ありえませんわ
特別棟の二階から見えた裏庭の様子に、エレノアはうんざりした。
裏庭では複数人の男女が、かしましい声を上げている。男女と言っても、男性五人に対し、女性はひとりしかいない。
そのうちのひとりは、エレノアの婚約者であるルキル第一王子だった。
「エレノア様、どうか⋯⋯って、ああ」
「またですのね、あの方々ったら」
同じ特進クラスの友人ふたりがエレノアの視線の先を追い、同じく微妙な表情を浮かべた。
ここは王立の魔法学園。魔法が発達したフィン王国において、魔力を持つ者達がその力の使い方を学ぶ場所である。
一応平民にも門戸を開いた、平等を謳う学び舎であるが、学費や魔法以外の基礎的な学力も必要なこともあって、生徒の大半は貴族だ。
魔力が血筋で受け継がれることが多いのも、貴族が多い要因のひとつかもしれない。何しろ学園創立以前から、フィン王国貴族の義務のひとつに魔法の研鑽があった。そのため魔力量を重視した結婚も多かったのだ。
実際、侯爵令嬢であるエレノア自身、両親の血を受け継いでか魔力が非常に多い。その上、生徒の上澄みである特進クラスに所属しているだけあって魔法技術も人後に落ちないだけの実力があった。
ここまで学園に貴族が多いこと──ちなみに友人の片方は貴族、もう片方は王宮魔術師の娘である──を書き連ねたが、狭き門をくぐり抜けた平民も、勿論いる。
そのひとりが、中庭の紅一点、モニカだった。
正確には、彼女は元平民である。母親はもともと男爵の愛人をしていたが、妻を亡くした男爵が後妻に迎えたため、モニカも養子にしたとのことだ。
なぜ男爵が血の繋がらないモニカを娘にしたかというと、彼女に先天的に高い魔力があったからだ。男爵は将来を見込んで、この学園に彼女を入れたのである。いずれは王宮魔術師、それが無理でも何かしら魔法関連の仕事に就けるし、魔力と魔法があれば良縁が望める。
男爵のその判断は正しい。後見として、モニカのもたらす恩恵を受けられるだろうから。
だがモニカは、魔力も高く才もあったが、努力は嫌いだったらしい。
モニカは学園の貴族クラス──文字通り貴族の子女の大半が入るクラス──に入っているにも関わらず、礼儀作法も教養も身に着けようとしなかった。
それどころか男子生徒に淑女にあるまじき距離感で甘えるように話しかけたり、時には抱き着いて身体を密着させたりしている。潤んだ上目遣いで擦り寄る様は、多くの令嬢の顰蹙を買った。
大抵の令息はモニカの様子に戸惑うだけで必要以上に接触しないが、一部熱を上げる者達もいた。中庭の五人を始めとする、高位貴族令息達だ。
彼らはモニカの嬌態を貴族令嬢には無い純粋無垢、無邪気さだと捉え、至上の姫君のように扱い始めた。それに対し苦言を呈する者もいたが、なまじ家格が高いだけに軽くあしらわれるか、激高され脅してくることもあるため、次第にほとんど何も言わなくなっていった。
それでも全ての高位貴族令息ではなかったのが幸いだったのだが、半年前にルキル王子が加わったことで徐々に暴走気味となっている。
本来なら接近すらできないはずのルキルにモニカが近付けたのは、彼と親しい令息が彼女の信奉者になったこと、そして情けないことに、ルキルが特進クラスから貴族クラスに落ちてしまったことが原因である。
王族として膨大な魔力とふたつ以上の魔法系統を操る才能あふれる王子として入学したルキルだが、生来の努力嫌いだった。
才能と王族教育のおかげで特進クラスに入ることはできた。
