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ミスリード

ep.4 ミスリード


ニューヨークの美術館入口での緊張から解放され、公安特殊技能部のメンバーは、慌ただしく帰国し、再び日本の公安特殊技能部オフィスに集結していた。深夜のニューヨークから日本の早朝へ。肉体的な疲労は大きいが、精神的な緊張は張り詰めたままだった。ミレニアムからのメッセージが「ダヴィンチ・コード」の模倣である可能性に気づいたことで、彼らは一度立ち止まり、この一連の出来事を改めて整理する必要があった。

オフィスの一室。テーブルを囲んで、黒田部長、椎名、真木、望月が座っていた。部屋には、コーヒーの湯気と、張り詰めた静寂が満ちている。

黒田部長が、重い口を開いた。

「…まずは、お疲れ様だった。そして、椎名、よく気づいてくれた。あのままローマへ向かっていたら、どうなっていたか…想像もつかん」

椎名は静かに頷いた。彼の顔には、発見の興奮よりも、見えない敵の巧妙さに対する警戒の色が濃く浮かんでいる。

「さて、状況を整理しよう」黒田部長は、テーブル中央に広げられた資料を指差す。「一連の事件。ラスベガスの射殺、ニューヨークの爆破、フランスの銃撃、日本の原発へのサイバー攻撃、西海岸の停電。そして、犯行声明『アメリカは重大な秘密を隠している。答えなければ、また事件は起こる。XXX』。アメリカ政府の沈黙。ミレニアムの存在。そして、ミレニアムからのコード、その解読結果、そして、ミスリードの可能性…」

黒田部長は、メンバー一人ひとりの顔を見回した。

「椎名、君からどうだ。この一連の流れ、そして奴らの目的について、今の君の推論を聞かせてくれ」

椎名が、落ち着いた口調で話し始めた。

「今回の事件は、従来のテロリズムとは全く性質が異なる。物理的な攻撃と、極めて高度なサイバー攻撃が組み合わされている。犯行声明は、明確な目的、つまり『アメリカの秘密』への回答を求めていることを示している。そして、一ヶ月の静寂の後、ミレニアムからのコンタクト…コードによるパズル。彼らは、我々を試している、あるいは我々をゲームに引き込もうとしている」

椎名は言葉を選ぶ。

「そして、あの『ダヴィンチからのメッセージ』…あれは、我々を『ダヴィンチ・コード』という既知の物語のパターンに誘導し、ローマへ向かわせるための、意図的な『ミスリード』である可能性が極めて高い。ミレニアムは、我々の思考パターン、そして、我々がどう反応するかを予測していた」

次に、黒田部長は真木に視線を向けた。

「希、ミレニアムの技術力について、改めて聞かせてくれ。そして、あのコードについて、他に何か分かったことは?」

真木が、モニターの方を見ながら答える。

「ミレニアムの技術は、私がこれまで見てきたどんな国家機関やハッカー集団よりも格段に上です。あのNSAのシステムを構築、あるいは強化できる能力…それに、コードの解析も…あの『バラバラの文字』は、単なる文字の羅列じゃない。特定の法則で配置されてる。並べ替えれば意味を持つはずだけど、その法則が分からない。そして、『ダヴィンチ・コード』模倣のミスリード…あれは、コードそのものに仕掛けられていたわけじゃなく、解読された情報が、特定の物語と一致するように調整されていた可能性がある」

「つまり、解読は間違っていなかったが、得られた情報自体が、奴らが用意した『餌』だったということか」黒田部長が確認する。

「その可能性が高いです。彼らは、私たちが『ダヴィンチ、美術館、ローマ』といったキーワードに飛びつくことを知っていた」

次に、黒田部長は望月に問いかける。

「望月、君の目から見て、奴らの物理的な実行部隊は、ミレニアムとどう繋がる?そして、次に物理的な危険があるとすれば、どんな場所、どんな手口が考えられる?」

望月が、静かに答える。彼の声には、現場で生死を分ける判断をしてきた者特有の重みがあった。

「物理的な攻撃は、極めてプロフェッショナルな手口だった。狙撃、爆破、無差別に見えて、狙いは明確だった。ラスベガスは象徴的な人物、ニューヨークは経済、フランスは社会の混乱、日本と西海岸はインフラ…全てが、国家の基盤を揺るがすものだ。ミレニアムがサイバー攻撃の専門家なら、彼らには別の実行部隊がいるはずだ。そして、次に奴らが仕掛けるなら…あの『ダヴィンチ・コード』のミスリードとは全く関係ない、我々が予測できない場所、我々の最も脆弱な部分を突いてくるだろう」

