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疑神暗鬼  作者: 宵町文
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第2話:友への疑念と技術の背信

セレニティ。そこは、「神の祝福」による完璧な秩序と、永遠の平和が約束された都市。市民は幸福であり、疑問を抱くことさえ罪とされる。


だが、全ての「秩序」は、必ず巨大な「隠蔽」の上に築かれている。


一人の司書が見つけた古文書の「疑念」は、都市を支える「神」の正体が、「暗」黒の犠牲の上に成り立つ古代技術であることを暴き出した。真実を知った者は、神官団の冷徹な「追跡」から逃れ、闇へと足を踏み入れる。


問う。あなたを恐怖させるのは、冷たい技術か。それとも、人間の心か。


これから始まるのは、相互不信がパニックを加速させる、逃走と裏切りの物語だ。偽りの調和が崩壊し、真実の星空が広がるその時まで、この逃走劇に終わりはない。

Ⅰ.逃走と「調和のノイズ」の具現化

アサヒの肺は、まるで破裂した風船のように機能不全に陥っていた。都市の裏路地は、表通りの人工的な静謐とはかけ離れた、錆びついた金属の臭いと、湿気で澱んだ空気に満ちている。彼は汚れた壁に背中を預け、必死に乱れた呼吸を整えた。脳裏には、神官長ヴァルナスの冷徹な笑顔が、まるで顕微鏡で覗く病原体のように、彼の神経に張り付いて離れない。あの笑顔は、アサヒの「感情」が、都市の監視システムに検知され、排除すべきエラーコードとして認識されたことを示していた。


「調和を乱している」


ヴァルナスの囁きが、今も耳の奥で、彼の良心の呵責を弄ぶようにこだまする。セレニティでは、感情こそが最大のノイズだ。そして、アサヒの恐怖と真実への強い渇望は、今、都市の調和を最も激しく揺るがしている。彼は、感情の波形を追跡するシステムの存在を確信していた。


アサヒは、ポケットの奥深くにあるマスターキーを握りしめた。鍵に触れるたびに、指先にあの封印区画の扉から漏れ出た、生々しい「人の唸り声のようなノイズ」が蘇る。あれが生贄の断末魔だとしたら、数百年にわたるセレニティの平和は、血塗られた犠牲の上に成り立つ、巨大で冷酷な機械ということになる。彼はこの巨大な嘘を暴くには、もはや独力では不可能だと悟っていた。頼れるのは、論理と技術だけを信じる旧友、シオンしかいない。


地下へと続く、鉄錆びたハッチ式の階段を前に、アサヒの全身が硬直した。重度の閉所恐怖症。彼の心臓は再び激しく脈打つ。喉が張り付くような感覚と、四肢の麻痺が襲いかかる。しかし、広場で今も続く「感謝祭」という名の虚偽を思い出し、彼は震える体を、鉄の梯子へと無理やり押し込んだ。梯子の冷たさが、彼の肌の恐怖をさらに引き立てる。


「恐怖に屈したら、彼らの思う壺だ。これは、感情との、そして自己との戦いだ」


アサヒは自らに言い聞かせながら、長く暗い縦穴を這い下り、シオンのラボへと通じる、密閉された隔壁の扉を叩いた。



Ⅱ.論理と感情の火花

ラボの内部は、都市の冷たさとは対照的な、集中と熱意に満ちた場所だった。無数のケーブルが這い回り、違法に改造された大型モニターの光が、シオンの額を照らしている。彼は溶接機を手に、精密な回路を調整していたが、その手つきは驚くほど微動だにしなかった。彼の周囲には、セレニティの技術水準を遥かに超えた、「神」の力を解析するために秘密裏に製造された機材が、微かな低音を響かせている。


