第一夜 (その1)
火曜の放課後のこと。
いつものように俺は街の中心部に出て、ゾンビ狩りを始めようとした。
まぶしい光に目を細めつつ、殺傷能力を持たせた改造モデルガンを手に、墓標のように雑居ビルが林立する区画へ歩み出る。
周囲に見えるのは、壁に衝突して乗り捨てられた自動車、動かない踏み切り。全ての信号機は赤ランプが点滅中。
少し視線を上げると、一区画ほど離れた場所に駅ビルの屋上が顔をのぞかせていた。
その駅ビルから視線をおろしていくと、一つ先の交差点で、ふらふらと酔っぱらいのように左右へよろめく男の影があった。
一体、二体、いや、三体だ。こちらに気づかず、倒れそうな前傾姿勢で、小走りで何かを追いかけている。
手ごろな標的だ。
改造モデルガンに弾がこめられていることを確認し、安全装置を外して、俺は走り出した。
数年前、流星群が地球の全土に降り注いだ。
謎の隕石は肉にめりこむ弾丸のように地面を貫き、細く深い穴を無数にうがった。しばらくして穴の近くから、茸のような光の塊が地面に湧き出てきた。
死者が蘇り、地面を徘徊するようになったのは、その時からだった。
脳を砕いたり首を切らない限り、いつまでも動き続け、生きている人を襲う死体の群れ。いわゆるゾンビだ。
人類が戦う相手は、夜を歩く死体の群れ。流星群が降り注いだ日から、地球は暗雲に包まれ、死人が徘徊する黄昏の世界と化した。
ある日、大勢のゾンビに追われた人々が、隕石のうがった穴に追いつめられ、落下した。穴は果てしなく深く、落ちた人々の生存はもちろん、死体の回収も絶望視された。
残された者は、落ちた仲間がゾンビとして目の前に現れないことを不幸中の幸いと考えて、自らを慰めた。
しかし一週間後、落下した人々は五体満足の姿で地上に現れた。彼らは、地表に点在する光の塊から、不思議そうな顔をして次から次へ歩いて出てきたのだ。
どうやら、穴の底にある暗闇と、地面にある光の塊は何らかの通路で繋がっているらしい。穴に飛び込むことで、人は生命活動を維持したまま、夢の世界に生き続けることができる。望めば地上にある光の塊から出て、現実の世界で戦うこともできる。
そして弱き人々は穴の底へ逃げ、強きものだけが地上に出て物資を回収したり、ゾンビを狩って地上の安全地帯を広げる活動を始めた。
未成年ながら、俺も、そんなゾンビ狩りの一人だ。
……もちろん、これは現実の話ではない。あくまで仮想現実のゲーム設定だ。
原色の光が乱舞する世界に身をゆだね、仮想現実の廃墟都市で目覚めた時は、いつもと何ら変わりなかったように思う。目に映るのは、ゲームのために最適化された風景だった。
光の塊から歩み出た前に広がるのは、血と煙で彩られた、薄暗い不死の世界。
ふりかえると、シャッターを閉めたパン屋の店先で、小型バスくらい大きな光の塊が鎮座している。このドーム状のぼやけた光こそ、俺が夢の世界から現れるための出口だ。
ここまでは、いつもと何も変わりないように感じていた。
しかし自覚はしていなかったが、この時すでに俺はゾンビの狩人ではなく、狩られる側のゾンビになっていたはずだ。
小さな違和感はあったかもしれないが、緊張と惰性がいりまじった感情でゲーム開始の設定作業をこなすことに気をとられていた。
だから、自分がゾンビになっていることに気づいたのは、光の塊として設定されたスタートポイントから走り出してから、しばらく後のことだった。
見上げると、今が昼か夜かもわからないほど雲がぶあつく、黒くたれこめている。
雨が降る気配はない。薄暗さもゲームの演出だ。二十四時間の経過は現実そのままに合わせ、同時にゲーム開始時刻や参加者の居住地域の時差で不公平が出ないようにしている。
ついでに、太陽が出ないので光源の位置が変化せず、風景のリアリティを保ったままで、ゲームでリアルタイムに必要とするデータ量を抑制できるらしい。
遠くの空を、燃え上がる火の粉が赤く照らしていた。ビル街が、まるで黒い墓標のようなシルエットとなって、灰色の空を背景として浮かび上がっている。
ビル街と空の境目に、まるで巨大な瞳のように見える円。駅ビルの屋上にある観覧車だ。銃声音が断続的に響いてくる。いつものように、あのあたりでゾンビとの戦いがくりひろげられているのだろう。
見下ろすと、足元に転がる三体のゾンビと、一人の少年。ゾンビはどれも脳天を吹き飛ばされ、動きを止めている。少年もナイフを握ったままアスファルトに倒れ伏して、動かない。
ゲーム開始直後に遭遇した三体のゾンビは、一人のゾンビ狩りを襲撃していた。物影から金属弾を叩き込むと、面白いように命中。いつもよりあっさり倒すことができた。結果的に囮の役目をはたしてくれた少年に感謝。
俺は心の中で手を合わせた。
ふいにゾンビ狩りがバネ仕掛けのように、寝転んだ姿勢から一気に起き上がった。大きな口を開け、暗い喉奥から奇妙な叫び声をあげる。
「URAAAA!!」
複数のゾンビに襲われて、噛まれたり血をあびたりしたせいか、ゾンビ化が早い。撃ち殺すには間合いが近すぎる。
