わだいがない 19
梅垣さんの場合
「梅って、結婚とか興味なさそうだよねー。」
「そう?」
友人の酒に付き合いながら、答える。何度言われたかわからない言葉だ。
「ああ、なさそー。ま、そういう人生もあるよ。」
もう一人の友人もそう言いながら、ポンポン背中をたたいた。私はにこやかに笑う。
私は一度でも、結婚に興味がないと言ったことがあっただろうか?友人たちよ、長年の付き合いなのに、なぜそう思うのか。いや、長年の友人だから触れないでいてくれるのか。謎だ。
会社に入って、女性の同僚たちが結婚して抜ける。寿退社もあるがほとんどが産休だ。その間に入った派遣社員も自分よりも先に産休でいなくなる。
少なくなってはくるけれど、それでも送られてくる年賀状は、子供の写真だけが増えていき、捨てにくい。子供のいない夫婦もいるけれど、それはそれでペットを連れていたりして、幸せそうだ。
私の友人たちもほとんどが結婚しているか、彼氏がいつもいる状態を過ごしている。奥様方は旦那の愚痴や子供の苦労話をしつつも、家庭へと帰っていくのだ。
独身の女性たちからは、彼氏の悪口とラブラブ話を交互に聞かされながら、時は過ぎていく。
だがある日。ふと気が付く。
話が合わない。
「旦那がさぁ……。」
「子供がさぁ……。」
「あのヒーローの商品が……。」
「あそこの塾が……。」
話は、子供か旦那が中心になって変わっていくのに対し、自分はまだ会社の上司がどうとか、同僚がどうとか、そんな話のままなのだ。
話の共通点が減り、話す意味を持たなくなり、会う時間の意味を考え、そして交流は減っていく。いや、同種の知り合いは増えていくが、友人は減るのだ。
それ以外の趣味で繋がっていれば、交流が完全になくなることはないのだが、確実に会う回数も、話す内容も減る。それが当たり前になる。
これは女性である私の偏見かもしれないが、会社に入ったらきっと独身のお局様がいて、取り巻きがいて、ちくちくいじめられ、禿げた男性上司などに「そろそろ結婚しないの?」とか「若い子の入れるお茶は美味しいなぁ」とか言われて肩身の狭い思いをしながら、女性のほとんどは退社していくのだ、と思っていた。
「梅は昔のドラマの見すぎ。」
そんなことを友人は言った。そして彼女も去っていく。
実際には、まったくありえないということはないのだが、ここまでひどくはなかった。それはよかった。しかし、意外だったのは、最近は女性にそんなことを言うと、セクハラだと訴えられるせいか、そのセリフの矛先が男性に向けられていることだ。
これは、セクハラ扱いされないのだろうか?
「お前、まだ独身なのか?」
友人と飲んだ、その三日後のことだ。忘年会の席で部長にこう言われて、男性社員は頭をちょっとかいた。
「すいません。」
「結婚しないのか?」
「いえ、相手がいませんし。」
「誰かいないのか?」
「いないんです。すいません。」
実は相手がいることを隠している人もいるだろう。だが、この社員の場合、本当に誰もいないように感じるのはなぜなのか。そこを読み取って部長も声をかけているのかもしれない。
「お前の嫁を見るまでは俺は心配でなー。」
「すいません。」
ほかになにが言えようか。そして私は勝手に親近感を沸かせる。この人も大変だなぁと。いや、それが好意に変わるかと言えばそんなことはないところが、残念ではあるけれども。
同性が好きでもない限り、女性に興味がなかったわけでもないだろうに。
結婚相手がたまたま見つからなかったのか、タイミングを逃したのか、本人に結婚する気がなかったのか、本人以外には誰にもわからない。
いや、もしかしたら本人にさえも分かっていないのかもしれない。私の男の友人は、結婚はしない、と言っていた。親から殴れた幼少期、自分もそうなるかもしれないからとそう言っていた。だが、彼は今度結婚する。彼がどんな親になるかわかるのはもっとずっと先の話になりそうだが、そのときはそのときだから、と笑っていた。
本人にもわからないまま、時間が過ぎていく。
「親とか心配して言わないか?」
部長の話はまだ続く。酒が入っているせいか、しつこい。
「言われてはいるんですけどね。なかなかね。」
そう言って彼はビールを飲む。