だが授業態度は悪い、課題を忘れる、試験の成績は実技以外微妙と、王子という身分が無ければ劣等生の謗りをまぬがれないだろう。そのせいで必要単位を取れずに貴族クラス落ちしたのだから、なんとも情けない。
また楽な方、楽しい方に流される性質のルキルが、自分を持ち上げて甘い言葉だけを口にするモニカに傾倒するのに時間はかからなかった。
エレノアは最初、ルキルをいさめていた。王族として、婚約者がいる者として、ルキルの行動は褒められたものではなかったからだ。
だがルキルはそれに逃げ回り、捕まえても適当にはぐらかす。その上で。
「そもそも俺の婚約者としての魅力がモニカより低いのが悪いんだろうが」
──この一言で、エレノアは決めた。この男と婚約解消しようと。
そう思ってからは学園でのルキルの様子を父である侯爵に報告しつつ、浮気の証拠を集めるためにあえて放置する日々である。モニカの経歴も、浮気調査の中で知った情報だった。
「婚約者がありながら、なぜあのようなことをしていらっしゃるのかしら」
「裏庭なら見られることはないと思ってらっしゃるんじゃない? 確かに貴族クラスのある棟からは見えない場所だけど⋯⋯」
友人達は顔を見合わせた。
「モニカさんもモニカさんですわ。貴族教育は学園でも家でも受けてらっしゃるでしょうに」
「エレノア様、どうしますか? 授業までは、まだ時間がありますが」
「放っておきますわ。時間の無駄ですもの」
エレノアの冷たい言葉に友人達は困惑するどころが、それもそうねと頷いた。
特進クラスの間でもルキルとモニカ達の言動は敬遠の対象となっており、特に彼らの婚約者達が顕著だ。今では顔を合わせようともしない。
それを彼らはどう思っているのか知らないが、最近はとみに騒がしい。それを教師に見咎められてもお構い無しだ。
「⋯⋯裏庭が随分華やいでいるな」
ふと、そんな言葉が聞こえてきた。
はっと振り向くと、男子生徒の制服を着た絶世の麗人が、裏庭を覗き込んでいた。
艷やかな黒髪をひとつにまとめ、切れ長の目に春の花を思わせる淡い紫の瞳を収めた、恐ろしいほど整った顔立ち。制服に包まれた肢体は細身だが、ぴんと伸びた背筋と自信にあふれた立ち姿のためか、弱々しさは無い。むしろ剣のような鋭さを秘めた雰囲気だった。
「⋯⋯ギル様」
思わず呼びかけると、麗人──ギルはエレノアに向き直って微笑んだ。
「や。そっちは錬金術の授業?」
「ええ。ギル様は宝石魔法でしたよね」
ギルはフィン王国の人間ではない。大国であるローディウム帝国からの留学生だ。そしてエレノアにとって親戚に当たる。
エレノアの祖母はギルの祖父の妹だった。エレノアの祖父である前侯爵が仕事でローディウムを訪れた際に互いに一目惚れし、当時としては珍しい恋愛結婚を果たした。これがきっかけでローディウムとの交易は侯爵家を通して行われるようになった。
そして現在において、ローディウムでも魔法関連の教育機関を立ち上げる話が持ち上がったため、参考も兼ねてギルが留学してきた。ちなみに滞在場所はエレノアの家である。
フィン側は最初、滞在先に王宮を指定してきた。だがギルに王家との婚姻を勧めようとする思惑が見えたため、ローディウム側──というよりギルはそれを却下している。
「ところで、あれはいいのか?」
ギルが裏庭を指差す。エレノアは苦笑した。
「構いませんわ、時間の無駄ですもの」
「ふうん」
ギルは片方の唇の端を吊り上げた。ほかの者がやれば野卑に見えるだろうが、ギルがやると品のある笑みに見える。もっとも、品と言うには好戦的過ぎるが。
