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「800日」

ep.7 「800日」

NASAの施設が関与し、隕石の落下がヴォルコフの「終末の計画」であるという戦慄すべき事実が判明した直後、公安特殊技能部は、かつてないほどの緊張感に包まれていた。アメリカの「嘘」が何を意味するのか、その全貌が明らかになり始めた矢先のことだった。

その日、黒田部長の厳重な手配により、一人の男が密室へと通された。彼は、公安が持つ最高レベルのセキュリティチェックをクリアし、厳重な監視の下、この場所にたどり着いた。鋭い眼光の奥に疲労の色を宿した、中年の白人男性。その身分は、CIAのベテラン工作員、ジョン・ドーという偽名でしか知らされない人物だった。

ドーは、部屋を見回し、公安特殊技能部のメンバー一人ひとりの顔をじっと見た。彼らの顔に浮かぶ警戒心と疲労を読み取ったかのように、彼は深呼吸をした。

「時間が惜しい。単刀直入に話そう。あなた方が掴んでいる『終末の計画』と、アメリカの関与は、概ね正しい」

彼の言葉は、まるで氷点下の空気を切り裂くかのように響いた。公安の全員が、息を呑む。

「我々は、ヴォルコフとその背後にいる存在を、長年追ってきた。しかし、事態は我々の想像をはるかに超えて進行している」

ドーは、タブレットを取り出し、簡潔な図を表示させた。そこには、地球の軌道と、一つの小さな点、そして、矢印が描かれていた。

「アレクサンダー・ヴォルコフは、ミレニアムのAI『ガレリオ』とNASAのシステムを悪用し、特定の小惑星の軌道を操作している。その目的は、地球への衝突だ」

黒田部長の目が、鋭く光る。彼らが掴んだ最悪のシナリオが、CIAの口から語られたのだ。

「衝突地点は、北極点付近。そして…」ドーは、一度言葉を区切った。「残された時間は、正確に800日だ」

800日。それは、約2年2ヶ月。人類に与えられた、あまりにも短すぎる猶予だった。望月は、無意識のうちに拳を握りしめた。

「小惑星のサイズは、まだ正確には特定できていない。それが、地球の生態系をどれほど破壊するのか、あるいは、人類そのものを滅ぼすのか…まだ、その影響範囲は不明だ」

「…なぜ、アメリカがそれを隠蔽していた?」椎名が、詰問するように問うた。

ドーは、深く息を吐き出した。

「これが、『アメリカの嘘』だ。この計画の存在を知っているのは、アメリカ政府と軍、諜報機関のごく一部、数十名程度の人間だけだ。彼らは、これを最高機密中の最高機密とし、情報の漏洩を極度に恐れている。我々の一部の人間、そしてミレニアム、さらにヴォルコフとその側近のみが、この真実を共有している」

彼の言葉は、全てを物語っていた。アメリカという超大国が、人類の存亡に関わる危機を隠蔽し、一部の人間と、敵であるはずのミレニアム、そしてヴォルコフという狂気の科学者と共謀していたという、想像を絶する事実。CIAのドーは、この腐敗した秘密を暴露するために、命を懸けて公安特殊技能部のもとを訪れたのだ。

「なぜ、あなただけが…」黒田部長が問う。

「私には、この真実を隠蔽し続けることが、人類への裏切りだと考えたからだ」ドーは、まっすぐな目で答えた。「そして、あなた方の部隊が、どこまで真実に迫っているのか、我々も監視していた。あなたがたなら、この状況を理解し、共に戦ってくれると信じた」

宇宙からの破滅、そして、自国の政府による裏切りという、二重の絶望。公安特殊技能部は、今、人類史において最も恐ろしい真実を共有し、たった800日という時間の中で、世界を救うための、絶望的な戦いに挑むことになった。「直径5KMの隕石が北極に落ちたら?」

CIAのジョン・ドーが告げた「800日後、北極への隕石落下」という事実。その隕石の正確なサイズはまだ不明だというが、その言葉を聞いた瞬間、公安特殊技能部全員の脳裏に、最悪のシナリオが稲妻のように走り抜けた。

