巨大建造物
ep.5 巨大建造物
黒幕の正体が国際的な武器商人であると判明したオフィスには、新たな緊張感が満ちていた。彼の莫大な資金力、元GRUという経歴が示す実行部隊の存在、そしてミレニアムの技術力との結合。それは、これまで想像していたテロリズムの枠をはるかに超える、世界規模の陰謀だった。
黒田部長は、真木希に目を向けた。
「希。引き続き、ヴォルコフの資金を追ってくれ。オフショア口座は確かに壁だが、彼が活動する以上、必ずどこかで資金を使っているはずだ。その痕跡を辿るんだ」
「はい!」
真木は即座に、アレクサンダー・ヴォルコフのわずかな情報、NSAから得られた断片的なデータ、そして彼が活動する紛争地帯の金融情報を手掛かりに、再びデジタル空間の深淵へと潜っていった。彼の資金洗浄の手口は、巧妙を極めていた。複数のダミー会社を介し、何重もの送金経路を辿り、痕跡を消すためのフェイク情報が大量に仕込まれている。それは、まるで砂嵐の中を歩くような、気の遠くなる作業だった。
何時間もの集中。カフェインと緊張感だけで、真木は思考を研ぎ澄まし続ける。ヴォルコフの資金は、まるで生き物のように形を変え、世界中を駆け巡っていた。普通の捜査官なら、とっくに諦めているレベルの複雑さだった。しかし、真木は諦めなかった。この糸の先に、世界の命運がかかっていることを知っていたからだ。
そして、夜が明け、日の光が差し込み始めた頃、真木の指がピタリと止まった。
「…見つけた…」
彼女は、画面に表示された情報から、それまでの資金経路とは異なる、特定のパターンを発見したのだ。ヴォルコフの資金の一部が、最終的に特定のプロジェクト、あるいは特定の企業に関連する口座へと流れ込んでいる痕跡を掴んだのだ。しかも、それは、一般的な武器取引とは一線を画す規模と性質を持つプロジェクトだった。
真木は、そのプロジェクトに関連する公開資料の断片、そして衛星画像を検索システムに叩き込む。すると、モニターに表示された情報に、彼女は息を呑んだ。
「…これ…」
そこには、アフリカ大陸の南部、人里離れた荒涼とした大地に、衛星写真からでもはっきりと認識できる、異様なほどの巨大な建造物が映し出されていた。それは、広大な敷地を占拠し、人工衛星基地のようでもあり、巨大な研究施設、あるいは要塞のようでもあった。その規模は、まさに「巨大建造物」と呼ぶにふさわしい。
真木は、その衛星写真と、関連情報を即座に黒田部長、椎名、望月に共有した。
「ヴォルコフの資金の一部が、南アフリカにあるこの巨大建造物の建設、あるいは運営資金に流れています」真木は、興奮を抑えきれない声で報告した。「この場所は、極めて秘匿性が高く、その目的も不明です。ただ、その規模から見て…尋常なものではありません」
モニターに映し出された建造物の写真に、メンバーは言葉を失った。
「南アフリカ…巨大建造物…」椎名が、その情報を頭の中で反芻する。「ヴォルコフが、ただの武器商人ではない…彼が、この建造物を使って、一体何をしようとしているのか…」
望月は、写真の中の建造物から、計り知れない危険を察知していた。あのヴォルコフが、これほどの規模の施設を、なぜ人里離れた南アフリカに建造したのか。そこには、彼の真の目的、そしてミレニアムを動かす最終的な野望が隠されているに違いなかった。
「『アメリカの秘密』…そして、世界的な混乱…」黒田部長が、重い口調で呟く。「ヴォルコフは、この巨大建造物を使って、何らかの計画を進行させている…もしかしたら、これまでの事件は、全てこの計画のための布石だったのかもしれない」
疲労困憊の真木が発見した「南アフリカの巨大建造物」。それは、闇に包まれた事件の核心へと繋がる、決定的な手がかりだった。世界の命運を左右する真の戦場は、遠く離れた南アフリカの荒野に隠されていたのだ。
「次の舞台は…南アフリカだ」黒田部長の言葉に、メンバーは覚悟を決める。
ヴォルコフの野望を阻止するため、公安特殊技能部は、未知の巨大建造物が待つアフリカ大陸の南部へと、飛び立つ準備を始めた。