「あの真ん中にいる令嬢、わざわざ特別棟に来て私に話しかけてきたよ。何て言ったと思う?」
「ギル様に? ⋯⋯いいえ、解りませんわ」
「エレノア様に無理に従わなくてもいいですよ、ルキル様に言えば解放してくださいますってさ」
「ええ⋯⋯?」
エレノアの顔がひきつった。
どこをどう見たら、ギルが従っているように見えるのだろうか。確かに顔を合わせることは多いが、むしろエレノアはギルを気遣って対応しているし、ギルもそれは承知している。ルキルはギルの立場を知っているはずだが、彼は止めないのだろうか。
「いつまで放置するつもりなんだ? まさか卒業までそのままのつもりは無いだろう」
「勿論。ですが、ルキル殿下が捕まらなくて⋯⋯」
「逃げ癖付いてそうだからな、あの王子殿下」
ギルの言葉に、エレノアは淡く微笑んだ。
「そろそろ予鈴が鳴りますわ。ごきげんよう、ギル様。また放課後に」
「ああ」
ギルは片手を上げて去っていった。その後ろ姿を友人のひとりが熱のこもったため息と共に見送る。
「はあ⋯⋯ギル様、相変わらずお美しい」
「いやだわ、貴女ったら。朝もお見かけしたでしょう?」
「でも取ってる授業が違うから、なかなかお見かけしないもの! ああ⋯⋯家名も名乗らず、どのような素性なのか解らないのも、ミステリアスで素敵ですわあ」
「貴女ね⋯⋯確かにギル様は素敵な方ですけど」
エレノアは眉尻を下げた。
エレノアとて美人の自覚がある。ウェーブがかった亜麻色の艷やかな髪も、宝石のようと称される蒼い瞳も自慢のひとつだ。
だがギルほど圧倒的な美貌の前では、その自信も心もとなくなる。嫉妬より先に感動が生まれるレベルの差だ。
ギルは素性を伏せて学園に通っているが、その美貌と魔法の才、隠しきれない高貴な雰囲気から、女子生徒の熱い視線を集めている。さすがに釣書までは届かないが、恋文が届くのはしょっちゅうだ。
彼女達の気持ちに応えられないギルは、それを見るたびに困ったように笑っていた。
エレノアはしばしギルが消えた方向を見つめていたが、友人達に声をかけて共に授業へと向かった。
その様子をルキルがじっと見つめていたことに、気付かないまま。
───
学園では定期的に茶会が開かれる。貴族の子女にとっては将来の練習、平民にとっては貴族の作法を実践で身に付ける機会だ。
ちなみに平民向けの礼儀作法の授業もあるし、礼服の貸し出しも行っているため、それらの問題はほとんど無い。貴族生徒も平民が参加していることは承知しているため、ある程度の無礼は見逃す、あるいはこっそり指摘に留めるという暗黙の了解がある。
その茶会で、ルキルがやらかした。
「エレノア、貴様との婚約を破棄する! そして、ここにいるモニカを新たな婚約者とするっ」
──なぜ、今。
エレノアは目眩を覚えた。
思えば最初から不穏だった。
学園での茶会に参加するための準備をしていたエレノアの元に、ルキルから迎えには行けないという手紙が届いた。
ここ半年前は迎えどころかドレスの一着、装飾品のひとつだってよこさなかった癖に、今更? と、ギルと顔を見合わせた。
「とりあえず、いつも通り私がエスコートするよ」
「よろしくお願いしますわ」
そうして同じ馬車で学園に向かい、茶会の会場に向かったのだが。
そこでふたりを迎えたのは、微妙な雰囲気をまとった生徒達だった。
何ごとかを感じて先に来ていた友人に尋ねてみれば、ルキルと取り巻き達、そしてモニカが少し前に現れて、エレノアがいないと見るや苛立ち、来たら必ず呼べとだけ怒鳴って去っていったらしい。
