第二夜 (その4)
図書室の戸は、古い木製の引き戸だ。滑りが悪く、開ければギシギシと音をたてる。
左手前に受付があり、隣の司書室に繋がる扉がある。正面にパソコン使用のため区域を区切っている合板のパーテーション。右側にはずらりと天井まで届く本棚が教室二つ分も並んでいて、薄暗い。
本の隙間から、ひょろんと縦長い背中が見えた。
本棚をひとつ挟んだ向こう側で、何かを熱心に読んでいるらしい。短く刈った髪型とあわせて、たぶん西田だろうと思って目をこらすと、正解だった。
自習用の机は本棚の列をはさんだ奥にある。その机では、委員長や他の文芸部員らしい男達が机にコピー用紙を広げ、何か話しあっていた。東畑さんの姿はない。
どうやら部員が作った小説について議論しているらしいが、図書室なので声をひそめており、俺の位置からは聞き取れない。別に盗み聞きするつもりはなかったので、すぐに視線を外した。
図書室にいる学生は、その数人で全てだった。
この学校は歴史がある分だけ、蔵書も古いものが多く、しかも大半は書庫に収めている。本が好きな学生にとっても、あまり魅力ある空間ではない。
しかし、人の目が少ないこと自体はありがたい。
司書にたのんでインターネットにつないでもらい、パソコンを立ち上げた。検索すると、すぐにアンデッドオンライン情報を収拾しているサイトがいくつも出てきた。
ファンがこうじてアンチになったサイト、システムの不具合を利用した裏技のまとめサイト、アイテムを売買しているサイト……といった健全な青少年の育成とやらに悪影響をおよぼすとされるところは、フィルターがかかっていて読めない。
まあ、もともと攻略情報として裏技を集めている掲示板は、無関係な情報の書き込みが少ない。俺のアバターがゾンビ化している状況は、おそらく裏技として使えないだろうから、掲示板に情報が書き込まれることは期待できない。それに、そもそも怪情報が多くて当てにならない。
こっそりフィルターを外す手間をかけるのも面倒だ。今は後回しにして問題ないだろう。
次に、誤動作やバグ情報を集め、対処法をプレイヤー同士で共有している掲示板には情報がありそうだと思った。しかし過去ログをスクロールしていっても、俺と同じような状況に陥った者はいないようだ。
ただ、どうも誤動作の報告が新しい月ほど多くなっていることが気にかかった。どうやら参加するプレイヤーが増えるに比例してバグも増えていているようだ。
バグ情報掲示板では、ゲームを動かしているソフトウェアかハードウェアのどちらかに負担がかかりすぎていることが原因、という説が有力視されている。
そういえば、俺の遊んでいた地区でも、PCがふれるとフリーズしてしまうようなバグが発生しながら、放置されたままだった。
雑談用の掲示板をのぞいてみると、バグの修正が遅れている運営会社への怒りがうずまいている。ここを以前に見た時は、興奮した書き込みが少なくて、冷静な議論に好感を持ったくらいだったが……
ふいに、ゲーム世界の隠れ家に置いてあるデータは無事なのだろうかと不安になった。
隠れ家といってもアパートという設定の一室に、様々なデータを持ち込んで隠している。たとえ核シェルターだったとしてもゲーム内の架空建造物だ。ゲームそのもののバグが発生すれば、ゲーム内で設定された強度など意味はない。
隠れ家の周辺はPCが多く集まり、プレイヤーの勢力圏となっていて、ゾンビはなかなか近寄れない。プレイヤー同士が牽制して、宝探しを競うような状況にも今のところはなっていない。
しかし、その安心感がゾンビになった今では障害でしかない。
隠れ家の近くに集まっているPCは、もはやライバルを超えた、ただの敵だ。
進入してデータを取りに行くのは不可能に近いだろう。
ソロプレイヤーで仲間がいない俺では、誰かにデータを回収してもらうことも難しい。
交換条件を提示したりして誰かにたのみこむ手もあるが、仲が良くない他人に知られていいデータばかりではない。誰にも知られたくない、大切な映像データがあるのだ。だからといって、じっくり気心を知れた仲間を作るような時間も残されていない。
