2-42
閉じられた扉の向こうは、地獄だった。
肉が引き裂かれる音。
骨が噛み砕かれる音。
命が踏み躙られる音。
痛みと絶望に呻く悲鳴が響き渡っていた。
ゴーレムの悲鳴が。
「…………」
イオリは呆然としていた。
扉の向こうでミナーヴァが張り切っているらしい。
おそらくイオリたちに気を使わなくてよくなったので、思う存分暴力を振るっているらしかった。
多分時間の問題だろう。
ゴーレムが全滅するのは。
扉の向こうでは今なおも虐殺が続いている。
ミナーヴァが大暴れしているのだろう。
時々「Fuck it」なんて声が聞こえるが聞かなかったことにする。
「…………」
帰ろうかな。
思わず弱音が心の奥から漏れ出てくる。
今すぐ帰って実家宛に手紙を書きたい。
何もかも忘れて寝てしまいたい。
だって今から三回勝てるか分からない戦いに勝ち抜いて、あんな人の形をした邪悪キングコングと戦わなければならないなんて――
それなんて地獄?
腕っぷしが強くて。
チェーンソーと大砲みたいな拳銃振り回して。
素手で鉄を引きちぎる超人が相手?
…………。
無理。
無理無理無理無理。
あんなの勝てない。
絶対に死んじゃう。
そもそも、思う。
どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか?
不意に意識が現実に戻る。
狩衣衣装の青年だった。
見慣れない服装に、見慣れた顔。
「イオリ」
聞き慣れた低い声が、自分の名前を呼びかける。
さざなみのように揺れるのに、どこか落ち着く声。
狐のお面で顔を隠すと、
「逃げよう」
優しく引き寄せられるように、イオリは闘技場を駆け出した。
なるべく光に近いところを目指して。
扉を抜けると、そこは百鬼夜行だった。
夜だというのに、通りは光に満ちていて。
左側は前進。右側は反対方向に進めるように分たれていて、通りには人々がひしめき合っているではないか。
みんなきらびやかな服をまとって、祭を満喫して笑っている。さっきまで死にそうな思いをしてきたのが嘘みたいだ。
通りの真ん中を歩くのは象。
そう。象だった。
遠い大陸から運んできたこの生き物も、今日はアウラだからと着飾られ、さらに天からは金の雨が降り注いでいる。
男の子に手を引っ張られながら、イオリは思う。
ああ、今自分は夢の中にいるのだと。
「イオリ」
前を引っ張るユータスの背中を見つめる。
細いなんて言われているけれど、ずっと広い男の背中。
その背中がこう呼びかけるのだ。
「もうやめないか?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「イオリには向いてないよ」
なんでだろう。
どうしてそんなことを言うのだろう。
ずっと頑張ってきたのに。
慣れない化粧までして。
普段気ない衣装に袖を通して。
人に攫われたりしながらも頑張ってここまで来たのに。
それなのに彼の言葉はとても冷たい。
どうして。
どうして。
どうして彼の手は汗ばんでいるのだろう。
どうして熱を帯びているの?
まるで――緊張してるみたいに。
疑問の中、イオリは口を開く。
「……私が女だから?」
「医者だからだよ」
手を握る力が、ほんのちょっぴり強くなる。
彼の熱がじんわりと伝わってきた。
綿に水が染み込むように。
「その手を人を治すためにあるんだ。傷つけるためじゃない」
イオリは思い出す。
ミナーヴァに勝って、宝石を手に入れること。
その宝石を、ユータスが求めていること。
彼の背中を見つめながら、思う。
イオリがここにきた理由は――
「ごめん。ユータ」
ユータスの前に立って、今度はイオリが引っ張る番になる。
「もうちょっとだけ、私のわがままに付き合って」
ユータスは何か言い出そうとしたけれど、飲み込んでイオリに身を委ねる。
これから始まる怪奇譚。
今のイオリに、もう迷いはない。




