転生令嬢は悲劇のイケオジ王を救いたい
初投稿です。楽しんでいただけると嬉しいです…!
私、公爵令嬢アリシア・ローガンは転生者である。
日本の一般オタク大学生だった私は、なぜか生前大好きだったゲーム、『エドヴォス英雄譚』の世界に転生してしまったのだ。
『エドヴォス英雄譚』は、中世ヨーロッパ風の架空の世界を舞台にした王道RPGである。
圧政に苦しむ一般市民である幼い主人公が、お忍びで街の様子を見に来ていた姫と出会い、その時の姫との約束のために青年となった主人公が極悪王を倒すために仲間と共に戦う。
そして最後には極悪王を倒し、姫と結婚して王になりハッピーエンドを迎える。
ストーリー中には師匠の死などハードな展開があるものの、最後はしっかりハッピーエンドに辿り着けることが人気の理由の1つで、様々なメディアミックス展開があり、続編も噂されるほどの超人気作だった。
そして私が転生したアリシアは、ラスボスである極悪王ルートヴィヒの妃、我儘王妃アリシアとしてゲームに登場する。
生家であるローガン家は代々宰相を務めてきた名門公爵家で、年の頃も合うため当然のようにルートヴィヒと政略結婚。
当然ルートヴィヒとの間に愛はなく、ヒロインである娘のことも特に気にかけることはなく、極悪王の敷く圧政を気にも留めず、男を侍らせ、我儘と贅沢の限りを尽くしていた。
戦闘能力はないため戦うことはなく、ゲーム終盤であっけなく主人公の仲間に捕らえられる。その後についての描写はないが、ほぼ間違いなく処刑されているだろう。
敵キャラではあるものの、そこまで出番が多い訳では無いがモブとまでは言えない、何とも言えない立ち位置の存在、それがアリシアだ。
ただ、艶めく銀髪にサファイアのような青い瞳、ヒロインの母にふさわしい美しく整った顔立ちと抜群のプロポーション、そして女性敵キャラにありがちな妙にセクシーな衣装と男を侍らせているという設定。
…当然と言うべきか、出番の割に男性ファンが多くつき、恐らくゲーム内での出番以上に薄い本での活躍のほうが多かったようなキャラクターである。
私がそんなキャラに転生してしまったと気付いたのは、今から13年前のことだ。
「はじめまして、おめにかかれてこうえいです。おうたいしでんか」
比較的年頃の合う公爵令嬢ということで私が王太子の婚約者に選ばれ、王城の応接室で初めて顔を合わせた日。
「ふん。…まあまあだな」
将来は極悪王に成長する王太子、ルートヴィヒ・エドヴォスは第一声でこう言い放った。
…5歳にしてこの人を下に見た態度。
今にして思えば、この時には既に、彼の性格は歪み始めていたのだろう。
「…お目に叶ったようで何よりです、王太子殿下。将来の妃として、ぜひ仲良くしてやってください」
「まあまあ」を「お目に叶った」とかなり強引に解釈したのは私の父、ダリオ・ローガン公爵だ。
お父様は娘である私を王家を操るための駒としてしか見ていない。
お目に叶わない娘では困るから、無理やりそのように解釈したようだ。
「…これからよろしくおねがいいたします、おうたいしでんか」
…この時点での私は、まだ記憶を取り戻していない。
だからこそ大人しく、王太子に挨拶をしていたのだ。
しかし、運命の時、いや運命の人が訪れた。
「遅れてすまない。どうにも仕事が片付かなくてな」
そう、私の最推し、『悲劇のイケオジ王』ランドルフ・エドヴォスが登場した瞬間、私は前世の記憶を取り戻した。
「っ!あっ、…ぐぅ…あ、たまが…」
「っ、アリシア、どうした…なっ!?」
いきなり押し寄せてきた記憶の奔流に耐えきれず、意識が薄れゆく中、私が最後に聞いたのは驚くお父様の声。
そして私が最後に思ったのは、
(若いランドルフ様もかっこよすぎる…)
という極めて正直で暢気な感想だった。
そうして記憶を取り戻し(ちなみに『エドヴォス英雄譚』以外の記憶はほぼ思い出せなかった)、現在20歳になった私は、王太子の婚約者として、美しく、聡明で、心優しい完璧な令嬢アリシア・ローガンとして日々を過ごしている。
…そう、私は公爵家での教育も、王城での王太子妃教育も乗り越えて、わざわざ未来の極悪王の婚約者であり続けている。
なぜなら、
「ランドルフ様を救いたいからですわ!」
思わず口に出してしまったが、そう、全ては推しのためである。
ランドルフ様は17歳の頃、周辺国との領土争いで数々の戦功を打ち立て、エドヴォス王国に平和をもたらし英雄となった。
その功績が認められ、ランドルフ様は僅か20歳で国王に即位し、周囲に助けられながらも、その強い求心力や心優しい人柄から立派に王国を治めていた。
黄金のように光り輝く金髪に、深い紅の瞳。
英雄に相応しい大柄な体躯と服の上からでも分かる筋肉。
年を経るにつれて強面具合が増していったものの、顔立ちは力強く、男らしく整っている。
ゲームでの初登場シーンは、ランドルフ様が英雄になった戦いに兵士として参加していた、仲間候補の一人の回想シーンだった。
その仲間候補はランドルフ様を深く尊敬しているキャラだったため、かなりしっかりとランドルフ様の活躍が描かれていた。
兵士を鼓舞する堂々とした態度や、油断することなく敵を分析し、傷つく者を最小限に抑えようとする隙の無さと優しさ、そして自ら最前線に立って敵を薙ぎ払っていく圧倒的な強さ…まさしく私の心は打ち抜かれた。
これまでも名前や英雄としての活躍などは出てきていたものの、まさかここまで素敵なキャラだったとは…ランドルフ様の強さと優しさに一瞬で虜になった私は、ランドルフ様に関するどんな些細な情報も見逃さず、極まれに出るグッズは必ず購入し、そしてあまりにもそれらが少なかったため、必死に二次創作を探し求めていた。
