第二夜 (その1)
もともと俺は生ける屍のような人生を歩いてきた。
もちろん人生といっても、たかだか十六年くらいの時間をすごしただけ。つまり、生きている実感がないというのは、社会に出たことのない子供ゆえの主張なのだろう。それくらいの自覚はある。だが、自分の問題を大げさに表現するのは思春期の特権でもある。
そして、生ける屍というのはただの比喩表現であって、本当に一度死んで蘇ったというわけではない。生きているという実感をえたことが一度もないということだ。少なくとも物心がついてからは。
ただ、その場しのぎに日々の問題を適当にやりすごして生きている。死人と何も変わりない。生ける屍というのは、そのくらいの意味だ。
俺は不景気の波に飲まれつつある地方都市で生まれた。そのまま普通に義務教育をやりすごし、かろうじて歴史ある私立高校へすべりこんだ。どこにでもいるような高校男子一年生にすぎない。
友人と呼べるほど気心の知れたクラスメイトはいないが、話しかけられれば雑談くらいはする。
所属は帰宅部で、趣味らしい趣味はない。せいぜい学校の帰り、行きつけのゲームセンターで一時間ほど遊ぶことが習慣になっているくらいだ。
ただ、そのゲームでそれなりの達成感をえることができた一瞬も、たしかにある。
半年ほど前にオンライン対戦で国内上位ランクに名をつらねた時もあった。しかし、それも一人で情報収集しながら遊ぶだけでは限界があり、今のランキングは個人プレイヤーというくくりで、それも地区内の上位を維持するのがやっとだ。
いずれにせよ俺は、自分自身を生ける屍のように思っていたわけだが、それはあくまで例え話だった。ゲームの中でとはいえ、本当に生ける屍となり、夜の街を逃げまわりながら死んだ理由を探すはめになるとは、思いもよらなかった。
どこまでも続く暗い穴……つまりアンデッドオンラインのセーブポイントに飛びこんだ俺は、赤青黄色、紫や緑といった原色で乱舞する光を全身にあびた。
そうして気の遠くなるような時間をかけて落ち続け、やがて押しつぶされたカエルのようにびくんと体をそらした。
地面に激突したわけではない。そのような衝撃はない。現実世界に覚醒し、本来の身体感覚を取り戻したのだ。
どうやら無事にログアウトはできたらしい。
生温く柔らかい、お湯を入れた巨大で丈夫な水風船に包まれているような、心地良い気持ち。足先と肘から先だけに拘束されているような感触があり、少し汗ばんで湿っていた。
目の前は真っ暗で、俺自身の呼吸音だけが反響するように、こもって聞こえる。
炊飯器のように分厚いヘルメットを脱ぐと、白っぽく清潔な光で満たされた個室の風景が目に入ってきた。
仕切り壁の向こうから、様々なゲームの音が輪唱のように重なって聞こえてくる。
ゲームをプレイするためのグローブとブーツを脱ぎ、リクライニングチェアから起き上がる。ぽよん、とチェアのウォーターマットがゆれた。
ランポシステム。
現実と区別がつかないほどの仮想空間を、極めて安価に実用化した発明品。そのアイデアの核心は、映像や音響を視聴覚に投影するヘルメットではなく、ウォーターマットを利用したリクライニングチェアにある。
ヘルメットの内側に投影された映像は、視野の全てをカバーするが、解像度はさほどでもない。痛覚や触覚や味覚や嗅覚を体感させる機能は皆無だ。本当に現実的なのは立体音響だけ。仮想現実空間をリアルタイムで描くには限界があるし、たかがゲームのためにはコストもかかりすぎる。
実は、アンデッドオンラインの世界は、左右の目の位置に合わせてリアルタイムで出力しているだけで、解像度はさほどではない。もしもランポシステムを利用せずにアンデッドオンラインの映像を見れば、積み木細工で構成された世界のようにしか見えないだろう。