南アフリカの巨大建造物という新たな手がかりを得て、公安特殊技能部は次の行動への覚悟を固めていた。真木希は、デスクのモニターから顔を上げ、深い疲労感と共に、しかし確かな達成感を味わっていた。しかし、その時、彼女の手に持っていたスマートフォンが、妙な熱を帯びていることに気づいた。
「あれ?」
最初に感じたのは、ただのバッテリーの過熱かと思った。しかし、その熱は尋常ではなかった。触れると、まるで加熱した金属のようにじりじりと指先を焼く。真木は思わず携帯を机に放り出した。
「どうした、希?」黒田部長が異変に気づき、声をかける。
携帯電話は、机の上でまるで痙攣するように震え、画面が激しく点滅し始めた。バッテリーが膨張しているようにも見える。真木は、それが単なる故障ではないことを直感した。
「これは…ただの過熱じゃありません。外部からの干渉です…それも、かなり大規模な!」
彼女は即座に、有線LANケーブルを引き抜き、Wi-Fiを切断しようと手を伸ばすが、既に遅かった。携帯電話は、真木のコントロールを完全に無視し、自律的に何らかの動作を続けている。画面の点滅が激しくなり、不気味なノイズがスピーカーから漏れ出す。
そして、ノイズの中から、まるで嘲笑うかのように、歪んだ文字が浮かび上がった。
『監視されている。お前たちの行動は、全て筒抜けだ。真実を探すなら、自らの目で確かめよ。追うべきものは、すでにそこに。』
メッセージは、一瞬表示された後、携帯電話の画面が真っ黒になり、まるで焼けたかのように、煙を上げて沈黙した。焦げたプラスチックのような匂いが、わずかに部屋に漂う。
望月が、素早く真木の携帯電話に駆け寄り、触れてみるが、既に熱は引いていた。ただ、異様なほど冷たくなっている。
「なんだ、これは…」望月が警戒しながら呟いた。「テロ予告か?」
真木は、震える手でパソコンのキーボードを叩き、携帯電話へのアクセスログを解析しようとするが、痕跡は完全に消去されていた。
「AIだ…」真木は、蒼白な顔で呟いた。「私が追跡していたヴォルコフの資金、そしてAIの痕跡…それを逆探知されたんです。奴らのAIが、私の携帯電話に直接アクセスし、遠隔で過負荷をかけて破壊した…そして、メッセージを残していった」
椎名も、メッセージの内容を反芻し、顔色を変えた。
「『監視されている』…そして、『追うべきものは、すでにそこに』。これは…南アフリカの巨大建造物のことか!奴らは、我々がその場所を突き止めたことを知っている」
黒田部長の表情が、かつてないほど険しくなる。敵は、彼らの最も身近なデバイスにまで侵入し、直接的な警告を発してきたのだ。ミレニアムのAIは、彼らが想像していた以上に、高性能で、そして冷酷だった。彼らの行動は、常に監視されている。そして、彼らが次に行うことも、全て敵に読まれている可能性がある。
「敵は、我々が南アフリカへ向かうことを望んでいるのかもしれない…あるいは、それが新たな罠だとしても」黒田部長は、沈黙を破り、重い決断を下した。「しかし、他に道はない。この状況で、我々が動くべき場所は、南アフリカしかない」
真木の焼けた携帯電話は、敵が常に一歩先を行く存在であることを明確に示した。しかし、同時に、彼らの最終目的が南アフリカの巨大建造物にあることも、皮肉にも確定させたのだ。
戦いは、もはや情報戦の枠を超え、個人への直接的な脅威へと発展していた。彼らは、見えない敵の監視下で、未知の巨大な危険が潜むアフリカ大陸へと向かわなければならない。
椎名遼の進言を受け、黒田部長の表情は一段と引き締まった。アレクサンダー・ヴォルコフという巨悪、ミレニアムのAIによる監視、そして南アフリカの巨大建造物という未知の脅威。もはや日本の公安特殊技能部単独で対応できるレベルではないことは明白だった。
「椎名の言う通りだ。だが、我々には、この任務を遂行するための強みがある。」
黒田部長は、部屋を見回した。
「椎名、希。君たちは、情報収集と解析において右に出る者はいない。まさに、公安特殊技能部の情報部だ。そして、望月。君の現場での実践的な判断力と行動力は、何物にも代えがたい。君は、我々の実践部だ。この二つの力が、今回の事態を打開する鍵となる」
