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どうしても憎いあなたへ  作者: 佐藤つかさ
第二章
73/104

3-17

今回の話には、やや性的な表現が含まれています

苦手な方には地雷となる可能性があるためご注意ください

 闘技場は思いの外頑丈にできている。

 それは三万人もの観客を収容するという目的が主であるが、いざという時の避難所にするという目的も兼ねている。ブランネージュ城も頑丈ではあるが、民間人を収める器ではない。

 分厚い石壁にの花崗岩の列柱。地震にも耐えうる構造となっており人々を守る城となる。


 そんなわけで備蓄も多く入れられる設計となっていた。質より量を重視していて、仮に三万人が閉じ込められたとしても優に一週間は生活できるだけの食料が常に保管されているのだ。

 ゆえに広い。

 それなりに空白を切り詰めた無駄のない配列を取られているが、それでも量が多い。

 理不尽だとイオリ・ミヤモトは思う。

 どうして塩を取りに来ただけで迷子にならなければならないのか。 

 倉庫なので照明は最小限に絞られているし、道も似たり寄ったりで目印がない。試合前に――というか普通に出られるのか純粋に自信がない。

 それにもう一つ思い悩んでもいた。

 

 

 ――私、負けないから。

 

 

 ミナーヴァに啖呵たんかを切ってしまったこと。

 今更になって後悔していたのだ。

 

 怒っていたらどうしよう。

 気まずくって手を振られた時も無視してしまった。

 もしどこかで面と向かってミナーヴァにあおられたり罵倒されたりしたらたぶん――泣く。

 だって普通に怖いしあの人。

 絶対影で人を二、三人殺してるに決まってる。

 それから「どーせ死んでもいいやつだし」とか開き直って忘れるんだわたし知ってる。

  

 そのタイミングで背後から足音がしたので、イオリは一瞬血の気が引いた。

 振り返ると普通に人影だったので安心した。

 だけど相手がミナーヴァだと分かったので安心が消えた。

 

 思わずイオリは近くの木箱の影に隠れてしまう。

 隠れる必要はなかったのだけど、気が付いた時には体が動いていたのだ。


 ミナーヴァはあたりを見回して、何かを探しているようだった。

 もしくは――“誰か”?

 全く関係ないがこのときイオリは、オオカミに食われる子ヤギの話を思い出していたし、特に意味はないが今無性に子ヤギに感情移入しつつあった。

 

  

「おねえさん」



 中性的で幼い声。

 ミナーヴァの声ではない。彼女の声はアルトだ。

 もちろんイオリの声でもない。割と中性的だがもっと高くて女の子寄りだ。なお、この分析はイオリの主観とする。

 

 ミナーヴァが振り返った先で影が揺らめく。 

 フリルのついたドレスシャツ。

 華美な装飾。確かヴァンパイアの衣装だっただろうか。

 しかし頭から生えた羊のような角は、ヴァンパイアではなく竜族の証。

 アクチェ・ヴァルカその人だった。


 ミナーヴァはいぶかしげな顔をする。それはそうだろう。偶然の出会いにしてはあまりにもこの場所は殺風景だ。

「どうかしたの? 迷ったんなら送ろっか?」

 煽りでもなく本気で言っているあたり、身の回りの人に対しての甘さがうかがえる。

 多分息子とかできたら溺愛するんだろうなとイオリは思った。もしも岩が落ちてきたら、息子は避けさせない。岩のほうこそ避けるべきだとか言い放つくらいに。

 

「僕はコンパスを見て進むタイプだよ。ここが宝島だ」

「……あたしの顔に赤いバッテンでもついてる?」

「もっと価値のあるものさ」

 幼さの残る顔で少年は微笑んだ。しかしその目は輝きとは無縁な――光が腐ったような色をしている。


 彼は確かクレイア・イーズナルの店に資金を出していると聞いていた。それもかなりの――下手をすればもう一軒店を構えられるくらいの――額を。

 だから彼女は彼に逆らえないでいる。

 権力をかさ・・に着てお高くとまっている、ミナーヴァがきっと最も嫌いとする人物だろう。

 少なくともイオリはそう思っていた。

 大間違いだと気づくその瞬間まで。

 

「……悪いけど相談事なら聞けないよ? ミナーヴァ商店は本日休業でーす」

 ミナーヴァの砕けた物言いが響く。どうやら知り合いらしい。

 ドスの利いた声ではないあたり、意外と仲のいい相手のようだ。

「つれないなぁ。おねえさんは二十四時間営業でしょ?」

「今は休暇とってるからパス」

 天井に吸い込まれていく言葉の応酬。

 

 

「考え直す気は無いかな? イオリ・ミヤモトのこと」



 ふいに名前を出されてイオリは凍り付いた。

 変化があったのはミナーヴァも同様だった。

「そりゃ、ルール違反やらかしたのは承知してるけどさぁ。別にアクチェにゃカンケーないじゃん」

  

 ミナーヴァの態度から退屈が消え失せる。

 それから軽口も。


「……それにね、横紙破りはサキュバスの性分ショーブンなの」

 ミナーヴァの言葉に、アクチェは笑みで返す。

白花シラハナの和紙はき目が縦に通っていて横には破りにくい。それでも自分のしたいことを無理に押し通そうと横に破る行為から、我を押し通すことを“横紙破り”というようになった。死に向かっていた運命を何代にも渡って蹴散らしたサキュバスに相応しいことわざだね」