「我々の脆弱な部分…」黒田部長が繰り返す。

「…そして、ミレニアムの目的は、単にアメリカの秘密を暴露することじゃない」椎名が付け加える。「あの犯行声明は、引き金を引くための口実に過ぎないのかもしれない。彼らは、世界そのものを混乱させ、何か別の目的を達成しようとしている…あるいは、その『秘密』の暴露自体が、彼らの最終目的ではない」

部屋に再び静寂が訪れる。それぞれが、見えない敵の深謀遠慮に思いを馳せる。ミレニアムは、単なるハッカー集団でも、テロ組織でもない。彼らは、世界を舞台にした、壮大なゲームを仕掛けているのだ。

「では、今後の作戦だ」黒田部長が、静かに、しかし断固とした声で告げる。「ローマには行かない。奴らのミスリードに乗るわけにはいかない。希、引き続きあのコードの解析を最優先してくれ。バラバラの文字の中に、ミスリードとは別の、真のメッセージが隠されている可能性がある」

真木は頷く。彼女は、あのバラバラの文字の中に、ミレニアムの真の意図を示す鍵が隠されていることを信じていた。

「椎名、君には、あの連続事件のパターンを、さらに深く分析してもらう。物理的な攻撃、サイバー攻撃、そして今回の情報戦…全てを俯瞰して、奴らの真の目的、そして次に狙う場所を予測する」

「分かりました」椎名の目に、知的な光が宿る。

「望月、君には、万が一の事態に備えてもらう。奴らが、再び物理的な攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にある。我々が奴らの仕掛けに気づいたと知れば、焦って行動を起こすかもしれない」

望月は無言で頷く。彼の目は、既に戦いの準備に入っている。

「そして私を含め、他のメンバーは、ミレニアムに関するあらゆる情報を、世界中の情報機関から集める。奴らの組織構造、リーダー、そして過去の活動…どんな些細な情報でもいい」

黒田部長は、メンバーの顔を見回した。それぞれの顔に、疲労と共に、新たな決意が浮かんでいる。見えない敵、ミレニアム。その正体も目的も、未だ多くの謎に包まれている。しかし、彼らはこの知的な、そして危険なゲームから降りるわけにはいかない。世界の危機は、まだ終わっていないのだ。

束の間の小休止は終わり、公安特殊技能部は、見えない敵ミレニアムとの、情報戦、そして心理戦の、次の段階へと足を踏み出した。そして、その戦いは、想像を絶する困難を伴うであろうことは、誰の目にも明らかだった。彼らを待ち受けるのは、真実か、それともさらなる罠か。それは、まだ誰にも分からない。

作戦会議は、ミレニアムが仕掛けた「ダヴィンチ・コード」模倣のミスリードという、巧妙な罠の可能性を議論し終え、重苦しい雰囲気の中で一時小休止に入っていた。メンバーたちは、コーヒーを片手に、見えない敵の深謀遠慮に思いを馳せていた。手詰まり感は依然としてあった。

そんな中、元自衛隊のスナイパー、望月博信が、手に持ったコーヒーカップを見つめながら、ぼんやりと独り言のように呟いた。

「…そういえば…ニューヨークの株…あの時、空売りでもしときゃ…結構儲かったんすかね…」

その言葉は、何の気なしに漏らされた、個人的な願望のように聞こえた。普段、経済や金融とは縁遠そうな彼から出た、場違いとも言えるその呟きに、黒田部長や真木は特に反応を示さなかった。

しかし、その言葉を聞いた椎名遼の脳裏に、電撃が走った。

彼は、それまで考えていた全て、一連の事件、犯行声明、ミレニアム、ミスリード、そして望月の何気ない一言が、まるでバラバラだったパズルのピースのように、一瞬にして繋がり合ったのを感じた。

