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僕は今日も、鍵で扉を開ける。  作者: ささかま。
第1章 僕は鍵を持っていて、使えば扉を開けられる。
21/99

19、逃亡と尾行

お題:どこかの旅行 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=189136)を加筆修正したものです。

 逃げられない。




 ※



「どこへ行かれるんですか?先輩」


 町中で、少し厄介な人間に声をかけられた。ベージュのコートを着た、濃い茶色の髪をボブのスタイルにしている女性だ。頭には桃色の耳あてをしていて、同系色のマフラーや手袋も身につけている。


「タチバナこそ、尾行はあまりいい趣味とは言えないんじゃないか」


 このタチバナというのは、僕の後輩である。学生時代の後輩だとか鍵屋業の後輩だとかいう意味でそう呼称しているわけではなく、単に彼女も僕と同じいわゆる魔法使いや魔女などと呼称される身として、そういう意味としての“後輩”である。今は確か大学生だ。


「尾行していたわけじゃありません」


 タチバナはプンっと頬を膨らませて、手に持ったスーパーの袋を掲げた。


「今日は彼氏が家に来るので、腕によりをかけた特製タチバナ手料理を振舞おうと思いましてこうして買い物をしていた次第です。そこにたまたま先輩をお見かけしましたので、声をかけたんですよ。なのに、いわれのない誹謗中傷を……」

「分かった。尾行と言ったことは謝ろう。悪かった」


 つい数週間前に、彼氏にフラれたと言って電話してきて泣いていた気がしたが、もう新しい彼氏ができたらしい。困った後輩である。


「ところでさっきの質問ですよ、先輩」


 タチバナはクリッと大きな目を僕に向ける。


「どこへ行かれるんですか?そんな大荷物で?旅にでも出るんですか?」


 指摘の通り、僕は大荷物だった。大荷物と言っても黒のキャリーバッグを一つひいているだけであるが、中には事務所にあったもののほぼすべてが詰め込んである。家具などは流石に入らないし入れる必要も感じなかったのでそのままだ。

 正直、彼女に何て答えたら良いのか悩んでいると、タチバナはまた頬を膨らませた。


「先輩、無茶はよして下さいよ。ただでさえ、先輩は今万全の状態とは言い難いんでしょう?」

「分かっているし、無茶はしない。タチバナにも迷惑はかけないよ」

「なら、良いですんけど」


 タチバナは、不満そうだがそう言ってくれた。



 ※


 どこへ行くか、という質問は実に難解だった。僕はどこかへ行こうとしている。いや、“どこかへ逃げようとしている”の方が正確かもしれない。行先などは決まっていない。とにかく僕という人間は臆病者なのだ。たとえば、この前のように僕を開けようとする者がまた現れたら、そう考えると、僕は恐ろしくて堪らない。怖ろしくて堪らない。


「逃げたって意味ないですよ、先輩」


 タチバナは突然神妙な顔でそう言った。僕はハッとして彼女を見つめる。タチバナは笑ってまた言う。


「読心術には特別な力はいらないって教えてくれたのは、先輩ですよ?私、忘れてませんから」


 ああ、そういえばそうだった。彼女に出会った頃、魔女と名乗りながら魔法も使えなかったタチバナに僕は読心術を教えたのだ。

 僕は思わず頭を抱えた。


「参ったな。何で僕は君に読心術なんて教えたんだろうな……」

「先輩ほど高性能じゃないですから、私に分かることなんて本当に少ないですけれど」


 目の前で肩を竦める魔女は、臆病な魔法使いにそう嘯いた。


「先輩が悩んでいるのは分かる。けれど何で悩んでいるのかは知らないし、分かりません。逃げて問題が解決することだって場合によってはあるでしょう。けれど、今回の先輩の場合、逃げても解決しない問題なんじゃないかなって私は思います」

「どうして?」


 僕は思わず尋ねた。魔女はニヤリといたずらっぽく笑う。


「勘ですよ、女のね」




 ※


「女の勘だって!?面白いなあソイツ!!!」


 タチバナが“そろそろ彼氏が来る時間なので失礼します”と慌てて帰った後、僕は駅前通りで黒猫と出会ってそのまま立ち話をした。この前も駅のホームで会ったことを考えると、彼は彼で駅周辺を根城にして自由気ままに生活をしているらしい。


「実際、女の勘なんてアテになるかい?魔法使いさんよお?」

「どうかな」


 僕は正直に答える。


「僕は女だったことはないからな」

「オレもメスだったことはないな」


 黒猫はヒラリとキャリーバッグの上に乗って腰かけた。


「ただ、女の勘は時に魔法よりも強力なんじゃないかと思うことは往々にしてあるよ」

「なるほどなあ」


 僕の苦笑に、猫も微かに笑い声を上げた。青い目が少し細まる。


「でも、まあ何だ。ソイツの言うことも一理あるんじゃないかあ?……ってオレは思うぜ?」


 猫は更に毛づくろいを始めた。


「逃げるってのがアンタの言う鍵になったりすることもあるだろうが、今回は違ったって話だろう?」

 きっと

 そうなのかもしれない。僕は要するに、扉を開けようとして鍵を間違えたのだ。鍵屋として面目ない話である。対象の声や音を聞けば鍵が分かる僕だが、きっと今回はその“声や音”を聞く前に僕は勝手に逃亡を決め込んでいたのだ。


 猫はチラリと足元のキャリーバッグに目線を落として言う。


「何から逃げようとしたんだか知らねえが、このデカい荷物からしてどっかに遠いところに高跳びしてやろうって算段だったんだろう。まあ、残念だったな」

「ああ、残念だ」



 僕は、笑った。逃げることができないと知って、少し気分が良かったから。





 ※



 逃げられないのは、逃げないからだった。



 fin. 

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