…そんなランドルフ様は、ゲームのファンの間で『悲劇のイケオジ王』と呼ばれている。
その理由はいくつもある。
本当は心優しい性格なのに、強さ(と強面さ)が原因で和平を結んだ周辺国から遠巻きにされたり、政略結婚とはいえ王妃に浮気されて離縁したり、しかも王妃と国の面子のために理由は公表されず、王に何か問題があったのではという噂が国民の間でまことしやかに囁かれていたり、さらにメタ的な話だが、本編開始時点ですでに死んでいるため、強さやキャラとしての魅力の割には圧倒的に出番が少なかったり…
などなど、簡単にまとめてもこれだけの内容である。
中でも事故死とされていたランドルフ様の死の真相が分かるシーン、ゲーム内ではルートヴィヒの過去回想で出てくるそれが、ランドルフ様がそう呼ばれる大きな要因になった。
「…父上、今度私と手合わせをしていただけないでしょうか」
「もちろん、受けて立とう」
「試合開始!」
「っ!(何だ、体がうまく動かない…薬を盛られたか?しかし毒見役が…まさか、さっきルートヴィヒからもらった茶に何か…)」
「…ふっ、はっはっはっ!貴様が目障りだったのだ、父上、いや、ランドルフ!貴様がいなくなれば、私は国王としてこの国に君臨し、やがて世界を手に入れられる…!」
「ぐっ…(あれは…っまさか真剣!?…一体いつからこのようなことを…ルートヴィヒ、気づいてやれなくてすまない…)」
「父上、今まで騙されていてくれて本当にありがとう。…ああ、もう聞こえていないか。」
そう、実はランドルフ様は息子であるルートヴィヒに薬を盛られて殺されてしまっていたのである。
このエピソードがとどめとなり、ランドルフ様には『悲劇のイケオジ王』という不名誉な名がついた。
…さらに、このあとランドルフとルートヴィヒは実の親子ではなく、ルートヴィヒは母親の浮気でできた子供であることが明かされる。
隣国の王女であった母親には、過去の姻戚関係から僅かながらエドヴォス王家の血が流れているため、ルートヴィヒはそのままランドルフの息子として育てられることになったのだ。
…実際はランドルフ様と彼女は一度も閨を共にしていない。(おそらく童◯である。このことも『悲劇』の一部としてよくネタにされていた)
彼女がランドルフ様を嫌がり、ランドルフ様も無理強いはできずにいたところ、何故か彼女の連れてきた近衛騎士によく似た子どもが生まれた。
…政略結婚とはいえ、信じがたい話である。
そして様々な思惑が絡んだ結果、彼女は子どもを王太子としてエドヴォスに残し、体調不良のため王妃としての職務を果たせないとして、離縁して祖国へと帰っていった。
それから、ランドルフ様は全てを知った上でルートヴィヒを受け入れ、実の息子のように愛情をもって育てていたのである。…それなのに、それなのに!!
「…絶対に阻止してやるの、ランドルフ様は私が守るのよ…!」
自室のベッドの中、本来就寝中の時間であるため、小声で決意表明をする。
そう、私が王太子の婚約者であり続け、何ならそのまま結婚しようとしているのは、ランドルフ様をより守りやすい立場になるためだ。
記憶を取り戻した当初は、婚約者としてルートヴィヒを更生させて、ランドルフ様を守ろうと考えていた。
しかし、それは上手くいかなかった。
なぜなら、ルートヴィヒの性格が歪んでいった原因がゲーム内で明かされておらず、そもそもどこから手を付けていいか分からなかったこと。
きっと続編に向けた伏線だったのだろう。
実際前世の世界でも、ルートヴィヒがランドルフを殺してまで早く国王になることを望んだのかについては度々議論になっていた。
…様々な説があったが決定的なものはなく、おそらく開発会社が売れたら続編を出すつもりで、そのためにわざとぼやかしているのだろうというのがファンの見解だった。
まあ、どうやら前世では続編が発表される前に死んでしまったようなので、こちらの世界で調べていくしかない。
そう思って色々と調査はしてみたが、やはり私一人の力では限界があった。
まず、公爵家の人間は使用人の一人に至るまでお父様の忠実なしもべであるため、協力者を作ることはできなかった。
そのため仕方なく、私はゲームの設定から外れて『完璧令嬢』になり、優秀であることを証明して得たわずかな自由時間で調査を行った。
それでも王太子妃教育の時間が非常に長く、そもそも調査が誰かにバレてはいけないためできることが少なく、結局ルートヴィヒの性格はどんどん歪んでしまっていった。
…恐らくだが、彼の裏には黒幕がいるはずだ。
それが誰なのかは分からないが、ルートヴィヒと何者かが極秘で会っていることまでは突き止められた。
だから第二の作戦として、ルートヴィヒと結婚して直接ランドルフ様を助けるという作戦にシフトチェンジした。
ルートヴィヒの更生は諦め、ルートヴィヒが国内貴族の反王派との関係を秘密裏に深めようとしているのをさらに秘密裏に防いだり、ルートヴィヒが薬を入手できないように、王宮での薬の取り扱いを厳重にしてもらったりなどをしていた。
今までならこれだけでも特に問題はなかったのだ。
なぜなら、前世でよくやっていたランドルフ様関連の時系列の考察から、ほぼ間違いなくランドルフ様が殺されるのは私とルートヴィヒが結婚してからであることは分かっていたからである。