「…っ!!」

椎名は、突然顔を上げ、目を見開き、息を呑んだ。「ハッ」と小さく、しかし鋭い声が漏れる。

望月や他のメンバーが、突然の椎名の反応に気づき、訝しげに彼を見る。

「どうした、椎名?何か気づいたか?」黒田部長が問いかけた。

椎名の顔には、驚きと興奮、そして確信の色が浮かんでいた。彼は、立ち上がりそうになりながら、早口で話し始めた。

「そうだ…望月さんの言う通りだ!あのニューヨーク証券取引所の爆破…あれは単なる象徴への攻撃じゃない!あれは、意図的に経済的な混乱を引き起こすための攻撃だったんだ!」

彼の言葉に、他のメンバーの表情が変わる。

「あの爆破によって、ニューヨーク市場は一時的にパニックに陥り、株価は暴落した。もし、事前にこの攻撃を知っていれば、空売りによって巨額の利益を得ることが可能だった…」

椎名は、さらに言葉を継ぐ。

「ラスベガスの射殺事件も、カジノ産業という経済に直結する場所で起こった。フランスの銃撃も、観光業や小売業にダメージを与えた。日本の原発へのサイバー攻撃は、エネルギー市場に、西海岸の大停電は、テクノロジー産業や物流に甚大な経済的損失を与えた…」

彼は、一連の事件の全てが、単なる物理的な破壊や社会の混乱だけでなく、明確に経済的な混乱、あるいは特定の市場や企業へのダメージを狙ったものである可能性を指摘した。

「ミレニアムの真の目的は…『アメリカの秘密』の暴露という建前の裏で…世界経済の操作、あるいは既存の金融システムへの破壊なのではないか?」

椎名の仮説は、メンバー全員にとって、目から鱗が落ちるような衝撃だった。彼らはこれまで、犯行グループを政治的、あるいは思想的なテロリストとして見ていた。しかし、望月の何気ない一言が、彼らに全く新しい視点を与えたのだ。

黒田部長の顔色が、一気に厳しくなる。経済的な動機。それは、これまでの全ての謎を解き明かす、重要な鍵となるかもしれない。

「希」黒田部長は真木に指示を出した。「これまでのミレニアムに関するあらゆる情報…特にサイバー痕跡の中に、経済的な取引や、金融市場に関連する不審な動きがないか、徹底的に再調査してくれ」

「分かりました!」真木は、新たな使命感に燃えて、即座にコンピューターに向き直る。

「椎名、君は、一連の事件と、経済的な影響の関連性をさらに深く分析してくれ。望月は、君のその何気ない視点が、もしかしたら他の重要なことにも繋がるかもしれない。何か気づいたことがあれば、遠慮なく口に出してくれ」

望月は、自身の呟きがこれほど大きな意味を持ったことに驚きを隠せない様子だった。

作戦会議の空気は一変した。見えない敵の真の目的は、政治や思想ではなく、経済なのかもしれない。テロは、目的を達成するための手段であり、本当の戦いは、デジタル空間での金融取引の操作や、特定の市場への情報工作によって行われているのではないか。

「アメリカが隠している重大な秘密」も、政治的な秘密ではなく、経済的な秘密なのかもしれない。

経済という新たな視点は、行き詰まっていた捜査に光を灯したが、同時に、ミレニアムの脅威が、彼らが想像していた以上に広範で、そして根深いものであることを明らかにした。

戦いは、今、世界経済という、見えない、巨大な戦場へと移ろうとしていた。そして、その戦いの行方は、世界の未来を左右することになるだろう。

作戦会議で、ミレニアムの真の目的が経済的なものである可能性が浮上し、公安特殊技能部には新たな緊張感が走っていた。しかし、その仮説を証明するためには、具体的な証拠が必要だ。特に、あのニューヨーク証券取引所爆破の際に、不自然な取引によって利益を得た人物や組織の特定が急務だった。

しかし、金融取引のデータは、極めて秘匿性が高い情報だ。通常の捜査手続きでは、関係機関への要請、捜査令状の取得など、膨大な時間と手続きが必要になる。ミレニアムが次にいつ動くか分からない状況で、そんな悠長なことはしていられない。

行き詰まる議論の中、天才ハッカー真木希が、コンピューターから顔を上げ、大胆な提案をした。

「…警察庁のサーバー、使えませんか?」

その言葉に、部屋にいる全員の視線が真木に集まる。警察庁のサーバー。それは、国内のあらゆる捜査情報や、連携している省庁や機関から得られるデータの一部が集約されている場所だ。そこには、日本の金融機関に関する情報も含まれている可能性がある。