「…もし、それが直径5キロメートルクラスの隕石だったとしたら…」

真木希が、真っ青な顔でモニターにシミュレーション結果を表示させた。これまで収集したデータと、NASAの公開情報、そして隕石衝突に関する科学的予測を瞬時に照合したのだ。その結果は、まさに絶望的なものだった。

「地球は、壊滅的な『衝撃の冬』に突入します」椎名が、声の震えを抑えながら説明した。「まず、隕石が大気圏を突破し、北極に激突した瞬間、想像を絶する規模の爆発が起こります。広島型原爆の数十億倍に匹敵するエネルギーが解放され、地球の地軸さえも揺るがすほどの衝撃波が発生するでしょう」

望月が、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「北極の厚い氷は、瞬時に蒸発し、その下の海底に巨大なクレーターを形成します。大量の水蒸気、粉砕された岩石、そして氷の破片が、成層圏まで吹き上げられる。それが、最初の数時間で、地球全体を覆い尽くすほどの塵と化す…」

真木が、さらに深刻な予測を続けた。

「その塵は、数ヶ月から数年にわたって太陽光を遮断し、地球全体の気温を急激に低下させます。光合成は停止し、地表温度は平均で10度以上、地域によっては数十度も急降下するでしょう。作物は育たなくなり、大規模な飢餓が世界中で発生します」

「それだけではない」椎名が、さらに付け加える。「衝突によって発生する大量の二酸化炭素や硫黄酸化物は、大気中で水と反応し、酸性雨となって降り注ぎます。生態系は崩壊し、海洋生物も壊滅的な打撃を受ける。オゾン層は破壊され、地表に降り注ぐ紫外線量は危険なレベルに達するでしょう」

黒田部長の脳裏に、南アフリカの巨大な核シェルターの映像がよぎる。千人もの富豪たちが、地球が滅びゆく中で、その地下に隠れて生き延びようとしている。彼らは、まさしくこの「終末」を予見し、高額な金を払って「箱舟」の乗船券を手に入れていたのだ。

「それは…人類が過去に経験したことのない、文明を滅ぼしかねないレベルの、地球規模のカタストロフィーだ」黒田部長が、重く、そして絶望的に呟いた。「アレクサンダー・ヴォルコフは、まさに人類そのものを滅ぼそうとしているのか…」

ジョン・ドーは、公安特殊技能部の面々がその恐るべき真実を理解したことを確認するように、静かに頷いた。800日。その短い時間の中で、彼らは、この星の命運を賭けた、人類史上最も困難な戦いに挑まなければならない。ヴォルコフの計画は、もはや単なるテロ活動ではなく、神をも恐れぬ狂気の沙汰だった。

「ミサイルなどで落下地点をそらすことは可能なのでしょうか?」

望月が、ほとんど藁にもすがるような思いで問いかけた。直接的な行動を好む彼にとって、宇宙からの脅威に対し、ただ手をこまねいているわけにはいかない。

ジョン・ドーは、その問いに、ゆっくりと首を横に振った。彼の表情には、諦めにも似た諦念が浮かんでいた。

「理論上は、不可能ではない。いわゆる『運動量伝達方式』(キネティック・インパクト)と呼ばれる手法や、核爆弾を小惑星の近くで爆発させ、プラズマジェットの噴射で軌道をわずかに変える、という研究は進められてきた」

彼は、モニターにいくつかの図面を表示させた。宇宙探査機が小惑星に体当たりするシミュレーションや、宇宙空間での核爆発の概念図だ。

「しかし、それは非常に長いリードタイムが必要な話だ。小さな小惑星であれば、数年から数十年前に発見し、時間をかけて軌道をわずかにずらすことが可能になる。しかし、今回のケースでは…」

ドーは、改めて「800日」という数字を指し示した。

「まず、直径5キロメートルという規模の小惑星を、わずか800日で軌道から大きく逸らすのは、現在の、あるいは近未来の技術をもってしても、極めて困難だ。必要なエネルギーも、技術的な精度も、想像を絶する」

真木が、付け加える。

「ミサイルで直接破壊するという考えも、問題です。小惑星が粉砕された場合、無数の小さな破片が地球に降り注ぎ、広範囲に甚大な被害を及ぼす可能性があります。それは、一つの大きな衝突を、無数の小さな、しかし予測不能な災害に置き換えるだけに過ぎません」