現実のような体感をおぼえさせるため、ランポシステムは逆転のアイデアを用いている。仮想現実を機械で完璧に再現するのではなく、不完全な仮想現実が現実であるかのように人間側に錯覚してもらうのだ。
ゲームをやめた時の、落下する夢を見ていたような気持ちは、嘘ではない。実際に俺は夢を見ていたのだ、ずっと。
体温にあわせて調整されたチェアに沈みこみ、周囲の感覚を遮断すると、プレイヤーは催眠状態におちいる。二十世紀から生理学的に確認されている現象だ。
そしてゲーム開始時に原色が乱舞する光景と音響が催眠状態へ深く導き、おおざっぱなオブジェクトで構成された立体映像を、迫真の現実としてプレイヤーに感じさせる……
セーブポイントに飛び込む直前まで、PCの外見が変わっていることに気づかなかったのも、ゲームに興奮していたためだけではない。そもそもゲーム内の映像が簡素なのだ。
催眠状態で映像を見ていた俺は、いつもと変わりないと錯覚し、ゾンビになっていると自覚した後も、外見が変化していることに気づかなかった。
ぼやけた頭をふりながら体を起こすと、すでに女性店員が個室に入ってきていて、チェアに付属している機械を操作していた。
俺が起き上がると、店員はチェアの座面を使い捨ての布巾でふいて、スプレー一吹きで消臭していく。このゲームセンターのロゴが入ったエプロンと三角巾を着けて、やや外見は野暮ったい。
「ご利用、ありがとうございました」
あいさつはそっけないが、顔なじみの店員だ。俺が小学生のころから、ここで働いている。
ざっくばらんな物言いと、野暮ったい格好に反比例して整った顔立ちが、常連から人気がある。
「……クズミさん、ちょっと話があるんだけど」
グローブとブーツを受けとって一礼した店員は、俺の文句に首をかしげ、眼鏡の奥にある目を細めた。
「……購入していないPCにログインしたって? あんたが何か変な操作をしたんじゃないかい?」
「久住さんなら、俺がそんなことしないってわかっているでしょう?」
「そういう常連と店員の馴れ合いがゲームセンターをつぶすんだよ」
……などと、呆れたのか自嘲したのか、話を聞いた本人は苦笑いしていたが。
久住さんは首をかしげながら、リクライニングチェアに繋がっているキーボードを叩いていく。
おそらく見てはいけないものが映っているだろうモニターからは、意識的に目をそらしながら聞いた。
「どうですか?」
「こっちじゃダメみたいだね。直せないっていうより、何も異常は起きていないとある。本当に変なことをしていなのかい」
「ログインする時、会員証を出した後は、全て久住さん達が操作しているじゃないですか」
「そうだったね。とはいえ、こっちだって暗証番号を手で入力しているわけじゃなく、カードリーダーに通して自動で読みこんでいるわけだし……サーバーの問題かねえ」
久住さんは尖った顎先に人差し指を当てて、考えこみ始めた。
「すみません、俺そろそろ帰らないと……」
携帯電話で時刻を見て、そろそろバスのタイミングだと確認した。ひとつうなずいて、久住さんが会員証を返してくる。
「悪いけど、今日のところはこのまま帰ってくれ。こっちでも会社へ連絡してみるから。他に何かあったら、会員証に書いてあるアドレスへメールしてほしい」
会員証を受けとろうとして、それがゲームセンターの回数券にはさまれていることに気づいた。
「とりあえず、今日の筐体使用料分は返しておくわ。他の客にはいわないでね」
俺は久住さんに頭を下げ、ロッカーに入れておいた鞄をつかんで、個室を出た。個室といっても、ゲームセンターの一番奥に、薄い板でパーテーションを区切っているだけ。
正面は白い壁にゲームのポスターがはってある。左右を見わたすと、ランポシステム筐体が入っている個室が両隣に一つずつある。
以前に久住さんから雑談で聞いた話によると、かなり場所をとる上に高価らしく、このゲームセンターではレンタルで三台入れるのがやっとだったという。