「警察庁のサーバー?」黒田部長が訝しげに聞き返す。「どういう意味だ、希?」

真木は、まっすぐに黒田部長の目を見て言った。

「警察庁のサーバーを経由すれば、国内の主要な金融機関の情報に、ある程度アクセスできる可能性があります。それに、国際的な金融取引に関する情報も、連携システムから得られるかもしれません」

彼女は、提案の具体的な目的を明確にした。

「あのニューヨーク証券取引所爆破の時に、不自然な空売りによって巨額の利益を得た口座を調べたいんです。膨大な取引データの中から、特定の条件――例えば、事件発生直前の空売りの増加、短期間での異常な利益の発生など――に合致する口座を抽出すれば、それがミレニアムの関係者や、彼らと繋がりのある人物である可能性が高い。それが、奴らの経済的な動機を示す、何よりの証拠になります」

真木の提案は、論理的であり、かつ大胆だった。警察庁のサーバーを、本来の捜査目的とは異なる形で利用する。しかも、正規の手続きを踏まずに。それは、捜査の倫理を逸脱する可能性があり、もし発覚すれば、大きな問題に発展しかねない。

「しかし…」黒田部長は眉をひそめる。「警察庁のサーバーを、非公式に…それも、捜査令状なしに使うなど…重大な問題になりかねんぞ」

「リスクは承知しています」真木は答えた。「でも、他に方法がありません。合法的な手続きを待っていたら、ミレニアムは次の行動を起こしてしまう。奴らが、我々が経済的な側面に気づいたと知れば、証拠を隠滅する可能性だってあります」

椎名が、真木の意見に同意する。

「真木の言うとり。この仮説の検証は急務です。膨大な金融データの中から、不審な取引を絞り込むには、希のような能力が必要です。警察庁のサーバーは、そのための強力な足がかりになります」

望月は、技術的な詳細は分からなくても、この捜査が事件の核心に迫る可能性があることを理解し、静かに頷いていた。

黒田部長は、深く息を吐き出した。国家の危機が目前に迫っている今、常識的な手続きに囚われている場合ではない。しかし、非公式な手段は、常に危険と隣り合わせだ。

「…分かった」黒田部長は、意を決したように言った。「だが、条件がある。あくまで非公式だ。いかなる痕跡も残すな。そして、得られた情報の取り扱いには、最大限の注意を払え。もし、何か問題が起きたら…全ての責任は私が取る」

真木の顔に、緊張と共に、覚悟の色が浮かぶ。

「ありがとうございます、部長」

真木は、直ちに作業に取り掛かった。彼女の部屋に移動し、複数のモニターを起動させる。コーヒーを一口飲み、指をキーボードの上に置く。彼女の指が、慣れた動きでアクセスコードを入力していく。画面に、警察庁の内部ネットワークの、厳重なセキュリティシステムが表示される。

リスクを冒しての、非公式な突破。日本の捜査当局の中枢である警察庁のサーバーから、世界を震撼させた連続事件の、経済的な真実を暴き出す。

静かに、しかし確実に、真木希は、デジタル空間の闇の中へと潜入を開始した。彼女の指先が、世界の命運を握るかもしれない、危険な扉を開こうとしていたのだ。

AIが操作する1万近くの空口座、そしてオフショア口座へと消えた巨額の資金。ミレニアムの経済的な目的、そしてその背後に潜む黒幕の存在が示唆されたものの、日本の公安特殊技能部単独での捜査には、明確な限界が見え始めていた。

「資金の追跡は、国内のサーバーだけでは限界です」

真木希は、解析結果を示しながら険しい表情で言った。

「資金は複数の国を経由し、最終的に匿名性の高いオフショア口座に流れ込んでいます。日本の金融機関の情報だけでは、その全貌を掴むことは不可能です」

椎名遼も、同意するように頷く。

「ミレニアム、そしてその背後にいる黒幕は、明らかに国際的なネットワークを持っています。奴らの通信傍受、あるいは活動の全貌を掴むには、我々の情報収集能力では全く足りません」

事件の規模は、既に一国の捜査当局が対応できるレベルを超えている。黒田部長は、重く息を吐き出した。事態を打開するためには、国際的な協力が必要不可欠だ。それも、強力な情報収集・分析能力を持つ機関との連携が。