「どこでお待ちしているか解らないし、殿下達の様子から誰も探したがらないんですもの」
「それは⋯⋯災難でしたわね」
一応休憩室を覗いてみたが、いなかったらしい。なぜ一番見つかりやすい場所で待たないのかと、エレノアは頭を抱えたくなった。
しかたがないので自身の侍女に探させようと指示を出す直前、ルキル達が戻ってきた。
彼らの姿を見て、エレノアとギルは顔に出さずに唖然とした。茶会にそぐわない、あまりにも派手な出で立ちだったからだ。
まず男性陣。全員が同じ水色の礼服を着ているのも異様だが、そこに華美な金の刺繍を施しているのも無駄に目を引いた。
更にカフスやクラヴァットピン、ピアスなどにはピンクダイヤが輝いている。ただでさえ高価なピンクダイヤを全員分の装飾品として使用するなど、幾ら高位貴族や王族でも目玉が飛び出そうな金額になるだろう。
次に、モニカ。淡い若草色のドレスを着ているのだが、こちらも男性陣同様派手な金刺繍が施されており、ピンクのレースとリボンで更に彩られている。腕や手はパフスリーブと手袋で隠されているが、胸元や肩はがっつり露出しており、胸元に至っては谷間が見え隠れしている。
細い首元にはエメラルドとピンクダイヤを幾つも使った首飾り、髪飾りにはこちらもエメラルドとピンクダイヤを散りばめた金細工の花を模したもの、更には金とエメラルドの指環と腕環、耳飾りを着けていた。
集団としてはまとまった、茶会の参加者としては浮きまくって空へ飛びそうな、あらゆる意味で目に痛い六人に、エレノアは彼らが王侯貴族であることを疑い始めた。
「何だあれ、道化の集まりか?」
更にギルがそんなことを呟くものだから、吹き出すのを堪える羽目になった。
異様さは置いておくとして、昼の社交場では派手な装いと光り物はマナー違反である。女性は加えて露出の少ないものが推奨されていた。
ルキル達男性陣は勿論のこと、モニカだってそれは承知しているはずなのに、なぜあんな格好で現れたのだろうか。そもそも、衣装と装飾品の予算はどこから出てきたのか。
そこまで考えてふと、エレノアは彼らのまとう色の意味に気が付いた。
ルキル達の水色の礼服とピンクダイヤは、おそらくモニカの水色の瞳とピンクブロンド、モニカの若草色のドレスと金細工の装飾品はルキルの緑の瞳と金髪を表しているのでは、と。
そこまで考えて、思考は止められた。
「エレノア、貴様との婚約を破棄する! そして、ここにいるモニカを新たな婚約者とするっ」
そこで、問題の宣言がなされたからである。
繰り返すように、エレノアはルキルとの婚約解消のため、証拠固めや根回しをしていた。
もともと侯爵家はこの婚約をよく思っていなかった。王命という断れない状況ゆえに結ばれたそれを、隙あらば無効にしようと考えていた。
そこにルキルの不貞を受け、王家有責で解消しようと父娘で動いていたのである。
王家の狙いは、侯爵家が窓口になっているローディウムとの貿易を王家のものにすること。王家主体にすれば、利益をそのまま王家の懐に入れられると考えたのだろう。
なので、その貿易を人質に取りつつ──現時点で王家に貿易に関わる権限はほぼ無いのだが──ルキルとの婚約見直しの言質を国王からもぎ取った。
あとは当事者をまじえての話し合いとサインだけ、という段階になって、ルキルの逃げ癖が発揮されてしまい、なかなか進まなかった。
学園で話すことでもないため、侯爵の助言もあって勉強と交流の時間を優先していたのだが──
──まさか、こんなことになるなんて⋯⋯!?
