第二夜 (その2)
昨夜は、仮想現実の世界で、わけもわからず生ける屍になっていた。
そして現実の今も、死んだように机につっぷし、教科書の解説文をだらだら読み上げる教師の言葉を、右耳から左耳へ素通りさせていた。
そんな俺の右耳に、優しい吐息のようなささやきが吹きかけられた。
「ねえ、川上くん、起きようよ……」
軽く肩をつつかれている。甘く、優しい、この声は……隣の席の女子だ。
ぼんやり寝ぼけまなこで起きあがると、黒髪の少女が俺を見つめていた。前髪は直線的に切りそろえ、後ろ髪は腰まで届くほど長く、まるで日本人形のような髪型だ。
「ああ……悪い。悪いが」
俺はうなずいて、目立たないように机からゆっくりと体を起こした。口元をぬぐうと、よだれが乾いてこびりついていた。
感謝はしておくが……
「しかし、川上じゃない、川下だよ」
俺の注意に東畑が顔を真っ赤にして、照れたように苦笑した。
「そう、ごめんなさい。クラスメイトの名前は、きちんとおぼえていないといけませんね」
まあ、俺もクラスメイトの名前は半分も記憶していないが。
ノートに鉛筆をはしらせながら、ちらりと横目で隣を見る。名前は東畑木綿子、学校全体でも一二を争う美少女の一人。着物が似あいそうな、いかにも和風のおとなしげな雰囲気を身にまとっているが、けっこう出るところは出ている。
下品な話だが、彼女の胸をもみしだいてみたいという男子は多いと聞く。
実際、さわり心地はいいらしい。ごくたまに、女子がからかい半分に「さわらせて」と頭をさげてたのんでいる光景を見かけたりする……という噂が男子の間で流れているが、実際にその光景を見たという者はいない。噂を信じている連中は、きっとマンガやアニメの見すぎだ。
「川下くん、ここだよ」
東畑さんは俺が思い浮かべていることなど知るはずもなく、かわいくほほえみながら教科書を開いて、教師がどこを解説しているのか指さし確認してくれた。
俺は内心が顔に出ないよう、ハードボイルドな表情でうなずく。いや、さっきまで寝ていてハードボイルドも何もあったもんじゃないが。
東畑さんが指さした先に、小さな文字で書き込みがしてあった。
「夜、何してたの?」
ノートの端に走り書きして、答える。
「メール」
嘘ではない。アンデッドオンラインを管理しているゲーム会社に連絡していたのだ。しかし、いつまで待っても返信は来なかった。
「それとネット」
ただ待っていてもらちがあかないので、アンデッドオンラインのバグ情報が転がっていないかとインターネットで調べてみた。いくつかの掲示板やSNS、まとめサイトを見てまわったが、関係ありそうな噂や怪情報すらひっかからなかった。
俺はチームプレイをしていない単独プレイヤーで、インターネット上のコミュニティにも参加していない。情報を期待できる仲間はいないのだ。もちろん情報やアイテムを交換することはよくあるが、そうした取り引きを専門にしている相手でないと、どう対応していいのかわからない。
ゲームで仲間がほしかったわけではないし、自然に友達ができるような性格でもない。学校で会話をする相手は東畑さんくらい。それも、たまたま隣の席になった東畑さん側から話しかけてこなければ、俺から話すことはなかっただろう。
「ちゃんと夜はネなくちゃダメだよ」
文字で叱責する東畑さんに、俺は無言で頭をさげた。
バシン、と音をたてて教師が教卓にプリントの束を置いた。俺は思わず身をすくめる。
「おまえら、これを明後日までにやっておくように」
その言葉を合図のようにチャイムが鳴る。
「起立!」
凛、とした声が教室に響く。声量そのものは大きくない。かん高いわけでもない。一音ずつ区切って発音する、そのハキハキした口調のおかげで、私語でざわめく教室の隅にいても届くのだ。
椅子から立ち上がりながら、声を発した委員長を見やる。両サイドから短いオサゲを垂らし、背中には艶やかな金の髪が流れている。地毛だから学校でも許されているわけだが、ハーフとはいえ目立つ髪のままなのは、学園を運営する理事の孫娘であることと、本人の性格ゆえんだろう。
「礼、着席!」
一礼をした後、着席して教師を見送るのは委員長だけ。他の皆は着席を省略して、友達の席に行ったり、机の脇にかけている鞄から次の授業の教材を出したりしている。
俺の視線に気づいたのか、委員長がふりかえった。整った鼻筋に、やや釣り目な、クールな美人といったところ。もっととっつやすい性格なら、男子の人気を集めて学園のアイドルになっているに違いない。