だからこそ、更生させられないなら私とルートヴィヒは結婚しなければならないのだ。展開になるべくズレを生じさせずに、確実にランドルフ様を守るために。
そして、ランドルフ様を守ることは極悪王の誕生を防いで、民を守ることにも繋がっている。
『エドヴォス英雄譚』のメインストーリーは全て無くなってしまうが、正直推しの方が優先だし、今世では公爵令嬢として生きてきた私としては、民を守ることはその次に優先される。ゲームどころではない。ごめん主人公。
幸い、第二の作戦は予定通りに進んでいる。
ルートヴィヒは成長し、5歳時にはすでにあった歪みを隠して、きちんと王太子の演技ができるようになっているし、ランドルフ様は今でも王として立派にこの国を治めている。
ここからが本番だ。
明日、私とルートヴィヒの結婚式の日取りが発表される舞踏会が行われる。
およそ半年後に結婚し、そこからが本当に気の抜けない日々の始まりだ。
…(おそらく)前世では大人しいオタクだった私には中々キツいものがあるが、推しが死ぬよりマシである。
「…はぁ…」
せっかく大好きなゲームの世界に転生したのに、よりにもよってラスボスと結婚するということに思うところが無いわけでもない。
しかし全ては推しの死の未来を回避するため、いつものようにランドルフ様に思いを馳せながら、私は眠りの世界へと誘われていった。
「ルートヴィヒ・エドヴォス王太子殿下、並びにアリシア・ローガン公爵令嬢の入場です」
舞踏会当日、王宮の大広間は多くの貴族たちで賑わっていた。
「まあ、王太子殿下よ!素敵〜!」
「アリシア様も相変わらずお美しいわ…」
令嬢たちの歓声を浴びながらゆっくりと席に進んでいく。
今日の私は、金色のドレスとサファイアを使用したアクセサリーに身を包んでいる。
…金色も青もルートヴィヒの色だが、金色はルートヴィヒの髪色よりやや濃い目、つまりランドルフ様寄りの色にした。青は私の瞳の色でもあるため、実質推しと私のコラボレーションコーデなのだ。
私がひっそり推し活をしていることなど知らないであろうルートヴィヒは、王太子としての正装にアクアマリンのブローチを付け、長めの髪を銀色のリボンで結んでいる。
こちらもしっかり私の色にしたようだ。
こんな風に、服装も態度もお互いにしっかり仮面を被っているため、きっと仲睦まじい婚約者同士に見えているだろう。
…まあ私達は常に仮面を被っているから、実際に表面上は仲睦まじいのだけれど。
ルートヴィヒの本性を前世の知識で知っているからこそ、私は彼が仮面を被っていると分かるのだ。
「アリシア、今日の発表のことだが…」
「?何か変更などありましたか?」
「セイラン王国からセフィーナ嬢が来ているだろう?先に彼女を紹介することになった。だから、私が呼んだ時に壇上に来てくれ。それまではここで待機していろ」
「はい…分かりましたわ」
席に着いたあと、いきなりルートヴィヒが予定の変更を告げる。
…何となく、嫌な予感がするわね。
セフィーナ様はセイラン王国の大公家の娘で、現在のセイラン国王の姪にあたる。
…つまりあの浮気王妃とかなり近しい立場にある方なのだ。
まあ、王女でないとはいえかなり身分が高く、我が国に来たのは初めて。
そのため、王太子のルートヴィヒが紹介するのは何もおかしいことではない。
しかし…
などと考えを巡らせていた私の耳に、衝撃の台詞が飛び込んでくる。
「ランドルフ・エドヴォス国王陛下、並びにセイラン王国より、セフィーナ・ランディーナ大公女の入場です」
…何でセフィーナ様がランドルフ様と一緒に入場してくるの!?
なぜかランドルフ様がセフィーナ様と入場してきた。
当然エスコートのために腕を組んで。
セフィーナ様は15歳なので、37歳のランドルフ様とはどちらかというと父娘に見えるが…それでも…それでも…!
セフィーナ様がルートヴィヒと入場すれば良かったじゃない!
年齢的にもそっちの方が釣り合うでしょ!
そしたら私がランドルフ様と……
と、巡らせていた考えも吹き飛び、冷静に考えれば身分などから当然のエスコートに動揺してしまっていた私に、
「では、行ってくる」
とルートヴィヒが声をかけ、壇上へと向かっていく。
いつの間にかランドルフ様は壇上へとセフィーナ様を送り届けており、ルートヴィヒがそこに到着すると入れ替わるように自分の席へと向かった。
…そう、つまり私のすぐ近くに。
(…今日も本当にかっこいい…正装も素敵ね…一言でもいいから挨拶できないかしら…いつもはルートヴィヒが一緒だから、私が直接ランドルフ様と言葉をかわす機会はほぼないのよね…)
じ〜っとランドルフ様を見つめていると、流石に気付かれてしまい目が合った。
いつもなら優しく微笑んでくださるのだが…
「…………………」
今日は何故か少し悲しそうな目でこちらを見つめかえしてきた。
(?何か悲しいことでもあったのかしら?…それにしても憂い顔のランドルフ様も素敵ね!)
などと呑気に考えていると、ついにルートヴィヒが挨拶を始めた。
慌ててランドルフ様から目を逸らし、壇上を見る。
「皆、今日は集まってくれて、本当にありがとう」
ルートヴィヒが壇上に立ち、少し悲しそうにした表情で口を開いた。
「本来なら、今日は私とアリシアの婚儀の日取りを発表するはずだったが…その婚約を──解消する」
一瞬、会場中の時が止まったように感じた。
その後、爆発的にどよめきが広がり、場内は騒がしくなっていく。
その中で、私は表情を崩さなかった。しかし内心は大混乱である。嫌な予感が当たってしまったのだ。
(あの時、ランドルフ様が私を悲しげに見たのは…!)
