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猫に暁  作者: 七辻瑞歩
第参話
6/10

「さっきの話だけど」タタラはあおいにティッシュペーパーを手渡しながら口を開いた。

「三谷町さんは、あおいちゃんの分まで持つの、好きだったんじゃないかと思うよ。そうじゃなきゃ、長いこと一緒にいたりしない」

 あおいは遠慮なく鼻をかんで、最後にひとすすりした。そうかな、と呟いた声は、思いの外頭の中で反響した。

「でも、どうして言い切れるの? 私のせいじゃないとか、猫がその、オニオチだとか……」

「それは、あおいちゃんが〝(むすび)〟だからだね」

 再び出現した謎のワードに首を傾げながら、何ですかそれ、と問うと、千歳が慣れた調子で答える。

「鬼堕を視認でき、唯一確実に救うことが出来る、鬼堕と強い精神的繋がりを持った人間のことだ。俺達は結と呼んでる」

「わたし、鬼なんか見たことないのに……。結って何でわかるの?」

 千歳は彼女の様子をじいっと見つめた後で、最後の煙をふ、と吐いた。そして灰吹(はいぶき)に燃えさしを落としながら、やはり淡々と答えた。

「それは、お前に俺が視えているからだ」

 ゆっくり顔を上げた彼女の目は、皿の様に見開かれていた。二人の視線が重なる。

「俺は、鬼堕だ」

 ウソでしょ、そう言ったつもりが、僅かに空気を()んだだけだった。

 あおいには、この八鶏千歳という男が──少々奇抜な格好をしていることを除けば──至ってただの人に見えた。アニメや映画で描かれる幽霊のように透けてもいなければ、顔色も悪くない。〝目に見えない存在〟にしては輪郭がはっきりしているし、〝鬼〟というのに角がどこにも見当たらない。

「からかってます……?」疑いの眼差しを向けるがしかし、彼はまじめな顔で首を傾げた。

「俺が? 何のために」

 目の前の自称鬼堕の顔には、理解不能とハッキリ書いてあった。嘘はついていない。ように見える。が、果たして信じてよいものか。悩ましい。彼女は苦々しく思いながら眉間に力を込めた。

「もし、八鶏さんが本当に鬼堕で、わたしが結だとして、そうしたら、初瀬さんは? 初瀬さんだって八鶏さんのことが見えてるのに、それって変じゃないですか?」

「何が言いてえ」

「だからつまり、わたしに都合がよすぎるんじゃないかな、って」

 思って。言い切る前に口ごもったのは、千歳があまりにもあからさまに「めんどくせえな」という顔をしたからだった。むしろ、「めんどくせえな」と言っていた気さえする。そんなほどに。

「めんどくせえな。都合がよくて悪いことがあるのかよ」

「ないけど、すごく騙されてる感じがして……。わたしみたいなのを騙して何の得があるのかとかもわかんないけど」

「めんどくせえなあ」

 いよいよ貧乏揺すりも露骨になってきたところで、タタラが間に割って入った。「ごめんごめん、それはねえ……」と言いながら、千歳の顔を力任せに押し退ける。

「それは、俺がこれの結だから。──というか、俺達の方もある程度アタリ付けてからあおいちゃんに会ってるからさ、都合がいいのは当然といえば当然なんだよね」

 まったくその通り、と言わんばかりに、千歳は押し退けられたままウンウン頷いている。「第一コッチは行列のその日に悪鬼を探し始めてんだからな」

「アッキー……?」

悪鬼(あっき)ね。せんや三谷町さんと違って堕ちたくて堕ちてる、言葉の通り悪い鬼堕だよ。悪鬼は人を強制的に堕とすから、退治するのも仕事のうちなの」

「それで、その悪鬼ぃと、猫に、どんな関係が……」

 あおいは混乱のあまりショート寸前の頭をかき混ぜた。これはテストに出るんだっけ? 公式はどれを使うんだっけ? 北条誰だっけ? 見かねた千歳は、机の上で転がっていた鉛筆を右手で手繰ると、顧客管理用の台帳に何やら字を書き出した。

「一、百鬼行列に悪鬼が現れる。二、ネコが堕とされる。三、俺達が悪鬼捜索を始める。四、お前の情報が入ってくる。これが時系列。で、会ってみたら俺のことが視えるもんだから、ネコは行列に現れた悪鬼の手によって堕ちたんだなって話になってるわけ。わかったか」

「な、なるほど……?」

 ぶっきらぼうに差し出されたノートには、大振りな字が踊っていた(実際、彼の筆跡は『踊っていた』と表現するのが適切なほど崩れていて、常人には到底読み解けるものではなかった)。あおいはそれを受け取ると、羅列された項目を眺めながら自分の五十日間を想った。それから、想像の中にいる猫のことを。

「だいたいのことは、何となくわかりましたけど……。それで、じゃあ結って何をすれば?」

「仕事は単純。ネコが見つかったら、(ゆる)せ」

「ゆるすって、わたしたち別にケンカしてたわけじゃ……」

 千歳は再び、慣れた調子で答える。

「前提として、鬼堕と結の関係は宥恕(ゆうじょ)受諾(じゅだく)だ。鬼堕は結に罪を恕されることで解脱(げだつ)──つまり、人に戻ることができる。それ以外の方法は、基本的にはない。結が恕し、鬼堕が受け入れる。理屈どうこうじゃなく、そういう仕組みだ。ネコを人に戻すには、お前が恕すほかない」

