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猫に暁  作者: 七辻瑞歩
第弍話
2/10

鬼ノ目堂

 旧霞商店街きゅうかすみしょうてんがいは、霞ヶ丘高校(かすみがおかこうこう)から北に二キロメートルほど離れた場所に位置する。

 現在では見る影もないが、その昔、かすみ町の中心地といえば千聚堂(せんじゅうどう)を擁する丘の北側を指した。当時、頂には千聚庵(せんじゅうあん)という大層立派な宿屋が門を構え、そこへ向かう街道(かいどう)に沿って商人が店を並べたのが霞商店街の始まりである。茶屋、八百屋、万屋に呉服屋。商店街はいつも人で(にぎ)わい、訪れる観光客は金を落とし、町を豊かにした。しかし、町の観光地化に本腰を入れようと都市開発を進めた結果、中心地は丘の東側エリアに移り、商店街はあっという間に衰退(すいたい)したのである。


 ()霞商店街と呼ばれて久しい街道の東西南北には、全高八メートルはあろうかという大きな門が建っていた。その昔には商店街のシンボルとして人々に親しまれた朱色も今やすっかり日に焼けて、塗装はところどころ剥げている。街道はといえば、雑草に()まれた廃屋(はいおく)が並ぶばかりで、人の気配など一つもない。ゴーストタウンと化したかつての中心地は、まさに盛者必衰(じょうしゃひっすい)(ことわり)を表すようであった。

 あおいは門の(たもと)(かが)み込んで、スマートフォンとメモ紙とを何度も見比べた。時刻は十八時をとうに過ぎていた。ゴーストタウンに街灯などいくつもない。十二月の寒さと暗闇に、あおいは身震いした。はあ、と息を吐くと、そのたび視界には(もや)がかかる。

 ──やっぱり、イタズラだったかなあ。あおいは敦子(あつこ)()てたメッセージを途中まで打って、やめた。数時間前までの高揚感(こうようかん)はとうに冷めていた。とはいえ、不思議と帰ろうという気分にもなれない。

 はじめから、この胡散臭(うさんくさ)いメモ紙を信じ切っていたわけではないのだ。ただ、応じることで事態が少しでも好転(こうてん)すればいいと、そう思っていただけだった。だから、とくべつ落胆(らくたん)もない。

 そもそもの話、五十日前からここまでただの一歩も進んでいないのだから、今さら待ちぼうけたからといって、損をすることなど何もないではないか。待てるだけ、待ってみよう。彼女はそんなふうに自分を納得させると、冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んで気合を入れ直した。


「ああ、よかった! まだ居た!」

 夜のゴーストタウンに不相応(ふそうおう)な明るい声が聞こえたのは、それから十五分ほど過ぎた頃だった。どうにか(だん)を取ろうと真剣になっていたあおいは、突然鼓膜(こまく)を叩かれたことに心底驚いた。胸の真ん中で太鼓の音が響いている。

 一体何事か。警戒しながら顔を上げると、そこには大学生風の青年が息を切らして立っていた。

「凛藤あおいさん、だよね?」

「そうですけど……」

 あなたは? 彼女が尋ねるより先に、青年は身体中の酸素を吐き出しながらへなへなとその場にしゃがみ込んだ。亜麻色(あまいろ)の髪が冷たい風に(なび)く。額には汗が(にじ)んでいた。

「あのお、もしかして、()()()()()さん……ですか?」

 青年の様子を見て、あおいはピンときた。

「き……?」

「十七時に、ここで待ち合わせの」

 あおいはメモ紙を広げて(宛先は間違えてたし、大遅刻ですけどね、と内心悪態(あくたい)をつきながら)見せた。すると、少し間を置いて、青年が吹き出すように笑い出した。「違う違う!」

()()()()()()! 鬼ノ目堂(おにのめどう)って読むんだよ、それ。で、鬼ノ目堂は俺のバイト先の名前」

「〝おに〟……」

「俺は初瀬(はつせ)。初瀬タタラ」

「はつせ、さん……」

 彼女は差し出された手をおずおずと握った。〝しょせ〟じゃないのかあ、とは、言わずに飲み込む。どんな仙人じみた老人が現れるのかしら、なんて想像していたのが(いた)滑稽(こっけい)である。

「寒い中、だいぶ待たせちゃってごめんね。教授の話が長引いちゃって」タタラは彼女の様子など気にも留めずに続けた。

「いいえ、全然。待ってたのはわたしの勝手だし……」

「ここは寒いから、さっそく移動しようか」

「あ、これからどこかに行くんですか?」

「そ。〝きのめどう〟にね」ニヤリ。いたずらっぽく()(えが)いた目が彼女の顔を覗き込む。「商店街の中だから、そんなに歩かないよ」

 じゃ、行きますか。そう言うと、彼は南門を(くぐ)って、人気(ひとけ)のないゴーストタウンに躊躇(ちゅうちょ)なく足を踏み入れた。

 ──商店街の中にお店って。タタラの背中に目を向けながら、あおいは少し思案した。旧霞商店街の中を歩くのは、彼女にとって初めてのことではあった。しかし、かすみ町で生まれ育った人間ならば、こんなところに廃屋以外の建物がないことくらい誰でも知っている。もし、本当にバイトを(やと)うほど繁盛(はんじょう)している店が存在するならば、既にそこら中で(うわさ)になっているはずだ。怪しい、かもしれない。

 とはいえ、性善説を唱えながら人事を尽くすより他に、できることなど何もない。まあ、悪い人には見えないし。コケツニイラズンバ(なん)とやらである。あおいは警戒しながらも、先ゆくタタラの後を追うことにした。

