第三夜 (その2)
今日の朝食は味噌汁、ごはんに目玉焼き。
黄身をおおっている白い薄膜を箸で裂きながら、母にたずねてみた。
「お小遣いの前借りって、できないかな?」
隠してあるデータを取りにいくだけなら、単純な方法があった。新しいPCを購入し直せばいいのだ。もし俺のアカウントにゾンビ化の原因があるなら、別アカウントを買ってもいい。
もちろんじっくり金と時をかけて育てたPC、鉄十字腸も取り戻したいが、先にデータを取りに行くという選択肢も考慮していいだろう。
目的地はプレイヤーの勢力圏だから、戦いを避けて行けるはず。購入したての弱いPCでも成功の可能性は高い。
母が御飯を飲み込んで、じっとりした視線で、質問を返してきた。
「念のために聞くけど、どれくらい」
「……二か月分」
茶碗を置いた母が顔を上げる。呆れ顔だ。
「今、一ヶ月分の前借りをしていることはおぼえているわよね」
「どうしても今ほしいんだよ。絶対に返すから。当てはある」
その場しのぎの嘘ではない。
隠してあるデータには、以前に購入した映画や小説もふくまれている。めぼしいものを中古データ屋に売れば、そこそこまとまった金になる。
「あと一週間くらいでしょう。我慢しなさい」
「……わかったよ」
念のために聞いただけで、思いついた時から期待はしていなかった。これで今あるゾンビPCを使って何とかするしかなくなった。
しかし一週間もたてば、レベルが戦闘不可能なほど総体的に低下する。
「時間制限もけっこう難しいな」
俺は半熟の黄身にたっぷり醤油をそそいで、かき混ぜて即席ソースにして、周りの白身に塗りつけていく。そして黄身ソースをつけた白身を御飯に盛る。
「変な食べ方が好きよね、武人は」
母の呆れ声を聞き流し、俺は御飯をかきこみながら、これからの手を考え始めた。
昨夜に調べて得た情報を、一刻も早く確かめなければならない。
昼休み、学食で買ったパンをかかえて教室に戻っている時、廊下で委員長とすれ違った。
「……今日は授業中に寝なかったのね」
それだけいって、一瞬だけ俺を見た委員長は歩みを止めず去っていった。
「何それー」
「皮肉ゥー?」
背後から、違う女子の笑い声が聞こえた。
ふり返ると、廊下の角を曲がって学食へ向かう委員長の背中が見えた。俺を見て笑っている女子は校庭へ向かう階段をおりていく。委員長の友達などではなく、単なる野次馬だったらしい。
……おそらく、皮肉とは違う。委員長は、ただ素直に論評するつもりでいったのだと思う。気のせいかもしれないが、賞賛の響きすら感じた。
一度でも間違ったことをした相手に対して、愚者というレッテルをはって区分し、その後は少しの間違いでも延々と批判する人がいる。
そう区分する行動が必ずしも間違いだとは思わない。良い奴と悪い奴という区別をつけておかないと、誰を信用して生活するべきかわかりにくい。仲間がいた方が生きていくのは楽だし、仲間の間違いは大目に見ることも一つの人間らしさというものだろう。
ただ、委員長はその時々にあわせて、適切だと思った評価をして、行動しているようだ。だから誰もが避ける委員長に立候補したのだし、わけへだてない性格は教師だけでなくクラスの皆にも信頼されている。
あまり個人的な友人ができていないのもそのためだろうが、それもまたかっこいいと俺は感じている。
……そんなことをつらつら思いながら、パンの袋を開いた。
紙袋に包まれた焼きたての、カンパーニュとかいう名前の、丸いドイツパン。俺が買ったやつは、伊予柑というミカンの一種で作ったマーマレードが練りこんであって、甘苦い味がする。
カンパーニュは歯ごたえが硬くて、粉の臭いが強いが、一つ食べれば腹はふくれる。それをウーロン茶で流し込みながら食べ終えた俺は、午後の授業で提出する宿題を広げた。
そして午後、適当に授業をやりすごした俺は、放課後すぐに教室を出た。
寄り道せずゲームセンターへ行こうと思ったのだが、まずはトイレに駆け込んだ。バスまでは少し時間がある。
