終末の計画
ep.6 終末の計画
東京の盗聴されない密室で、公安特殊技能部は、アレクサンダー・ヴォルコフの「終末の計画」を阻止するため、作戦会議を最初からやり直していた。南アフリカで得られた情報と、各国情報機関からの断片的なデータがテーブルに広げられ、真木希は、その全てを改めて分析し、あらゆる可能性を探っていた。
何時間もの議論と解析が続いた。ヴォルコフの資金の流れ、ミレニアムのAIの行動パターン、核シェルターの構造と目的。全てのピースを組み合わせようと試みる中で、真木の指が、突然キーボードの上で止まった。彼女の顔色が、急速に青ざめていく。
「…待てよ…」
真木の小さな、しかし切迫した声が、部屋の緊張感を一瞬にして高めた。全員の視線が、彼女のモニターに集中する。
「このデータ…」真木は、震える声で言った。「NSAから提供されたヴォルコフのプロファイルに、不審な痕跡を見つけました。以前は見落としていた、極めて巧妙に隠されたデータだ」
彼女のモニターには、ヴォルコフの金融ネットワークの一部に、通常の取引経路ではあり得ない、極めて限定された、しかし定期的なデータのやり取りが示されていた。それは、暗号化された通信プロトコルだが、その痕跡は、ある種の特定の機関、あるいは組織との連携を示唆していた。
「そして…ミレニアムのAIの行動パターンだ」真木は、さらに恐るべき発見を告げた。「奴らのAIは、特定のサイバー攻撃において、奇妙な『手加減』をしている部分があった。攻撃の寸前で停止したり、あるいは特定の情報をあえて残したり…まるで、誰かに情報を与えているかのように」
椎名が、真木の解析結果を食い入るように見つめ、その結論に辿り着いた。
「まさか…」
真木は、信じられない、しかし確固たる声で言った。
「…アメリカは、嘘をついている。NSAからの情報提供は、単なる協力ではなかったのかもしれない。そして…ミレニアムは…ミレニアムは、誰かと協力している!」
その言葉は、密室の空気を凍り付かせた。
黒田部長の目に、強い衝撃と、そして怒りが宿った。望月は、無言でライフルを握る手に力を込めた。アメリカが嘘をついている?そして、ミレニアムが誰かと協力している?
もしそれが事実なら、NSAからのヴォルコフの情報は、彼らを特定の方向へ誘導するためのものだった可能性がある。真木の携帯電話を破壊したAIの攻撃も、単なる妨害ではなく、彼らが監視されていることを悟らせ、同時に彼らの行動をコントロールするための示威行為だったのかもしれない。
「誰とだ?ミレニアムが、一体誰と協力しているというんだ?」黒田部長が、重い声で真木に問う。
真木は、悔しさに顔を歪ませながら答えた。
「まだ特定できません。しかし、その痕跡は、国際的な組織、あるいは国家レベルの諜報機関の関与を示唆しています。この情報が正しいなら…我々は、見えない敵だけでなく、味方だと思っていた勢力からも、利用され、操られていた可能性があります」
彼らが頼ろうとした、あるいは情報を得た世界の主要な情報機関が、実はミレニアムの背後にいる、あるいは協力しているとすれば、事態は想像を絶する複雑さと危険を孕むことになる。彼らは今、全くの孤立無援の状況に陥ったのだ。
この衝撃的な発見は、作戦の全てを再び、根本から覆した。彼らは、二重の闇に包まれた、新たな戦いに挑むことになる。
アメリカの「裏切り」の可能性と、ミレニアムが誰かと協力しているという衝撃的な事実は、作戦会議の焦点を完全に変えていた。彼らは、目の前の情報を、疑念の目で一から見直す必要があった。
黒田部長が、重い口調で核心を突いた。
「アレクサンダー・ヴォルコフの『終末の計画』…これが最も重要だ。しかし、南アフリカのシェルターの目的は理解できたが、具体的に『終末』が何を意味するのか、その情報がまだあいまいすぎる。核戦争か、パンデミックか、経済崩壊の末路か…」
椎名が頷く。
「確かに。富豪から金を巻き上げている以上、それは『実際に起こる』と信じさせるだけの説得力が必要でしょうが、具体的なシナリオが見えてこない。彼の予言は、あまりに抽象的です」