「さらに言えば、我々がそのようなミッションを計画しようとしても、国際的な協力が不可欠となる。しかし、この計画はアメリカの最高機密であり、ミレニアムとヴォルコフがその情報を完全にコントロールしている。世界に公表すればパニックが起き、ミサイルの発射計画を他国と共有することなど、今の状況ではあり得ない」ジョン・ドーは、絶望的な現実を突きつけた。

つまり、ミサイルによる軌道変更や破壊は、今回のケースにおいては、現実的な選択肢ではないのだ。ヴォルコフは、人類が有効な手立てを打てないようなタイミングと規模で、この終末を仕掛けようとしていた。

黒田部長は、静かに、しかし、決意を込めた声で言った。

「ということは、我々が取るべき道は一つしかない。小惑星の軌道を操作している、ヴォルコフとミレニアムのシステムを、根本から停止させることだ。NASAの施設に乗り込み、その計画そのものを止めなければならない」

800日。この絶望的な時間の中で、彼らは、人類を救うため、アメリカの裏切り者たちと、狂気のヴォルコフに立ち向かうことを決意した。直接的な迎撃が不可能である以上、彼らが打てる唯一の手段は、敵の本拠地を叩き、その陰謀の歯車を止めることだった。

「ヴォルコフは犯罪クリエーターだ。奴は、この狂気の計画を設計し、絵図を描いた。だが、実際にそれを遂行しているのは…ミレニアムだ」

黒田部長は、ジョン・ドーから得た情報と、これまでの全てのデータを統合しながら、冷徹な分析を下した。彼らは、直径5キロメートルという破滅的な隕石を地球に誘導する、その恐るべき現実と向き合っていた。

「そして、その終末計画の実行を担っているのが、ミレニアムのAI『ガレリオ』と、その支配下にあるシステムだ。彼らがNASAのシステムに侵入し、小惑星の軌道を操作している」

椎名が、頷きながら続けた。

「つまり、**ヴォルコフが『頭脳』ならば、ミレニアムは『手足』**だ。手足を止めることができれば、頭脳も機能しなくなる」

望月が、その言葉に力強く応じた。

「ならば、叩くならミレニアムだ。NASAの施設に潜入し、彼らの操作システムを停止させる。それが、隕石落下を阻止する唯一の方法だ」

ジョン・ドーも、その戦略に異論はない。

「我々も、ミレニアムの行動パターンを分析し、彼らがNASAのどの部門を、どのような手口で掌握しているか、極秘裏に調べている。彼らは、AIを介してシステムの深部に潜り込み、制御を乗っ取っている可能性が高い」

公安特殊技能部の標的は、明確になった。ヴォルコフの野望を挫くためには、彼を逮捕する前に、まず、その終末の計画を実際に実行しているミレニアムのオペレーションを無力化することが最優先事項となる。具体的には、NASAの施設内で、彼らが小惑星の軌道操作に利用しているシステムを特定し、破壊、あるいは奪還することだ。

そして、その作戦において、彼らが発見した「ミレニアムの異端者」であるカステッリの存在が、ますます重要性を増していた。AIガレリオの「弟子」である彼ならば、ミレニアムのシステム構造、NASA内部での侵入経路、そして小惑星操作の具体的なプロトコルについて、決定的な情報を持っているはずだ。あるいは、内部からシステムを攪乱し、公安の潜入を支援する可能性すらある。

800日という絶望的な猶予の中で、公安特殊技能部とCIAのジョン・ドーは、人類の運命をかけた、ミレニアムとの直接対決に挑むための、具体的な作戦立案へと移行した。彼らは、ミレニアムの「牙」を折ることで、ヴォルコフの「終末」を食い止めることができるのだろうか。

東京の密室で、公安特殊技能部とCIAのジョン・ドーは、ミレニアムの「隕石落下計画」阻止に向けた作戦会議を進めていた。カステッリという内部の協力者の存在は光明だが、800日という時間はあまりに短い。彼らが、NASA施設への潜入と、ミレニアムのシステム停止という具体的な目標を固めつつあったその時、ジョン・ドーが、さらなる戦慄すべき事実を告げた。