エレノアは体勢を崩しそうになるも、背中を支えるギルの温かい手に励まされ、何とか声を絞り出した。
「一応⋯⋯理由をお聞かせ願いますか」
「知れたこと。貴様の悪行の数々だ!」
しかし身に覚えの無いことを言われ、ますます混乱することになる。
「悪行⋯⋯とは?」
「しらを切るか⋯⋯本当に度し難い女だな」
ルキルは嫌悪をにじませた顔でエレノアを睨み付けた。
今更そんな目で睨まれても傷付きはしないが、無実の罪を着せられるのは無視できない、とエレノアは聞き返した。
「覚えがありませんわ。一体何をもってわたくしの行動を悪とみなしましたの?」
「自覚が無いなら教えてやろう。ひとつは、モニカに対するいじめだ」
ルキルは労るようにモニカの肩を抱き寄せた。
「モニカはここ三カ月、ずっといじめを受けていた。教科書を隠されたり、持ち物を盗まれたり、果ては破壊されたりした。更に茶会に呼ばれなかったり、無視されたりと、彼女自身に対する攻撃もあった」
「この間は、階段から突き落とされましたぁ。ルキル様ぁ、怖かったですぅ」
モニカは甘ったるい声を上げて、ルキルに身体を押し付けた。
娼婦ってこんな感じかしら、と至極失礼なことを思いつつ、エレノアは尋ねる。
「それらをわたくしがやったという証拠は?」
「貴様以外にモニカを攻撃する理由は無いだろう!」
「つまり証拠は無いのですね」
呆れた、と声に出さず目線で語ると、ルキルは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「貴様は俺とモニカに文句をつけてきただろう! モニカに嫉妬して、そんなことをやったに違いないっ。それに」
「色々言いたいことはありますが⋯⋯ひとつひとつ否定させていただきますわ」
不敬を承知で遮りつつ、エレノアはため息を押し殺した。
「モニカさんへのいじめですが、わたくしには不可能なのです。モニカさんは殿下達と同じ貴族クラスで、わたくしは特進クラス。校舎からして違いますし、授業が被ってもいないので、そんな時間はありませんわ」
「ほかの誰かにやらせればいいだろう!」
「第二に、そのようなことを指示する隙もありません。わたくしは常に、王家の影に見守られておりますから」
「えっ」
ルキルが意外そうな顔をしたので、エレノアは冷たく言い放った。
「だってわたくし、未来の王子妃でしたもの。この身に何かがあってはいけない、あるいはふさわしくない行動を許すわけにはいかないと、常に護衛と監視が付けられておりますのよ」
同じことはルキルにも言えるのだが、どうやら知らないか、忘れているようだ。
そう、ルキルもエレノアも、王族と準王族として護衛・監視されていた。なら報告しなくてもよかったのでは、と思われるが、報告するか否かの部分も含めて資質を見られるので、報告しないという選択肢は無かった。
ちなみに、これらは現在進行系。つまりこの状況も、王家の影の監視下である。
「ですので、確認すればわたくしがそんなことをしていないのも、指示もしていないのも解りますわ。つまり、わたくしの関与はありえないのです」
エレノアはモニカを見た。特に怪我をしている様子は無いが、魔法による治療を受けたのだろうか。
「それより、階段から突き落とされるというのは、立派な傷害事件です。それは学園に報告すべき案件では? 今ここで済ませることもありえないことでは」
「そ、それは⋯⋯だ、だが、茶会の件はどうなんだ? 学園主催はともかく、おまえが開いた茶会に、モニカは呼ばれたことが無いそうじゃないか!」
「当然ですわ」
エレノアは今度こそ、隠すことなくため息をついた。
「わたくしが開くとしたら、高位貴族主体のもの、もしくは魔術師同士の交流会となります。高位貴族と中位以下の貴族では、礼儀作法に求められるレベルが違います。そんなところにモニカさんが参加されても、恥をかくだけですよ」
