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やばいことになった。
「ああああああああああああ」
ドップラー効果で声が後ずさっていく。
坂道を滑走しているロッカーは今横倒しになっていて、まさに棺桶のようになっている。もしくは滑るバスタブ。
ボブスレーという競技は特殊な形のソリで氷を滑る。その速度たるや時速百四十はくだらない。
そうなるとソリというよりもはや弾丸だ。
だがその棺桶に入っているのは、しばらくお亡くなりになる予定のない若い二人。
ユータスとイオリはなすすべもなく棺桶に腰を下ろしていて、上半身をにょっきり出したまま空気抵抗と戦っている。
その棺桶は一直線に坂道を滑っていた。
「イオリ、正直に言っていいか?」
「何よ?」
強張った口調でユータスが呟く。
「めちゃくちゃ揺れて尻が痛い」
「私も。すっごい痛い」
ある時は屋台をすれ違い、
すれ違った後には客が受け取るはずだった焼きそばが消えていたし、
ある時はパフォーマーの吹いた火の間を通り抜け、
イオリとユータスの髪がアフロに化けていたし、
待ち合わせに遅れたカップルが揉めていて、
オレ悪くないと言い張る彼氏に、イオリがすれ違いざまにラリアットをかまして成敗したりもした。
終いには急な坂にさしかかって、さらに加速した時には死を覚悟した。
闘技場内部にも関わらず馬車が走っていて、その馬車を超える速さで追い越していた。一瞬、馬車の中にいる人と目が合った。片目だけだったけど。
そうこうしてるうちに平地にさしかかって、勢いが削がれていってようやく、このクルーズは終焉を迎えた。
イオリは棺桶から立ち上がる。
「早く逃げよう」
「ほふはは」
焼きそばを頬張っているユータスも同意する。
何食べとんじゃい。
イオリはふらつく体を抑えて近くの壁に手をついた。まだ腰から下が痛いのだ。
しかし運命はどこまでも意地が悪かった。
手をついた壁に影がさす。
イオリたちを追いかけてきた男たちのものだった。
驚くべきことに、ここまで先回りしてきたらしい。
ユータスがそんな彼らをジト目で見つめる。
「……走ってきたのか?」
明らかに呆れが混じっている。
「このガキどももう逃さないからな」
男がイオリたちに手を伸ばす。
おそらくは頭の中でいろんなことが駆け巡っていたかもしれない。
出世欲。もしくはボーナスがもらえるかもしれない。そんな期待に胸を膨らませていたのかもしれない。
馬車に跳ね飛ばされるまでは。
さっきイオリが追い抜かした馬車が全速力で男を撥ねている。
そんな光景をユータスは呑気に見て焼きそばを頬張っているし、イオリは唖然としていた。
やばいことになった。