「…まだ、最悪のシナリオが残っている」

彼の声は、これまでの情報開示とは異なる、深い絶望を含んでいた。全員の視線が、彼に釘付けになる。

「この計画は、単に隕石の衝突で終わりではない。ヴォルコフは、万が一、隕石が地球に衝突した場合に備え…いや、むしろ、その衝突を最終的な滅びの引き金として利用するつもりだ」

ジョン・ドーは、公安のメンバー一人ひとりの顔を直視した。その言葉は、彼らの心臓を直接掴むようだった。

「隕石には、特殊なレトロウィルスが搭載されている。衝突の衝撃でそれが飛散し、大気中に放出される仕組みだ」

その瞬間、室内の空気は凍りついた。物理的な破壊に加えて、生物学的な絶滅が仕掛けられているという事実に、全員が言葉を失う。

「レトロウィルス…?」真木が、震える声で呟いた。それは、宿主の遺伝子に自身の遺伝情報を組み込み、細胞レベルで生命を破壊する、極めて厄介なウィルスの一種だ。

ジョン・ドーは、重々しく頷いた。

「そして、最も恐ろしいことに…そのウィルスに対するワクチンは、存在しない」

その言葉は、彼らが抱いていた一縷の希望さえも打ち砕いた。隕石の落下を阻止できなかった場合、人類に生き残る道はない。シェルターに避難した富豪たちだけが、この二重の災厄から逃れるための「選ばれし者」ということになる。彼らの核シェルターの「空気交換機」や「大量の食糧」は、単なる物理的被害からの保護だけでなく、この未曽有の生物兵器からの隔離をも目的としていたのだ。

「ヴォルコフは…世界を浄化するつもりなのか」椎名が、怒りに震える声で言った。「選ばれし者だけを生き残らせ、残りの人類は、宇宙からの破滅と、そこから放出される病によって、完全に消し去る…」

「奴は、自分が神にでもなったつもりでいるのか…!」望月が、テーブルを叩く。

黒田部長は、目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。その瞳には、かつてないほどの決意が宿っていた。

「ならば、もはや、隕石の軌道をそらす『可能性』など論じている場合ではない。我々には、隕石の衝突を、100%阻止する、以外の選択肢は存在しない」

人類の存亡をかけた戦いは、今や、物理的、そして生物学的な、二重の脅威を伴うものとなった。800日。この限られた時間の中で、公安特殊技能部は、この恐るべき「無ワクチンレトロウィルス」の放出を阻止するため、ミレニアムの中核を叩き、ヴォルコフの計画を完全に打ち砕くことを誓った。

隕石の衝突と、それに伴う無ワクチンレトロウィルスの放出という、二重の終末計画。その恐ろしさに直面しながらも、公安特殊技能部は冷静さを保とうとしていた。彼らの脳裏には、一つの疑問が繰り返し浮かび上がる。

「ジョン・ドーさん…」黒田部長が、ジョン・ドーに問いかけた。「なぜ、これほど大規模な計画が、アメリカの情報機関…特に、世界最強のサイバー情報機関であるNSAでは、ミレニアムを発見できなかったのでしょうか? どんな小さな糸口でも、見つからなかったのですか?」

NSAの監視網と解析能力は、世界最高峰だとされる。にもかかわらず、ミレニアムがNASAのシステムを掌握し、惑星規模の陰謀を進めていたことを、なぜ彼らは阻止できなかったのか。あるいは、なぜ彼らは、日本の公安に頼るしかなかったのか。

ジョン・ドーは、その問いに、深く息を吐き出した。彼の表情には、自国の機関に対する複雑な感情が滲んでいた。

「…それが、『アメリカの嘘』の核心の一つだ」ドーは静かに答えた。「ミレニアムは、単なるハッカー集団ではない。彼らは、特定の物理的な拠点を持ち、固定されたネットワークを持つ、伝統的なテロ組織とは根本的に異なる」

彼は、モニターに、複雑なデータフロー図を表示させた。

「ミレニアムのAI『ガレリオ』は、既存の、合法的な通信インフラと、各国の重要機関のシステム内部に、寄生する形で潜伏している。彼らは、自らを『検出不能な存在』とするために、外部からの目には、通常のシステムの一部としてしか映らないように、巧妙に偽装しているのだ」