それぞれの役割を明確にし、黒田部長は次の手を打つことを決断した。
「国際的な協力が必要だ。それも、世界中の警察機関を繋ぐハブとなる組織との連携が。インターポール…国際刑事警察機構に応援要請を行う」
インターポールは、直接的な捜査権は持たないものの、世界中の警察機関からの情報を集約し、国際手配や情報共有を通じて、国境を越える犯罪組織の追跡を支援する。ヴォルコフのような、世界を股にかける武器商人を追う上で、彼らの持つネットワークは不可欠だった。黒田部長は直ちに警察庁の上層部と連絡を取り、インターポールへの協力要請を進めるよう働きかけた。
しかし、もう一つ、喫緊の課題があった。真木の携帯電話がAIによって破壊された件だ。敵は彼らの動きを完全に把握している。このままでは、どんな機密情報も筒抜けになる危険性がある。
「敵は我々の動向を監視している。このオフィスでは、もう機密情報を扱えない」
黒田部長は、即座にオフィスの移転、あるいは既存施設の一部を改修することを指示した。目指すは、盗聴されないオフィス。
数日間のうちに、公安特殊技能部は、警察庁内の最深部に設置された、厳重なセキュリティルームへと拠点を移した。その部屋は、電磁波を完全に遮断する特殊な素材で壁面が覆われ、あらゆる通信は最高レベルの暗号化が施された専用回線を通じてのみ行われる。物理的な防音も徹底され、文字通りの「密室」が構築された。外部からの盗聴はもちろん、部屋の中で話された会話すら、部屋の外には漏れない。
新たな環境で、真木は盗聴された携帯電話の残骸を分析し、AIの攻撃手法の解析を続けていた。椎名は、ヴォルコフの過去の取引履歴と、ミレニアムのサイバー攻撃の関連性を、より深く掘り下げていく。望月は、南アフリカの巨大建造物に関する公開情報を集め、現地での作戦をシミュレートしていた。
インターポールからの返答を待ちながら、公安特殊技能部は、盗聴されない密室で、来るべき戦いに備えていた。世界の運命をかけた、情報戦と実力行使が交錯する最終局面が、刻一刻と近づいていた。
駄目だった、インターポールの協力は無理だ。公安特殊技能部を再び重い沈黙に包んだ。世界を股にかける巨悪を追うには、彼らだけでは限界がある。しかし、立ち止まることは許されない。
その沈黙を破ったのは、やはり椎名遼だった。彼の冷静な声が、密室に響く。
「部長。インターポールが無理なら、別の手段を講じるしかありません」
黒田部長が、椎名に視線を向けた。その瞳には、次の提案への期待が宿っている。
「私には、これまでの情報戦で培ってきた、いくつかの『つて』があります。公式なルートでは難しいでしょうが、非公式な接触であれば、可能性はゼロではない」
椎名は、タブレットを取り出し、画面にいくつかのロゴを表示させた。そこに示されたのは、世界の諜報活動の最前線を担う、名だたる情報機関の名前だった。
「CIA(アメリカ中央情報局)。ヴォルコフはアメリカの国家安全保障を脅かしています。彼らなら、最も深く関心を持つはずです。ただし、情報共有には極めて慎重でしょう」
「FSB(ロシア連邦保安庁)。ヴォルコフは元GRUの特殊部隊員です。FSBが彼の存在を把握している可能性は高い。あるいは、彼らの過去に何らかの繋がりがあるかもしれません。協力を得るには最も困難な相手ですが、もし彼らから情報が得られれば、核心に迫れる可能性がある」
望月の顔に、わずかな緊張が走る。元GRUという経歴を持つヴォルコフと、FSBとの関係性は、一筋縄ではいかないだろう。
「MI6(イギリス秘密情報部)。欧州における情報収集の要の一つ。彼らは、国際的なテロ対策や犯罪組織の情報収集に長けています。特に、国際的な金融犯罪や武器密売に関しては、独自のネットワークを持っている可能性があります」
「そして、DGSE(フランス対外治安総局)。フランスもまた、国際テロや混乱の標的となっています。彼らは、中東やアフリカにおける情報収集に強みを持っています。南アフリカの巨大建造物に関する情報を持っているかもしれません」