「なんだ、理想が高いのか?お前、そんなこと言っているといつまでも一人だぞ。さみしいぞー、一人は。」
部長の話がだんだんしつこさを増していく。しかし部長に、「うるさい!」と言える社員がどこにいるというのか。
たまにほかの社員が気を聞かせてか、別の話題を放り込んで、話をずらすが、やっぱり戻ってくる。
「そうですねぇ。寂しいだろうなとは思うんですけどねぇ。」
「思っているなら……そういえば、梅垣は?」
隣でおとなしくしていたのだが、とばっちりをうける。
「はい?」
私が答える。
「お前、独身だよな?どうだ、彼女なんか。」
男性は困ったようにしている。
「いやいや、僕なんか。」
私とて、困ったように笑うしかない。どう言えば正解なのか、誰かに答えを決めてもらいたいものだ。余り者をくっつければいいというものでもないような気がする。
ちょっと、いらっとした私は、地味に反撃に出た。
「でも、男性はね?別に子供を産むわけじゃないですから、歳をとってからでも結婚できますし。ほら、歳の差婚とかあるじゃないですか。」
だが、部長のほうが人生経験が上だからか、歳が上だからか、考えたことがあるからなのか、私の一言に何倍も言い返してきた。
「金がなくて、若い子がむさいオヤジなんか相手にしてくれるのは稀だ。あんなのは、金があるジジイだけだ。」
他にも。
「若い子を相手にできるような、むさくないオヤジになるほうが大変だ。」
「出会う機会なんかこの先、そんなにない。あったら、とっくに結婚しているだろ。」
「男のほうが人数が多いんだから、さっさとつかめないと、ダメだろ。」
「出会う相手が独身、または彼氏がいないとは限らんだろ。別れるのを待っているうちにジジイになっちゃって、ますます悲惨だ。」
「独身で好み!そんな人と会ったとしても交際にまで発展しにくいだろ。もう若くないからな。」
「親は自分よりも先に死ぬんだ。待っているのは、孤独だけだぞ。」
「結婚なんてもんは、タイミングだ。誰かが背中を押さなきゃならん。」
「体力があるうちに子供の運動会に参加しないと子供がかわいそうだろ。早くしないとあっというまにジジイになっちまうだろ。」
「家庭を持ってこそ、男は一人前なんて考えは古い。いまどき、古いが!まだまだオレよりじいさんたちは思っているからな!」
とのことらしい。言っていることはおそらく間違いないのだが、だからどうしろというのか。部長の話はまだ続く。
「ほかに、誰か……。あー、三階の受付さんが独身だな。紹介してやろうか?」
「いえいえ。」
男性社員は頑張って断っている。女性本人がこの場にいないうえに、彼の好みも聞かずに、女性を紹介しようか、というこの上から目線。三階の彼女だって彼氏がいるかもしれないというのに。
私はこっそりため息をついた。仕事だけなら、優秀な上司なのだが。
「えー、それでは、そろそろ、名残惜しいですが今回の忘年会をお開きに……。」
司会担当の社員の言葉にほっとしたのは、少なくないだろう。
手を洗って、出ていくと、さっきの男性社員がちょうど出てきたところだ。部長は酔っていたせいかさっさと帰った。
エレベーターの中で二人だけになったので、私はねぎらいと同情をこめて、言う。
「今日はお疲れ様でした。とくに部長の相手とか。」
「あー。ねー。」
男性は苦笑いをした。
「しょうがないんだよねぇ。男で独身なの、僕だけだし。」
「ああ、そういえば。でもねぇ、ほっとけって話ですよね。」
「ははは。でも、知ってる?最近、部長、娘さんにウザイって嫌われて、へこんでいるんだって。さっきほかの社員さんに聞いた。」
「えー?まぁ、でもわからないでもないような……。」
「ははは。」
私の台詞に彼は笑った。エレベーターが開く。
「じゃ、僕はこっちだから。」
「はい、お疲れ様でした。」
そう言いながら、自分は逆の道を歩いていく。
独身の先に、孤独が待っているのは誰にでもわかっているが、結婚の先に幸せがあるかどうかは誰にもわからない。どっちにしても、それぞれの苦労や葛藤が待っている気がする。
どちらが正解だったのか、それがわかるのは、自分の人生が終わるときなんじゃないか、いや、もしかしたら、どっちが正解かわからないんじゃないか?
そんなことを考えながら、私は駅へと歩いていった。