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序章

序章

 大陸の半分を占める大国、ダルタ皇国。他の国とは違い、幾つかの国が寄り集まった中、一人の光皇が皇国の主として君臨するという珍しい体制を取るこの国には、ある高貴なる獣がいた。

 紅王鳳(マリトネ)蒼皇龍(シャトネ)白帝虎(ジャード)玄公亀(ボリス)、そして天光馬(アケヨルデ)

 この五柱は神獣とも呼ばれ、皇国の平和を護る、皇国の護国神とされていた。そして、これらの神獣の背に乗り武器を携え、他国の侵入から国を守る軍隊を神獣軍と言い、この大陸で圧倒的な強さを誇るその有様から、皇国の獣鬼(じゅうき)とさえ呼ばれていた。

 そんな皇国の中にある王国の一つ、龍笛の王国の王都・紫龍(しりゅう)

 皇国で一、二を争う優美さと豪奢さを誇る王城の回廊を、一人の少年が通り過ぎる大勢の人間に跪かれながら歩いて行った。

 緩やかな風に吹かれ、少年の濃い茶色の髪が柔らかく揺れた。額に輝くのは細かい彫り細工が施された細い銀冠、この国の王太子である証拠である。そしてその瞳は、王都の名の由来になったともされる、王族の証である、深い紫色。

 ほんの少し黄味の含まれた白い肌も、龍笛の国民の証である。そしてその容貌は、王族の威厳を感じさせながらも、優美さを失わない、まさに王城の様な美しさを誇っていた。

 名を、アルド・イスカシヤ・アサン。

 今上の王も名君として有名だが、この王太子が国王となった暁には、この国は最盛期を迎えるだろうと、彼に会った貴族や学者達は口を揃えて言う。それ程までに優秀なこの王太子は、しかし内心、自分の地位や貴族達を嫌っていた。そして、特に母后を。

 彼の父である国王には、后の他に妃が四人もいた。けれども母后は、その妃の中で最も身分が低く、何の後ろ盾も無い妃とその娘を毛嫌いして、とうとう先日王城から離宮へ追いやってしまったのだ。

 しかも、その妃と娘はアルドにとって、実の母と妹の様に大切な存在だった。更には、その母の所業に貴族達は何の反感も抱かなかった。それどころか、身分が低いとはいえ王が選んだ妃を、まるで卑しい存在の様に例え、王城から追い出した母を誉めそやしたのだ。

 そんな権力と身分に溺れた貴族と母が、アルドは大嫌いだった。そして、その母に正妃だからと何の処罰も与えない父にも、不満を抱いていた。

 けれども皮肉なことに、そんな彼の心情を理解出来る者は、王城には一人もいなかった。そう、王城には。

「ふぅん、じゃあアルド兄様は、貴族に嫌われたって別に構わないと思ってらっしゃるんだ? 自分自身が嫌いだからって」

 鈴を転がす様な高く軽やかな声で、一人の少女が問うた。

 今アルドがいるのは、王城からは少し離れた場所にある、森羅離宮と呼ばれる場所である。白雪岩と呼ばれる真っ白な石で作られた離宮は、王城の様に豪奢さは無いが、王城よりもずっと優雅で、儚げな美しさを持っていた。

 そして相対するのは、陽光と月光の間の色合いをした金糸の髪を持つ少女。肌は冬に積もる新雪の如く白い。他人が見たら絶対に信じないだろうが、それでも少女はアルドの異母妹だった。

 彼女の身分を証明するものは一つ、その透き通る紫色の双眸だけである。金色の髪を持ち、そして紫色の瞳・・・つまり王族である証を持つ少女と言ったら、恐らく世界でもこの少女一人だけであろう。

 名を、フィアーテ・ヨルデ・アサン。

 他ならぬこの国の王の血を引く娘であり、この国の第一王女。肩書きから言えば、この国で一、二を争う高貴なる姫君である。

 けれども、彼女は母親の出自ゆえにこんな辺境の離宮へ追いやられているのだ。

 彼女の母であるイレーネ・アルシュ・シャルーディネ妃は、他ならぬ〈医神ノ一族(リド・シャルーディネ)〉の娘だった。皇国の中で、唯一何の王国にも属さない流浪の民。医術の知識に長け、自然の守護を得た神秘的で謎に包まれた民を、古い言葉である〈樹海の守り(シャルーディネ)〉に例え、〈医神ノ一族〉という名がついたのである。

 けれども、彼等のことを快く思う国とそうでない国、皇国にはそのどちらも存在し、龍笛の王国は後者であった。

「でもねぇ、アルド兄様はいずれこの国の王になるのだから、嫌でも貴族には愛想を売っておいた方が良いわ。兄様が嫌う、権力に溺れる様な貴族は、自分より身分の高い人に愛想よくされると良い気になって、忠誠を誓う、騙されやすいお馬鹿さんが多いから」