椎名は、それぞれの機関の特性を簡潔に述べた。インターポールとは異なり、これらの情報機関は、より深い情報収集能力と、秘密作戦の遂行能力を持つ。
「彼らなら、より深い情報を握っている可能性があります。ただし、彼らは国家の最高機密を扱う組織。日本の要請に、容易に応じるとは限りません。各国の国益や、国際情勢が複雑に絡み合います」
黒田部長は、腕を組み、深く考え込んだ。これらの機関への接触は、日本の外交にも影響を及ぼす可能性を秘めている。しかし、他に選択肢はなかった。
「情報機関は、国の顔色を伺う。容易には動かんぞ」黒田部長は言った。「だが…背に腹は代えられん。椎名、やってくれ。こちらからも、政府上層部を通じて、各機関に公式なルートで働きかける」
真木は、すぐに情報共有のためのデータパッケージの準備に取り掛かる。ヴォルコフのプロファイル、ミレニアムの活動概要、AIの痕跡、南アフリカの巨大建造物の情報。これら全てを、各機関の関心を引くように、かつ安全な方法で共有するための準備だ。
望月は、盗聴されない密室の中で、静かにライフルを構える訓練を始めた。彼は、情報戦の先に待つ、物理的な衝突を予感していた。
国際的な舞台での、新たな情報戦が始まった。日本の公安特殊技能部は、世界の主要な情報機関という、複雑な思惑が渦巻く巨大な海へと、小さな一隻の船を出す。彼らの最後の望みは、この危険な賭けに、世界の諜報機関が応じることだった。
公安特殊技能部の作戦会議は、何日にもわたる徹底的な情報分析と議論の末、ついに結論に達した。彼らは、アレクサンダー・ヴォルコフの野望を阻止し、南アフリカの巨大建造物の謎を解き明かすため、直接現地へ潜入することを決意した。それは、まさに自殺行為にも等しい、しかし他に選択肢のない、背水の陣だった。
万全の準備を整え、彼らは厳重な警戒態勢の中、極秘裏に南アフリカへと飛んだ。商用機を乗り継ぎ、人目を避けながら内陸深くへと進む。アフリカ特有の赤茶けた大地が広がり、乾いた風が吹き荒れる中、彼らの乗るレンタルのSUVは、目的地へとひた走っていた。
数時間の移動を経て、目の前に広がる光景に、一行は息を呑んだ。
地平線の彼方に、衛星写真で見た通りの、しかし実物で見るそれは、想像を絶する巨大さでそびえ立っていた。まるで大地に突き刺さった巨人の拳骨のように、荒涼とした砂漠の中に、漆黒の異様な建造物が鎮座している。その表面は、光を吸い込むような特殊な素材で覆われ、あらゆる攻撃や侵入を拒むかのような、鉄壁の要塞…いや、巨大なシェルターとしての威容を誇っていた。周囲の景色とは全く異なる、異様な存在感を放っていた。
「あれが…ヴォルコフの拠点か」望月が、無意識に呟いた。その言葉は、すぐに修正された。
「シェルター…だ」椎名が双眼鏡を構え、周囲を警戒しながら訂正した。「アジトや基地というよりは、何かを隠し、あるいは守るための、極めて堅牢な施設に見える」
建造物の周囲には、目に見えない強固なセキュリティシステムが張り巡らされているのが容易に想像できた。特に、複数の監視カメラが、まるで獲物を狙う猛禽のように、広大な敷地を絶えず見回しているのが確認できた。
SUVを建造物から数キロ離れた岩陰に隠し、一同は身を伏せた。ここから先は、彼らの最も得意とする情報戦と実践の組み合わせだ。
「希。例の件、頼む」黒田部長が、真木に指示を出した。
真木は、特殊な端末を取り出し、指を滑らせた。ターゲットは、NSAだ。インターポールは協力を拒んだが、NSAはヴォルコフの情報を提供した。彼らの真意は不明だが、少なくともヴォルコフの存在を危険視していることは間違いない。そして、NSAが持つ世界的な監視ネットワークは、彼らがこの作戦を成功させるための唯一の希望だった。
真木は、短く、しかし明確なメッセージを送る。彼女たちがこの場所、この時間、この作戦を開始したこと、そして、この地域一帯の防犯カメラ、衛星からの監視システムから、僕らの痕跡を一時的に消し去ってほしいという要請だ。
