四話
比志野江メグは一人廊下を歩いていた。が、その立ち振る舞いはただ通り過ぎるだけで目を奪わせるものがあった。少し制服を着崩し、肌の露出が多いのがまたいわゆるギャルっぽく、それに加えて本人の面倒見の良さが周りからの絶対的な人気があった。
あたりは部活動に励む生徒たちの声で満ちている。が、そんなもの耳にすら入らないとでも言うように彼女は昼の出来事を思い出していた。
(昼の子には申し訳ないことしちゃったな。それにしてもシノンもあそこまで言わなくていいのに)
思い出すのは昼間、学校裏で過激ないじめを受けていた少年。尾花という生徒が素行の悪い連中を引き連れ、ひたすら彼をリンチしていた。今までばれないようにうまく隠せていたというのも趣味が悪い。
ただでさえそれだけでも致命傷なのにとどめでも刺すようなシノンの言葉。あれでシノンに悪気がないというのがまたすごい。
シノンは自分一人でなんでもこなせるのだから彼のことが理解できなかったのだろう。だが、昼間の彼が悪い要素など一つもないし、悪いのは全部加害者だ。
(もし明日学校に来てないようだったら家に行って謝るべきだよね……)
そんなことを考えていると突然、携帯が振動する。手にするとすぐに校長の快活な声が響く。
『魔物の出現だ!対象はジャイアントレックス!君とシノンで万全の状態で臨んでくれたまえ!座標はそちらに送らせてもらう!』
ジャイアントレックスッ!恐竜型の魔物。一体で町のインフラを完全に壊滅させるとまで言わしめている存在。
自身とシノン二人でも相当苦戦することは間違いない。それぐらいの存在なのだ。
彼女はすぐさま戦闘準備をするべく『メイド部』の部室へと向かって行く。
その後、意外な出会いがあるとは彼女はまだ知りもしなかった。
―――
にぶい痛みが体に叩きつけられる。黄昏時の空が今はなぜかやたらと遠くに感じる。
体中がひたすら痛く、体中すすまみれ。自分が地面の上で横になっていることを理解するのに数秒を要した。
(気絶していた?たしかさっきはナグサと一緒にいて、ゴジラのみたいなバケモノに――)
ようやく事の次第を理解し、体を叩き起こす。激痛が走ったが焦燥感が勝り、体を動かす。
辺りを見回すとあたり一帯が半壊していた。地面には巨大な亀裂が走り、近くの廃ビルは巨大な風穴があいていた。
(そもそもなんで僕は生きてる?どう考えてもバケモノのブレスにやられて即死だったはずだ)
ぎりぎり避けれた?いや、僕の身体能力でそんなことできるわけがない)
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアァアアアアアアッ!」
すぐ近くで獣の咆哮が轟く。先ほどの魔物のモノだろう。名はジャイアントレックスとかだったか。だがそれだけでない。魔物の歩行により小刻みに地面が揺れ、そのたびに地面に倒れそうになる。
おそらく誰かしらと戦闘を行っているのだろう。そうでなければ先ほどの魔物がこれほど動く理由なんて存在しない。そしてあのバケモノとそんなことをできる存在なんて僕は一人しか知らない。
体に鞭打ち、轟音の発生音の元へと足を進める。そこにいたのは予想通り標的を仕留めきれずに苛立ったあの魔物と――
――必死に抵抗しているナグサだった。
が、その魂だけの存在にも関わらずその体はボロボロで軽くない傷が刻まれていた。あの魔物との戦闘で負った傷ももちろんあるのだろう。そもそも体格差が大きすぎる。だが一番の要因は――
――俺をかばったんだ。あの時。
僕が魔物のブレスにやられそうになった時、横から突き飛ばされた記憶がある。本来なら僕がいる位置にナグサが飛び出て、そのままブレスを喰らったのだ。
ナグサは懸命に魔物からの攻撃をよけ続けているが明らかにその動きは鈍い。ナグサは何らかの事情で魂だけの存在になって弱体化しているらしい。そんな死と生の狭間にいる不安定な存在があんな巨大な魔物と渡り合っていられるだけでも奇跡だ。