立ち上がり、委員長が歩いてきた。背はクラスの平均と同じくらいで高くないが、スタイルはいい。つんと突き出た胸はゆれない程度に大きい。少し見上げると、釣り上がった青い瞳が俺を貫く。
その厳しい視線から、俺は目をそらした。
教科書を置きながら、椅子に座ったまま東畑さんがたずねる。
「フランさん、どうしたの?」
フランは愛称で、委員長の名前は高原=フランソワーズ。本当のフルネームはさらに長いらしいが、とりあえず学校ではその名前で通している。主にヨーロッパとの貿易を手がけ、この地方で名家に数えられる高原家の、跡継ぎに目されている御息女だ。まるでマンガやアニメの中から出てきたような存在だ。目の前にいるのに、リアリティがない。
委員長は東畑さんの机の前で立ち止まり、見下ろした。その厳しい視線を東畑さんがおっとりした笑顔で受け止める。
東畑さんの家も室町時代から続く旧家だそうで、この学校を代表するお嬢様の対決、といったところか。どちらもスタイルがいいし、雰囲気は正反対ながら甲乙つけがたい美少女であり、対面する様子は見映えがする。
「あなたというより、隣の人の問題です」
東畑さんの隣に座っていた西田が、見ていた漫画からあわてて顔をあげた。
「お、俺っすか?」
西田が机に隠す表紙には、巨大な瞳に星や月が飛び散っている絵柄で、『ケーキケーキケーキ』という文字が書かれているのが、一瞬だけ見えた。甘ったるそうなタイトルだ。
ごつい顔に似あわず西田は古い少女漫画が好きなようで、男子が見ること自体は珍しくない昨今でも、周囲からよくからかわれている。
「すみません、西田さんのことではありません」
委員長は小さく頭を下げ、俺の方を見た。低い声で詰問してくる。
「授業中、何をしていたの?」
整った顔立ちのため、眉をしかめた表情がいっそう怖い。
しかし同時に、ぐっと胸をはって腕組みした姿勢は、ちょっと目のやりばに困る。
いつもなら、他人に怒られている最中に、のんきなことを考えたりはしない。寝起きで頭がぼんやりしているためか、自分の魂が遠い場所から肉体を操っているかのような気分になっている。そう、まるでランポシステムでPCを操っている時のようだ。
委員長は眉をひそめて俺の机に目をやった。
……しまった。
机に置いた手が、しっかり証拠物件のノートを押さえつける。走り書きは相手に見せたらすぐ消すべきだったか。
「東畑さんと交換日記?」
周囲に誤解されないための気配りか、委員長は声を落として、密やかに問いかけてきた。
俺は少し視線をあげる。ちょうど委員長の胸がそこにある。
ずいっと身を乗り出した姿勢の委員長は、もちろん制服に隠されて谷間など見えないが、わりと嬉しいながめではあった。
「どこを見ているの? ちゃんと人の目を見るものでしょう」
視線を上げると、すぐ近くに委員長の顔。ひそめた眉がさっきよりも険しくなっている。怒りにふるえるように、両サイドのおさげもふるえている。
「……確かに、悪かった」
俺は素直に頭をさげた。
客観的に見て、悪いのは俺だけだ。
質問してきたのは東畑さんだという釈明は、そもそも授業中に寝ていたから心配して質問したのだという順序を無視しないと主張できないわけで。
「あなた一人が寝ているだけなら、成績が落ちるだけで自業自得というもの。だけど、東畑さんに迷惑をかけるのはやめなさい」
小さいが通る声ではっきりささやいて、委員長は自分の机へ戻っていった。皆と同じゴム底の室内履きをしているが、カツカツという足音が聞こえてきそうな、立派な後姿だった。
そんな委員長の背中を東畑さんが見つめていることに俺は気づいた。はっとした顔で東畑さんが俺に向きなおる。
「ごめんなさい、話しかけたりして」
東畑さんが両手を合わせ、片目を閉じて謝ってきた。俺は首を横にふる。
「いや、そもそも俺が寝ていたせいだ……」
しかし、委員長は俺が寝ていたことに気づいていたのか。ノートの端に書いた「メール それとネット」だけで、寝ていたと確信できるわけがない。さっき、東畑さんに責任転嫁する釈明をしていたら、きっともっと怒られていただろうな。
委員長が席につくとともに、教室が再び私語でざわめきだす。話している内容は、多くが委員長の態度についてだろう。
さすがとか、かっこいーとか、少なくとも表向きは誉める言葉と、キツイとか、クソマジメとか、厳しさを嫌がる言葉で、賛否両論といったところ。
しかしその私語も、授業の始まりを告げるチャイムとともにおさまっていった。
号令をかける委員長の声色は、いつもと何も変わらない。こちらからは委員長の表情は見えないが、きっと賞賛も批判も涼しい顔で受け流していたのだと思う。