真木が頷く。

「つまり、NSAが外部からどれほど強力なスキャンをかけたとしても、ミレニアムは既存のデータの一部として認識され、フィルターにかけられてしまう…」

「その通りだ」ドーは続けた。「彼らは、まるで癌のように、内部から侵食する。そして、最も重要なのは、**『知っている数十名のアメリカ人』**の存在だ」

彼の言葉は、再び重く響いた。

「この数十名は、高位の政府関係者、軍幹部、そして、一部のNSA内部の人間も含まれている。彼らは、ミレニアムの存在を知りながら、あるいは、彼らの計画の一部を共有しながら、意図的にミレニアムの活動を隠蔽し、NSA全体の情報収集活動に圧力をかけていた」

椎名が、冷徹な目で付け加える。

「つまり、NSAはミレニアムを『発見できなかった』のではなく、『発見させてもらえなかった』。あるいは、**『発見しないように仕向けられていた』**ということか」

「その通りだ」ドーは、苦々しい表情で認めた。「我々CIAの一部も、この真実にたどり着くのに、どれほどの犠牲を払ったか…。私自身も、この場にいること自体が、極めて危険な行為だ」

彼は、真木を振り返った。

「あなた方が、ミレニアムのAIシステムに残された**『異端者』のノイズ**を発見できたこと。そして、カステッリという存在にまで辿り着けたこと。それは、外部からの努力では、奇跡に近い。小さな糸口は、ミレニアムの内部から、カステッリが命がけで送ってくれたものだ。NSAがどれほど強力でも、内部の共犯者と、ミレニアムの絶対的な隠蔽能力の前では、無力だったのだ」

NSAは、その巨大な組織の中に、真実を隠蔽し、ヴォルコフの計画を黙認する(あるいは協力する)者がいるがゆえに、ミレニアムという真の脅威を「発見」できなかったのだ。公安特殊技能部は、まさにその「異端者」であるカステッリという、唯一の希望に、人類の未来を託すことになった。

「隕石の衝突とレトロウィルスの放出を阻止するには、まずカステッリと連携し、ミレニアムのシステムを内部から叩く必要があります」

黒田部長の言葉に、公安特殊技能部とCIAのジョン・ドーは、頭を悩ませていた。カステッリが味方であることは確信できたが、ミレニアムの鉄壁なセキュリティと、それを監視する「アメリカの嘘」の存在下で、どうやって安全に接触を図るのか。

その時、真木希が、決意を秘めた顔で口を開いた。

「一つ、方法があります。ただし、非常に高いリスクを伴います」

全員の視線が、真木に集中した。

「ミレニアムのAI『ガレリオ』は、極めて高度な学習能力と自己進化能力を持っていますが、同時に、特定のデータパターン、特に『異端者』であるカステッリが残したような微細なノイズに対しては、盲点がある可能性があります」

真木は、自身の端末に表示させた複雑なネットワーク図を指し示した。

「私たちが作る**『見えないウィルス』。これは、攻撃を目的としたものではありません。ミレニアムのネットワークの深部に潜り込み、特定の条件が満たされた時のみ、覚醒する極秘の『ステルスバックドア』**を仕込みます」

彼女は、画面に、ウィルスの概念図を表示させた。それは、通常のデータに見せかけ、ミレニアムの監視システムやNSAのデータフィルタリングをすり抜けるように設計されていた。

「このウィルスは、特定の**『ノード』**、つまりミレニアムのシステム内でカステッリが頻繁にアクセスしているであろう、あるいは重要な制御権を持つであろうポイントに注入します。ウィルスは、そこで休眠状態に入り、何の痕跡も残しません」

ジョン・ドーが、その危険性を理解したように眉をひそめた。ミレニアムのシステムに、自らの手で何かを仕込むのは、自殺行為に近い。

「もし、カステッリがこのウィルスに気付き、それを特定のパターンで起動させることができれば…その瞬間、私たちとカステッリの間で、極秘の通信チャンネルが開かれることになります。ウィルスは、ミレニアムのシステム内部を迂回することで、外部からの監視や妨害を回避できます」