「酷ぉい! 私が礼儀知らずだって言いたいんですかぁ?」
「エレノア、貴様⋯⋯モニカを罵倒するな!」
「してません。逆に聞きますが、背筋が伸びていない、茶器で音を立てる──それだけで冷笑される場に、モニカさんは出たいですか?」
モニカが黙り込んだ。当然だろう。彼女は上目遣いをするために猫背になりがちで、無邪気を演出するために大げさに動くため毎回がちゃがちゃとやかましかった。
「魔術師同士の交流会にしても、内容は専門的な話が多いですし、そもそも参加される方のほとんどが魔法関連の仕事をしている、あるいは目指している人です。なので、生徒でも基本的に招待するのは成績上位者だけ。それらのことは、殿下もご存知のはずですが?」
「それは⋯⋯」
ルキルの目が泳いだ。
おそらく、モニカが呼ばれていないという一点でエレノアを責めようとしていたため、茶会の性質をまるっと忘れていたのだろう。
「話にならないな。階段から突き落とされたという話も、怪しくなってきたぞ」
ギルの呆れた声に、モニカが目を潤ませて声を上げた。
「嘘じゃありません! 私、本当に突き落とされたんですぅっ」
「どこで?」
「第四棟の階段で⋯⋯」
「特進クラスのある特別棟とは建物三つ挟んだ先だな」
「モニカさんはどうしてそんなところに? あそこは教師以外体立ち入り禁止でしてよ」
「えっ、とぉ⋯⋯呼び出されたんですっ」
「誰にだ?」
「わ、わかんないですぅ。匿名の手紙だったので……」
「ならそれを提出すれば、筆跡で誰が書いたのか解りますわね」
「えっ、あ⋯⋯えっと、す、捨てちゃったんで、それは無理かなぁってぇ」
「ふぅん⋯⋯大事な証拠をねえ」
ギルの眼差しが一気に冷たくなった。それに怯えてか、モニカがますますルキルに密着する。
「ル、ルキル様ぁ」
「ぐっ⋯⋯屁理屈をこねおって! だいたい、理由はおまえにもあるんだぞっ」
ルキルは顔を歪ませてギルを指差した。
「そういえば、ひとつと言っていたが⋯⋯」
「ふたつ目が、ギル様に関係⋯⋯?」
エレノアとギルは顔を見合わせた。それを見て、ルキルは我が意を得たりとばかりに嗤う。
「ほら見ろ! そのように熱く見つめ合って……貴様はそこの軟弱男と不貞をしているんだろう!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
一瞬、言っている意味が解らなかった。ルキルは今、何と言ったのか。
──ふてい⋯⋯フテイ⋯⋯不貞⋯⋯は?
「ありえませんわ!!!!!!!!!!!!」
それは、淑女にあるまじき絶叫だった。
身近で聞いていたギルが思わず上体を逸らすほどの、心の叫びだった。
その否定を、図星を突かれた動揺だと取ったルキルは、にやにや笑いながら世迷い言を続ける。
「未来の王妃などと言いながら、貴様もただの女だったということだ。そこの顔だけ平民に入れ込むなど」
「何を仰っているのですか!? ギル様のことはご存知でしょう!」
エレノアは信じられない気持ちでルキルに詰め寄った。
「国王陛下からも、我が父たる侯爵からも説明があったはずですわ。なぜギル様が留学してきたのか、そして我が家にいらっしゃるのか。なぜそのような勘違いをされているのです!」
「は? その男のことなど、聞いたこと無いぞ。そもそも留学生だったのか」
「なんという⋯⋯まさか、聞き流したのですか! そもそも、この方は」
「あー、もういい。大丈夫だ、エレノア嬢」
ヒートアップするエレノアを、ギルはそっと抑えた。
「ギル様、しかし」
「どうやら完全に忘れているみたいだし、こんな大人数の前で不貞を疑われるとなると、濡れ衣の証明をする必要がある。どうせ今年度に卒業するんだから、それまで多少騒がしくなっても構わない」
