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ふたり

 いつだったか、桐子と公園を歩いていた時の事だ。


 親に怒られるだろうに、積み木をたくさん、砂場に持ち込んでいる子供がいた。そこには誰が作ったのか、やけに立派な砂の城が、既に建てられていた。

 その子は、砂の城の隣に、もっと立派な積み木の城を作ろうとしていた。

 持ってきた積み木を目いっぱいに使って、がちゃがちゃと、ただ積み上げるだけの木の塊が作られ始めた。それを見ていた僕は、つい、声をかけたくなった。もっときれいに、考えて積み上げれば、そんなに積み木を使わなくたって、同じ高さになるんだよ、と。

 

 けれど、桐子がそれを止めた。

 桐子は優しげな目で、積み木の山、いや、積み木の城を眺めていた。僕も隣でそれを見て、それで、何となく納得した。

 どんなに乱暴だって、ごちゃごちゃだって、無駄があったって、構わないのだ。

 どれほど形が歪でも、やがて積み木の城は、砂山の頂に届いていた。



          ◇



 禁煙主義を貫く僕の部屋に、キャスターマイルドの臭いが立ち込めるようになったのはいつの頃からだったか。

 くゆる煙の白さに眼を擦りながら、布団から体を上げた時、桐子は既に外出の支度を整えていた。


 桐子のベッドは、この狭い1LDKの部屋の、僕のベッドとは反対側の壁につけられている。

 位置関係的には隣と言えるが、僕と彼女の生活空間の、もっとも安らぐべきスポットは、二メートル以上の距離を置いて設けられていた。


「桐子、デート?」

「うん」


 桐子はヒールの高い、やけに歩きづらそうな靴を履いている。よくもまあ、頭からつま先まで、殆どのコーディネイトを男の貢物で固められるな、と感心する。

 肩からかけてあるバッグだけは、僕にも見覚えがあった。


「じゃ、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」


 東側に面する玄関の扉が開いて、強い光が差し込んだ。

 薄暗い部屋の中から、桐子が眩しい外の世界へと飛び出していった。


 着なれたパーカーと、くたびれたジーンズを着て、キャップを被る。

 財布とケータイだけ鞄に入れた。


 部屋を出て、僕だけが持っている鍵で施錠をする。

 がちゃん、と硬い音が鳴る。この部屋が、確かに閉じられた事を感じる。

 中には僕の生活用品と、桐子の山のような私物が転がっている。


 僕はアパートを後にする。

 一駅だけ歩いて、それから地下鉄に乗る。 

 車両の隅に、桐子の姿を確認する。


 ストーカーの気分を味わう時間は、そう長くは無かった。

 遅れながら、桐子の後をついていった。男との待ち合わせは、隣町で行われると聞いていた。確かに、桐子は隣町の駅で降りて、それから駅前の繁華街を歩いて行った。



 拍子抜けしたのは、桐子がネットカフェの入り口を潜った時だ。



 僕はもう、自分の行動が馬鹿らしくなっていた。

 それは今日の事だけではなく、今までの僕たちの事、全てに対して。


 いつから、桐子はああだったのだろう。

 強制される夜遊びが馬鹿馬鹿しくなって、やめてしまったのか。それとも、最初から桐子は、こうして過ごしていたのだろうか。

 僕が言いつけたくだらない条件は、桐子をどこか適当に押し付けられないか、と思っただけだ。

 しかし、これではわざわざ桐子が出かける意味も無い。


 僕は、ネットカフェに足を踏み入れた。

 どうやら強制らしい、会員カードの登録を命じられた。登録料として、300円を余計に出費した。


 フラットシートの一席の前で、ヒールの高い靴を見つけた。

 えらく履きづらそうなそれを尻目に、申し訳程度についている扉を開けて、個室に顔を出した。


「…………えっ?」


 フラットシートを取った癖に、隅の方で膝を抱えて、漫画本を手にしている桐子を見て、妙な笑いが漏れそうになった。


「……向かいの、普通の喫茶店行かない? 話しづらいし」


 きょとん、としていた桐子の顔が、ころころと色を変えるのが少し面白かった。



 

 ◇



「だって、純くん、普通に部屋に居たら不機嫌そうだから。私も、一応どこかに出かけておかなくちゃ、って思って」

「そんな居心地の悪い部屋だったら、とっとと別のところで一人暮らしすれば良いのに」


 ネットカフェは話をするには静かすぎて、さっさと店を出てしまった僕らは、ぶらりと外を歩いていた。

 かといって、街中は煩すぎる。なんとなく、まばらに木の立ち並ぶ、静かな公園に入っていた。


 さらさらと、そよぐ風が枝葉を擦れさせて、耳に優しい音を立てていた。

 空は嫌味なくらいに綺麗に晴れて、とても高い頭上を、風に任せて白雲が流れていく。

 ベンチや遊具の人工物が、物も言わずにそこに佇んでいるのに、不思議と人影だけは他にない。整備された遊歩道を歩きながら、僕たちの道だけが、どこか別の時間に切り離されたかのような錯覚を覚える。


 桐子は、悪戯がばれたかの様に肩をすくませていた。

 少しばかり後ろめたそうな表情すらしていたのは、僕が言いつけた条件を破ったからだろうか。

 勿論、あんな条件を破ったところで、怒ったり叱ったりする事は無い。どうせ、ただの口実だ。

 だから、桐子が馬鹿正直に従わず、無為に時間を潰していたところで、別に良いのだけれど。ただ、そんなふうに深夜まで、家を追い出された子供のように空しく時間を潰していた姿を思うと、どうも気が萎んでいく。