大きな口を開けた少年の顔面を、俺は力いっぱい蹴り飛ばした。ブーツが顔にめりこむ。ブーツの底と先端には金属板が埋め込んである設定なので、ほとんど凶器とかわりない。ゾンビの頭は、二階から落としたスイカのように砕け散った。
手応えはほとんどなかったが、ゾンビになったゾンビ狩りはあおむけに倒れ、それきり動かなくなかった。
しかし、この時の俺は、まさか蹴り一発で倒せるとは思っていなかった。よほどプレイヤーが肉体の頑強さの設定を低くしていたのだろうか、などと考えていた。
四体のゾンビは見る間に腐敗していき、アスファルトへ溶けるかのように崩れて消えていった。
俺は手に持った軽機関銃モデルガンをかまえなおし、身をかがめるようにして、ビル街に背を向けた。いつもなら戦いに横入りしてレベルを上げさせてもらったかもしれないが、今日は無理だ。とにかくゲームを中止して状況を確認しなくてはならない。
走りながら、軽機関銃に目をおろした。殺傷能力を持つようにモデルガンへ改造をほどこした、金属製の弾丸を連続発射できるガス銃だ。
ここは日本という設定なので、そうそう簡単に本物の銃火器は入手できない。警察やヤクザなどから武器を集めるには、それなりの手間と費用がかかる。
指無し皮手袋ごしに感じられる、ずっしりと重いバーチャルな感覚はいつもどおり。金属部品が多いため、レプリカでも重量感がある。だが、同時に奇妙な違和感もあった。
皮手袋ごしということを考慮しても触感が弱く、金属部品の冷たさもなく、かまえたまま走っても腕が疲れない。何より、握りしめている指が青ざめていて、肌がガサガサに乾いている。真っ白な爪が死者の手であることを俺に実感させた。
このアンデッドオンラインは、各プレイヤーがPCという仮想現実に設定した自分の分身にのりうつる。
そうしてプレイヤーは現実そっくりの街でサバイバルしながらゾンビを倒し、レベルを上げていく。プレイヤー同士で協力することも、他のプレイヤーを倒すことも、建物を破壊したり車両を移動させることも、戦術にくみこまれている。
レベルを上げないままゲームを楽しめる選択肢も用意されている。仮想現実の街で映画を鑑賞したり、友達とボードゲームしたり、スーパーマーケットの施設でスポーツしたり。俺もアニメや漫画のデータを購入して、仮想現実内で流通している通貨といっしょに隠れ家に収納してある。
だが、プレイヤーがゾンビになることだけはできないはずだった。
これは何かバグを起こして誤動作したのか、それとも隠された裏技が偶然に発動したのか。
……わからない。時々インターネットでのぞいている攻略サイトや、掲示板の噂でさえ、聞いたことがない。とりあえず、早くセーブポイントへ行って、目覚めなければ。
この時の俺は、混乱していて、時間もなくて、他の選択肢は考えられなかった。
いつまで走っても疲れがこない。息がきれない。足も痛まない。これも、俺がゾンビになってしまっているからだろう。
アンデッドオンラインは、現実ほどではないがバーチャルな疲労感を表現している。疲労を回復するためには、定期的にゲームをセーブするか、アイテムを入手して回復する必要がある。それがないということは、やはり俺はゾンビになっているということ。
このゲームにおける異常事態ということは確実だ。
アンデッドオンラインの街は、多くの店がシャッターを下ろし、ネオンサインを消して、息をひそめている。どの国や地域でもそういう設定だ。開いている店は、自警団を雇っているか、店員が武装しているところくらい。
ゾンビになっている今は、そうした表通りを抜けるわけにはいかない。人影の少ない裏通りを走りぬけるしかなかった。
カーブミラーに目をやって確認しながら、何度目かの角を曲がった時、ずっと先にふらふらと歩く影があった。
背広姿で、ハチマキのようにネクタイを額に巻いている。古い漫画に出てくるような酔っぱらいファッションだが、こちらを見るその顔は、頬がこけるどころか腐って削げ落ち、口を閉じているのに歯茎がむきだしになっていた。どうやら俺と同じゾンビらしい。ただし知性は当然のように失っている。
そう、これが本来のゾンビだ。
ゾンビに見つめられ、俺は後ずさりした。そして店と店の間にある、かろうじて横向きでとおれるような細い路地に入って、逃げ出した。おそらく同じゾンビだから襲われることはないと思いたいが、たまに共食いをするような連中もいる。
ゾンビ狩りだけでなく、ゾンビにも気をつけた方がいい。この状況では無駄弾も撃ちたくない。
裏路地は、排水に使っているらしいパイプや電源ケーブルが地面を横切っていたりして、ずいぶん走りにくい。自然と足が遅くなる。
ようやく隣の通りに抜け、俺は見覚えのあるラーメン店の前で頭をかがめた。ぢりりと蝿の羽音のような音が頭上から聞こえた。世界が崩れかけていることを示すノイズだ。このゲームでは珍しくもない。
そして、走りながら顔を上げたその先に、一人の少女が立っていた。