それは、NSAが提供したヴォルコフの情報に対する、公安特殊技能部からの「次の手」であり、彼らの能力への信頼を示すものでもあった。
数秒後、端末に微かな応答があった。具体的な返答はなかったが、それは確かにNSAからの「受理」のサインだった。真木は、僅かに安堵の息を漏らす。NSAが、ヴォルコフを追い詰めるため、少なくともこの一点において、水面下で協力に応じたのだ。
「よし」黒田部長が、静かに言った。「準備はいいか。ここからは、敵の領域だ」
彼らは、静かに装備を整え、影に溶け込むように巨大建造物へと向かった。彼らの姿は、監視カメラの視界から消えた。しかし、彼らが踏み込む闇の奥には、アレクサンダー・ヴォルコフという巨悪の野望が、牙を剥いて待ち構えているだろう。
核シェルターの内部を探索する小型ドローンが送ってくる映像は、公安特殊技能部が抱いていた最悪の予感を、確信へと変えていった。それは、単なる緊急避難施設ではなかった。
ドローンが映し出したのは、居住区画の隅々まで行き届いた、贅沢とも言える設備だった。通常のシェルターには見られない、高価な木材が使われた内装、プライベートな空間を確保した複数のスイート、最新鋭のエンターテイメントシステムまで備え付けられている。広大な共有スペースには、温水プールやフィットネスジム、さらには美術品が飾られたギャラリーらしき場所まで確認できた。
「食糧備蓄の規模と、空気交換機を見ただけでは、ただの核シェルターに見えたが…」椎名が、画面に映る映像を解析しながら、険しい顔で言った。「この居住区画の作りは…尋常じゃない」
望月が、設備から目を離さずに呟く。
「これは…生存のためだけの施設じゃない。むしろ、快適に、そして長期間にわたって『過ごす』ための場所だ」
真木が、ドローンが捉えたいくつかの電子ロックシステムや、個人認証のデバイスから読み取れる断片的な情報を分析する。アクセス権限は、極めて厳格に管理されており、そのIDの様式は、特定の金融機関や国際的な投資グループに関連する、トップティアの顧客リストを彷彿とさせた。
「このシェルターは、莫大な資金を持つ人用のものだ」真木が、はっきりと告げた。「おそらく、シェルターへの入居権は、法外な金額で販売されている」
黒田部長の目に、怒りにも似た色が宿る。
「つまり…アレクサンダー・ヴォルコフは、世界に混乱を引き起こし、終末を予言することで、その恐怖から逃れたいと願う富豪たちから、巨額の資金を巻き上げていたということか」
その瞬間、全てが繋がった。あの1万近くの空口座から引き出され、オフショア口座へと消えた莫大な資金。それは、この核シェルターへの「入居権」を購入した富豪たちの金だったのだ。ヴォルコフは、彼らが投資した金を使って、ミレニアムを動かし、世界中でテロを引き起こし、株式市場を操作し、そしてこの巨大なシェルターを建造していた。彼は、自らが引き起こす終末から逃れるための「箱舟」を、その「乗客」自身の資金で作らせていたのだ。
「奴は…まさに『影の商人』だ」椎名が、冷ややかな声で言った。「世界に恐怖と混乱をばら撒き、その恐怖を金に換え、さらに終末の準備を進めている。そして、このシェルターは、そのサイクルを完成させるための、最終的なピース…」
望月が、改めてシェルターの規模を脳内で計算する。千人収容できる空間。その千人は、世界の最も富める者たち。
「彼らは、ヴォルコフが『終末』を意図的に引き起こしているとは知らないだろう。ただ、来るべき破滅から身を守れると信じているだけだ」
この巨大な核シェルターは、ヴォルコフの歪んだ思想と、人間の恐怖につけ込むその悪辣なビジネスの、まさに集大成だった。彼が操るAIと、ミレニアムのハッカーたちは、この終末ビジネスを加速させるための道具に過ぎなかったのだ。
公安特殊技能部は、単なるテロリストではなく、人類の恐怖を食い物にする、巨大で病的な計画の核心に触れた。このシェルターを止めなければ、ヴォルコフは富豪たちを騙し続け、そして、実際に「終末」を引き起こす準備を完成させてしまうだろう。