天空の龍の娘【上】
第一章 天空の龍の娘
皇国では珍しい女商人であるカーエンは、今回新しい事業に手をつけた。
それが、黒海の森を放浪して暮らしていると言われる、〈医神ノ民〉との交易だった。彼女の出身地である水鼓の国は、文を極める派の国で、主に発達しているのは絹織物や綿織物、毛織物といった織物である。
だが、商人であるからには、そんな物にばかり現を抜かしていられない。特に、彼の〈医神ノ民〉との交易に成功すれば、今まで世に出回っていない薬が手に入るのだ。
薬は、生きて行く為には絶対不可欠な物。商人として、手を出して損は無い。
「我が一族と、交易を結びたい、とな」
「はい、そうです」
やっと会えた〈医神ノ民〉の者に連れられてやって来たのは、族長の息子だという人物の目の前。
初めて見る金糸の様な輝く髪と、氷を嵌め込んだ様な、冷たく鋭い双眸に内心身を震わせながらも、カーエンは頷いた。
目の前にいるのは、二十代半ばの彫りの深い、きつい顔立ちの青年。彼は値踏みする様にカーエンを見ると、一人の女性にこう言った。
「フィアを、ここへ」
「?」
意味が解らず怪訝な顔をすると、族長の息子は、先程よりは少し表情を和ませた。
「フィアは、私の従妹にあたる。私の父の妹である、イレーネという者の娘でな。訳あって、今は母元を離れ私の許にいる」
何故そんな事を言うのか、解らない程、カーエンは素人では無い。
(やはり、駄目か・・・)
元々、一族は人と関わるのを嫌う。上手くいったら儲けモノ程度に思って来たが、やはり失敗は悔しい。その時、族長の息子の後ろにあった天幕から、一人の少女が出てきた。
この一族特有の、女も男も動きやすさを重視した、軍服の様な服を着ている事に変わりは無かったが、その少女は異質だった。
(な、何なの、この子・・・この子の、この目は!)
白地に太い赤紫色の線が入った服に、首から提げるのは、薄氷色の神秘的な石をくり貫いた鍵に、金色の鉱石が埋め込まれたもの。
髪の色は、一族と同じ黄金色。けれど、瞳は青系統の瞳では無く、透き通る紫色だった。紫水晶を思わせるその瞳は、しかし子供らしい無邪気さの欠片も宿していない。
少女の顔立ちは、花の様なと形容するのに相応しい、美しく可愛らしいものだったが、その表情はどう見ても、この年齢の少女がするものではない。
少女は、その身体に影を背負っていた。
「フィア、挨拶を」
「・・・フィア・ヨルデ・シャルーディネ、十二歳です。以後、お見知りおきを」
すっと右手を胸の前に当て、左手は背に回し、綺麗に腰を屈める。完璧な礼をした少女に、カーエンは驚きを隠せなかった。
しかも、少女・・・フィアの行った礼は、この一族で使われているものでは無く、皇国の礼儀作法、それも貴族等の身分ある者達が行うものだ。
そんな事をこの少女が知っているのが、カーエンには不思議でならなかった。
「カーエン・ロディ・メーデルです。出身地は水鼓の国、職業は行商人を」
名乗ると、フィアは頷いた。
(これが、十二歳・・・?)
確かに、顔立ちにはまだ幼さが残り、身体付きも華奢。けれど、あまりに瞳が不一致だ。
「我らは、貴方と交易をする訳にはいかない。我ら一族は、人と関わる訳にはいかないのだ。その代わり、この娘を連れて行くが良い。この娘は、たった二年間だが我らと生活を共にし、我らが持つ知識の全てを持っている。それだけで、充分な益になる筈だ」
族長の息子が、厳かに言った。
「え・・・?」
驚愕して、カーエンは族長の息子を見た。だが、彼の瞳に冗談の色は見えない。
「ですが、この子の母親は・・・?」
そう言った瞬間、フィアの身体大きく跳ねた。
「問題無い。それの母親は、今や消息不明なのだ」
「そんな・・・」
「貴女は、利益を求め、ここまで来たのだろう。ならば、何を躊躇する必要がある? すぐにでもフィアを連れ、この森を出るが良い。もうじき日も暮れる」
唐突に、付き放す言い方に変わると、そのまま彼は天幕をくぐって行ってしまった。
「あまりにも、身勝手じゃないんですか? 自分の従妹なんでしょう、この子は」
周りにいた〈医神ノ民〉の一人に同意を得ようと問いかけるも、彼は何も言わずに族長の息子の後に続いてしまった。そのまま、次々とその場にいた者は天幕をくぐって行ってしまう。
茫然とそれを見ていたカーエンに、声をかけたのはフィアだった。
「そんな事を、一々気にしている暇があったら、早くこの森を出る方がよっぽどマシだと思います」
「え?」
「貴女が私達との交易を望んだから、彼等は私を貴女に差し出した。交易を出来なくても、貴女が欲する利益は、私の知識だけでも充分得られる筈です」
淡々と話すフィアに、女商人は思わず彼女の肩を掴んだ。
「何を言っているの、君は。君は、〈医神ノ民〉の一人なんでしょう? 同族から別れるのが、辛くはないの?」
すると少女は、抑揚のない声で、表情一つ変えずに答えてみせた。
「私は同族であって、同族では無いから」




