8、家族と虚構
お題:少女のデザイナー 必須要素:右膝 制限時間:1時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=188063)を加筆修正しました。
幸せな嘘で、安らかな夢を。
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息子は高校生になってから、俺とはろくに口をきかなくなっていた。誰にだってそういう時期はある。俺自身もコイツと同い年くらいの頃は親父の言うことやることすべてに対して口答えをしていた気がする。でも、親父に反抗していたあのときを思い出す度、俺は親父の表情を思い出すのだ。
ドライブに行こう、と誘ってきたのは息子の方だった。息子が俺に向かって声を発したのは、本当に久しぶりのことだった。数週間、いや数か月ぶりのような気さえする。
「良いだろう。どこへ行きたい?お前の行きたいところに連れて行ってやる」
「そうだな……海に行きたいな」
息子は俺だけではなく嫁さんも誘ったのだが、嫁さんは、
「男同士、積もる話もあるでしょうから」
と笑って遠慮していた。俺の嫁さんは、本当に良くできた嫁さんで、コイツもコイツなりに息子を愛していた。ここ最近の息子は、嫁さんとも口をきいていなかったため、とても彼女は意気消沈していた。自分が腹を痛めて産んだ、最愛の夫との最愛の息子に嫌われているんじゃないだろうか、と彼女は(少し俺が気恥ずかしくなるくらいの表現を織り交ぜて)いつも心配ばかりしていた。
今回のドライブの話で嫁さんが少しでも笑顔になってくれたなら、俺も嬉しい。久々に“家族”という感触を確かに感じたような気がしたのだ。
俺が運転席に座ると、息子はすかさず助手席に座った。開いた窓から嫁さんが小さく手を振る。
「気を付けてね。お土産、待ってるから」
「だから、母さんも来れば良いのに」
「そうね。また今度行きましょう」
息子と話す嫁さんの笑顔はやっぱり見ていて気分が晴れ晴れする。
「貴方、安全運転でね」
「わかってらあ!行ってくる!」
「行ってらっしゃい」
嫁さんは幸せそうに微笑んだ。本当に幸せそうだった。
※
「はあん!?お前、彼女がいたのか!?」
「……んな驚くことねえだろ」
ブスッした顔で息子がそっぽ向いた。顔がわずかに赤くなっている。
海沿いの道路をひた走る。辺りに他の車はなく、俺は窓を全開にして海風を浴びた。
「どんな娘なんだ?あれか、ナイスバデーって奴か?」
「スケベ親父」
一蹴された。息子は口悪く言うが、彼女のことを話すときは満更でもない様子だった。
「彼女さんは、同い年か?」
「俺よりちょい年上なんだけど、今は服飾デザイナーやってる」
「デザイナーか。立派な娘さんだなあ」
「でさ、金が要るんだ」
息子は唐突に切り出した。
「は?いくらだ?」
俺が尋ねると、息子は神妙な顔で
「10万ちょい、かな」
と言った。
「ほう……何に使うんだ」
「彼女の、仕事の関係で……ちょっと色々、入用で」
嘘だな、と分かった。どれだけ長い間、俺がお前を見てきたと思う。だから俺はもう一度訪ねた。
「何に使うんだ?」
「だから今言ったろ!!入用なんだよ!!!四の五の言わず貸せよ!!」
唐突な激昂に思わず俺は息を呑んだ。息子のこういう姿を俺は今まで見たことがなかった。
「何に使うのか分からんのに貸せるわけないだろう!」
「彼女の仕事のことだっつってんだろ!!」
ああ、話にならねえな。ちょっと下手に出たらこれだよ。だからババアも来いっつったのによ……。
息子はそう呟いた。ちらと隣を見ると、息子は右手の親指の爪を噛んでいた。昔からのくせだ。イライラするとコイツは爪を噛む。
「貸すのは構わない。理由を話せ。嘘は吐くな」
俺は息子を宥める。言うまでもないが、金が惜しいわけではない。嘘をついてまで金を借りようとしている息子と、嘘を吐かせてしまうほど信用されない俺自身を許せなかっただけだった。
「10万くらいでウダウダ言ってんじゃねえよ!彼女に使うから必要なんだつってんだろ!クソジジイ!!!貸せ!」
息子は喚く。冷静さを欠いている。海風が多少強くなってきたので、俺は窓を閉めた。
「たかが10万でもな、俺が汗水垂らして稼いできた金だ。わけ分からんことに使われるのは納得いかないだろう」
「んなのどうでも良いんだよ!!!アンタの汗なんて知るかよ!!!もう寄越せや!!でなきゃ、とっとと死ねよ!!!」
興奮した息子は、助手席から身を乗り出し俺の胸倉をつかんだ。
俺は息子を見た。目が血走っている。
ハンドルを掴む手が押され、息子の全体重が俺の右膝にかかる。足は意図せずアクセルを思いっきり踏み込んだ。
それが、俺が息子の顔を正面からまともに見た最後のときだった。
※
病院に搬送された。
俺はそれなりに大怪我らしく、長々と色んな骨について説明をされたがあまり耳に入らなかった。事故直後の記憶も曖昧だ。
息子は即死だったらしい。
息子が死んで嫁さんはすっかりおかしくなってしまった。俺が息子だと思い込んでいる。俺のことを献身的に世話をする。傍目から見れば、理想的な母親だろう。
「お父さんとのドライブはどうだった?ねえ、楽しかった?」
「ああ」
「お父さん、今日もお仕事みたいだから、夕飯は先食べてて良いって。何が良い?」
「母さん、俺、カレーが良いな」
嫁さんを悲しませたくなくて、俺は息子のふりをした。父親の帰りを待ち、母親の家事の手伝いをする、そんな息子を演じたのだ。体を動かすことは叶わなかったが、それでもできるだけ彼女の息子であろうとした。
おかしいのは、俺の方だった。
※
「彼女は、貴方にそれを望んではいませんよ」
鍵屋を名乗る男は俺にそう言った。その言葉で、まるで闇が開けたようだった。唐突に光が射したようだった。
俺は思わず男を見上げる。
男はただ無感動に俺を見下ろしていた。
「彼女は、貴方が息子に成り代わることを望んじゃいないでしょう」
彼は続けてそう言った。
「さて、僕の仕事はここまでです。貴方を開けるようにというのが貴方の奥様の依頼でしたから」
去ろうとする男の服を俺はあまり動かない右手で掴んだ。
男は立ち止まって俺を見る。
きっとこれを逃したら、俺は永遠にこのままだ。
「鍵屋さん……俺の依頼を、聞いてほしい」
まだ声は震えていたが、迷いはない。
このまま嘘をつき続けて、幻想ばかり見ているわけにはいかない。嘘を吐いた生き方は筋が通った生き方ではない。
「何でしょう?」
「俺の嫁さん、開けちゃくれないか?アイツは現実を見なきゃならん」
俺もな。俺も、現実を見なければいけない。
嫁さんよ、もう終わりにしよう。全て話すよ。俺が、アイツを殺してしまったようなものだから。
男は、鍵屋は、頷いた。
※
幸せな嘘で、安らかな夢を。
残酷な真実で、生きるべき現実を。
fin.




