがあり、大小たくさんの鍵が下がっている。この一軒家の大きさ、部屋の多さを考えれば納得の数だ。鍵には一つ一つプラスチックのタグが付いており“キッチン裏”や“二階寝室”などと書かれていた。
「この家の鍵はすべてあそこにかかっています。お恥ずかしい話ですが、部屋数も多く使っていない部屋もございますので、どれがどこの鍵なのかなんて覚えてられないんです。だから、こうして鍵にタグをつけています」
「確かに娘さんの部屋の鍵はないですね」
鍵がなければ扉は開けられない。当たり前の話でありながら、意外と見落とされがちなことだ。
「とりあえず娘さんの部屋に行きたいのですが」
「ご案内します」
僕は彼女の後について、四階へと向かった。
※
木製のドアには札が下がっていた。
“ご飯、置いておいて”
「いつもこうなんです。それで私がいつもここに食事を置いています」
依頼主がここと指さしたのは床だ。この依頼主は律儀にこのメモの内容を守り、食事を黙って置いていくらしい。中の娘に何一つ声をかけずに。
僕は扉の取っ手に手を軽く手をかけて、しかしやはり引っ込めた。
「娘さんは中にいますか」
「そうですね。大方、一日中寝ているのでしょう。食事は毎回残さず食べてくれているので、安心ですが」
扉をノックしても中から返事はない。依頼主は神妙な顔で僕を見ている。
「すみません。しばらく僕一人にしていただけますか」
僕は、
「ご心配なく。無理に押し入ったりはしませんから」
もう部屋に入る糸口をつかんでいた。
※
糸口と言っても、それほど大げさなものではない。依頼主は“居間でお待ちしてます”と頭を下げると一人階段を降りて行った。その足音が聞こえなくなるまで待つ。これでもう完璧だ。僕は再度扉の取っ手に手をかけた。すんなりと取っ手が下がり、扉が開く。要するに最初からここには鍵などかかっていなかったのだ。
部屋は暗く空気が冷えていた。しっかりエアコンの暖房機能は働いているようだが、設定温度が低いのだろう。あれこれ装飾された他の部屋とは異なり、部屋に置いてあるのは箪笥と本棚とCDラック、そしてパソコンとデスクだけというシンプルさだ。
そのデスクには少女が一人座っていた。頭にはヘッドホンをして何か音楽を聞いている。音がわずかに漏れ聞こえているのを聞く限りクラシックのようだ。パソコンの画面には文字がびっしり羅列されており、少女の手はキーボードの上の忙しく行き来していた。僕は後ろから彼女の肩を軽く叩いた。
「だあああああ!?」
少女らしからぬ男勝りな雄たけびを上げるを僕は聞いた。ヘッドホンを取り去って、僕から後ずさった。少し驚きつつも僕はホールドアップの姿勢を取って相手に向き直る。
「変態野郎!!」
指さし付きで初対面の僕にそう言った。まあ、無理もないだろう。
「あまり大声を出すと、お母様に聞こえますよ」
「はっ!知ったことか!あのババアがちょっと悲鳴が聞こえたくらいのこと、気になんかするかよ!っていうか、お前何もんなんだよ?」
「はじめまして。僕は君のお母さんの知り合いの鍵屋と申します」
「カギヤ?ババアの知り合い?」
暗くてよく見えないが、相手はTシャツにジャージズボンというシンプルかつ機能的な服装だった。髪の毛は肩に触れるか触れないかくらいだ。相手は僕の足元に向かって唾を吐いた。
「出てけよ、変態。きめえな。勝手に入ってくんなクズ」
「勝手に入ったことは謝ります。しかし、少し君に話がありまして」
「こっちに話はねえよ。出てけ、おっさん」
細い腕が僕を精一杯押しのけ、また元のデスクに戻る。落ちたヘッドホンを拾い、耳を覆う前に僕は呟いた。
「それは小説ですか」
「うっせえな、黙れ!」
僕はパソコンの画面を凝視しながら、さらに言った。
「君は男の子ですか」
彼女は、いや、彼は、僕の方を見た。
※
開かない扉を開けなければ中身は見えない。
fin.