 既に、僕が桐子の姿に感じているのは、憤りではなかった。

 勿論、過去の過ちを無かったことに出来るほど、僕は度量が深くない。けれど、少なくとも彼女を怒り、恨み続けることよりも、強い気持ちが湧いていた。


 僕たちが「ふたり」という糸でつながってから、今まで。

 最初にそれを絡ませてしまったのは、桐子の方。

 けれど、それをもっと複雑に、ごちゃごちゃにこじらせてしまったのは、僕だ。


 だから、ここまでこんがらがった糸を解くには、切ってしまうのが一番良い。


「なあ、桐子」


 呟いて、振り返る。

 唇を刃にして、鋏でその糸を捉えるようにして。

 


「僕、もう怒ってないよ」


 

 しゃきん。

 と、鳴らす。


 桐子を縛り付けていた、罪悪感ごと、僕と言う存在を、桐子から切り落とす事を決める。



「だからさ、桐子。もう、罪滅ぼしなんかしなくたって良いんだよ」



 結局、縋りついていたのは、僕の方だった。

 初めての恋に浮かれて、周りが見えなくなって、突っ走って。

 裏切られて、傷ついて、それでも桐子を捨てられなくて、縋ってくる桐子を結局は受け入れて。

 それでも、彼女を解放してやることが出来ずに、今までずるずると傍に居た。


 だからこの関係は、僕の方からしがらみを捨てなければ、終われない。


 苦かった思い出を、その苦味ごと受け入れて、自分の物にしなくてはいけない。

 それを背負ってでも、前に進まなければいけない。そういう時が来ているんだ。


 このまま、桐子を引きずって沈んでいくことの方が、かつての彼女の過ちよりも、ずっと自分を傷つけてしまうような気がしていた。


 だからこそ、僕は彼女を解き放つため、たった一言を伝えた。

 彼女を許してしまおうと、そう決めた。




 なのに、桐子は――――。




「もう、罪滅ぼしとかそう言うのは、どっか遠くに行っちゃってるんだ」


 


 あっけらかんと、そんな事を言った。


「それは勿論、最初は罪悪感だったよ。自分が物凄く許されない事をしたっていう気持ちに潰れそうで……だから、純くんに謝り続けて、いつかそれが無くなるのを待ち続けてた」

「……じゃあ、良いじゃないか。僕はもう、許すって――」

「でもね」


 桐子は僕の言葉を遮るように、声を上げる。

 鈴のように耳に通る、桐子の声。けれど、それを聴くのはもう、随分と久しぶりになる気がする。


「今はもう、ただ単に、傍に居たいだけだから」


 酷く照れくさそうな笑顔が、木漏れ日に照らされていた。

 その笑顔は、かつての桐子が浮かべた、向日葵のように眩しい物では無くて、結局は歪なままの、哀しげな眼を備えていたけれど。

 それでも、彼女は笑顔だった。

 こんな時になお、傍に居たいなどと言って、それでも笑顔だった。


「……桐子は、愛情と依存を間違えてるだけかもよ?」

「うん、そうかもしれない」

「……僕の傍に居たせいで、そうしなきゃいけないって、強迫観念が湧いたのかも」

「それも、そうかもしれないね」


 僕は、自分の胸に芽生えた熱の正体を知っている。

 けれど、それもまた、かつてのような濁りの無い気持ちでは無い。

 僕たちはもう、愚鈍なだけの恋人ごっこを演じる事はできない。むしろ、普通よりもずっと奇妙で、ずっと複雑な関係。

 けれど、桐子が僕と一緒に居たいと言ってくれている。

 


 いや、むしろ彼女はもう、僕を絶対に離す事は無いのではないか。


 一途とか、熱心とか、そんな言葉では語れない、何か暗い物がその正体ではないのか。


「……僕、昔みたいに愛想よくなんて出来ないよ?」

「それは、私のせいだよね」


 僕の生きるあの部屋は、歪な過去に縛られている。

 それを体現するように、桐子はどこか、奇妙に笑う。


「一生、あの事を忘れるなんて出来ないよ?」

「一生、許されなくったって良い」


 事実、僕が桐子を許す日は、一生来ることは無いだろう。あの日、佐古にされた仕打ちを忘れる事も、おそらく、永久に無いだろう。

 壊れてしまった桐子がもとに戻る事も、そうさせてしまった僕の罪も、何もかもが、既に無かったことには出来ない物になっている。


 けれど、桐子は僕の傍にいる。

 僕は、桐子の傍にいる。


 それが、単なる依存だとしても。

 それが、どれほど苦しくて辛い事だったとしても。

 それでも桐子が傍に居てくれるって、言うのなら。


 全部ひっくるめて、僕の物で良い。


「なあ、桐子」


 風が頬を撫でた。

 遠くから、元気な声が響いてくる。公園に誰か来たのだろう。その気配と共に、ゆっくりと時間が動き出すような気がする。




「髪、黒に戻そうか」



 言ってみて、桐子が反応するまで、三秒くらいの間があった。

 桐子は肩にかかった髪を指に絡めると、少しだけ、恥ずかしそうに微笑んだ。

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