「…国際的な協力が必要だ」黒田部長は、静かに、しかし決然と言った。「それも…世界中の情報を傍受・分析できる、強力な機関の協力が」

メンバー全員の頭の中に、一つの機関の名前が浮かぶ。アメリカ国家安全保障局、NSAだ。彼らが持つシギント(信号情報)能力は世界最高峰であり、地球上のあらゆる通信、あらゆる情報を傍受し、分析することができると言われている。ミレニアムのような国際的なハッカー集団の通信、あるいは黒幕に関する情報を得る上で、NSAの協力は強力な武器となるだろう。

しかし、NSAへの協力要請は、容易なことではなかった。NSAは国家の最高機密を扱う機関であり、他国の捜査機関に易々と情報を提供する組織ではない。さらに、以前真木がNSAのシステムへのハッキングを試み、失敗しているという事実が、大きな障壁となる可能性がある。彼らは日本の捜査当局に対して、不信感を持っているかもしれない。

それでも、世界の危機を前に、躊躇している時間はない。黒田部長は、日本政府、そして警察庁の上層部を通じて、NSAへの正式な協力要請を行うことを決定した。

協力要請に向けて、公安特殊技能部は準備を開始した。これまでに得られた、連続事件の詳細、犯行声明「XXX」、ミレニアムというハッカー集団の存在、AIによる大規模な資金操作、オフショア口座への資金移動、そしてミレニアムの背後に黒幕がいる可能性を示唆する証拠や分析結果を、NSAを説得するための材料として整理する。事件の国際的な重大性、そしてアメリカ自身が最も狙われている標的であるという事実を強調する必要がある。

真木は、NSAのシステムに関する自身の経験を活かし、協力要請に際して、NSAにどのような情報(ミレニアムの技術的な特徴、AIの痕跡など)を提示すべきか、そして協力が得られた場合にどのような技術的な連携が可能かについて、具体的な提案を行った。彼女の持つNSAのシステムに関する知識が、この交渉において重要な役割を果たすかもしれない。

椎名と望月も、それぞれの専門分野から、協力要請の必要性や、協力が得られた場合の捜査方針について意見を述べた。ミレニアムの行動パターンや、次に物理的な攻撃がある場合の可能性、そして協力によって得られるであろう情報の種類(通信傍受データ、衛星画像など)について議論する。

NSAが日本の捜査当局の協力要請に応じるか否か。その交渉の行方が、今後の捜査、ひいては世界の運命を左右することになる。不確実性を伴う困難な道のりだが、公安特殊技能部はこの一歩を踏み出さなければならなかった。

国境を越えた捜査の扉が開かれようとしていた。NSAという巨大な組織が、日本の小さな特殊部隊の呼びかけに応じるのか。そして、もし協力が得られたとして、彼らはミレニアムと黒幕という、二重の闇の正体を暴き出すことができるのか。緊張感は最高潮に達していた。

アメリカ国家安全保障局(NSA)への協力要請は、日本の公安特殊技能部にとって、最後の、そして最も危険な一歩だった。真木希による過去のハッキング未遂という負の遺産を抱えながらも、彼らは世界の危機を前に、この困難な交渉に挑んだ。

数日間の、長く、そして神経をすり減らすような時間が過ぎた。日本政府とアメリカ政府の間で、水面下での交渉が続けられた。その間、世界は再び不気味な静寂に包まれていたが、それは嵐の前の静けさであることは誰の目にも明らかだった。

そして、ある日の午後、公安特殊技能部のオフィスに、待ち望んでいた、しかし予想とは異なる形で、NSAからの「返答」が届いた。

それは、公式な文書や、明確なメッセージではなかった。真木希のセキュアな回線を通じて、NSAのシステムから、ごく短い、しかし極めて高度に暗号化されたデータが送り込まれてきたのだ。それは、かつて真木がNSAに侵入しようとした際に遭遇した、あの未知の防御システムの一部と同じ痕跡を持っていた。

「…来た!」

真木の声に、黒田部長、椎名、望月が駆け寄る。真木は即座にデータを受信し、自身の解析環境に隔離する。

「これは…メッセージじゃない。データだ。しかも、かなり複雑な暗号化が施されてる」

真木は、解析を開始する。NSAは、直接的な言葉ではなく、情報そのものを暗号化して送ってきたのだ。それは、彼らが公式な協力関係を築くことに躊躇している一方で、日本の捜査当局の能力、特に真木の解析能力を試しているかのようでもあった。あるいは、このデータの中に、彼らが掴んでいる重要な情報が隠されているのだ。