「つまり、そのウィルスを仕込んだ後、私たちは**『ノードの監視』**を続け、カステッリからの反応を待つ、と?」黒田部長が、真木の意図を確認した。

「はい。カステッリのメッセージから得られた手がかりを元に、彼が次にアクセスする可能性のあるノード、あるいは彼が『異端者』として反抗の兆候を示しているノードを特定し、そこにウィルスを仕込みます。成功すれば、彼から直接、隕石落下計画の全貌、NASA内部の状況、そしてレトロウィルスの詳細について、決定的な情報が得られるはずです」

ジョン・ドーは、その大胆な作戦に、わずかながらも希望を見出した表情で頷いた。

「それは、ミレニアムの牙城に、内側から楔を打ち込むようなものだ。極めて危険だが…他に確実な方法はない」

800日。刻一刻と迫る終末の時限の中で、公安特殊技能部は、カステッリという見えない味方と連携するため、ミレニアムの堅牢なシステム内部へと、まさに「見えないウィルス」という一縷の望みを送り込むことを決意した。

真木希の提案した「見えないウィルス」作戦。それは、人類の命運を賭けた、極めて危険で繊細な一手だった。公安特殊技能部は、ジョン・ドーの協力の下、カステッリが最もアクセスしている可能性の高い、NASA内のミレニアム支配下のノードを特定し、その一点に全神経を集中させた。

真木は、メインモニターの前に陣取り、数十台のサブモニターを凝視する。彼女の指は、まるで楽器を奏でるかのようにキーボードの上を舞った。彼女が開発した「見えないウィルス」は、ミレニアムのAI「ガレリオ」の検出パターンを完璧に回避するよう設計され、ごく微細なデータパケットとして、NASAとミレニアムの間に流れる膨大な情報の中に紛れ込ませられた。それは、まるで漆黒の宇宙に漂う、目に見えない塵の一粒のようだった。

「…侵入ルート確保。ウィルス、送信開始」

真木の冷静な声が響く。部屋には、キーボードを叩く音と、モニターの微かな電子音だけが響いていた。数秒、数十秒…永遠とも思える時間が流れる。

その間、モニターには、ミレニアムの内部構造が、真木の解析を通じて徐々に可視化されていく。無数のノードが複雑な網の目のように繋がり、データが血管のように流れている。その中心には、巨大なAI「ガレリオ」のコアが見え隠れしていた。NASAの各部門、そして小惑星の軌道制御システムへと伸びるミレニアムの支配構造が、冷徹なまでに明確に示されていた。

「監視システム、無反応」

ジョン・ドーが、NSAのデータログとの照合結果を確認し、安堵にも似た声で告げた。ミレニアムも、そして彼らに協力するNSA内部の「数十名」も、このステルス侵入には気づいていない。

「ウィルス、ターゲットノードに到達…」真木の声に緊張が走る。「休眠状態に移行…検出なし。ステルスウィルスの侵入を確認しました」

最初の関門は突破された。彼らは、敵の心臓部に、見えない楔を打ち込むことに成功したのだ。あとは、カステッリからの反応を待つだけだ。

真木は、ターゲットノード周辺のデータフローを、より高精細なモードで監視し始めた。微細なノイズ、不自然なデータのリフレッシュ、あるいはごくわずかなアクセス履歴の変動。どんな些細な兆候も見逃すまいと、その瞳は画面に釘付けになる。

数分後。

膨大なデータが流れるモニターの一角、特定のノードを示す小さなインジケーターが、ごく僅かだが、通常ではあり得ない点滅を見せた。それは、数秒間だけ現れ、すぐに消えた。

「…反応!」真木の声に、興奮が混じる。「このノードに、極めて特殊なアクセスがありました。データ量はごくわずかですが…これは、間違いありません。カステッリです! 彼が、ウィルスの存在を認識し、私たちが作ったチャンネルを、わずかながらも起動させた!」

その点滅は、暗号化されたメッセージでも、具体的な情報でもなかった。しかし、それは、カステッリが彼らの意図を理解し、この危険なゲームに乗ってくれたという、何よりも雄弁な合図だった。ミレニアムの「異端者」は、確かに彼らの味方だ。

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