「そして、国家間の友好関係をより強固にするため――セイラン王国の大公女である、セフィーナ嬢と婚約することを宣言する」
一度落ち着いていた会場は、再び騒然となった。
ルートヴィヒの隣に立つセフィーナ様は、どこか不安そうにしながら彼を見つめていた。
彼はセフィーナ様に向けて微笑みかけた後、私を見た。
まるで罪悪感を感じているかのような表情。
しかし一瞬、こちらに醜く嗤うような表情を見せていたのを私は見逃さなかった。
「私の婚約者であったアリシア・ローガン公爵令嬢には、これまでの献身に深く感謝している。…アリシア嬢、何か望むものはあるか?お詫びと言っては何だが、王家にできることがあるなら…」
(そういうことだったのね…!ルートヴィヒを操る黒幕の正体は…セイラン王国!)
白々しい言葉を聞き流し、私は大混乱の脳内を鎮めようと躍起になっていた。
そう、ルートヴィヒの背後にいたのはセイラン王国だったのだ。
そう考えると全ては繋がっていく。
そういえば曲がりなりにも母親であるからと、彼女とルートヴィヒは手紙のやりとりを行っていた。
セイラン王国としては、母親を通してルートヴィヒを操り、国を荒れさせた後に、一気に攻め込むつもりだったのだろう。
しかしゲームでは主人公がルートヴィヒを倒したがために一度作戦を練り直す必要があり、結果として平和になったように見えたのだ。
もしゲームに人気が出て続編が出ていたら、次はセイラン王国との戦いが予定されていたのだろう。
そしてこの婚約解消騒動は、私がルートヴィヒにとって都合の良い存在ではなく彼より名実ともに優秀な存在であったため、多少リスクがあっても都合のいいセフィーナ様を王妃にしようとしたのだろう。
まさか私がゲームと違う動きをすることでこのようなズレが生まれるとは…!
(やばいやばいやばい…!どうしたら良いの!?)
先ほどのルートヴィヒの「お詫び」という発言。
完璧令嬢と呼ばれる私のことだから、みっともなく動揺をあらわにするのを避け、何もいらないと言うか、別の良縁を望むなどの当たり障りのないようなことを言うと高をくくっているのだろう。
しかし、ここで相手の予想通りの行動を取れば、王宮にいることはできなくなる。それどころか、別の国での縁談を紹介されてこの国にすら居られなくなるかもしれない。ランドルフ様を守るために、私は王宮にいなければならないのに…!
なんでもいいからランドルフ様の近くにいられる立場はないの!?
私史上最も速いスピード(火事場の馬鹿力ともいう)で思考を巡らせた私は、1つだけ、ランドルフ様の近くにいる方法を思いついた。
しかもそれは、ルートヴィヒの策略を阻止し、権力大好きの父をも黙らせることができる、これ以上ないような方法。
──これしかないなら、もう、ヤケクソでもいくしかない。
「……でしたら」
私はゆっくり立ち上り、完璧令嬢にふさわしい笑みを浮かべた。
「私、ランドルフ・エドヴォス国王陛下との結婚を希望いたしますわ」
会場が、静まり返った。
ルートヴィヒは目を見開き、貴族たちは息を呑み、
そして──ランドルフ様は盛大に咳き込んだ。
「ごほっ、な、何を言っているんだアリシア嬢…!」
「先程、ルートヴィヒ王太子は「王家にできることがあるなら」とおっしゃいました。つまり国王陛下にできることでも良いのでしょう?──それに、私が王と結婚することには、様々な利点がございますわ」
ようやく騒ぎ出した人々の中を一歩、また一歩と進み、壇上へと上がった私は、未だ驚愕したままのルートヴィヒを一瞬見つめた後、前を向いて冷静に(見えるような感じで)話を続けた。実際はまだ大混乱中である。
「まず第一に、我がローガン家は王妃にふさわしい血統です。…国王陛下には現在王妃がいらっしゃいませんが、新しい王妃探しが難航しているのは皆様もご存知でしょう」
貴族、特に大臣たちの表情が揺れる。
そう、ランドルフ様は現在37歳。年頃が合い、なおかつ王妃にふさわしい血統で、さらに未婚の人物というのはそうそういない。
セフィーナ様のような年若い少女との婚約も可能ではあるのだが、ランドルフ様ご自身が、それは可哀想だろうと拒否している。
一応王太子もいるし、前王妃の手酷い裏切りもあったため、再婚自体にかなり消極的だったようだ。
どうやら自己肯定感がかなり低くなっているらしい。…ランドルフ様ほど素敵な方なんて、前世まで含めても世界に一人もいないのに!
…ともあれ、こちらが望んでいるのなら婚約を断るのは難しいだろう。
「第二に、私はこれまで王太子妃教育を受け、宮中行事に多数参加し、実務経験も積んでまいりました。王妃としての教育はこれからですが、別の方を迎えるよりはかなり短い婚約期間で王妃としての責務を果たすことができるでしょう」
またしても大臣たちの表情が揺れた。
そろそろ私を王妃として迎えることの有効性に気づいてもらえただろうか。
…最後にとどめを刺すとしよう。
「第三に、民衆の目線です。国のためとはいえ、王太子殿下との長きにわたる婚約を一方的に解消された私が、自ら望んで英雄と名高い国王陛下と結ばれるとなれば──民は良い様に解釈するでしょう。少なくとも、王家の評判を落とすことは避けられるはずです」
再び沈黙。だが、今度は誰もが私の言葉に納得せざるを得ないという顔をしていた。
英雄として極めて国民人気の高いランドルフ様はもちろんのこと、私も完璧令嬢の名や長年の慈善活動のおかげでかなり国民人気が高い。
もし私との婚約を一方的に解消し未婚令嬢として放り出したり、この国から去らざるをえなくなったりしてしまえば国民の王家への信頼はどうなるか、ようやく考えが至ったのだろう。
ここまでほぼ口から出任せで喋ったが、実際(ルートヴィヒとセイラン王国を除けば)全てに利がある提案ができたと思う。
どのような時も動揺せずに話し続けられるように、厳しい王太子妃教育を受けていて本当に良かった。
…さあ、ここから誰がどう動いてくる?