「……ワガママ種族なもんでね」

 ポケットに手を突っ込んだまま、ミナーヴァは力なくため息をつく。


「悪いけど、どうしても欲しくなってね」

「景品の宝石が? あれそんな価値あるの? ダンジョンの拾いものだし、うちの下駄箱のほったらかしにしてたじゃん」

 それも半年、と付け加える。

 すでにアクチェはミナーヴァのすぐ近くまで近づいていた。

 

「欲しいのは、モノじゃないよ」

  

 そう呟くと、アクチェはゆっくりと手を伸ばす。

 つま先をつんと立てて、

 それから少しだけ背伸びをして、

 それでようやく彼女の息が届く距離まで近づけて――

 

 

 この日。

 この瞬間。

 イオリ・ミヤモトの心臓は大きく高鳴ることとなる。

 

 

 アクチェがキスをしたのだ。

 ミナーヴァ・キスの唇に。

 

 

 

 この時のイオリは、自分がどんな顔をしていたのか覚えていない。

 知人のキスほど破壊力のあるものはない。

 何たって“生”である。

 

 かすかにミナーヴァの体が跳ねたのがわかった。

 明らかに驚いていたけれど、だけど抵抗するわけでもなく彼を受け入れる。イオリのほうが驚くくらいにあっさりと。

 唇が割れて、性的なくらい真っ赤な舌がミナーヴァの中に割って入る。

 それでもやはり彼女は抵抗しなかったし、ポケットに手を入れたまますべてをゆだねている。

 彼の腕が絡みついても、密着して胸がつぶれても。彼の体温がしみ込んできても。


 何の、

 抵抗も、

 しなかった。


 押し込んだアクチェの舌が彼女の口の中で優しい生き物になる。

 吸い合う音が妙に生々しく室内に響き渡っていて、ひどく気まずい。

 意外なことにアクチェのキスは実に手慣れたものだった。

 それもお休みのキスじゃない。もっとこう、大人がする本格的なやつ。


「…………」

 なんかこう……ものすごく気まずいとイオリは思った。

 まさか二人が恋人同士だったなんて思いもしなかった。だって相性悪そうだし。

 

 アクチェとミナーヴァの視線が絡み合う。

 それはほんの一瞬のようにも、数分間にも感じられた。

 離れた舌と舌にほんの一瞬だけ糸が伝う。か細い光に照らされて一瞬しか見えなかったのに、どういうわけか妙に生々しくイオリの脳裏に焼き付いてしまった。


 それからしばらくして、ミナーヴァの口から重いため息が漏れる。

 彼女は言ったのだ。

「何? マジで何?」

 心底困惑しとるわと言わんばかりの口ぶりでミナーヴァは抗議した。当然と言えば当然である。 


 しかしアクチェはどこ吹く風よと涼しげな態度だった。

「なぁに。お姉さんに自覚してもらおうと思ってさ」

 

 そうしてアクチェは再び手を伸ばす。 

 だけどさっきとは違う。

 伸ばす先は恋人の頬ではなく、襟元だった。

 そして今度は優しくない。


 上着のボタンがむしられて、肌があらわになる。

 その白い首元が、独特のカーブを描く鎖骨が、そして柔らかい乳房の丸いラインが。

 ミナーヴァの胸元――正確には、右の乳房の“刻印”が。


「……あの、風邪ひくんですケド……」

 ミナーヴァは気まずそうに眉尻を下げていた。



「魔法使いは呪われる」



 竜の言葉が闇に響く。

「この世に存在する精霊と契約を交わすことで、人は魔法を使うことができる。条件としてあるペナルティを課される。ある人は泳げなくなる。ある人は目が見えなくなる。そしておねえさんは――細かい説明を省くと、死ぬ」

 

 死ぬ。

 確かに彼はそう言った。

 ミナーヴァが呪われてる? そんなのイオリは初めて知った。

 そもそもそんなものを抱えてる素振りが全くなかった。

 

 アクチェの手がミナーヴァの胸に触れる。

 刻まれた呪いの刻印が、彼の指の力でふわりとその輪郭を歪ませた。

 公共の界隈で本格的に乳を揉まれている身のミナーヴァは、なんとも気まずそうな顔をしていた。

「なーんか、フツーに恥ずかしくてヤなんだけど……」

 あと、意外と冷え性だねと彼の手の感触に意見を述べる。

 今も彼の手はミナーヴァの胸の柔らかさを検分している。


「おねえさん」

 にっこりと彼が微笑む。

 まるで天使のように。あるいは――悪い果実に誘う蛇のように。

「おねえさんの命を救えるのは僕だけだ。僕がおねえさんに口づけるそのたびに、おねえさんの命をこの世につないでいるんだ。それに戸籍も僕が買った。おねえさんは一度・・死んでいる・・・・・からね・・・。立場を分からせるなら、おねえさんは・・・・・・僕の・・所有物だ・・・・


 思わずイオリはぞっとした。

 もはや恋人とは言えない。これじゃ奴隷だ。

 それに命を握られているというのなら――逆らえるわけがない。

 

 イオリは再び二人に目を合わせる。

 向かい合っている主人と奴隷を。

 アクチェは彼女にすり寄り、笑みを浮かべている。彼女が逆らえないことを分かっているから。


 ――そしてイオリにも分かったことがあった。

 

「イオリ・ミヤモトを失格にし、」

「嫌です」


 ミナーヴァは決してブレないということを。


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