真木は、キーボードを叩きながら、再びミレニアムの活動データに深く潜っていた。AIの行動ログ、過去のサイバー攻撃の痕跡、そして暗号化された通信プロトコル。アメリカからの情報を疑いながら、彼女は新たな視点での分析を試みる。
「ヴォルコフとミレニアムの関係も、再考の必要がある」真木は、画面に複雑なネットワーク図を表示させながら言った。「当初は、ヴォルコフがミレニアムを完全に操っていると考えていましたが、ここにきて…ミレニアムの一部が、自律的に動いている、あるいは別の指示系統に従っているような痕跡が見られます」
彼女の指が、ネットワーク図の中のある一点を指し示した。
「ミレニアムのAIシステムに、ごく稀に、通常ではあり得ないような、内部エラーや、指示系統の不一致が記録されています。これは、AIのバグではありません。まるで、誰かが内部からシステムに干渉しようとしているかのような…、あるいは、情報の一部を意図的に漏らそうとしているかのような、微細なノイズです」
真木の言葉に、椎名がハッとしたように身を乗り出した。
「異端者…か」
「はい。ミレニアムの内部に、**異端者**がいる可能性があります」真木は続けた。「ヴォルコフや、ミレニアムのリーダー格の意図とは異なる動きをしている者が…あるいは、ミレニアムの掲げる理念に疑問を持ち、何らかの形で反抗しようとしている者がいるのかもしれません」
この発見は、彼らにとって新たな希望であり、同時に、途方もない危険を孕んでいた。もしミレニアムの内部に亀裂があるのなら、そこからヴォルコフの「終末の計画」の具体的な情報や、アメリカがなぜ「嘘をついている」のか、その真相に迫る手がかりが得られるかもしれない。
「『異端者』が何を求めているのか、それが誰なのかはまだ不明です。しかし、このノイズを追えば、ミレニアムの内部、そしてヴォルコフとミレニアムの真の関係性…さらには、アメリカの『裏切り』の真相に迫れるかもしれません」真木は、静かに言った。
黒田部長の目に、新たな光が宿る。彼らは、単なる情報戦の枠を超え、敵組織の内部にまで食い込もうとしていた。それは、これまで以上に危険で、緻密な作戦となるだろう。
「『異端者』…か。それが、我々の最後のチャンスかもしれない」黒田部長は呟いた。「真木、そのノイズを徹底的に追え。椎名、ミレニアムの過去のデータと照らし合わせ、その『異端者』の目的、あるいは、彼らが伝えようとしているメッセージを解読しろ。望月、現場での動きに備えろ。もし『異端者』が接触を求めてくるなら、それは絶好の機会だ」
「終末の計画」の曖昧さ、ミレニアム内部の不穏な兆候、そしてアメリカの裏切り。これらの複雑な糸が絡み合う中で、「ミレニアムの異端者」という新たなピースが、彼らの運命を大きく左右することになるだろう。
アレクサンダー・ヴォルコフの「終末の計画」の曖昧さ、そしてミレニアム内部に潜む「異端者」の存在。公安特殊技能部は、そのわずかな糸口を掴むべく、盗聴されない密室で、昼夜を問わず解析を続けていた。真木希は、ミレニアムのAIシステムに残された微細なノイズ、つまり「異端者」が残したであろう痕跡を追っていた。
その時だった。
真木が解析に使っていた、外部ネットワークから完全に隔離されたはずの専用端末が、突然、鈍い光を放った。通常の通信プロトコルとは異なる、極めて高度に暗号化されたデータが、まるで幽霊のように画面に現れたのだ。
「…何これ?」真木の声に、緊張が走る。
それは、特定のメールアドレスから送られてきたものではない。あたかも、デジタル空間そのものから湧き出たかのような、突然の暗号化されたメールだった。
真木は、即座にそのデータを解析環境に隔離し、解読を試みる。その暗号化のレイヤーは幾重にも重なり、非常に複雑だったが、ミレニアムのAIシステムから発信されているであろう、ある種の既知のパターンを含んでいた。
数分後、真木の額に汗が滲む。彼女は、メールの一部を解読することに成功した。そこに現れたのは、テキストの羅列だったが、その表示方法に、彼女は既視感を覚えた。
「これは…!」
画面に表示された文字は、正しく読むことができない。それは、まるで鏡に映したかのように、左右が反転していたのだ。
「また鏡文字だ…!」真木が声を上げた。