 そう辛辣な言葉を吐く異母妹は、まだたったの十歳。それなのに、ここまで貴族の作りを分かっているのである。

 それもまた、彼女の母妃の血と言えた。

 彼女の母であるイレーネは、彼女と同じ金色・・・暁色の髪を持ち、そして薄い氷色の瞳を持つ、傾城の美女だった。そして、それと同時に英知に溢れた賢者の様な女性だった。

 そんな才色兼備な美姫だったからこそ、王国が嫌う一族の生まれながらも王はイレーネを妃に迎えたのである。

 〈医神ノ一族〉は、元々とても優秀な頭脳と美しい容姿を持つことで有名だった。特に、暁色の髪と青系統の瞳を持つのが特徴とされている。

 目の前の少女は、青系統の瞳こそ受け継がなかったが、それで幸いだったかも知れない。そうでなければ、母妃を嫌う貴族達から、王の子である証拠が何処にも無いと非難されただろう。

 実際、多くの貴族が、フィアーテの髪が暁色だったことに喜び、紫色の瞳だったことに落胆したものだ。

「ねえ兄様、私の話を聞いているの?」

 自分の意見に何の相槌も反応もしてくれない兄に、フィアーテは怒った様に尋ねた。

「ちゃんと聞いているよ、フィアーテ」

 優しく答えると、異母妹は嬉しそうに笑ってから、話題を変えてくる。

「そうだ、兄様は〈古き神の言葉(トライヴェール)〉というものを知っている?」

「トライヴェール?」

「そう。私達の二つ名に使われているのは、全てトライヴェールなんだって」

「へえ」

 またしても新しい知識を手に入れたらしい賢い妹姫に、アルドは感心と苦笑のこもった顔を向けた。彼女はとにかく何かを知ることが好きな少女だった。暇さえあれば蔵書室にこもって、そして必ず何か新しい知識なり疑問なりを携えて戻ってくる。

 トライヴェールなどは、本来十歳の子供が知るものではない。実際、十五であり国の世継であるアルドでさえ、そんな難しいことは知らない。

 そういう事を学ぶ必要は、王族には無いからだ。二つ名をつける時も大抵は、子が生まれた時に占術師を呼んで、その者につけてもらうのが常だ。

「例えばね、アルド兄様のイスカシヤというのは、〈龍の瞳〉というものなの。龍笛の王子だから、そうつけられたのね。良い名前だわ」

 今まで全く知らなかった意味を教えられ、更には褒められて、アルドは少し嬉しくなった。そこで、彼女の名前の意味も訊いてみた。

「フィアーテのヨルデはどういう意味なんだい?」

「私?」

 きょとん、としてからフィアーテは考え込む様な顔をした。

 こういう所がフィアーテらしい最たる所だ。自分の事よりも他人の事が気になる。普通は、真っ先に自分の名前の意味を知ろうとすると思うが。

 すると、そこに一人に女性が現れた。

 フィアーテと同じ暁色の長い髪を綺麗に結いあげ、淡い色の宝石で派手すぎない位に着飾った、薄氷色の瞳と雪の肌を持った妙齢の女性。

「母様」「イレーネ様」

 異母兄妹の声が重なる。

「お久しぶりですね、アルド殿下。後挨拶もせずに失礼しました」

 そう言って微笑むイレーネは、まさしく絶世の美女と呼ぶにふさわしい美姫である。

「フィアーテ、あなたの名前はね、フィアーテもヨルデも、どちらもトライヴェールなのですよ」

 王族貴族では、おそらくたった一人であろう、自分で子にトライヴェールの名をつけた王の妃は、一人娘に優しく告げた。

「フィアーテは〈龍の翼〉、そしてヨルデは〈天空〉という意味を持つのです」

「そしてイレーネは〈美しき冬の雪〉!」

 やはり自分のものより他人のトライヴェールが気になるらしい妹のはしゃぎ様に、アルドは口元を緩めた。こういう無邪気さをもった兄弟は、何人もいる家族の中フィアーテしかいない。

 純粋なまま生きられる程、王族の生活は易しいものではないのだ。けれども、その上悪意に晒されているとは思えない程、この二人の暁色の髪を持つ女性は、純粋で綺麗なままの心を持っていた。

 彼女達一族を、この国が忌み嫌う理由が、全く分からないという訳では無い。

 〈医神ノ一族〉は、純粋過ぎるのだ。

 穢れていない、透明で美しいままの心を持つ。人の持つ邪心や罪と言った、黒い部分を持っていない。それ故に王はイレーネに惹かれ、母は彼女達親子を毛嫌いするのだろう。

 一緒にいるだけで心を洗われる、そんな清廉な一族。彼女達には何か、特別な物がある気がしてならないのはアルドだけでは無いのだろう。

 楽しげにトライヴェールの話をしている異母妹を、アルドは愛しげに見詰めた。

 そしてそれが、アルドとフィアーテの、平和に過ごせる最後の時間だった。


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