「遅いぞ、アサヒ。君のパニック顔を撮る趣味はない」


シオンは溶接機を置き、アサヒに一瞥もくれずに言った。彼は相変わらず冷静で、アサヒの極度の緊張とは無縁だ。彼の行動原理は常にデータと論理だ。


アサヒは息を切らしながら、事の顛末を早口で説明した。古文書、動力炉のノイズ、ヴァルナスの追跡、そしてマスターキーが神官団の扉を開けたという、非論理的な事実。


「待て。感情的な推測は排除しろ」シオンはアサヒの話を冷たく遮った。「扉が開いたのは単なる技術的なバグかもしれないし、ノイズは配管の共振だ。君は司書だ。技術的な真実より、歴史のロマンスを優先する傾向がある」


シオンの言葉は、まるで氷のようにアサヒの心を冷やし、彼の「疑念」を再び揺さぶる。しかし、アサヒは引き下がらない。彼は隠し持っていた動力炉の異常データをシオンのモニターに差し込んだ。それは、生贄ノイズの周波数パターンを含む、極秘の技術的記録だった。


「これを見ろ、シオン。これは動力炉のエネルギー消費パターンだ。通常の熱力学では説明できない、特定の周波数帯のエネルギーの揺らぎが、規則的に起きている。この揺らぎは、まるで脈動しているようだ。これは、何かが消費されている証拠だ」


シオンの表情が、初めて技術者としての驚愕に染まった。彼はアサヒのデータに集中し、キーボードを叩く。モニターには、セレニティのエネルギー供給を支える「神の力」の既知の計算式と、アサヒの異常データが、重ね合わせの検証のために表示されていく。



Ⅲ.古代数式の侵入と技術の背信

シオンは、解析に必要な時間を稼ぐために、アサヒを無視し続けた。彼の指の動きは速く、正確だった。モニター上の計算式は、瞬く間に膨大な量に膨れ上がり、そして、既知の物理法則の壁に突き当たった。


数分後、シオンは静かに顔を上げた。


「……信じられない」彼の声は震えていた。「君の言う通りだ。このエネルギー消費は、既知の物理法則に反している。これは技術的なエラーではない。まるで、システムが意図的に特定の『生命エネルギー』を吸収しているようだ。これは、技術が倫理を裏切った設計だ」


シオンの「論理」が、アサヒの「感情的な疑念」を「科学的な真実」へと昇華させた瞬間だった。


その時、シオンが突然、頭を抱えて呻き始めた。彼の体は激しく痙攣し、口元から白い泡が漏れる。それは、彼が以前から患っている「過労による発作」だとされてきた持病だ。しかし、今回は明らかに様子が違う。彼の皮膚の下で、何かが激しく脈打っている。


「やめろ、シオン!大丈夫か!?」アサヒが肩を支えようとするが、シオンはそれを無意識に振り払った。


痙攣が収まると、シオンの瞳は宙をさまよい、彼の口から、彼の知る言語ではない、古代の言語のような数式が、微かな声で紡ぎ出された。その数式は、動力炉の異常データと完全に同期し、技術の核心を示唆していた。


挿絵(By みてみん)


シオンは我に返り、激しい頭痛に耐えるように額を押さえた。「なんだ、今のは……」


アサヒは息を呑んだ。あの数式は、「神」の技術的な起源に関わる、重要なヒントに違いない。彼は確信した。シオンの持病は、単なるストレスではない。彼の精神は、動力炉の古代技術と何らかの形で「同調」しているのだ。それは、彼が古代技術の開発者の一族の末裔であること、あるいは過去の記憶が彼の無意識に侵入していることを示唆していた。



Ⅳ.監視システムの攪乱と友への疑念

その頃、神官団の監視室では、ヴァルナスが苛立ちを募らせていた。彼の冷静な表情が、微かに歪む。


「ノイズが乱数に変わっただと?」


ヴァルナスのモニターには、アサヒの感情の揺らぎを示すはずの赤い波形が、突如として予測不能な、高度な技術的乱数へと変化したグラフが表示されていた。アサヒがシオンのラボに接触した瞬間、シオンの高度な解析技術が、神官団の「神の監視システム」を攪乱し始めたのだ。