「不景気でなければ、もっと入れられたんだけどねえ」
「俺も正直、家庭内ゲーム機で遊べるなら、そっちで遊びますよ」
「はっきりいうね」
「でも、こればっかりは家庭じゃ遊べませんからね」
「そうだね。郊外のショッピングモールでは十数台を入れているとか聞くけど、ここじゃ無理だね……」
そういって久住さんは苦笑いしていた。
裏通りに繋がる北口に行こうとして、ふいに聞こえた歓声に俺は立ち止まった。ふりかえると、さまざまなゲーム筐体の向こう側で、巨大モニターが様々なゲームのランキングを表示している。
巨大モニターはゲームごとにランキングを別け、様々なゲームを順番にピックアップし、定期的にゲームのリプレイも映している。断続的な歓声は、ピックアップの順序がまわってきたゲームのファンが、興奮して叫んだものだろう。
やがてアンデッドオンラインランキングの出番がやってきた。俺は店内中央に入る気は起きず、ゲーム筐体の影から身を乗り出すようにしたまま、巨大モニターを見つめた。
2頭身にデフォルメされたPCが、幾何学的な図形で構成された風景を歩いていく。アンデッドオンラインでゲームを楽しむ俺らが見ている映像は、ランポシステムを通して錯覚することを前提としている。催眠状態になっていない者が観戦するには、あえてデータを基に古臭くデフォルメした画面こそ、中途半端にリアルな風景よりゲームらしく感じられるわけだ。
「ア・クロックワーク・シトラス」や「THX」といった有名なチーム名が並んでいく。最上位は「リベルタ」という新興チームだ。少し前から名前を見かけているが、レベルの平均値こそやや強いくらいだが、構成プレイヤー数で他のチームを圧倒的に引き離している。
そしてトップランキングの下位にいる「IGP」というチームが戦っている風景が映し出された時、俺は顔をしかめた。一体のゾンビを追い続けようと散らばったIGPは、取り逃がすだけでなく斥候のエースやチームリーダーが返り討ちにあっている。
チームリーダーの外見はデフォルメされているが、青いツナギを着たアフロ頭ということははっきりわかる。間違いない、俺を追いかけていた連中だ。さっき戦った印象ではさほどの強さではなかったが、レベルを見ると新興チームのわりに成績がいい。
モニター上で、アフロ頭が意味もなくフリーズした。どうやらデータ上ではバグが発生していないことになっているらしい。その止まった一瞬に撃ち殺したゾンビの姿を見て、わかっていたつもりだが落胆をおさえきれなかった。緋色のコートを着た2頭身のゾンビ。どう見ても俺の使っているPCではない。
もしもゲーム内で見ている風景と、こうしたデータから再構成した光景が違っていれば、はっきりゲームがバグを起こしているといえる。チームIGPにたのめば、データではPCだが戦った相手はゾンビだった、と証言してくれたかもしれない。
そしてチームランキングの影に隠れるように、個人プレイヤーのランキングも片隅で小さく表示されている。
俺の使っている「鉄十字腸」は地区の個人トップに表示された。レベル30795は、チームで戦わない個人プレイヤーとしては、どこに出しても恥ずかしくない数字だ。
もちろん、世界中でプレイされているアンデッドオンライン全体から見れば、埋没するレベルにすぎないが。
「たいしたもんだね」
いつの間にか久住さんが隣に立っていた。腕組みをして巨大モニターを見つめている。
「やっぱり、川下の成績も悪くないじゃないか。ひまな連中ならともかく、放課後のプレイだけでこれってのは……」
俺はうなずく。しかし何もいわず、ランキングを見つめ続けた。
久住さんの言葉が嬉しくないわけがない。だが、今の俺にはもっと気になることがあった。俺がいつものPCでログインできなかったという、はっきりした証拠だ。