用をたして、蛇口をひねり、手を洗う。正面の小さな鏡に映る、平々凡々な男子高校生の顔。顔色がいいとはいえないが、とりあえずは生きている人間の顔だ。
……そろそろ前髪を切ったほうがいいかな。
手をふって水気をきりながら、校門に向かった。
校庭の中央を占拠している運動部をさけ、大回りするように端を走っていると、前方で小走りしている東畑さんを見つけた。
足音に気づいたのか、ふり返って微笑みながら手をふってくる。手をふりかえしながら追いつき、つい尋ねた。
「今日も、帰り?」
校門に黒い外車が停まっている。角ばっていて、大きくて、まるでヤクザの乗用車だ。
「うん、ちょっと用事があるから。早く家に帰らないと」
「そうか」
少し迷って、いいそえた。
「昨日、図書室に行ったら西田達がいたよ。引き止めて悪かった」
「ううん、いそがしくて部活動に顔出せないのは私の問題だもの」
そういってくれると、ありがたいが……
「せっかく入った部活に出られなくて、大変だな」
「でも、楽しいから」
東畑さんが笑いながら首をふった。長い黒髪がゆれる。
「これから、川下くんは?」
「俺はゲームセンターに少し寄って帰るよ」
「道草、いけないんだ」
笑顔の東畑さんは、いかにも冗談らしい口調で、そういった。
校門で別れて、俺はバス停へ向かう。
「また、ゲームの話しようね!」
後から聞こえてきた声に、俺はふり返って手を振った。外車に乗り込みながら、東畑さんが笑って手を振っていた。
アンデッドオンラインの話はしないでおくべきかもしれないが、別のゲームの話ならしてみたい。
いやしかし、思えば昨日の西田はゾンビの本も持っていた。たぶん文芸部で使うのだろう。ということは、東畑さんも案外と恐ろしいホラーや血が飛び散るスプラッターが平気なのかもしれない。
東畑さんをアンデッドオンラインに誘って、俺がゾンビになった謎をいっしょに解く、そんな光景を夢想した。ほんの一瞬だけだが。
ゲームセンターに行くのは、昨夜から今朝にかけて入手した情報について調べるためだ。
シフトの関係で、木曜の夕方に久住さんはいない。それでも俺がゲームセンターに向かったのは、どうしてもリベルタについて調べたかったから。
念のため、久住さんを信用しないわけではないが、別の店員にアンデッドオンラインへ問い合わせしているか確認もした。きちんと一昨日の内に店長や本社と連絡したらしいが、今は回答待ちだという。
他のプレイヤーから不具合の報告もなく、アンデッドオンラインを使用中止にすることはできないという。
「それは、しかたないでしょうね。このゲームは遊び続けないとレベルが落ちる一方ですから」
俺の言葉に、太った店員は苦笑いで答えた。
「久住さんからいわれているけど、さすがに不具合が出ているらしいと知りながらログインする今回は、俺の一存ではサービスできないよ?」
そして小声でつけくわえた。
「……というか、良いのかなあ、色々と」
「かまいません」
眉をひそめた店員に、きっぱり答えた。
不具合が出ているのに無理に動かし、もし大問題を引き起こしたなら、ひょっとして俺や店員の責任が問われるだろうか。
……それでも、俺は行動して真実をつかむ可能性に賭けた。データを取り戻すために努力することを選んだ。子供っぽい行動だと頭では理解しつつ、進むことを決めたのだ。
「それに、せっかくトップレベルなんですから、今の内に遊んでみるのも一興って奴でしょう」
店員は贅肉をゆらしながら笑っただけだった。
これまでのようにランポシステムが置いてある店奥へ向かう。無駄とは思いつつ、念のために前回とは違う個室に入った。
肉体を生温かいウォーターマットへ沈ませ、重厚なヘルメットをかぶる。
乱舞する原色の光と、ゆるやかな音に身をゆだねた。
やがて、体が浮かび上がっているような気持ちが生まれるとともに、俺は不死の楽園へ落ちていった。