「調和を乱すノイズが増幅された。技術は常に秩序の敵だ」


ヴァルナスは冷静に分析し、アサヒの「感情」だけでなく、シオンの「技術」という二重の脅威を危険視した。彼は追跡のターゲットをアサヒとシオンの二人に絞り、神官団の精鋭追跡部隊にラボへの突入準備を、秘密裏に命じた。彼の瞳には、「技術の独占こそが秩序である」という冷徹な「鬼」の信念が宿っていた。


ラボでは、シオンが解析の最終段階に入っていた。彼はアサヒのマスターキーを手に取り、微細なエネルギー残渣をスキャンする。


「このキー……なぜ、こんなエネルギーが残っている?」


シオンは眉をひそめた。残渣のエネルギーパターンは、神官団専用区画のセキュリティを解除した際に生じるものと、波形、強度、周波数の全てにおいて酷似していた。アサヒが話していた、扉が開いたという話は真実だ。


しかし、なぜ、アサヒのような一般の司書が、神官団の最も秘匿された領域にまで踏み込める鍵を持っていたのか?アサヒはただの偶然だと主張しているが、技術的な事実は偶然を許さない。


シオンはアサヒに何も問わなかった。技術者である彼は、感情的な疑惑を嫌う。だが、彼の論理的な思考回路の中に、「友は何かを隠しているのではないか?彼もまた、神官団の手先ではないか?」という、冷たい最初の「疑」の種が深く蒔かれた。その種は、やがて来る「疑神暗鬼」の嵐の予兆だった。



Ⅴ.闇の取引へ:未知の「暗」への誘い

シオンは解析を中断し、アサヒに顔を向けた。彼の目には、もはや論理的な興奮だけではない、静かな決意が宿っていた。


「アサヒ、このデータが示す真実は一つだ。神の正体が技術だとすれば、それは狂っている。このシステムは、都市の維持に必要なエネルギー以上のものを、意図的に、そして悪意を持って消費している」


「では、どうすれば止められる?ヴァルナスが来る前に」


「これ以上の解析には、古代の電力変換器が必要だ。このラボの設備では、安全に解析を続けることは不可能だ。その変換器は、神官団が厳重に管理しているか、あるいは……」シオンはモニターの端に表示された、非合法取引の暗号化通信のログを指差した。「都市の「暗」部、裏マーケットでしか手に入らない」


アサヒの脳裏に、レイ率いる地下組織の噂が浮かんだ。彼らは裏マーケットで物資を調達し、神官団に抵抗しているはずだ。


「行くぞ、アサヒ。真実を追求するなら、秩序の外側に出るしかない。だが、心しておけ」シオンはアサヒの目をまっすぐに見つめた。「裏マーケットは、感情の調和を最も嫌う場所だ。そこで君の『疑念』は、すぐに弱点になる」


アサヒは、自分の恐怖と閉所恐怖症、そしてシオンの目に見える論理的な「疑」を胸に抱きながら、頷いた。彼らは、神官団の支配と内面の闇から逃れるため、闇の取引という、さらなる「暗」の領域へ足を踏み入れることを決意する。彼らが知らないのは、その裏マーケットこそが、レイ、そしてタケシという、異なる種類の「鬼」が潜み、彼らの相互不信を試す最初の試練の場となることだった。


最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。


『疑神暗鬼』は、SFディストピアという設定を通じて、人間という存在の根源的なテーマを追求した作品です。


絶対的な秩序が崩壊したとき、私たちに残るのは、技術でも、権威でもなく、人間同士の「信頼」と、内面に潜む「欲望」という、極めて脆く、そして恐ろしい要素だけです。


主人公アサヒ、レイ、そしてシオンが辿った道が、読者の皆様の心に、「真実の代償」と「信頼の価値」を問いかけることができれば、これ以上の喜びはありません。


物語は、閉鎖された都市の瓦礫の中で新しい夜明けを迎えました。彼らがその後にどのような未来を築くのか、あるいは築けないのか、皆様の心の中で物語が続いていくことを願っています。

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