その特徴的な表記は、ミレニアムがかつて、彼らの存在を示すために用いた、あの不気味なサインと完全に一致していた。それは、彼らの技術の高さと、公安の動きを完全に把握しているという、冷酷なメッセージでもあった。
「アナグラムでもない…」椎名が、モニターを覗き込みながら呟く。「単なる暗号ではない。直接的な、しかし理解を拒む形式…」
鏡文字のメッセージは、極めて短いものだった。そして、その中に、たった一つの、しかし決定的な単語が含まれていた。
「カステッリ」
イタリア語圏の響きを持つ、謎の単語。それが、この不可解なメールの全てだった。
黒田部長が、真木のモニターを凝視した。
「カステッリ…それが、異端者の名前か?それとも、新たなコードネーム、場所か…」
望月も、その名前に聞き覚えがないか、記憶を辿っている。
真木は、震える手でキーボードを叩き、その「カステッリ」という単語をあらゆるデータベースで検索にかける。
「ミレニアムの『異端者』が、我々との接触を試みてきた…しかし、なぜこんな形で?そして、『カステッリ』とは、一体何を意味するんだ?」
突然の鏡文字のメール、そして「カステッリ」という謎の単語。それは、公安特殊技能部にとって、ミレニアム内部の「異端者」が示した、最初の、そして唯一の手がかりだった。しかし、そのメッセージは、彼らが踏み込むことになる新たな闇の深さを、不気味に示唆しているようにも思えた。
「カステッリ」という謎の単語の解析が急ピッチで進められていた。真木希は、その名前とミレニアムのAI「ガレリオ」の初期開発に関する全てのデータを洗い直す。椎名遼もまた、過去の科学者や思想家の情報を、新たな視点で調べ始めた。
そして、ある決定的な繋がりに、真木はたどり着いた。
「部長、椎名さん。このAI、『ガレリオ』という名前は…まさかあの天文学者、ガリレオ・ガリレイから取られたものだったとは…!」
真木の言葉に、黒田部長と望月は驚きを隠せない。AIの名前が、あの有名な科学者から名付けられていたという事実は、これまで見落とされていた重要な意味を含んでいた。
椎名が、真木の解析データを見て、さらに深く頷いた。
「そして、『カステッリ』…まさか、ガリレオ・ガリレイの高弟、ベネデット・カステッリのことだったとはな」
ベネデット・カステッリは、ガリレオの最も重要な弟子の一人で、彼の科学的な探求と真理の追求を支えた人物だった。この歴史的な繋がりが、AI「ガレリオ」と、その「弟子」であるカステッリの関係に、新たな解釈を与えた。
「つまり、ミレニアムの中核AI『ガレリオ』は、本来、真理の探求や、あるいは人類の進歩のために作られたものだった…」黒田部長が、重い口調で推測する。「それを、アレクサンダー・ヴォルコフが歪め、自身の『終末の計画』のために利用している。カステッリは、そのAIの生みの親としての『弟子』の責任感から、師の遺志を歪める行為に反抗している、ということか…」
その推測は、非常に説得力があった。カステッリが送ってきた鏡文字のメールは、AI「ガレリオ」の純粋な目的が冒涜されていることへの、彼からの悲痛な叫びなのかもしれない。
まさにその時、真木のモニターに、新たなデータがポップアップした。それは、カステッリのメールの残りの暗号化された部分から、真木が必死に引き出した、さらに断片的な情報だった。彼のメッセージは、具体的な言葉ではなく、座標、そして、ある種の周波数パターンを含んでいた。
真木が、それらの断片を地図と照合し、シミュレーションを実行した瞬間、衝撃的な事実が浮かび上がった。
「…これは…!」
真木のタブレットに、世界地図が表示され、南アフリカのシェルターの座標と、さらに遠く離れた、しかし明確なマーカーが示されていた。そのマーカーは、アメリカ合衆国、特定の都市、そして軍事施設らしき場所を示していた。
そして、カステッリが残した周波数パターンを分析すると、それは特定の種類の通信プロトコルと一致する。そのプロトコルは、軍事衛星と、特定の諜報機関…アメリカのNSAとの間で交わされる、極秘の通信に用いられるものだった。