にわかにざわめき始めた会場内で、未だ私に直接話しかけてくる者は居ない。
ルートヴィヒもバカではないため感情的に反論してくることはなく、反論を組み立て中のようだ。
…すると、私からの逆プロポーズ(?)を受けたランドルフ様がおもむろに立ち上がり──明らかに困惑した顔で、口を開いた。
「…アリシア嬢、それは本気で言っているのか?…今は混乱しているだろうが、焦らずともまた機会を設ける。その時に求めるものを教えてもらえれば…」
どうやらランドルフ様は私が動揺していると思っているらしい。
…まあそれは正解だが、ランドルフ様との結婚で最も得をするのはどう考えても私だ。
「私は本気です。また機会が設けられたとしても、同じことを言いますわ」
「…そうか」
端的に意思を曲げることは無いと伝えた私に対して、ランドルフ様はしばし沈黙し──やがて、静かにうなずいた。
「ならば、私もそれを受け入れよう。先に不義理を働いたのは王家であるし、私との結婚を望むのなら叶えよう。それに、アリシア嬢のような才媛が私の王妃となるのなら、これほど心強いことはない」
またしても静まり返った会場が、一瞬の後に大きな拍手に包まれる。
あまりにも劇的な王妃の誕生だが、混乱しまくりの彼らはとりあえず祝福することにしたようだ。
ルートヴィヒの顔を見やると、引きつってはいたが笑顔で拍手をしていた。
もともとお詫びは自分が言いだしたことだし、ランドルフ様が認めてしまえば拒否することはできない。
…どうやら、一旦は彼に勝つことができたようだ。
私は微笑みを浮かべ美しいカーテシーを披露し、壇上から降りていく。
(…勢いでここまで来ちゃったけど、ここからどうしよう!?)
こうして私は――(なぜか)国王ランドルフ・エドヴォスの婚約者となった。
舞踏会が何とか再開された後、私とランドルフ様は宮殿の奥にある応接室で向かい合っていた。おそらく内々の話し合いをする為の、静かで落ち着いた雰囲気の部屋だ。
これから、婚約についての話し合いが行われる。
ちなみにお父様は仕事の都合で今回の舞踏会に参加しておらず、今父の執務室へと伝令が飛んでいるだろう。
…つまり、ランドルフ様と一対一で話せる好機は今しかない…!
「…陛下、どうか私の話を聞いていただけないでしょうか?」
とにかく時間がないため、座るやいなや話を始める。
あまり褒められた行為ではないが、一応まだ王家は私に負い目のある立場だ。存分に活用させていただこう。
とにかくこうなったら、まずはランドルフ様に迫る危機について話をしなければ…!
「随分いきなりだな、アリシア嬢。…やはり婚約は辞めにするか?…大丈夫だ。私の問題ということにすれば…」
まだ私のプロポーズを信じきれていないらしい。
…完璧令嬢の仮面を捨て、あの場でランドルフ様への愛を語ったほうが良かったかしら?
「違いますわ。それだけはあり得ません。…まず、これから話すことは、陛下にとって信じがたいことかと存じます。…ですがどうか、目をそらさずにいてくださいまし」
ランドルフ様の言葉を食い気味に否定した私は、いつも肌見放さず持ち歩いている封筒を取り出した。
中には、王子が裏で接触していた反王派の人物やセイラン王国からの使者との密会場所、時間などをまとめたもの──ここに書かれているのは概要のみではあるが、それでもルートヴィヒを取り調べるくらいはできるであろう証拠の数々が詰まっている。
「……これは……」
私の言葉を聞き入れてくださったのか、ランドルフ様はしっかりと中身に目を通し、そしてゆっくりと顔を上げた。
その顔は深い悲しみと困惑に彩られている。
「これは…いや…まさか…ルートヴィヒが?…なぜ…」
「…そこに書いてある使者は、おそらくセイラン王国の者です。先ほどの騒動でようやく見当がつきました。…なぜ殿下がこのようなことをされているのか、理由は分かりかねますが、このままでは陛下のお命が危険にさらされるかも知れません。殿下に知られるわけには参りませんでしたので、お伝えするのが遅くなりましたこと、お詫び申し上げます」
(ランドルフ様、とっても悲しんでおられるわ…当然よね)
そう、ランドルフ様は血が繋がっていなくとも、ルートヴィヒのことを愛していたのだ。
立派な王になるよう必死に育てていたし、愛情も与えていた。
…にも関わらず、その息子は他国と通じてまで、無理やり王になろうとしていたのだ。
悲しむのも困惑するのも当然の話である。
「いや、謝らないでくれ…こちらでも調査は行うが…聡明な君がそこまで言うのだから、おそらく間違いはないのだろう。」
ランドルフ様の声は、深く、少しだけ震えていた。
「本来こちらが気付くべきことなのに、君に背負わせてしまって申し訳なかった。…私は我が子可愛さに目を曇らせていたようだな」
深く傷付いているのに、それでもこちらを気遣う優しさ、そして己の過ちをすぐに反省できる素直さ。
…はぁ、好き。
「いえ、私はずっと、どうして良いかも分からず、証拠を集めているだけでした。…ですから、今回の騒動がまさに千載一遇のチャンスだと思いまして…あのような無理を言わせていただきました」
「そういうことだったのか…」
ランドルフ様はようやく得心がいったという様子で頷いているが、やっぱり自分が好かれているとは1ミリも思っていないらしい。
どうやらランドルフ様は前王妃とのトラウマのせいで、自己肯定感が著しく低くなっているらしい。
そこで(…ランドルフ様ご本人がランドルフ様の魅力を分かっていないなんて…!)謎の怒りにかられてしまった私は、思わず口をすべらせた。
「陛下は、本当に…素晴らしいお方ですわ」
「……え?」
「数々の武勇もさることながら、お優しくて、聡明で、真面目で、国民のためを常に考えていて、未だ衰え知らずの身体も鍛え上げられていて、お声もお顔も渋くてお美しくて、そして何より! 私と目が合った時に微笑みかけてくださるあの表情──」
やってしまった。
推し語り全開である。しかもランドルフ様ご本人に。
「……っ、そ、そうか、ありがとう…」
今度こそ完璧令嬢の仮面をかなぐり捨てた私の褒め殺しに、ランドルフ様は照れているようだ。
耳まで赤くなってしまっている。
…初めて見る表情!かわいい!こんな一面もあるのね!
