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猫に暁  作者: 七辻瑞歩
第参話
5/10

浮かぶ瀬

 しばらくして、玄関の引き戸が乱暴に(ひら)いたかと思うと千歳(ちとせ)(しか)め面をして帰った。床の板目を踏みつけながら中程(なかほど)まで来て、開口一番「随分良い身分だな、お前ら」

「山鵲さんの所に行ったんだろ? 好きで行ったのに八つ当たりしないでくれる?」

「誰が好きで行くか」

 千歳は二人を小上がりから払うと、鼻で大息(おおいき)を吐きながら定位置にどっかりと掛けた。そのまま流れるように煙管を手に取って、葉を詰めてから火を点ける。そして、ぷう、とうまそうにひと吸いした後で、気怠そうに話し始めた。

「猫の捜索をあいつに任せてきた」

「……サンジャクさんって?」

「千聚堂の爺さんだ。この辺りはあいつ等の管轄(かんかつ)だから、任せた方が早い」

 昼間の情景を思い出す前に、千歳はやや早口で答えた。あおいは更に謎が深まったぞと言わんばかりに首を傾げているが、構いはしない。それどころか、いよいよ質問しようと手が上がりかかったのを見て「深くは聞くな。俺はあいつのことが嫌いなんだ」と耳を塞ぐ始末だった。

「それで、どれくらいで見つかりそうなの?」腕を組みながらタタラが問う。

「あいつらのことだ。かかっても一週間、早くて三日ってとこだろうな」

「三日……!」

 あおいは目も口もいっぱいに開けたまま、信じられないとばかりに呟いた。そんなに早く見つかるのなら、わたしの五十日間って何だったの? ばかみたい。言いたいことはいろいろあるが、結局ひとつも言葉にはならなかった。悔しい。けど再会が目前(もくぜん)に迫ったことは喜ばしい。彼女は頭をかき混ぜて短く唸った。

「三日、かあ……」

「とはいえ、コッチとしちゃ見つかってからが本番だけどな。言っただろ、俺達はネコを見つけたその先に用があるって」

 昨日の言葉を思い出す。確かに、そんなことを言っていたかもしれない。あおいは記憶の糸を懸命に手繰(たぐ)った。

「〝見つけたその先〟って、やっぱり猫がいなくなったのは(さら)われたからってこと、ですか?」

「まあ、そんな感じだな」

「お二人はその犯人を捕まえたいってこと?」

「そういうことだな」

 タタラは、淡々と答える千歳の肩を肘で小突いた。「適当に返事するな」とじっとり睨むと、彼はバツが悪そうに頭を掻いてから、咳払いをひとつした。

「初めに言っておく。これから俺達の目標となるのは三谷町猫という()()()()()()

「どういうこと?」

「三谷町猫という──〝鬼堕(おにおち)〟だ」

 聞き慣れない言葉に、あおいは眉根(まゆね)を寄せる。

「鬼に()ちると書いて鬼堕。負の感情に支配された人間の末路(まつろ)だ。堕ちたら最後、誰にも視認(しにん)されず、助けも無いまま、孤独と苦痛に(さいな)まれながら彷徨(さまよ)い続けることになる」

 それはもう、永遠に。言い切るなり、鬼ノ目堂は静まり返った。想定外の展開に取り残されたあおいの脳味噌は、どう返事をしたものか考える隙間(すきま)も無く停止している。一体何の話をしているのか。彼女には理解できようもなかった。

「ええっとお……、好きな漫画の話でしたっけ」ようやく絞り出したのは、冗談(じょうだん)であってくれという願望の(かたまり)だった。

「まあ、そうなるよね。普通は」

「無理矢理にでも理解してもらわなきゃ困る。ここが全ての肝なんだ。例えばネコは何故、今日までお前の捜索網(そうさくもう)に一切引っかからなかったのか。何故目撃情報の一つも得ることが出来なかったのか。時間は十二分にもあったはずだ。なのに何故か。わかるか?」

「それは、わたしの努力が、足りなかったから……」

 あおいは口をもごもごさせた。舌がひどく(かわ)いている。ようやく(しぼ)り出た言葉は、だんだん尻すぼみになって、やがて心音にかき消えた。

 しばらく、沈黙があった。彼女は目の前の大男から「いかにもその通りだ」と糾弾(きゅうだん)されることを恐れて、視線を下げたまま無駄に瞬きした。ところが、彼は彼女の答えをピシャリと否定した。「それは違う」

「お前が見つけられなかったのは、ネコが堕ちていたからだ」

 弾かれるように顔を上げると、鋭い眼差しと再び目が合った。

「鬼堕は人が視認(しにん)できない存在──というより、存在感が限り無くゼロに近いって言ったほうがいいかな。普段の生活でも、意識の外にある物は視界に入ってても気づかなかったりするじゃない? それと同じ。(なに)かのきっかけで堕ちた人間は、普通、すれ違ったって隣にいたってわからない。いくら探したって見つからない。当然目撃情報もない。だから、決してあおいちゃんの努力が足りなかったとか、探し方が悪かったとか、そういうことじゃないんだよ」

 あおいは(ほほ)の肉を噛んで、鼻の奥がつんとするのを(こら)えた。わたあめのようなタタラの声が、彼女の心のやわい所を撫でる。

「……やめてください」

「断言する。これはお前のせいじゃない。お前が関与できないところで起こったことだ」

「やめて」拒絶するように声を荒げると、その弾みで、彼女の中の何かがぷちん、と切れた。そういう音がした。

「わたしなんかきっと、猫に迷惑をかけすぎたから嫌われちゃったんです。猫は(さら)われたわけでも、鬼になっちゃったわけでもなくて、ただ私のことが嫌になって、それでいなくなっちゃっただけなんです。あの時、わたしが猫の言うことを聞かなかったから。振り返りもしなかったから。隣りにいるのが当たり前だと思って、大事にしなかった。……だから猫は怒って、どこかへ行っちゃったの」

 次第に、視界がじわりと(にじ)み始めた。これまで堪えてきたものがついに決壊したような具合で、もうどうにも堰き止められそうになかった。(ゆが)んだ輪郭が手の(こう)で弾ける。彼女はそれを、ただ眺めた。

「……人が堕ちる原因は、二つある」小刻みに震える肩を見つめながら、千歳は独り言のようにぼそりと呟いた。

「一つは心を()くすこと。もう一つは、鬼堕に堕とされること」

 彼は静かに続ける。

「思考は海のようだと、山鵲がよく言っていた。俺も、それはその通りだと思う。良くも悪くも身を任せればどこまでも果てなく流れていって、ふと気付くと(ひと)(おき)の上に浮かんでいる。そのまま岸に上がる努力をしなければ、いずれ沈んで、あとは落ちるだけ。〝心を失くす〟というのは、そうやって、自分のものでもなければ真実でもない感情に(おぼ)れることだ。今のお前のように」

 防災無線が遠くで鳴っている。この時期、かすみ町では平日の十六時に『愛の鐘』が流れる。町の子供たちにとっては、これが帰路に着く合図である。あおいや猫も例に漏れない。彼女はそんな耳慣れた音楽を聴きながら子供のように泣き、千歳とタタラは黙って彼女が落ち着くのを待った。


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