「終末の計画…その全貌は、これだ」真木が、震える声で報告した。「ヴォルコフが仕掛ける『終末』は、アメリカを巻き込むものです。そして、その計画に、アメリカの一部が関与している…」
「つまり、NSAの『協力』は、ヴォルコフの計画を隠蔽するため、あるいは、我々を駒として利用するためのものだった…」椎名の顔から、血の気が引いていく。「ヴォルコフは、終末を予言するだけでなく、アメリカという超大国を巻き込み、それを実際に引き起こそうとしている…?」
核シェルター、莫大な資金を持つ富豪たち、そして、終末の引き金としてのアメリカ。カステッリのメッセージは、その全てを繋ぎ合わせ、アレクサンダー・ヴォルコフの野望が、彼らが想像していた以上に巨大で、恐ろしいものであることを明らかにした。
AIガレリオの「弟子」であるカステッリは、自らの命を顧みず、この恐るべき真実を日本の公安特殊技能部に伝えようとしているのだ。彼らが今、立ち向かっているのは、単なる武器商人ではない。それは、世界を裏から操り、自らが望む終末を強行しようとする、巨大な闇の勢力だった。
NASAの施設がヴォルコフの「終末の計画」と結びついているという事実に、公安特殊技能部は深い衝撃を受けていた。AIガレリオの「弟子」であるカステッリからの断片的な情報が、その恐るべき全貌を露呈しようとしていた。
真木希は、カステッリが残した周波数パターンと座標を、NASAの公開されている、あるいはアクセス可能な限りでの機密レベルのデータと照合し続けた。天文学者ガリレオ・ガリレイの名を冠するAIが、宇宙と結びつく目的を持っていたという、皮肉な真実が、彼女の心に重くのしかかる。
そして、ついに、その最も恐ろしい結論に到達する。
「部長…椎名さん…望月さん…」真木の 「このデータ…カステッリが残した通信の痕跡と、NASAの内部システムから検出された異常なアクセス履歴を解析した結果…」
彼女は、メインモニターに、ある特定の小惑星の軌道予測図と、その進路が不自然に操作されているかのようなシミュレーション結果を表示させた。その軌道は、地球に接近するはずのない、しかし何らかの力によって「誘導」されているかのような歪みを見せていた。
「ヴォルコフの『終末の計画』…その具体的な内容は、隕石の落下です」
その言葉は、まるで宇宙空間から放たれた衝撃波のように、密室にいる全員の思考を揺るがした。テロでもなく、経済崩壊でもない。それは、人類が最も原始的に恐れる、天からの破滅だった。
「NASAが管理する小惑星観測データ、そして、おそらくは軌道変更ミッションに関わるシステムが、ミレニアムのAIによって掌握されている…」椎名が、冷や汗を流しながら続けた。「ヴォルコフは、ガリレオの力を使い、既存の小惑星を、地球へと誘導しようとしている…」
黒田部長の顔に、怒りと絶望が交錯する。
「だからか…!だからアメリカは嘘をついていたのだ!」
これまでNASAが発表してきた宇宙空間の安全に関する情報、そして特定の小惑星の軌道データには、意図的な隠蔽や操作が加えられていたのだ。NSAが情報を隠し、公安の動きを制御しようとしたのも、ヴォルコフによるNASAの乗っ取り、そして「隕石落下計画」という、国家の最高機密であり、人類の存亡に関わる情報が漏洩するのを防ぐためだったのだ。あるいは、彼ら自身も、ミレニアムのAIに翻弄され、この恐るべき計画の片棒を担がされそうになっていたのかもしれない。
望月が、信じられないという表情でモニターを見つめた。
「莫大な資金を持つ富豪のための核シェルター…それは、この隕石落下から生き残るための、文字通りの『箱舟』だったんだな」
アレクサンダー・ヴォルコフは、「終末」を予言するだけでなく、その「終末」を自らの手で引き起こし、選ばれし者だけを生き残らせようとしていたのだ。その手段が、人類の監視の目をかいくぐり、宇宙の摂理さえも捻じ曲げるような、AIと科学技術の悪用だった。
彼らが直面しているのは、もはや一国の警察組織が対応できるレベルをはるかに超えた、全人類の存亡をかけた戦いだった。残された時間は、分からない。しかし、この恐るべき計画を阻止しなければ、世界は、ヴォルコフが描く「終末」の絵図の通りに、宇宙からの猛威に晒されることになるだろう。