この赤面顔が見れたなら、まあオールオッケーだ。
それに、ランドルフ様には何としてもご自身の魅力を理解して頂かなくては…!
「んんっ…今のは、全て嘘偽りのない本音ですわ…驚かれたでしょうが」
慌てて取り繕いながらも、否定することはしない。
…先程までよりランドルフ様の表情が緩んでいる。
どうやら気持ち悪いとは思われていないようだ。
本当に良かった。
「こんな風に、お世辞ではなく真っ向から褒めてもらったのは久し振りだ。…私も、君からもらった言葉に恥じない王にならなければな」
「……っ、それは…」
言葉が出なかった。ランドルフ様の表情はいつかゲームで見たような英雄のものになり、それでいて私に向ける眼差しはいつもよりずっと優しかった。
この短時間で彼はショックから立ち直り、王の風格を取り戻していたのだ。
私はそんなランドルフ様からそのまま視線を逸らせなくなっていた。
「アリシア嬢。君がいてくれて、本当に良かった。私は…君を守ろう。どんなことがあっても」
「……はい」
静かにうなずいた私は、心の中でつぶやいた。
(やばいランドルフ様かっこよすぎる!)
…守るのは私の方だとか、私を守ろうとして死ぬとか絶対にやめてくださいねとか、もうちょっと考えるべき言葉があったかもしれない。
しかし、推しからのファンサの前でオタクが考えられることなど、せいぜいこれくらいなのである。
「宰相、ダリオ・ローガン公爵がご到着なされました…………………………」
父の到着を告げる声を聞きながら、私はまたしても暢気にそんなことを思っていた。
それからのランドルフ様の動きは静かで、しかし迅速だった。
私の渡した証拠を元に裏付けをとり、本当に信頼のおける僅かな人物たちと共にさらなる断罪の証拠を集めていった。
もちろん、ルートヴィヒだけではなく反王派の人たち──これには私の父親も含まれている、だからこそ私の証拠は信憑性があるとされたのだ──の証拠も次々に集まっていった。
どうやらランドルフ様を殺し、反王派の人間だけで甘い汁を吸おうとしていたようだ。
…旗頭となるルートヴィヒがセイラン王国に操られているとも知らずに。
ちなみに、婚約が結び直されたことで、ルートヴィヒの結婚は1年以上先になった。
それにより、ランドルフ様の殺害がいつになるか読めなくなるかと思ったが…
「…父上、今度私と手合わせをしていただけないでしょうか」
「…もちろん、受けて立とう」
思わぬ計画の変更に焦ったルートヴィヒは、すぐに動いてきた。
ランドルフ様にはそれとなく、
「もしかすると、手合わせなどと称して襲ってくるつもりかも知れません…単純な勝負では殿下に勝ち目は無いでしょうから、薬を盛ってくるかも…どうかお気を付けくださいましね」
とギリギリの忠告をしておいたので、手合わせを申し込まれた事はすぐに周知され、十分な対策を取ることができた。
…まあもっとも、薬さえなければランドルフ様が負けることなど万に一つもないのですけれど。
私が王宮内の薬の取り扱いについて厳しくいておいたおかげで、ルートヴィヒが密かに薬を持ち込んだことはすぐに分かった。
これを王家の影にこっそり栄養剤とすり替えてもらったので、もうこの時点で大丈夫なはずだ。
しかしランドルフ様が、
「君の身の安全のためにも、王家の影を複数人待機させておこう。…私は大丈夫だから、自分の身を一番大切にしてくれ」
とおっしゃってくださったので、さらに準備は万全になった。
…私の安全まで気にかけてくださるとか、やっぱりランドルフ様優しすぎる!最高!
