27、直情と金銭
お題:朝の高給取り 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=190364)を加筆修正したものです。
その真っ直ぐな心は、
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朝の公園のベンチで、人を待つ。公園と言っても、以前黒猫と出会った時のような小さな公園ではなく、遊歩道や広い芝生を完備しているような大きめの公園だ。
僕が待つその人が今回開ける対象である。依頼主によると、その人物は毎朝白いジャージを着て公園を何周かランニングするらしい。
ただ待っているだけではあまりに手持無沙汰なので、煙草を一本咥える。火を付ける段になって僕は先日のウサギをチラと思い出したが、躊躇することなくそのまま点火した。
朝の公園には意外に人が多い。先に言ったランニングをしている人間もいれば、犬の散歩をしている者、これから会社に向けて出勤する者と様々だ。擦れ違いざま、互いに挨拶を交わす者もいるあたり、きっと毎朝同じような光景がここでは繰り広げられているのだろう。
依頼主が言っていた白ジャージの人物が姿を見せたのは、僕がベンチに座ってから実に30分と言ったところだった。懐中時計で、ちょうど依頼主が言及していた対象が現れる時間帯と容姿などが一致していることを確認する。
白ジャージの人物はサングラスとマスクを付けており、顔はよく確認できない。音楽を聞きながら走っているようで、耳にはイヤホンがはまっている。
僕は携帯灰皿で煙草の火を消した。足元は少しブーツだが、軽く走るくらいならさほど支障はない。僕は走り出した。
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後ろから駆け寄って追いつくと、僕は白ジャージの人物と並走を始めた。
「良い天気ですね。ランニング日和だ。一緒に走っても構いませんか?」
僕が隣で話しかけると、サングラスがこちらを向く。しかし、すぐに正面に目線が戻り、首肯された。
「いつも走っておられるんですか?」
マスク越しから声は聞こえてこない。ただまた首肯される。世間話だけ、しかも相手が一切喋らないとなれば話が前に進まない。仕方なく、僕は強硬策を取った。
「貴方、ストーカー?」
「な、なああ?!!!」
奇妙な声が静かな朝の公園に響いた。その“男”はランニングを止めていた。
「何言ってのおめえ、それ……っつーか、え?ち、ちげええええし!!!!」
サングラスとマスクで表情は視認できないが、焦りは手に取るようにわかった。男の手が僕の肩を掴み強く揺さぶる。
「ちげえからマジで!!何言っちゃってんだよ意味ワカンネ!!ふざけんなよマジ!警察呼ぶぞ!」
「落ち着いてください。ふざけてないですから、マジですから」
「そうか……って落ち着けるか!!!」
「そうですね。それに、警察を呼んで困るのは貴方の方ですし」
正直、ちょっと面白い。僕より少し若いくらいだろうか、言葉の勢いのままサングラスとマスクをかなぐり捨てたその顔は半泣きだった。そして、真っ赤だった。しかし、それでもしっかり僕を睨み上げていた。
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そこそこ名の知れた企業の社長だか会長だかをやっている男に、依頼をしたいから我が社まで来てくれと頼まれて、早朝に出向いてみればいきなり執務室に通された。大きな窓がある、遠くまで見渡せる部屋だった。今にも落ちそうな部屋だな、と僕は思いながらも言わなかった。
彼が言うには、毎朝公園でランニングしている依頼主の娘を不審な男がいつも見ているから、こらしめてほしいとのことだ。朝が弱いのか、依頼主は大層機嫌が悪かった。ついでに言えば声を“聞く”限り、低血圧そうだ。
僕はあくまで鍵屋なので、こらしめることはできないと断りを入れた上で、“でも、その不審人物さんを開けて、原因を探ることはできるかもしれませんね”と言ってとりあえずは彼の頼みを承諾したのだ。男は“あの男、どうせ金目的だろう”とシンプルな予想を吐き捨てていた。
「俺、アイツが、好きなんだ」
そしてその不審人物、白ジャージの男の言い分も実にシンプルだった。真っ直ぐで、飾り気がなく、潔かった。
僕が預かっていた娘の写真を見せると、あっさり男はそう言ったのだ。
「でも、ストーカーしているつもりはマジでなかったんだって!!ここで見かけて一目ぼれしてさ、実際に話もしたし、そんで」
鍵を開けるまでもなかったな、と僕はベンチに座ったまま大声で捲し立てる男を見ながら思う。
こういう人間は時としているのだ。こちらが頼んでもいないのに勝手に開けて、勝手に中身をまき散らす人間は。それがマイナスに働くこともあるし、プラスに働くこともある。今回は後者だ。少なくとも僕にとっては、仕事に都合が良い。
「そんで、俺アイツがあの有名企業の娘だって知ったときには確かにめっちゃ驚いたよ。そんなん知らなかったから」
「ということは、お金目的で会社のご令嬢に近づいたってわけじゃないんですね?」
「当たり前だろ!舐めてんじゃねえぞ?!どこの娘だろうが、知るか!!俺は会社が好きなわけじゃない!!金が好きなわけじゃない!!アイツ自身が好きなんだよ!悪いか!!!」
ここまで聞けば十分だろうと、僕はコートの襟に向かって呟く。
「……だそうですよ、お嬢さん?」
正確には、襟に付いた高性能小型マイクに向かって。
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「鍵屋さん」
社長だか会長だか……立場は覚えていないが、とにかくそのお偉いさんからの依頼を受けてから僕が彼の執務室から出ると、ずっと依頼主の隣で立っていた彼の娘が追いかけてきた。
先に歩いていた僕をどうやら小走りで追いかけてきたようだったが、息は全く切らしていなかった。
「何でしょう?」
「鍵を開けてほしいんです。お代はいくらでもお支払いします。失礼のない額をご用意させていただきます」
「お代は、出せる分だけ出していただければ。それよりも、何の鍵を開ければ良いのでしょうか?」
娘は、僕の質問に答えた。
それを聞いて、僕は彼女の依頼を受けることにしたのだった。
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その真っ直ぐな心は、きっと愛と呼ばれるもの。
fin.