数時間後、真木は額の汗を拭いながら、解析結果をメンバーに示す。暗号化されたデータは、特定の人物に関する、断片的な情報へと変換されていた。

それは、名前、活動履歴の一部、そしていくつかの関連組織の名前だった。しかし、その情報は、極めて慎重に、そして間接的に記述されていた。直接的な証拠や、明確な繋がりを示すものではない。まるで、パズルのピースをいくつか投げ与えられたかのようだ。

「…この人物…」椎名が、解析された情報を見て呟く。「武器商人だ」

そこに示されていたのは、特定の国家や組織に属さず、世界各地で武器取引に関わる、謎に包まれた人物の存在だった。その活動範囲は広く、特に紛争地帯、例えばアフガニスタンなどで手広く取引を行っていることが示唆されていた。

「武器商人…」黒田部長が繰り返す。ミレニアムの背後にいる黒幕の正体。それは、国家でも、巨大企業でもなく、武器商人だったのか。

「奴らの活動履歴…特に資金の流れに、不審な点が多い。複数のオフショア口座を経由して、巨額の資金が動いている痕跡がある…」真木が、解析されたデータから読み取れる情報を付け加える。それは、あの1万の空口座から消えた資金の移動先と一致する可能性を示唆していた。

「武器商人…そしてミレニアム…」椎名は、二つの存在を結びつけようとする。「武器商人は、資金力と現実世界でのコネクションを持っている。ミレニアムは、高度なサイバー技術とAIを持っている。もし、この二つが手を組んでいるとすれば…」

望月が、鋭い視線で情報を読み取る。武器商人。それは、彼の元自衛隊という経歴から、ある種のリアリティを持って迫ってくる存在だった。

「武器商人は、混乱を望む。紛争が起きれば、武器が売れる。世界的な混乱は、彼らにとってビジネスチャンスだ」望月が静かに言った。「あの連続事件は、世界を混乱に陥れるためのものだった…そして、その混乱に乗じて、何か別の目的を達成しようとしている…」

NSAからのメッセージは、ミレニアムの背後に潜む黒幕の正体が、世界的な武器商人である可能性を示唆していた。そして、その武器商人が、ミレニアムの技術力を利用し、世界経済を操作し、混乱を引き起こすことで、自らの利益を最大化しようとしているのではないか、という新たな仮説が生まれた。

「これで、奴らの経済的な動機が明確になった」黒田部長は言った。「ミレニアムは、武器商人の手足となり、サイバー攻撃や情報操作で混乱を作り出している。そして、武器商人は、その混乱に乗じて、あるいは混乱そのものをビジネスにして、巨額の利益を得ている」

NSAからのメッセージは、直接的な協力の約束ではなかったが、ミレニアムと黒幕に迫るための、重要な手がかりとなった。世界を震撼させた連続事件の背後には、単なるテロリストではない、経済的な動機を持った、より巨大な存在が潜んでいたのだ。

「この武器商人の正体を突き止める。そして、奴らとミレニアムの繋がりを明らかにするんだ」黒田部長の目に、新たな決意が宿る。「NSAが送ってきたデータの中に、まだ何か隠されているかもしれない。希、解析を続けてくれ」

真木は頷く。NSAからのデータは、まだ全てを語ってはいない。そこには、武器商人の正体、そしてミレニアムとの具体的な繋がりを示す、さらなる情報が隠されているはずだ。

公安特殊技能部は、見えない敵ミレニアム、そしてその背後に潜む武器商人という、二重の闇に立ち向かう。世界の命運をかけた戦いは、今、経済という新たな戦場へと、そして、その黒幕の正体を暴くという、より深い段階へと進んだ。

NSAからの暗号化されたデータを受け取った真木希は、休む間もなくその解析に没頭していた。データは多層構造になっており、最初に現れた断片的な情報(武器商人であること、アフガニスタンでの活動)は、あくまでごく表面的なものに過ぎなかった。NSAがこのデータに託した、真のメッセージ、そして黒幕の正体を示す詳細な情報が、その奥深くに隠されているはずだった。

数時間に及ぶ、緻密な解析作業。真木の指はキーボードの上を猛烈な速度で駆け巡り、モニターには無数のコードとグラフが瞬時に生成され、消失していく。彼女は、NSAが用いた暗号化アルゴリズムの癖、そしてデータの格納方法のパターンを読み解き、まるで迷宮の奥深くへと分け入っていくように、情報を引き出していった。