今すぐナグサを助けねばと思うもそんなことは無意味なことは肌身で感じていた。そもそも生身の人間が数十メートルもある巨大なバケモノに挑むなど羽虫が火事場に突っ込むようなものだ。
「なにをしてるっ!早く逃げろっ!!」
叱りつけるような声がこだます。見ると瓦礫から出てきたナグサが鬼のような形相をしてこちらを睨みつける。
あまりの気迫に気圧され、言われた通り後ろに下がる。だが、ナグサを置いていく罪悪感から足を止めてしまう。おそらくナグサは自分を犠牲にして……
「邪魔じゃと言ってるのがわからんのかっ!」
「――ッ!」
すぐさま踵を返し、今度こそその場から全力で逃げていった。
仕方ないことだ。このまま自分がここにいても何もできない。無駄死にするだけだ。
「そうじゃ。それでいい」
後ろから使命を達成し、安心しきったかのような声が耳に届く。それを契機に再び戦闘音が鳴り響く。
ある時は爆発音が轟き、ある時は地を踏みにじる。またある時は獣の怒号が発せられる。劣勢がどちらかなど言うまでもない。
ただ走った。膿のように逃げる言い訳を生みながら。
それからどれだけ時間が経っただろうか。あるいは瞬きの間だったかもしれない。気づけば辺りは不気味なほど静まっていた。
とっさに後ろを振り返ると遠くで血だらけのナグサが地に伏していた。それはナグサの抵抗が終わったということだ。
巨大な魔物は死にかけの獲物の息の根を仕留めるべくゆっくりと、けれど着実にナグサの元へと歩を進める。
ナグサは死ぬのだ。僕をかばったせいで。けど僕になにかできるわけでもない。
――ああ、僕はいつも役立たずだな。
そうだ。邪魔で足手まとい。寄生虫のようになにかにすがらなければ生きていけない弱者。
だから、ナグサを置いて僕は逃げても仕方ない――
「――仕方なくないだろ」
小鳥のように震える足を止める。本能は今すぐここから逃げろと言う。
ここで自分が手を出しただけでも何一つ変わらないかもしれない。
それでも。それでも…………。
「ここで逃げたら今度こそ、本当のクズだッ……!」
走り出しながら思い出すのは昼間の記憶。同級生に弄ばれ、あげくの果てには女の子に助けられ、助けてくれた女の子に何一つ言い返せず泣きながら逃げていく自分。
卑屈、貧弱、泣き虫。そんな自分が嫌いだ。
けど、もしここでナグサを見捨てれば、今度こそ、今度こそ僕は僕を信じられない!!
「なにをしとるっ!?」
ナグサの驚きの声も聴かず、そのままナグサを突き飛ばす。間一髪でジャイアントレックスの空気弾の射線上から逃れるも風圧で吹き飛ばされる。
なんとか死にはしなかったが、次はないだろう。今の攻撃の余波で僕の脚には細かながれきの破片が突き刺さっており、ナグサも瀕死だ。
「おぬし、なぜ戻ってきた?言ったはずじゃ、逃げろと」
「そ、その、考えがあったわけじゃないんだけど。その、ナグサだけ残して僕だけ逃げるのはその、違う(点々)かなって……」
こちらをえぐるような鋭い目つきが僕を襲うが、なんとか目を逸らさずにナグサに向き合う。するとナグサはあからさまにため息をつきこちらに向き直る。
「まったく、ヘンなところでガンコな奴じゃな。まあいい、せっかく戻ってきたんじゃ。だったらおぬしにも協力してもらおうかの」
「協力って」
「なに、簡単な話じゃ。おぬしの体にわしが憑依するだけじゃ。おぬしは魔物が見えるたしいし、うまくいけばメイドの力を手に入れられるかもな。まっ、失敗して死ぬ可能性も十分あるが」
「やる」
「……覚悟は固いということか。だったら手を出せ」
右手を前に出し、その上にナグサの小さな手が重なる。
「おぬし、名前は?」
「えっと、織田凛です」
「りん、いい名じゃな。先ほどはなぜ戻ってきたかと避難したが、おぬしがわしを助けに来たときはうれしかったぞ」
ナグサの手から白い光が生まれ、伝播するように僕の体を包み込んでいく。
「生きてまた会おうぞ、りん」
「うんっ……!」
僕の視界が白く染まるのと爆風がこちらに衝突するのは同時だった。