ルートヴィヒの策略に引っ掛かった振りをして、本性を見せたところを一気に捕らえる。
これが今回の作戦だった。
手合わせは王太子宮の庭で行われるため、基本的には王族しか立ち入ることはない。
そのため、こうすればルートヴィヒのみを秘密裏に捕らえられ、それ以外の捕らえるべき人物を逃さずに済むのである。
そして──
「試合開始!」
「っ!」
「…ふっ、はっはっはっ!貴様が目障りだったのだ、父上、いや、ランドルフ!貴様がいなくなれば、私は国王としてこの国に君臨し、やがて世界を手に入れられる…!」
「…そうか、ルートヴィヒ。やはり…そうなのだな…!」
「なっ!?なぜ!薬を盛ったはずなのに…ぐっ!」
ルートヴィヒが思いっ切り斬りつけてきたのを難なく防ぎ、一気に攻め立てる。
ルートヴィヒは真剣でランドルフ様は模造刀のはずなのだが…
正直あまりにも一方的な戦いぶりだった。
私が木陰からひっそりとランドルフ様の剣術に見惚れられていたのもほんの数秒。
あっと言う間に決着はつき、剣を取り落として尻もちをついたルートヴィヒに、ランドルフ様がその剣を拾って向ける。
「ルートヴィヒ、お前を国王殺害未遂の容疑で捕らえる。…本当に残念だ…」
「なっ…なぜ…!…なぜ私の計画が分かった…!」
「それは私が気づいたからですわ」
決着がついたようなので、木陰から出ていく。
本来私がここにいるのはおかしいため、わざわざ隠れていたのだ。
「っ、アリシア!貴様…なぜここに!」
ルートヴィヒの顔は蒼白で、もう何が起こっているのかも分からない様子だった。
「ですから、私が陛下にお伝えしたのです。貴方がセイラン王国の方や私の父などの反王派の人物と密会していることを…要は今日まで泳がされていたのですよ、お仲間たちもこれから捕らえられます。…もう貴方は終わりですわ」
「っ貴様!よくも…!」
「っ……!」
ルートヴィヒの顔が激情で赤く染まり、怒りのまま私に向かって手を伸ばそうとする。
すると、
「やめろ!…彼女が言った通り、お前はもう終わったのだ。これ以上罪を重ねようとするな」
温厚なランドルフ様が声を荒げ、私を庇うように立った。その顔は悲しみに彩られているものの、眼光は鋭く、剣の切っ先はルートヴィヒの首筋ギリギリの場所まで近づいている。
ルートヴィヒの顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「追って沙汰を言い渡す。…連れて行け」
「─くそっ!…おい、やめろ!俺は王太子だぞ!」
ルートヴィヒは引きずられて連れて行かれた。
仮にもラスボスが、なんとも無様な姿だ。
彼自身の実力は本来あの程度のものだったのだろう。
…まあ、何はともあれ。
(終わったのね……)
そう思った瞬間、胸の中に奇妙な空虚感が広がっていく。
これで、ランドルフ様はもう安全。ルートヴィヒは捕まり、他の協力者達もすぐに追っ手がかかるだろう。
(…そうなると、やっぱり私との婚約は当然ないわよね…)
そう、私の父ダリオは反王派、何ならそのトップに近い人物だった。
当然捕まるし、下手したら私を含めた家族全員捕まってもおかしくない。
婚約なんて以ての外だ。
(…まあ、しょうがないか。ランドルフ様のことは救えたし、この先は私がいても役に立てることは無いだろうし)
「…リシア嬢、アリシア嬢、大丈夫か?…まさかどこか怪我でも」
「…えっ、いえ!そのようなことは!…少々感慨にふけっておりましたの」
…ランドルフ様からのお声掛けに気づかないとは、私もかなりショックを受けているらしい。
最初はランドルフ様と結婚するつもりなどなかったのに、その立場が一度現実的になってしまうと途端に夢見てしまう。
婚約者になってからの僅かな間、今までとは比べ物にならないほどお側にいさせていただいて、ランドルフ様への好きは増していく一方だった。
…ずっとずっと推してきた人なのだ、近くにいたら好きになってしまうのもしょうがないだろう。
声をかけてきた部下と話をするランドルフ様を見つめる。
「…ああ、アリシア嬢、すまない話の途中で。部屋まで送ろう。君も気疲れしただろう?私はこの後もやる事があるから、君はゆっくり休んでいてくれ」
「…いえ、お気遣いなく、一人で戻れますわ。陛下も、どうかお休みになってくださいまし。…それでは、ごきげんよう」
…やっぱりランドルフ様は優し過ぎる。
裏切り者の娘である私にもこんなに気を遣ってくれて、優しい微笑みを向けてくれる。
もしかしたら、優しいランドルフ様は私とこのまま結婚するつもりかもしれない。
…そんなのはいけない。ランドルフ様の王妃には、裏切り者の娘はふさわしくない。
一人王宮内に用意された自室へと戻りながら、私は婚約解消を願う手紙の文面を考え始めていた。
***
それから数日後。
私は夕暮れ時にランドルフ様の執務室に呼ばれた。おそらく、あの後メイドを通して渡した手紙についてだろう。相変わらずお忙しいようで、あの断罪の日以降ランドルフ様とは会っていないし、今日も夕方まで時間は空かなかったようだ。
…これでランドルフ様を近くで見られるのも最後ね。
そんなことを考えていると、あっという間に執務室に着いた。
「…アリシアです。入ってもよろしいでしょうか」
「…ああ」
いつもなら笑顔で迎えてくださるランドルフ様だが、今日は神妙な顔つきをしていた。
…当然の話だ、これから婚約解消を告げるのだから。
「……アリシア。君に、確認したいことがある」
「…なんでしょうか?」
…自分から言いだしたことなのに、面と向かって話し始める勇気はなかった。
優しいランドルフ様に言わせようとするなんて、なんて卑怯な振る舞いなのだろう。
(最後まで完璧令嬢で居られなくてごめんなさい、ランドルフ様…)
思わずぎゅっと目をつぶってしまう。
すると、
「君は、もう……私と結婚するつもりは、ないのか?」
「えっ」
予想外の言葉に、一瞬、頭が真っ白になる。
「…手紙の内容は読んだ。君が心配していることも十分理解できる。だが…その…っ、一つだけ、答えてくれ。君は……」
ランドルフ様の声が、ほんの少しだけ震えていた。
…頬が少しだけ赤くなっている。
「私のことを……もう、好きではなくなったのか?」
(……)
ここでそうだと言っておけば良かったのだ。
そうすれば、ランドルフ様は婚約解消を受け入れていたはずなのに…!
