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一瞬、何が起こったのかイオリには理解できなかった。
脳が揺さぶられた。
転ばずに済んだのは僥倖だったと思う。
頭は揺れているし、視界は赤く染まっていた。
何かを当てられたことは理解できていた。
刻まれていた「666」と刻まれた真っ赤なタトゥー。
骨まで響く衝撃と、意外と柔らかかったこと。
あといい匂いがしたことは覚えている。
しかしミナーヴァの乳だと分かった瞬間、何もかもが黒く染められた。
「……あ、あぁ」
銃の暴発で子供を殺めてしまった肉親のような顔をしているミナーヴァ。
「あ、ああああのイオリさんごめんね。ほんっっっとごめんね。大丈夫?」
瞬間、とんでもない眼光がミナーヴァの心臓を貫いた。
乱れた黒髪の隙間から、顔を押さえている指の隙間から覗くイオリの眼。
世界中の闇を煮詰めて濾しとったような黒さが、そこにはあった。
目力だけで人を殺せそうな闇。
「死ね」
無論これはイオリの口から出たものではない。
だが視線が、魂が、ミナーヴァに対する尋常ではない殺意に燃えていた。
医者が絶対言っちゃいけないセリフだよなとユータスは思った。
気圧されつつも、動揺していながらも、それでも精いっぱいの意志をでその場に踏ん張り、ミナーヴァは説得を試みた。
「あのねイオリさん? ちょっと見せてもらってもいいかな? 手当す、」
「黙れGカップ」
冷たい声がミナーヴァを突き刺す。
「あんたみたいな巨峰にレーズンの気持ちがわかるもんか」
「巨峰? ええと、水っぽいってことかな? 確かにあたし植物とのハイブリッドだから水の含有量は人間よりも多、」
「はあ?」
「すいませんごめんなさい! 生きててごめんなさいっ! しゃべるの止めます!」
「息の根も止めてやろうか?」
「それは嫌です! チャンスをくださいっ!」
それは何とも不思議な光景であった。
ゴーレムすらたやすく葬る力自慢の持ち主が、一人の少女に押されている。
さっきまでの悪鬼みたいな態度が嘘のように霧散していた。
さてそんな様子を客観的にみている人物がいた。
ユータスである
自身には高い技術を持っているという自負がある。
一方ミナーヴァにも磨き上げてきた力がある。15才で大人の儀式に参加した時には熊を屠ってみせたらしい。
ようは殴り殺したのだ。素手で。
それでも思うのだ。
イオリは決して――
(オレやアンタじゃ勝てないらしい)