「凛藤さんは今……えっと、一年生か」

「あ、はい。高校一年です」

霞ヶ丘高校(かすこう)ね」

「はい」

「そっかあ」

 道中は、他愛(たあい)のない会話が二人の間を行き来した。

 初瀬タタラはかなり社交的な性格らしい。あおいは警戒と持ち前の人見知りでエラーを繰り返したが、彼のアシストのおかげで会話が途切れることはなかった。

「懐かしいなあ。実は俺、卒業生なんだよね」

「へえ。初瀬さんは大学生、ですか?」

「うん、大学二年。電車で通ってるから、駅降りてすぐ死ぬほど走ってさあ」

「ええ、遠くないですか?」

「遠い遠い。おかげで冬なのに汗だくんなっちゃった」

 ──やっぱり大丈夫かも。

 屈託(くったく)なく笑うタタラの顔を見ながら、彼女はそう思った。

 旧霞商店街は、噂に(たが)わぬ閑散(かんさん)具合だった。廃墟(はいきょ)同然の景観(けいかん)にまばらな街灯が、ベタなお化け屋敷のような雰囲気を演出している。大丈夫かも、とは思いつつ、営業中の店が存在するなんてますます信じ(がた)かった。

「……ところで、鬼ノ目堂って、何のお店なんですか?」

 (なご)やかな空気のおかげで、あおいはどうにか不安の一端(いったん)を切り出した。タタラは、「痛いところを突かれちまったなあ」と言うように眉間(みけん)にしわを寄せながらうーんと唸る。そうしてしばらく経ってから、もごもご答え始めた。

「説明しづらいんだけど……。そうだなあ、()いて言うなら、何でも屋かなあ」

「なんでも屋……?」

「まあその、心構えとしては、できることは何でも屋……みたいな」

「はあ……」

 怪しさは増すばかりである。

 そんな町中でも流行るかどうかわからない業種をゴーストタウンで? 彼女の眼差(まなざ)しは疑念(ぎねん)をたっぷり含んだ。

「やっぱり怪しいよねえ」

「あ、いえ……。そういうわけでは……」

 あおいは慌てて取り(つくろ)う。しかしタタラは気に留める様子もなく、笑って流した。「大丈夫大丈夫」

「めちゃくちゃ怪しくて全然信じられないと思うけど、協力はできるはずだから」


             □


 辿(たど)り着いたのは、ご多分に()れず(さび)れた木造家屋だった。欄間(らんま)に掛かった一枚板の看板には、達者な字で『鬼ノ目堂』と書かれている。今にも落下しそうなほど左に傾いている点を見ぬふりすれば、なるほど彼は出会い系の詐欺師というわけではなかったらしい。ようやく一安心。──とはいえ、やはりアルバイトを雇う余裕のある店には到底見えない。彼女はふと、脇に視線を移す。陳列窓にはブサイクな鶏の置物が転がっている。首に掛かった「いらっしゃいませ」の札は、辛うじて読めなくもない、という所まで風化していた。店と言うには想像以上に廃屋(ぜん)としている。ただ、他と違って入口の頭上に息も絶え絶えな電球がひとつ浮かんでいるので、(かろ)うじてここがそうでないということだけ、わかった。

「先に謝っておきたいんだけど」タタラは引き戸に手をかけながら言った。

「たぶん、中も大して暖かくないと思う。一応ストーブを点けておくよう頼んだけど……、アテにならなくて」

 果たして、店内もまったくの極寒(ごっかん)であった。ちらと中を(のぞ)くと、これも外と地続きの暗闇が広がるばかりで(へや)の様子は少しもわからなかった。期待を裏切らないなあ。タタラはぼやきながら敷居を(また)ぐ。

「俺、店長呼んでくるから。凛藤さんは入って適当にしてて」

「あ、はい」

 彼は慣れた足取りで奥へ行ってしまった。

 一人ぽつんと残されたあおいは、どうしたものかしばらく考えた。大人しく中で待つべきか、外で待つべきか。そして結局、身を切る風の冷たさに耐えかねて意を決した。背に腹は代えられない。たとえ寒さは同じでも、この風がないだけましというものである。

「おじゃましまーす……」

 タタラの足跡(あしあと)を辿るように、無限の暗闇へ恐る恐る足を踏み入れる。すると、ふわり。(こう)のような渋い(かお)りが鼻腔(びこう)の奥をくすぐった。未だ()いだことのない独特な香りだった。思わず眉間にしわが寄る。一方で、遠くからは相変わらずタタラのおーいという声が聞こえていた。彼は全く意に介していないらしい。正気か。あおいは呼吸を止めながら、見えもしない亜麻色をじっとり(にら)んだ。

 そうしてようやっと鼻腔をせき止めて呼吸することに成功したとき、突然、彼女の脚になにやら(ぬく)いふあふあが触れた──と思うと、すぐに離れた。そして暫くすると、また触れた。

 視界不良の中、得体の知れない感触。あおいは声にならない悲鳴を上げながら、パニックに(おちい)らないよう懸命に努めた。

「もお、(なん)なの一体……」

 お化け屋敷じゃないんだから! 彼女は今すぐにでも逃げ出したいのを(こら)えて、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。そしてすかさず、謎の毛玉Xをライトで照らす。さながら指名手配犯の逮捕である。神妙(しんみょう)にお縄につけい。見ると、そこにいたのは二羽の立派な(にわとり)であった。

「なあんだ、びっくりした。かわいいやつめ、(おど)かすんじゃないよ」

 二羽は、ずいぶん人に慣れているようだった。突然スポットライトが当たっても(どう)じる気配はなく、あおいが()でくり回しても逃げようとしない。大物の(うつわ)だな、と彼女は思った。そしてその大物は、冷えた体を温めるのにたいへんよかった。

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