「むずかしすぎる……」

 あおいは唇を噛みながらスマートフォンを叩き、「ユウジョってどれですか」と検索画面をタタラに見せた。指し示された言葉の意味は、読んでも何だかわかるような、またわからないような気がして、結局ひとつも助けにならなかった。

「俺のイメージとしてはさ、罪を恕すっていうか肯定って感じなんだよね。存在の肯定。『大丈夫だよ、戻っておいで』──みたいな」

「あ、それならわかりやすいかも」

「でしょ」

 得意げに笑いながら、タタラは千歳の顔をちらと見た。彼は視線の先で、苦虫を噛み潰したような渋い顔をしている。べ、と舌を出して見せると、顔中の皺という皺をみるみる中心に集めて、ついにはそっぽを向いた。

「結が恕すだけじゃなくて鬼堕がそれを受け入れきゃいけないってことは……、もしも受け入れられなかったらどうなっちゃうの?」あおいは念の為メモをとりながら、ふと浮かんだ疑問を口にした。「それってありえる?」

「大いにありえる。で、その場合はほら、あの人みたいになるってことだね」

 タタラは千歳を指差しながら答える。

「あれが、結の宥恕を拒否し続けて幾星霜(いくせいそう)の生きた化石」

「ええ? あ、そっか。そうだよねえ。八鶏さんが鬼堕で初瀬さんがその結ってことは……、戻ろうと思えばすぐ戻れるのに、どうして元に戻らないんですか?」

「どうでもいいだろうが、俺のことは」千歳は皺を集めたまま言った。

「もしかして、初瀬さんが恕さないから……とか?」

「恕した恕した」

「ですよねえ、さすがに」

「さすがにね」

「おい、話を戻せ」

 いい加減になって千歳が声を荒げると、タタラは「はいはい、悪かったって」と適当に返事した。「で──、何だっけ」

「ええっと、猫が見つかったら何をすればいいかはわかったから……、それまでは?」

「待機」千歳が即答する。「見つかったらタタラが連絡入れるから、しばらくじっとしてろ」

「それだけ?」

「それだけだ」

 なんだか大雑把(おおざっぱ)な作戦だなあ。あおいは不安に思いながらも、とりあえず頷いた。スマートフォンのメモ帳には、「はつせさんからの連絡をまつ」とだけ記しておく。

 あおいの胸中は、どうにもそわそわし出していた。冷静でいようと努めても、あと三日で再会できるのだという期待感が隠せない。会ったらまず何て言おう。とにかく謝らなくちゃ。頭の片隅では、そういう妄想が勝手に膨らんでいる。

「まあ、お前は連絡を待ちながら、何事もなくフツーに事が済むよう祈っとけ」

 一瞬、彼女に視線をやってから、千歳は再び煙管に火を点けた。煙を吐く度、店内の匂いが濃くなる。

「……わかった」

 あおいはスマートフォンをポケットに仕舞い込むと、背筋を伸ばして肺の空気を入れ替えた。脳へと向かうヘモグロビンに「しっかりせよ」と逐一(ちくいち)言い聞かせる。それから鼻をぎゅっとつまんで、口の中でくさ、と呟いた。


          □


「──やっぱり、いいように利用されてるだけですよね。私達。彼に」

「そうかい?」

「そうですよ。甘やかしすぎだと思います」

 夜半(よわ)、人気の消えた千聚堂に二つの声が響いていた。一方は(しわが)れた老爺のもの。もう一方は、弦楽器の音色のようにハリのある若い女性のものだった。

 物音ひとつしない静寂の中、彼らの声だけが空気にさざ波を立てる。

「ほいほい引き受けないで、たまには追い返せばいいのに。あの朴念仁(ぼくねんじん)、当然引き受けてくれるもんだと思って、高括(たかくく)ってるんですよ。ほんと、むかつくったらないわ」

「まあまあ、そう言いなさんな。瑞希(みずき)だってそのうち、向こうの手を借りる時があるかもしれねえだろう? 持ちつ持たれつってやつさ」

「持ちすぎなんですよ」

 瑞希と呼ばれた女性は、声音を尖らせてぷつぷつ文句を垂れた。どうしてこう甘いんですか、と言うと、老爺──山鵲はくつくつ喉を鳴らして笑いながら、

「この狭い社会、支え合いながらやっていこうってことだな」

「またそれ。そろそろお説法の種類、増やしたらどうですか」

 二人が会話を区切ると、堂内は再び眠ったように静まり返った。時折、境内(けいだい)の木々が弱い風に(なび)いたのがわかるくらいで、あとは(ほこり)が床に触れる音すら騒々(そうぞう)しく思われるほどだった。

 ややあって、山鵲が咳払いをひとつした。

「まあ、うまいことやってくれ」

 彼の信頼したような物言いに、瑞希はわざと大袈裟に息を吐く。それから一拍間を置いて、一際強い声音で念を押した。

「いいですか。山鵲さんが言うから手伝うんですよ、私は」

「ちゃあんと、わかってるよ」

「ずっと、わかっててくださいね」

「わかってるとも」

 彼が言葉を終えると同時に、正面の木造扉がギイと鳴いた。ちょうど人が一人通れるだけ空いた隙間から、月光が差し込む。千聚堂には誰の姿もない。千体の観音像だけが、彼らの会話を聞いていた。

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