俺は、アンデッドオンラインの状況を探るため、プレイヤーのアンケートから統計を出しているサイトをのぞいた。
アンケートに答えるプレイヤーの数は多くないし、回答結果を統計として処理するまでタイムラグがあるから、情報を全て信用することはできない。しかし、それでもPCのレベル平均値が上昇し続けていることは確認できた。
やはり、東畑さんに話しかけられる直前に気づいた危惧は、残念ながら現実のようだ。レベルが上げられないということは、アンデッドオンラインでは重大な問題をひきおこす。
アンデッドオンラインは、ただゲーム内で活動するだけでも、少しずつレベルが上がっていく。だから当然、戦闘しないプレイヤーでも、時間に余裕があればログインし、ゲームに金を落としていく。
そうした平均レベルの上昇に置いていかれないよう、多くのプレイヤーはこぞってレベルを上げようと戦闘する。戦うために制式アイテムを入手するため、さらにゲームへ金を落とす。戦って死ねば、新しいPCを使うために金を落とす。
そうして運営会社は利益を上げていくわけだ。
全く金を出さず戦わずに生き残ろうとしても、ゾンビが襲ってくる。周囲のPCがレベルを上げていけば、それが死んでゾンビ化することで、NPCの平均レベルも上がっていく。いくらゾンビが単純な人工知能で動いているとはいえ、無限の体力と、一定以上のレベル差があると脅威だ。
つまり、このアンデッドオンラインは、レベルを上げ続けないと、いつかゲームオーバーになる仕組みなのだ。
しかし、レベルを上げ続けるべきゲームには、解決の難しい問題がつきまとう。
ベテランが強くなりすぎて、ランキングの上位層が固定化されることが多いのだ。ベテランが強いのはしかたないとしても、新しい客を呼びこむ工夫が必要だ。
そこでアンデッドオンラインは、新規に購入されたPCを、平均値よりややレベルが高くなるように設定している。
厳密には平均ではなく標準偏差というものを基準にしているらしいし、人間の判断で微調整もしているらしいが、しばらくゲームを中断していたベテランよりも、新しい客はレベルが高い状態でスタートできるわけだ。
新しい客を呼び続けているから、アンデッドオンラインはゲームとしての消費期限が長い。それどころか、しばらく休んだベテランプレイヤーが過去のPCを捨てて、新しくPCを購入しなおすことすらあるという。
もちろん、会社側がゾンビのレベルを上げすぎれば、それもまたゲームとして面白くなくなって、プレイヤーが離れていくだけ。その調整も重要になる。
俺は攻略情報を集めたサイトから、ゾンビについての情報が書かれているページを開いた。未確認な噂を集め、信頼性が高い情報を特にえりすぐりした欄を読んでいく。
PCのレベルを上げていくように自動で動かしているNPCもレベルを上げていこうとすれば、コンピュータの計算量もはねあがっていく。そこでゾンビは死んだ時のレベルで固定されたまま、耐久力だけが上がっているという設定だと噂されている。
判断力や行動力はゾンビという設定をいかして単純化されているし、自然治癒する設定もNPCになった時点で使われなくなる。そうした機能の省力化が、同時に、ゲームのバランスを調整する役割もはたしている……これが、俺たちプレイヤー側がゾンビと戦い続けて出した結論だ。
ゲーム運営会社はゾンビについて正式な設定を明かさず、肯定も否定もしていないが、事実上プレイヤーの常識となっている。
このままでは、ゾンビとなってレベルを上げられない俺は周囲の上がり続けるレベルから置いていかれる。
現時点でこそ世界トップクラスのレベルで最強に近い戦闘力を誇ることができても、それが意味をなさなくなる日は、一ヵ月後か、一週間後か、おそらくはそう遠くない……
悩む思考の渦は、チャイムの音によってかきけされた。
続いて、こんこん、と木の壁を優しく叩く音が聞こえた。
「川下さん、そろそろここ閉まるよ」
かけられた声に顔をあげると、委員長がパーテーションの向こうにいた。分厚い本を何冊もかかえている。ゾンビ、フランケンシュタイン、ドラキュラ……なんだかバラバラな内容だ。