けれど、私の口は考えるより早く動いていた。
「大好きですわ!!!!」
「……」
「……」
「……あっ……!!!!」
完璧令嬢どころか、令嬢としてあるまじき大声で愛を叫んだ私は、その後慌てて両手で口を覆った。
…が、時すでに遅し。
ランドルフ様は、しばし唖然としたような顔をして──
ふっ、と笑った。
「……そうか。なら、婚約解消は必要ないな」
「だっ、だめです!私は裏切り者の娘ですわ!王妃には到底ふさわしくありません!手紙を読んでくださったのでしょう?」
慌てて説明するも、何故かランドルフ様は笑顔のまま。
「大丈夫だ。君は元々の評判がとても良いし、今回の件についても、君の告発によるところが大きいと大々的に発表するつもりだ。国王の危機を救った女性が王妃にふさわしくない訳が無いだろう?…それに」
ランドルフ様がいきなり椅子から立ち上がると、私の前で跪き、手を取る。
「私が君のことを愛してしまったんだ、アリシア。…こんなに年の離れた私に愛を向けてくれて、ありがとう。…どうかこれからは、王妃として私のことを支えて、愛してほしい」
そう言って手の甲に口づけたその姿があまりに眩しくて、私は何も考えられなくなってしまう。
「っ…はいっ、はい、…こんなに年の離れた私で良ければ、ぜひよろしくお願いしますっ…」
「っ、ははっ、…年が離れていても、君だから良いんだ!」
「っ、きゃあ!」
喜びを抑えきれない様子のランドルフ様が泣きじゃくる私を抱き上げ、くるくる回る。
初めて上から見下ろすその顔は、今までに見たことがないくらい、幸せそうな表情だった。
ああ、もうどうしてこうなったのだろう。ランドルフ様に幸せになってほしいと思っていたのに、これでは私の方が幸せになってしまっているじゃない。
…でも、こんな顔にできたのなら。
(……まあ、いいか)
「…愛しております、ランドルフ様」
「っ、ああ、私も愛している…アリシア」
夕暮れに赤く染まった執務室の中で、私たちは初めての口づけを交わした。
──そして、時は流れ。
「アリシア様…いえ、王妃様、ご準備が整いました。ご確認ください」
「っ、ありがとう。…まだ慣れないから、アリシアって呼んでくれない?」
「なりません。今日から名実ともに王妃となるのですから」
婚礼の日。控え室の私は、鏡の前で最終チェックをしながら、侍女からの慣れない王妃呼びにドギマギしていた。
鏡に映る私は、私史上最も美しい仕上がりとなっている。
真っ白なプリンセスラインのウエディングドレスと緻密なレースで編まれたヴェール、ルビーとゴールドでこの為に作られた揃いのアクセサリー。
今回は堂々とランドルフ様の色を纏っている。
そして何より、顔には幸せそうな微笑み。
今日の私は、世界で一番幸せな人間だろう。
鏡を見ながらそんなことを考えていると。
「王妃様、ランドルフ様が迎えに来られましたよ」
振り向くと、そこには白いタキシードに身を包んだランドルフ様が立っていた。
(っきゃーー!!初めて見るランドルフ様のお姿!私この人と今から結婚式するの!?大丈夫?正気を保っていられるの!?)
白いタキシードは上質な素材である以外に特筆すべき要素はないが、何せ中身が良すぎる。
髪はオールバックになっていて、その整った顔立ちが更に凛々しく見えるし、鍛え上げられた身体と抜群のスタイルは、タキシードと相乗効果を生み出しているようだ。そして、ネクタイやブローチなどの要所要所には私のサファイアとシルバーの色があしらわれている。
思わず見惚れる私だったが、それはどうやらランドルフ様も同じだったようで。
「……………っ、いつも綺麗だが、今日は特別綺麗だ。こんなに美しい君と今から結婚式を挙げられるなんて、夢のようだよ」
「……………お、お褒めにあずかり光栄でございますわ。ランドルフ様も今日はいつもより一段と素敵です」
お互いに不自然な程の間が空いてから、ようやく会話をすることができた。
いつの間にか部屋には誰もいなくなっている。
「ああ、ありがとう。…アリシア、本当に綺麗だ…このまま誰にも見せたくないな…」
そう言うと、まるで私を世界から隠すようにランドルフ様が抱き寄せてくる。
「まあ、そんなことをしなくても、私はランドルフ様のものですわ。どうか王妃として、そばに立たせてくださいまし」
するとランドルフ様はくすりと笑って、
「君は美しいだけでなく男前なところもあるな」
とからかってきた。
「う、男前って…女性としては少々複雑ですわ…っむ!」
拗ねる私の唇が素早く奪われる。
「ふっ、…可愛らしいところまであるとは…これ以上私を魅了しないでくれ」
…完敗である。
「…お取り込み中のところ申し訳ありません。そろそろ…」
「ああ、分かっている。…少しだけメイクを直してあげてくれ、私が乱してしまった」
「承知いたしました」
ドア越しに声をかけてきた侍女にさらりと告げると、ランドルフ様は私を一瞬だけ強く抱きしめ、ゆっくりと離した。
「…ドアの前で待っているから、準備ができたら出てきてくれ。…君を見ているとどうしても我慢ができなかったんだ、許してくれ」
僅かに赤面した表情でそう言うと、侍女と入れ違いになるようにして去っていった。
(…うう、そんな顔でそんなこと言われたら何でも許しちゃうじゃない!照れ顔のランドルフ様ズルすぎる!!)
明らかにランドルフ様以上の照れ顔になっていた私は、なんとか顔の火照りを冷ましつつ、メイクを直してもらう。
「…今度こそ、ご準備が整いました。いってらっしゃいませ」
「…あっ、ありがとう」
ドアの前に立ち、一度深呼吸をする。
この先からは、私は王妃としてランドルフ様の隣を歩くことになるのだ。
…本当に何でこうなっているのか分からないが、もうここまで来てしまった。
(…こうなったら、絶対に私がランドルフ様を幸せにするのよ!)
そう覚悟を決め、ドアを開けた。
──エドヴォス王国の英雄、ランドルフ・エドヴォスは妃と息子に恵まれなかった。しかし、後に自らを救った才女を妃に迎え入れると互いに愛しあい、その姿は国民からもさらなる人気を博し、王国はさらなる繁栄の時代を迎えるのであった。
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