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僕は今日も、鍵で扉を開ける。  作者: ささかま。
第1章 僕は鍵を持っていて、使えば扉を開けられる。
25/99

23、怒りと阿修羅

お題:阿修羅部屋 必須要素:右肘 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=189710)を加筆修正したものです。

 閉じ込められた怒りは募るばかりで、


 ※



 事務所を訪問したタチバナは朝食を置いて、用件を言うだけ言って“私、これから講義なんで!!”と言って走り去ってしまった。講義出席は確かに大学生の本分とは言え、慌ただしい子である。


 用件自体はシンプルなもので、タチバナの祖母が僕に依頼をしたいとのことだった。というわけで、僕は徒歩で久々に彼女の祖母の家に向かっている。

 実はこれまでも何度かタチバナの祖母からの依頼を受けたことがあるが、それらは依頼と言うよりもお遣いと言った方が良いような、言い方は悪いが雑用に類するものだった。たとえば“庭の手入れをしてほしい”“胡椒を買い忘れたので買ってきてほしい”などといったものだ。普段は孫のタチバナに頼んでいることらしいが、タチバナが今日みたいに用事がある場合は僕を呼び出しているようだ。


 だから今日も、いつものお遣いだろうと思っていたのだが、結局予想は外れてしまった。



 ※


「阿修羅部屋、ですか」

「そう。阿修羅像がある部屋」


 阿修羅像があるから、阿修羅部屋。そのままである。ネーミングセンスがどうとかいう話ではない。

 僕とタチバナの祖母は離れにある、とある部屋のふすまの前に立っていた。この部屋が阿修羅部屋である。


「ここを開けてくれないかしら?そして像を持ってきてほしい」


 ふすまに触れたり、鴨居や敷居を調べるが、特に変わった形跡はない。部屋と廊下、二つの空間を隔てる、ただのふすまである。しかし、引き手に手をかけてもびくともせず開けることができない。軽く叩いて乾いた紙の擦れる音を聞く。どうやらこのふすま、外側から閉められたわけではなく、内側から閉まっているようだ。


「貴女ならご自分で開けられるのではないですか」


 じっくり検分した後にそう言ってみると、彼女は優しく微笑むだけで何も言わなかった。魔女らしくなく、それでいて魔女らしい女性かもしれない。


「あるいは貴女のお孫さんは」

「あの子には開けられないわ。ああ見えて感受性が強いから」


 感受性が強い事と、阿修羅部屋との関係はよく分からないが、彼女の話の通り感受性が強い人間がこのふすまを開けるのには向いていないと言うなら、確かにタチバナには向いていない仕事かもしれない。僕でさえ分かることだから、タチバナの祖母となれば痛いほど身に沁みているに違いない。


「開けたらどうなるか分かりませんよ」

「お前らしくない台詞ねえ」


 らしくない、と自覚しつつ吐いた忠告の言葉だったので僕はただ肩を竦めてみせた。ただ、この部屋は嫌な予感がする。明確に“開けてはいけない”という予感だ。僕が感じている予感を知ってか知らずか、目の前の老齢の魔女は顔の皺をくしゃりとさせて優しそうな笑顔を浮かべる。一見、優しそうだと思われる笑顔を。


「鍵屋って言ったっけね。お前は何でも開けられるんだろう?」

「……おっしゃる通りです」


 予感はともかくとして、開けることに従事した方が良さそうだ。




 ※



 そこを開けたら昼食にしましょうね、と言ってタチバナの祖母は母屋へ戻っていった。

 ふすまの内側、部屋の中の様子が分かれば良いのだが、僕にそのような力はない。僕が分かるのは、せいぜい鍵の開け方だけだ。開けた後、何が起こるかまでは分からないし、知る術もない。タチバナの祖母は何かしら知っていて隠している雰囲気ではあるが、なんやかんやで教えてくれそうにない。感受性云々は置いておいてタチバナの持つ“魔法”が故に彼女の方が僕よりこの仕事には向いているのではないか、とはいまだに思っている。しかし、それをタチバナの祖母に遠まわしとは言え、封じられてしまったのだ。となれば、やはり自力で開けるしかない。

 事実、開けるのにはそこまで労力が必要であるわけではなかった。僕はコートから鍵束を取り出し、一つ鍵を手に取る。ほとんどサビてしまっている鉄の鍵だ。先端を引き手に向けてゆっくり回す。音はしなかったが、これで開いたはずだ。

 改めて引手に手をかけると、さっきまでが嘘だったかのようにすんなりとふすまは開いた。


「これは……」


 そこはただの、何の変哲もない和室だった。明かりがないため少し薄暗く、少し湿った匂いもする。その部屋の真ん中に一体の阿修羅像がひっそりと立っていた。逆に言えば、それ以外は何もなかった。

 阿修羅像はボロボロに朽ちており、複数の腕は変な方向に折れ曲がったり、部分的に削れたりなどしている。右の腕の内の一本は肘から先がなくなっている。顔も半分ほど黒ずんでいた。


 そして僕はその像から一つの感情を感じた。



 それは純粋で、真っ直ぐで、何に向けられるでもない、怒りだった。



 ※


 阿修羅はインドでは生命生気の神とされていた。今は戦闘神として名高い。


 目の前の阿修羅が何で怒りを覚えているのかは分からない。しかし、その圧力は感じていた。その純粋な怒りを、それほど恐ろしいとは思わなかった。ただ、美しいと思った。その怒りに囚われた姿を綺麗だと思ったのだ。

 像の目の前に正座をする。丁度目線が合う位置だ。その目は片方黒く落ち窪んでいたが、もう片目はかつての威光を示すかのように睨みをきかせていた。



 “あの子には開けられないわ。ああ見えて感受性が強いから”



 僕はタチバナの祖母が言ったことを理解した。純粋な怒りにタチバナは耐えられない。恐らく、他の人間にも。そして今回の依頼主であるタチバナの祖母でさえ。むしろ僕以外の適役は存在しない。


「何故、貴方は怒っている」


 僕は像に尋ねた。そして僕はその怒りをただ“聞く”。

 言葉にならない、言葉にできない、心からのその怒りを。


「――――――」

「貴方は何を望んでいる」

「――――――」

「……そうか。分かった」


 短いやり取りの中で聞くべきことを聞いて立ち上がる。


「貴方の願いは僕が叶える。だから怒りを鎮めてくれないか」

「――――」


 空間に満ちていた怒りはスーッと引いていった。僕はボロボロの阿修羅像を抱えた。



 ※


「……というわけですので、この像を然るべきところにちゃんと納めてください」


 僕は昼食のうどんをいただきながら台所で作業をしているタチバナの祖母に言った。汁に出汁が効いていてなかなか美味しい。タチバナとは大違いの料理の上手さである。タチバナに以前なかなか香ばしい香りのする苦々しい鍋を振舞ってもらったことがあったが、この世のものとは思えないほど酷い味だった。一周回って、あの味の出し方をあえて教えてほしい気さえ起こる。もちろん、本人にはそうはっきり言えないので、鍋に砂糖を足して味を誤魔化して完食したのだ。

 もしかしたら魔法よりまず料理を教えるべきだったかもしれない。そんなことを思いながらうどんの汁を全て飲み干して、手を合わせる。


「分かったわ。苦労かけたわね。ありがとう。お代は……」

「いつも言っていますが、お代は結構です。ちゃんと彼を然るべきところに納めていただければ」


 そうすればきっと彼の怒りも収まるはずだ。


 ※


 抱く思いは、ただ美しい。






 fin.

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