「⋯⋯申しわけございません」
「エレノア嬢のせいじゃないさ」
ギルはエレノアに優しく微笑んでから、魔法を解除した。
とたん、ギルの姿が変わる。平坦だった身体つきは女性らしいものに。黒い髪は豪奢な輝きを放つ黄金に。普通の形だった耳は長く先の尖ったものに。
絶世の美貌と紫の瞳はそのままに、ギルはエルフの男装美女へと変化した。
「改めて名乗らせていただこう。私はローディウム帝国の第一皇女、ギルエルフィネだ。正式な挨拶は初めてだったな、ルキル王子」
「な⋯⋯な、き、貴様、女だったのか! いや、それ以前に、貴様、いや、貴女が、皇女殿下だったのか!?」
愕然とするルキルに、エレノアは頭を抱えた。
「だから顔合わせをさぼらないでくださいと言ったのです。その後きちんとギル様のことを説明されたはずですが?」
ギル──ギルエルフィネが男を装っていたのは、自らの正体を悟られる可能性を低くするためだ。エレノアの祖母がローディウムの元皇女であることは有名な話で、第一皇女と同い年の女性となると、そこからの推測で正体がばれるかもしれなかったのである。
何より、初手で王家が王子達をすすめてきたため、同じ事態になることをギルエルフィネ自身が嫌がった。
「そ、それは⋯⋯ど、どういうことだ、モニカ! おまえが皇女じゃなかったのかっ」
「ええ? そんなこと言ってないです! 私はただ、祖母が帝国出身って言っただけですぅ」
モニカが信じられないと言いたげな表情でルキルを見上げた。
ルキルはどうやら、モニカの祖母もローディウム出身であること、うろ覚えだった皇女の留学と出自を隠していることを継ぎ接ぎして、彼女を皇女だと勘違いしたらしい。とんだ合体事故である。
ギルエルフィネは眉をひそめた。
「どこをどう間違ったらそうなるんだ。皇妃殿下はエルフだぞ。なら子供はハーフエルフになるし、魔術師としての力量がその程度なわけないだろう」
彼女の言う通り、現皇妃は高い魔力と魔法技術を誇るエルフである。ギルエルフィネが正体隠しに使った魔法も、高い魔法技術の賜物だ。
モニカは確かに高い魔力を有しているが、それだけだ。魔法技術はそこまで高くないし、成績も学園で下から数えた方が早い。どう転んでもエルフの血を引く皇女と勘違いはできない。
ギルエルフィネが正体を明かしたことで、ほかの生徒達にも少なくない衝撃を与えていた。女子生徒の中にはショックのあまり倒れてしまい、近くの人に助けられる者までいた。一方男子生徒の中には密かにガッツポーズをする者などがおり、この後巻き起こる騒動を思い、エレノアは遠い目になった。
とりあえず、目の前のことを片付けねば話は進まない。
「⋯⋯これでお解かりですね。ギル様とわたくしでは、不貞になり得ないのです」
エレノアもギルエルフィネも性指向は異性だし、互いに友情は感じているが、それ以上ではない。不貞など、成立しないのである。
そもそも前述の通り王家の影に見守られている以上、不貞など真っ先に止められる行いなので、どう転んでも起こり得ないのだが。
「とはいえ、ここまで大勢の方達の前で宣言されたのです。婚約破棄は、しかとお受けしますわ」
「⋯⋯へ?」
ルキルは間抜けな声を上げた。それに対し、エレノアはにっこり微笑む。
「書類は今日中に王城にお届けしますわ。それと、慰謝料もきっちり請求いたしますので」
「な、何で!?」
「だって、皆様の前で晒し者にされたんですもの。いじめの件も改めて疑いを晴らした上で、かかった費用と精神的苦痛に対する慰謝料を請求させていただきますわ。勿論、殿下だけでなく、ほかの皆様にも」
「私も、潔白を証明するためにこんな形で正体を明かす羽目になったんだ。貴方達の実家にはしっかり苦情を入れさせてもらう」
これにはルキルだけでなく、取り巻き四人とモニカも悲鳴を上げた。