立ち上がって図書室を見わたすと、奥から順番に消灯されていく。窓の外はすでに陽が落ち、薄闇となっていた。
「悪い……」
委員長は苦笑している。
なんだか俺は気恥ずかしくなって、委員長の本へ話題を移そうとした。
「それにしても、ずいぶんたくさん借りてるな」
古いハードカバーということもあって、細腕に重たそうだ。
「これかな?」
委員長は、苦笑いしながら自分のかかえている本の表紙へ視線をおろす。
「ほとんど資料だから、全て読むわけではないよ」
「……重くないか。手伝おうか?」
勇気を出していってみたが、委員長は苦笑して首を横にふった。
「だいじょうぶ、ちゃんと重さを考えて借たから」
などといいつつ、腰を落としてかかえ直す。
「でも、ありがとう」
パソコンの電源を落とし、司書に連絡して、俺たちは図書室を出た。校舎の中もすっかり暗くなっている。
「文芸部だったんだな」
東畑さんに対してと同じような台詞しか出てこない。
「楽しいよ。たしか帰宅部だったと思うけど、入らない?」
なぜ名前は忘れているのに、そんなことは記憶しているんだろう。
「ゾンビとか、そういうのばかりだったら興味あるかな」
ちらりと表紙に視線をやる俺に、委員長はうなずいた。
「ホラーもサスペンスもアクションも、どんなジャンルが好きでも歓迎だよ」
……あれ、笑っている。
廊下は暗くてよくわからなかったが、確かに委員長は微笑んでいた。いつも厳しい表情をしているが、その笑顔は優しかったと思う。
勧誘のために演じたり媚びたりしているのではない。これは委員長とはまた違う高原の顔なんだ、と思えた。
しかし、残念ながら誘いは断らなければならない。現状でゲームをやめれば失うものが多く、心残りも多すぎる。もしゲームで異常事態が起きていなければ、すっぱりやめることができたかもしれないのに。
「ちょっと今はやりたいことが多くて、いそがしいから……」
「そうか。じゃ、気が向いたら来てね」
小さく片手をあげて、委員長は去っていった。正面の靴箱とは違う出入り口から帰るという。
携帯で時刻を確認すると、走ればまだバスに間にあうころだった。廊下の前方には、背筋をのばして歩く委員長の背中が見える。暗がりに長い金髪が美しく浮かび上がっていた。
……緊急事態だから、委員長も怒るまい。
そう心の中で思いながらきびすを返し、俺は靴箱へ向かって全力で廊下を走った。
とっつきにくい雰囲気と厳しい性格から、あまり委員長は男子の人気がない。
むしろ女子から憧れられている率が高いくらいだが、それを逆にいえば距離をとられているということ。対等な女子の友人も少ない。
外見も成績も平凡以下な俺とは比べものにならないが、結果的に一人でいることが多いところは似ている。
だから、体育などの授業でペアを組まされる時、あまった相手として委員長と組むことも多かった。男女だが、委員長は気にするそぶりを見せず、その堂々とした態度のおかげでからかわれることもなかった。
……それで名字をおぼえてもらっていなかったのは、正直いって残念だったが。
ともかく、俺は男子として最も委員長に近づいたことがある一人だと自認している。外見だけの好みでいえば東畑さんが上だったりするが、その厳しくもさっぱりした性格が、けっこう好感を持てた。
あるいは、これが一目惚れというやつなのかもしれない。
ただし俺には、恋人になりたいと相手に告げるほどの勇気はなく、その姿を追い続けるほどの執着もない。ちょっと気になるというだけだ。
ただ一度だけ、男子の間で女子の盗撮データが出回っていた時、こっそり委員長のそれを買い取ったことがある。
何のことはない、学校のイベントで一人いるところを遠くから映しているだけだったが、せっかく買ったものだし、それなりに大切にしている。
もちろん誰にも見つからないように隠しているのだが、それゆえに今は見返すことができない。
そう、アンデッドオンラインの隠し場所に置いている最も大切で希少なデータこそ、その委員長の映像だ。
だから俺は、誰にも見つからないよう一人で、データを取りにいかなければならない。アンデッドオンラインの中へ。