そして、ついに、その瞬間は訪れた。

「…見つけた…」

真木の小さな呟きが、張り詰めたオフィスに響き渡る。彼女のモニターに、これまでとは比較にならないほど具体的な、一人の人物の情報が、まるで浮かび上がるように表示された。

そこには、高解像度の顔写真と共に、その人物のプロフィールが記されていた。

人物名:アレクサンダー・ヴォルコフ(Alexander Volkov) 通称:影の商人(The Shadow Merchant) 国籍:ロシア系(出身地は不明) 年齢:推定50代後半 経歴:元GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)特殊部隊員。冷戦終結後に除隊し、国際的な武器密売市場に参入。以来、その影響力を拡大し、今や世界最大の非合法武器供給者の一人とされる。正規軍の装備から、テロリストが用いる旧式兵器、そして最先端のサイバー兵器まで、あらゆる兵器を調達・供給。特に、アフリカ、中東、中央アジアの紛争地帯における活動が活発で、アフガニスタンの武装勢力への供給は、彼らの主要な収入源の一つ。複数のダミー会社とオフショア口座を駆使し、資金の流れを完全に隠蔽。

そして、最も重要な情報。ヴォルコフとミレニアムとの繋がりを示唆する、断片的なデータが提示された。

そこには、ヴォルコフが過去に、高額な報酬と引き換えに、新興のサイバーセキュリティ企業に莫大な投資を行っていた記録。その企業が、数年後に謎の解散を遂げ、その主要な技術者たちが国際的なハッカー集団「ミレニアム」の初期メンバーとして活動を開始したこと。さらに、ミレニアムの活動資金の一部が、ヴォルコフのオフショア口座から供給されていることを示唆する、かすかな痕跡が示されていた。

「…アレクサンダー・ヴォルコフ…」黒田部長が、表示された顔写真とプロフィールを凝視し、唸るように呟いた。「あのミレニアムを動かしていた黒幕は…まさか、国際的な武器商人だったとは…」

椎名も、ヴォルコフのプロフィールの細部に目を凝らす。

「元GRUの特殊部隊員…物理的な実行部隊を動かす能力と経験がある。そして、世界最大の非合法武器供給者…資金力は我々の想像をはるかに超えているでしょう。ミレニアムの高度なサイバー技術とAIは、このヴォルコフの指揮下で、世界を混乱に陥れ、武器の需要を生み出すための道具として使われていたのか…」

望月は、ヴォルコフの顔写真を見つめ、静かに呟いた。

「混乱は、武器商人の最大のビジネスチャンスだ。世界的な不安、紛争の勃発…それが奴らの利益になる」

ミレニアムが起こした一連の事件の全てが、一本の線で繋がった。ラスベガスの狙撃は、ヴォルコフの対抗勢力への警告か。ニューヨークの爆破は、株価操作による利益の獲得。フランスの銃撃は、欧州社会の不安増幅。日本の原発と西海岸の電力網へのサイバー攻撃は、国家インフラへの打撃と、その後の修復需要、そして新たな兵器システムへの投資を促すためか。

そして、その全てで生み出された混乱と恐怖が、ヴォルコフの武器ビジネスを活性化させていたのだ。

NSAからのデータは、ミレニアムの背後に潜む「黒幕」の正体が、アレクサンダー・ヴォルコフという、世界を裏で操る「影の商人」であることを明確に示していた。

「NSAは…このヴォルコフの存在を、我々に知らせたかったんだ」黒田部長が言った。「直接的な協力はできないが、この情報で、我々に次の手を打てと…」

事態は、彼らが想像していた以上に巨大で、そして危険なものだった。世界の命運は、今、日本の公安特殊技能部という、わずかなメンバーの肩にかかっていた。ミレニアムを追うだけでは足りない。彼らを操る真の元凶、アレクサンダー・ヴォルコフを止めなければならない。

「ヴォルコフ…」真木の目に、深い決意の光が宿る。「奴を追い詰めます」

世界の裏側で暗躍する「影の商人」アレクサンダー・ヴォルコフ。そして、彼の手足として動くミレニアム。彼らを止めることが、今、公安特殊技能部に課せられた、絶対的な使命となった。戦いは、新たな段階へと突入したのだ。

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