侯爵家とローディウム帝国を敵に回しては、貴族社会での居場所は無くなったに等しい。彼らの中には当主候補や王宮魔術師を目指す者もいたが、それも絶望的になるだろう。
「ゆ、許してくれ、エレノア! 俺とおまえの仲だろうっ」
「わたくしと、貴方の仲、ですか?」
「そうだ! ずっと婚約していたのに⋯⋯そ、そうだ、俺と婚約破棄したら、未来の王妃の座も消えるんだぞ」
「エレノア様ぁ! 嘘です、嘘なんですっ。エレノア様にいじめられてたって嘘をつきましたぁ。撤回しますから、許してくださいいぃぃ」
青ざめ、冷や汗と涙を流すルキルとモニカに、エレノアは満面の笑みを浮かべた。
「ありえませんわ」
その一言に、ふたりは膝から崩れ落ちた。
───
その後──
ルキル以下、茶会を台無しにした五人の男子生徒は、様々な調査と協議の末、学園を退学、魔力を封印され、廃嫡の上実家を追い出された。
問題となったのは、モニカがエレノアにいじめられているという偽証を行ったことだ。エレノアが遮ったことで登場の機会は無かったが、どうやら数々の証拠の捏造を行っていたらしい。
未遂で済んだとはいえ、偽証は罪になる。その上、ルキル達は六人の衣装を揃えるために本来自身の婚約者達に割り当てるための予算から金を引き出していた。これは立派な横領となる。これらが重なって、王家と各家は彼らを切り捨てた。
ルキルは更に断種され、五人そろって荒地の開拓に従事することになった。魔物が出る地ではないし、最低限の衣食住は保証されるため、死ぬことはないだろう。ただ給金などは肩代わりした慰謝料を返すために差し押さえられるため、贅沢な生活は望めない。
モニカもまた、男爵家を追い出された。彼女は上記に加えて王子をたぶらかしたことが問題となり、男性陣とは別の地でより厳しい開拓仕事にいそしむことになった。身の安全は保証されているものの、魔力を封印された上での重労働に、毎日文句と涙と悲鳴を垂れ流しながら日々を送っているようだ。
エレノアはまた王家から縁談を持ちかけられる前にと、侯爵とも話し合ってローディウムに嫁入りすることにした。嫁入り先はギルエルフィネ経由で帝国に話を持ちかけることでまとまったのだが──
「なぜ、釣書に第二皇子が描かれているのですか」
「陛下に手紙を送ったら、それが返ってきた。我が弟ながら、いい男だぞ」
「ありえませんわ! いえ、不満とかそういうことではなく」
「エレノア嬢が義妹になったら、私も嬉しいんだけどなあ」
のちに女帝になるギルエルフィネを夫と共に支えるエレノアの姿が見られるかは──もう少し先の未来で解るだろう。
初めましての人もそうでない人も、こんにちは、沙伊です。
婚約破棄ものを書こう+男性だと思ったら実は女性だったという展開が書きたいという思いがぶつかり合った結果できた代物です。楽しんでいただけたら幸いです。
本編で入れられなかった設定。
魔法学園:形態は大学に近い。学年というものはなく、基礎授業(礼儀作法や国語、数学みたいなのも含む)、各系統の魔法授業の単位を一定以上取ると卒業できる。入学に年齢制限はないため、十歳以下の生徒や、逆に二十代三十代以上の生徒もいたりするが、大抵は十四、五歳から二十歳前ぐらいの年齢層。
ちなみに
エレノア、モニカ→十六歳
ギルエルフィネ→十八歳
ルキル→十七歳
のイメージで書いてます。第二皇子は多分十四歳。
学園で教える魔法:現在体系立てられてる魔法のほとんどは網羅している。
ちなみに作中で出てきた
宝石魔法→宝石を媒介に使用する魔法。某運命の夜に出てくる宝石魔術とイメージは近い。
錬金術→金属や薬を作り出す技術。ただし金の製造は規制されている。
って感じです。
フィン王国:中規模の国。魔法が盛ん。
ローディウム帝国:大国。多種族国家。