まず30795という数字。これは俺が前回に戦闘した後のレベルと変化していない。ゾンビと戦って勝利した以上、多少なりとも上がっていなければおかしい。
レベル表示の隣には、今日はゲームにログインしていないという表示も出ている。この表示は、トップランカーがログインしていることを示せば、協力を持ちかけたり、アイドル視するために、別のプレイヤーがログインすることを期待して、ゲーム会社が公開している情報だ。
もちろん個人情報については問題ない。そもそもオンラインゲームとはそういうコミュニケーションを前提として、対戦するものだ。ゲーム内で偶然に遭遇することはしかたなくても、全体に情報が表示されることを嫌がるプレイヤーもいるが、その場合は表示しないよう選択することもできる。
いずれにせよ、レベルが変化していないのは事実だ。個人プレイヤーの2位以降とはまだ差があるが、ログインしていると表示されているランカーのレベルを見れば、じりじりと端数が変化して追い上げられている。
この調子だと、明日か2日後には個人トップを脱落するだろうし、おそらく3日後にはランキングそのものに載らなくなる。
「……大丈夫かい、ひどい顔だよ」
久住さんにいわれて、はっと気づいた。様々なゲームが重層的に奏でる音が、鳥や獣の群れが鳴いているかのように、店内に響き渡っている。
俺は首をふって大丈夫だと告げ、店内に向きなおる。
このゲームセンターは、商店街に面した正面入り口に明るい家族向けゲームを並べ、奥に行くにつれてマニア向けになっていく。
ぬいぐるみをクレーンでつかんだ効果音。シューティングゲームの射撃音。ダンスゲームで足を打ちつける音。巨大モニターのランキングがまた別のゲームへ変わる。
そして最も手前のスロットで打っている三つの影に気づき、俺はあわてて顔をひっこめた。
岡田、丸山、大月。眼鏡をかけた小太りの、少し目つきが悪い三人組。顔をしかめてスロット台のボタンを叩いている。
向こうが俺を知っているかは知らないが、俺は向こうを知っている。
「知りあいかい?」
久住さんの問いに俺は小声でうなずいた。
「……クラスメイトです」
間違いない、いつも教室の片隅でたむろっている連中だ。私服に着替えているのと、スロットの周辺は暗いのとで、気づくのが遅れた。
岡田たちがこちらに気づく様子はない。かといってスロットに夢中になっているという様子でもない。つまらなそうに面倒くさそうに、片手をポケットに突っ込んだまま、無表情で反射的にボタンを叩いている。
俺の通っている学校は歴史があり、そんなに古典的な不良はいない。三人組も、高校生にしては見た目が老けている程度だ。
お小遣いとは思えない大金で遊んでいるとか、以前に立ち入り禁止の場所に入って補導されたとか、いくつか悪い噂も聞いているが、しょせんは噂。人づきあいの悪さで俺のほうがよほどひどい。
今そこで遊んでいるスロットも、メダルの量に応じて景品を渡すだけで、その景品を買い取って実質的に換金するような真似もしない。いたって健全な種類ではある。
もちろん、ただゲームセンターにいただけでなく、スロットをしていたと学校に伝えれば、何らかの処分があるかもしれないが……そういう密告をするのは好きではない。三人組はただ楽しんでいるだけだ。
そろそろ帰りのバスへ遅れそうになったので、俺は久住さんと別れた。
別のゲームのランキングを表示している巨大モニターに背を向け、裏口に向かう。ゲームセンターの中央を突っ切る気にはなれない。一人で遊んでいるところを三人組に見られたくないし、教師に見つかったらもっと面倒だ。
裏通りに出る扉を開けると、とっくに日は暮れていて、街灯がぽつりぽつり光りだしていた。不景気のためか、道ゆく人の顔は誰もが沈んでいて、俺の他に若者の姿が見えない。
まるでアンデッドオンラインの世界と変わりない風景に見えた。




